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第三章
餌はしたたかに振る舞う
しおりを挟む「ん~?なんだ戻ってきたのか」
「腹が空いて我慢できなくなったか?」
宿舎の食堂には、隊員達がまだ大勢残っていた。
「お前は今日の主役だからなぁ。もてなしてやる予定だったのに、さっさと消えちまって退屈してたところだ」
先ほどシアンに食事を許さなかったひとりが、そんな事を言っている。
「本当だぞ?いけ好かねえウルヒの奴を返り討ちにしたんだ。朝の訓練ではいい物を見せてもらったからな」
「命乞いするウルヒの顔は傑作だったな!」
酒がはいり気の大きくなった男達が豪快に笑う。酒器であるアンフォラを片手に、もう片方の手でシアンを手招く。
「なぁっ…やっぱりやっぱり危険だぞ…!? 逃げようよ」
「大丈夫」
「大丈夫かこれ…!?」
シアンの背中に隠れたオメルが衣服の裾を引っ張る。
すると二人のやり取りを聞き取れない男達が、早くも痺れを切らした。
「お前ら何を話している?ぐずぐずするな」
「ウルヒに腕を切られてただろ。手当してやるから……へへ、服脱いでこっちへ来いよ」
「…皆さんお優しい方々ですね」
裾を掴むオメルの手を振り払い、シアンは食堂に入っていく。
座る隊員の目の前まで赴くと、さっそく男の手が絡みついてくる。手首を掴む者。肩に手をまわす者。
「手当ての前にお願いがあるのですが…。僕たちに水を頂けませんか?」
「──…水?ああ、それで来たのか」
「喉が渇いて仕方がありません」
「まぁそのくらい恵んでやってもいい。干からびて死なれても面白くない」
衣を剥ぎ取ろうとする手に対して無抵抗なシアンの顎を捕まえ、ひとりの隊員が笑った。
「飲みたいなら飲ませてやるよ…!!」
アンフォラを傾け酒をあおる。
その酒を口に含んだまま、シアンの顔を引き寄せた。
....ゴボッ
「……んっ」
「…っ…へ…へへ」
合わせた口から流し込まれた葡萄酒が、シアンの喉を通り抜ける。
勿論それだけで終わらない。
男は酒と一緒に自らの唾液を送り込み、シアンの舌を捕まえて絡ませた。売春宿でよくあるお遊びだ。
「どうだ美味かったか?ん?」
「ん……はぁ…」
「もうスイッチが入ったか?その顔いいじゃねぇか…!」
「……はぁ、はぁ、クク」
シアンは中途半端に空いた唇から悩ましく吐息を漏らし、薄く笑みを浮かべる。
垂れた酒をペロリと舐めると
一段と大きく溜め息をついた。
「──…不味い…ですね」
「…ッ…!? は?ああ!?」
「とても不味いです。残念、ながら」
「俺の酒は不味くて飲めないと言いたいのかよ!?」
「いえそれ以前の問題と言いますか…。この葡萄酒、酸化が進んだ粗悪品ではないかと」
「っ…そ あく…!? ああ?」
シアンの表情は、周りの隊員への嘲笑だ。
確かに、完璧な密閉方が確立されていない今の保存状態では、月日とともに酒の味は落ちる。出来たてを味わえるのはごく限られた人間だけ。
だがそれをはっきり言われてしまっては……
当然彼等は怒った。
「入隊試験で命拾いしたからって調子にのるなよ?下等市民が」
「市民じゃねぇ。そいつらクルバンはそれ以下だ。生きようが死のうが殺されようが、文句言えねぇんだからよ」
「そんなお前に酒の味がわかるのか?あ?」
顔を近付けシアンを威嚇する。
「シアン!」
食堂の入り口でオメルが叫んだ。咄嗟に駆け寄ろうとするも、他の隊員に阻まれている。
「慌てないで、オメル」
「え、でもっ…?」
「皆さんも、癪に障る言い方を──どうかお許しください。このような粗悪品は貴方方に相応しくない。…そうでしょう?」
メンツをつぶされ怒る輩を相手に、落ち着いた口調でシアンが諭した。
「僕がこの酒の味を……変えられるとしたら?」
「なんだと?お前が?」
「試すだけでもしてみませんか?」
「…!」
何を言い出すのかと思えば……。
周りの隊員は唖然としている。
シアンの身体を掴んだその手も、固まらせていた。
シアンはそれ等の手をひとつづつ外して、オメルに声をかけた。
「来て。手伝ってくれるかい?」
「…っ…お、おう!」
彼は新たな酒器を手に厨房側に入ると、石窯の下を覗く。
「オメル、悪いけど僕の代わりに火をおこしてほしい」
「火?いいけど、なんで?」
「酒を美味しくするんだよ。片手だと上手くできないから、頼むよ」
小ぶりな鍋をひとつ持ち出し、その中に葡萄酒を注いだ。
オメルは言われたとおり道具を使って火をおこす。慣れた手つきだ。
パチンパチンと炭の周りで火花が弾け、竈の中が熱くなると、シアンはその上に先ほどの鍋を置いた。
火にかけられた酒は、しだいにグツグツと煮立ってくる。
「シアンこれ何?あいつら熱湯のむの?」
「いやそういうわけじゃなく…」
「火傷するの好きなの?」
「…」
見物人が鍋の前に集まる中、注目の的にされているオメルは相変わらずシアンの背後から離れない。
料理なら、酒に何かしらを混ぜるのだろうか。何人もの酔った赤い目が次の一手を待っているようだ。
「…そろそろか」
だがその一手がないまま、シアンは火を消してしまった。
「できました」
「?」
「酒器を渡してください。それと瓶から水を──そうですね、ひと掬い入れれば丁度よい温度で飲めるかと」
「馬鹿にしてんのか!これで終わり!? 冗談だろ」
火にかけただけで終わったところで、納得できない彼等が憤慨するのは当たり前──。
今度こそ無事ではすまない。
“ ひええええ!嘘だろシアン!? ”
「温めただけで美味くなるわけないだろうが!」
“ うんうんそうだよなっ。そうだよな!? ”
「その煮立った酒をおキレイな顔にぶっかけてほしいのかよ?」
“ にっ逃げなきゃ…!! 逃げなきゃ不味いぞシアンー!! ”
落ち着いているのはシアンただひとりだけ。
あたふたオメルは置いておき、荒ぶる男達に彼は酒を差し出した。
「どうぞお飲み下さい」
「そんなので騙されるか。全部見てたんだぞ?温めただけで味が変わってるわけがない」
「飲んでみなければわかりませんよ」
「試す価値もないだろう。だいたいお前はクルバンの癖に俺達に対して──ッッ」
「どうぞ(ニコリ)お 飲 み く だ さ い」
「ッ…!? お…おう…!?」
何故か確信のあるシアンの態度は、隊員が尻込みするほどの余裕っぷりだった。美しい顔の意味深な迫力に気圧されて、酒の器を受け取る。
「味は如何でしょうか」
「いかがと言われても別に何がどう変わるってんだこんな…──っ、……ん?これ、は……!?」
「……」
「なんだこれっ…味が全く…違う…!?」
ザワッ
「美味くなってる……のか……!? 不思議と甘いぞ」
「貴様もう酔っ払ってるだろう。器をかせ!」
「俺にも飲ませろ!──…!」
「変だな…!! 酒が甘く変わっている…!!」
「鼻につく香りも消えてるな。飲みやすい」
“ え、どおいう、こと…? ”
何のことやら分からずじまいのオメルはまだ怯えているが、酒を飲んだ隊員の反応は良好だった。
「今は温かいままですが、再び冷やして飲んでも美味いですよ」
「そりゃあいいな!やるじゃないかクルバン」
「皆さんのお役に立てたなら嬉しいです」
酸味が消え作り立ての味に戻った葡萄酒。機嫌を直した面々はシアンへの怒りを捨てて晩酌を再開する。
......
コトン
「──…はい、君にはお水」
「……。シアンは、魔法使いみたいだ」
「魔法なんて使えないさ。僕はね」
───…
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