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玄関のドアを開けた先に、ミーちゃんの姿を確認した俺は、安心感から襲ってきた腹痛に呻き声を上げながら、トイレへと駆け込んだ。こうなる前に、幸慈の家から帰るはずだったんだけど、俺の体は予想以上に忍耐が弱く出来てたみたい。普通なら好きな子の前で、それも家でこんな失態をするとか、絶対に有り得ないってのに。それを考えると、オジィってば容赦なさすぎ。車の中で散々説教したのに、まだ続くなんて思ってなかった。幸慈、車の中は居づらかったろうな。降りたがってるのがひしひしと伝わってきたし。もー、オジィの質問に答えただけで説教とか割に合わないっての。幸慈のお母さんがくれた薬のお陰で、最初とは比べ物にならないくらいの短くなった腹痛時間に、息を吐き出しながらトイレを出る。洗面所に向かって手を洗う。そのついでに鏡を見ると、さっき泣いたせいか目元が赤くなっていた。コンタクト取れなくて良かった、なんて場違いな事に安心しながら、人付き合いで泣くなんて初めての経験に息を吐く。今まで女の子に酷くフラれても落ち込むだけで、泣く事はなかったのにな。それだけ幸慈が特別なんだと解るのは嬉しいけど、この感情はあくまでエゴでしかない。でも、守れて満足とか、両想いになれて嬉しいとか、そういうのって、全部エゴでしかないと思うんだよね。そう考えると、エゴって大事だと思う。自己満足の人生か。幸慈が俺を選んで、守らせてくれたら、幸せ一色なんだけど。それを願ってるはずなのに、どうして大事な人を傷付けてばかりなんだろう。甘くもないのに、どうして胸焼けがするのかな。鏡に映る自分の頬の傷を右手の親指でなぞる。幸慈は、これが嫌い。知ってて、もう一度やった自分が悪いのは解るよ。それはちゃんと反省しないくちゃね。でも、あの時、幸慈の目に映ってたのは俺じゃない。
「俺に、誰を重ねたの?」
俺は幸慈の敵じゃないのに。幸慈にとっては違う。アイツって誰?何をされた?何で幸慈のせいで、お母さんが殺されるの?解らない事ばかりだ。求めてる量と、実際に与えられる量が違いすぎる。こんなんで守り合う事なんて出来るの?背負わせてすら、もらえないのに。
「ヒーくん、お腹はどう?」
遠慮がちに俺を気遣う言葉を口にするミーちゃんに、ぎこちなく笑い返す。本当は、いつもみたいに幸慈と下校しながら、明日の予定なんて話してみたりしちゃって。二人のまた明日、を、俺が奪った。何で優しくするの?責めてよ。大事な親友を傷つけるなって、責め立てて殴る権利があるのに。
「あー、うん。薬が効いてきたお陰で大分良くなったよ」
「良かった」
「まぁね」
そう返事をして、唇が震える。良かった?何が?
「……良くないよ。全然、これっぽちも良くない」
もう、枯れたと思った涙は、まだ大量に残っていたみたいだ。悔しい。ただただ悔しいよ。何でこうなるかなぁ。やっと見付けて、始まった恋なのに。こんなにも歯痒くて遠い。手で涙を拭う俺の顔に、ミーちゃんがタオルを当ててきた。柔らかくて、優しい匂いがする。涙を拭く情けない俺の手を引いて、ミーちゃんはリビングへと連れて行ってくれた。
「また泣いているのか」
困った様に微笑むオジィは、俺を手招きした。
「最近のオマエ、どんどん幼稚化してねぇか?」
「うるせー」
ミーちゃんと手を繋いでる事に嫉妬してるが丸解りだっての。オジィの右隣りに腰を下ろした俺は、ティッシュで鼻をかんだ後、付き人が用意してくれたぬるま湯を飲む。温度的には、幸慈の用意してくれたやつの方が好きだな。
「爺さんから話は聞いた。原因が解らないってのはマジで言ってんのか?」
「悲しい事に大マジだよ。いきなり突き飛ばされたと思ったら、玄関飛び出してって……オジィのお陰で大事にはならなかったけど」
あの後、急いで幸慈を追い掛けて外に出た時、全てが終わったと思うほど後悔した。全身で恐怖をまとって、オジィにすがり助けを求める姿を見て、幸慈を失った、と。オジィに動くなと目配せされるまでもなく、俺はショックと絶望に動けなくなってた。幸慈が家の中に運ばれるのを見送っても、現実を受け止められなくて、立ちすくむ。オジィが居なかったら、幸慈はどうなっていただろうか。それを考えるだけで、恐怖が体を駆け上がる。それが、今もまとわりついて、離れてくれない。
「香山君は、何か心当たりはあるかい?」
「……えぇ、とても」
伺うオジィの言葉に、悲しそうに言葉を口にしたミーちゃんは、俺に手を握ってほしい、と言ってきた。秋谷の顔を一瞥してからミーちゃんの手を握ると、俺のよりもずっと小さい親指が、手の甲を撫でるように動き出す。その動きに驚く。どうして、俺が幸慈の手を触った時と同じ動きをしてるんだろう、と、不思議に思っていたら、ミーちゃんはそっと手を放した。
「今の、幸慈にやった……よね?」
俺はその問いに小さく頷いた。ミーちゃんはそんな俺の様子を見て深く呼吸をした後、階段の方へ目を向ける。何かを悩むように瞳を揺らした後、ゆっくり瞬きをして俺を見る。
「本当は、幸慈本人から聞くべきなんだけど。絶対に言いそうにはないから」
今回は特別だから、と前置きをしたミーちゃんは、俺の手元へと視線を戻す。
「この場所は、途中まで三人で暮らしてたんだ。昔は内装も今とは全部違って、和風な佇まいだった」
途中までと言われて気がついたのは、お母さんからも幸慈本人からも、父親についての話題が何もなかった事。普通だったら母親と父親の話題は一緒にするものなのに、ここではその父親の存在が感じられなかった。俺の両親みたいに、単身で赴任してるのかと思い込んでたけど、家族三人にしては物が少なすぎる。
「香山君、途中までと聞くと、どうしても悪い方へと考えてしまうんだが」
「そうですね。ただの離婚なら良かったんですけど」
「……不倫、か?」
遠慮がちに聞いた秋谷の質問に対して、ミーちゃんはぎこちなく頷いた。あんなに綺麗な奥さんがいて浮気なんて最低。でも、セフレが居た俺に、それを言う資格なんてない。結婚してないだけで、俺のやってきたことは、不倫と同じ。
「小学校に入学する頃には、幸慈のお父さんは家に帰らなくなってた。それから半年位かな、幸慈がよく泊まりに来るようになったある日、父さんに好きな人が出来たから、母さんはさよならをしたんだって、俺に言ってきたんだ。子供の俺にも、さよならの意味が何となく解ったかな。とても優しい人だったから、最初は俺の家族も驚いてたよ」
それからすぐに名字が多木崎になった幸慈は、クラスの奴等にからかわれたらしい。その度に、難しい言葉を並べて相手を馬鹿にする姿が、同年代の女子には大人びて見えたようで、男子からのからかいが、苛めへと発展するのに、時間がかからなかったそうだ。最終的に、自分にぶつけられる罵声や罵りを、テープレコーダーに録音したものを紙に書き出し、両方持って警察に届け出た。それをきっかけに、教育委員会やPTAの耳にも苛めの事が届き、学校も保護者も面目は丸潰れになったそうだ。それを聞いた時は、さすが幸慈だとさえ思ってしまった。でも、それだけじゃ幸慈が怯えた原因にはならない。むしろやり返して二度と逆らえなくするくらいまでやれそうだ。
「さよならの後も、ピクニックに行って、お泊まりしあって、毎日がすごく楽しかった」
子供の頃の事を思い出して話すミーちゃんは、すごく楽しそうだったけど、その笑顔はすぐに消えた。
「楽しい、が、続くと思ってた。……幸慈のお父さんが、警察に逮捕されるまでは」
ミーちゃんの言葉に空気が重くなったのを感じて、無意識に唾を飲み込んだ。逮捕ってどういう意味?幸慈は犯罪者の子供って事?でも、血は繋がってても両親はとっくに離婚をしてるわけだから、大きな問題はなかったはず。無かったと、信じたい。
「ニュースで取り上げられなかったのが、奇跡的な位だったんだよ」
「そんなに、酷い犯罪だったの?」
聞くために発した声が震えなかった事に安堵した。
「……新しい奥さんを殺したんだ」
殺した。その言葉が、幸慈の背負うものの重さを直に教えてくる。
「その足でこの家まで来て、匿えって言って暴れたんだ、って後から幸慈に聞いた。警察が駆けつけた時には、お母さんも幸慈も傷だらけだったって、病院に付き添った俺の母さんが父さんに言ってたのをこっそり聞いて、すぐに病院に行ったけど、警察の人に止められちゃった」
「無理するな」
ミーちゃんが強がっているのは、目に見えて解ってはいたけど、それを気づかう事ばかり考えていたら、幸慈の事を知るのがどんどん先延ばしになるようで、秋谷の様に労る言葉をかけられなかった。
「怪我って酷かったの?」
「おい、少しは未来の気持ちも考えろ」
俺を責める言葉を口にする秋谷を、ミーちゃんが宥めた。
「大丈夫だよ。今、止める方が辛いから」
ミーちゃんの言葉に、秋谷は苦い顔をしながら口を閉ざした後、恋人の小さな手を握った。
「幸慈に限って言うなら、痣とか打撲がほとんどだったんだけど、唯一酷かったのは右足だった」
台所で保護された幸慈の右足は、倒れた食器棚の下敷きになっていて、骨折だけでなく、割れた硝子片が甲に傷を作っていたそうだ。ようやく病室に入って幸慈と話をした時に、自分の事を僕と、呼ぶようになっていたらしく、それはきっと父親と同じように、自分の事を俺と、言うのが嫌だったからなんだろうな、と思った。
「親指だけを動かして撫でるのが癖だった人だから、ヒーくんの何気ない行為が、幸慈にとっては、どうしようもなく怖かったんだよ」
その言葉に俺は反射的に自分の手を見る。やっと解った。どうして、幸慈を怖がらせてしまったのかが。俺にとっての当たり前は、幸慈にとっての恐怖だったんだね。俺はミーちゃんにお礼を言って立ち上がった。大丈夫、俺はもう間違えない。間違えてたまるか。
「俺達は帰る。多木崎も、未来がここに居たら色々と気を使いそうだからな」
「なら途中まで送ろう。茜は、帰らないつもりなんだろう?」
「うん」
「良い顔だ。覚悟を持った、男の顔をしている。これを持っていなさい。無闇に壊すと困ると解っただろ」
臨時の携帯を差し出すオジィの言葉に頷く。叱りながらも、誇らしそうに言うオジィに背中を押され、俺は皆を見送る為に玄関へ向かう。ミーちゃんは不安そうだったけど、最後は俺を信じると言ってくれた。その気持ちに応える為にも、俺はもう泣かない。
「証明してみせる」
俺の全部をかけて証明するんだ。下手糞でも真っ直ぐに。ぶつかる事しか出来ない俺には、正しく気持ちを伝える方法なんて解らない。だから、とことんぶつかってやる。逃げれば追いかけるし、振り払うなら捕まえる。それを何度も何度も繰り返す。だって、体で伝えないと嘘吐き呼ばわりされるだろうし、何より、一番伝わると思うから。
日頃の行いか。女癖が悪いってのは、全国の女子は嫌だと言う事位は解るから、男子が同じ事を相手に思うのも、当然だとは思ってたけど、ミーちゃんの話を聞いてから余計に反省した。幸慈を好きになってから、反省しまくってた以上に後悔する。幸慈のお母さんがした辛い思いを、今まで関係を持っていた女の子達皆にさせるのか。そう考えると体が重くなる。とはいえ、携帯は壊しちゃったから、直接会いに来るのを待つか、行くかしないといけなくなったけど、ちゃんとさよならをする為なら、その方が良いのかもしれない。
怖かったよね。大好きな人が居なくなって、大好きな人が傷ついて、大好きだった人に裏切られる事が、どれくらいに苦しいのか知っているから、終わりの先を知ってしまったからこそ、遠ざけて生きてきたんだね。
駄目だな。決めたばかりのに、幸慈の事を考えるだけで、胸が苦しくて泣きそうだ。甘酸っぱいなんて、とんだ夢物語じゃんか。きっと、この息苦しさはこれから先も、俺の内側に居座って、居なくなってくれないんだ。上等、と、小さく笑った後、階段を上り始める。幸慈と手作りのプレートが掛かったドアに、親近感を覚えながら、そっと中の様子を窺う。ベッドの膨らみが小さく動いたのに心臓が跳ねた。冷静になってみれば好きな子と二人きりなんだよな。改めて実感しただけで、俺の体温は上昇していった。こんな状況で何考えてんだよ。自暴自棄になってると、幸慈が寝返りを打ったことで、寝顔が俺の方に向いた。保健室の時は怪我の事とかで一杯一杯だったから、じっくり見ることは出来なかったけど、改めて見ると凄く幼い。普段は人を遠ざける為に、冷たい態度をとってるせいで、かなり大人びて見えるから忘れがちだけど、幸慈も俺と同い年なんだもんね。幼くて当然なんだ。カーテンを少し開けて、窓の外を見る。幸慈が毎日見る景色。この景色の中に、俺は入れない。お隣さんになれば可能性はいくらでも、なんだけどねぇ。あの工事してる建物、マンションかな。今度確認しとこっと。カーテンを整えて、ベッドの近くに座って、起きる気配が無いのを確認する。左手で幸慈の髪を撫でると、見た目よりもずっとさらさらしてて、触り心地が良い。幸慈は少し身じろいだ後、猫の様に体を丸める。その様子が凄く可愛くて、俺の胸はポカポカした。布団をかけ直そうと伸ばした左手は、右足の傷を見つけたことで止まる。右足の甲にある傷は薄くなってはいたけど、それでも存在を訴えるには充分だった。無意識に傷跡へ触れると、顔面に強い衝撃を受けてを後ろへ倒れ込む。
「……んぅ、今、何か蹴ったような気が」
「見事に蹴られたよ!本当に寝てた!?寝惚けましたの威力じゃないよ!」
体を起こす幸慈に、鼻血が出て無いのを確認しながら抗議をすると、不良なんだからそれくらい避けろ、と、眼鏡をかけながら言われてしまいました。不良だって皆が俊敏って訳じゃないってば。
「喧嘩は葵の特技で、俺はそんなでもねぇの!」
弱くはないけどね。でも、良かった。いつもの幸慈だ。
「僕、なんで部屋にいるんだ?」
僕に戻ってる。
「覚えてない?」
「台所で騒いでたのはぼんやり覚えてる」
あれは騒いでた部類になるのか。幸慈の受け止め度合いが分かり難いな。
「それから……」
ベッドの上で記憶を辿る幸慈の顔は、次第にどんどん青ざめていった。ヤバい!何か言ってフォローしないと!
「俺のせいなんだよ!」
フォローどころか事実!オジィ、フォローって何!?
「俺が幸慈の嫌いな事をしたから、怖い思いさせたんだ。本当にごめんなさい!」
頭を下げると、謝る必要は無いって言われた。
「未だに引きずってる僕が駄目なだけだ。迷惑かけたな」
何で幸慈が謝るのさ。
「駄目なんて言わないでよ。幸慈からの迷惑は嬉しいだけだし、今回の原因は本当に俺にあるんだからさ」
頼むから、俺のせいにしてよ。
「良い人止まりで恋愛が発展しないタイプだろ」
「何で解るの!?」
幸慈の口から恋愛トークが出るなんて。
「母さんがハマって見てたドラマで、恋が叶わないタイプは皆そうだった」
えー、それ何てタイトル?今度、幸慈のお母さんに恋愛相談してみようかな。息子は渡しません、とか言われたらどうしよう。
「保護者の人って、まだ下にいるか?」
「ううん。秋谷とミーちゃんを送るって言って帰った」
「未来が来てたのか?」
難しそうな顔をする幸慈の前で、俺は頭を抱え込んだ。せっかく幸慈が必要以上に気を使わなくて良い様に、皆が優しさ全開で帰ってくれたのに、それを台無しにするとか最悪すぎる!床に頭をぶつけ始めた俺に、床を壊すな、と、幸慈が一喝してきた。大人しく座り込む事に専念したいけど、感情が付いてこない。壁なら頭ぶつけても平気かな?
「じゃあ、聞いたよな?」
幸慈の質問に、丸みをおびた言葉で返事をしたいけど、そんな言葉を俺は知らない。
「本当は、幸慈から聞かないといけないのは解ってたんだけど……ごめん」
俺の言葉に、幸慈は目を伏せる。不可抗力、なんて思ってほしくないな。俺だったら、知られたくないって思うし。
「……いや、構わない。この状況じゃ仕方ない事だ。腹の具合はどうだ?」
不可抗力みたいに捉えた幸慈の言葉に、今度は俺が目を伏せる。どうして?幸慈は何も悪いことしてないのに。どうして、全部の悪者になろうとするの?
「随分良くなったよ。でも、今日は泊まれたら嬉しいなー」
なんて、言ってみた。
「どうせ、母さんと話が出来上がってるんだろ」
「うっ」
正確にはオジィにだけなんだけど。でも、幸慈のお母さんも辛かったら泊まっていって、と、薬をくれた時に勧めてくれたのを、傍で聞いてたかのような返答に、俺はかなり焦った。
「保健室で似たような事があったからな」
「あー、したねー」
だって、幸慈が心配だったし、一緒に帰りたかったんだもん。
「布団出さないとな」
「言ってくれれば俺が出すよっ!部屋どこ!?」
「此処」
「……へ?」
人生で一番アホな声を出した気がする。いや、え、この子は何を言ってるの?
「そこの押入れ開ければ一セット入ってるから」
俺の混乱してる頭を無視して、淡々と説明を始める幸慈に待ったをかけると、どうした、と、首を傾げられた。その仕草はすごく可愛いけど、今はそれを堪能してるどころじゃない。
「此処で一緒に寝るって事!?」
「他に部屋はない」
「そっかー……ってならないから!俺は幸慈が好きなんだってば!」
「そうだな。だから何だ?」
幸慈の言葉に氷点下と真夏位の温度差を感じたよ。
「そうだなって……頼むから少しは危機感を持ってください。俺に寝込み襲われるかもとか、好いてきてる相手と同じ部屋で寝るなんて気まずいとか無いの!?」
ダメ元で色々聞いてみた。
「別に」
玉砕。幸慈の中の俺の立ち位置って何!?唐突に悲しくなった俺は、その場に膝を抱えて蹲った。幸慈にとって俺って何さ。友達の彼氏の友達っていう、遠い認識のままだったら、凄く悲しいんですけど。いやまぁ、普通はそれくらいの認識でしょうよ!でも頑張ってアピールしてたよね!?
「トイレは一階にしかないぞ」
腹痛を忘れるくらいの衝撃を受けてます。もー。
「バカ」
そう言って俺は、幸慈の右足首を掴んで、ベッドから引きずり下ろした。バランスを崩して落ちて来た幸慈の体を、簡単に腕の中に納めると、そのまま自分が下になるように床にねっころがる。
「少しは気にしてよ」
「何をだよっ」
腕の中から抜け出そうと必死になるくせに、同じ部屋で寝るのは平気なんて変すぎるでしょ。
「好きなんだよ。ラブなの。恋してるの」
幸慈だけに。それを伝えたくて、幸慈の左手を取って、壊れそうなくらい暴れてる心臓を知ってほしくて、胸の上に乗せた。
「凄いでしょ。幸慈と一緒にいるだけで、こんなにドキドキしてる人間と、一晩過ごすってどういう意味か解ってるの?」
「……」
「幸慈?」
俺の胸に手を置いた状態で、固まってしまった幸慈に呼びかけると、慌てたように体を離して上半身を起こした。そのせいで幸慈が俺の上に跨る体勢になる。普通なら喜ばしい眺めなんだけど、今幸慈が座ってる下には、俺のムスコがいるわけで、少しでも動かれると確実に反応してしまう。
「悪い、そうだよな。オマ……檜山にも色々あるよな。でも、部屋は本当に此処しかないんだ」
「じゃあ、俺は押入れで寝るよ」
「駄目だっ」
「ぐはっ」
「?」
幸慈が少し動いてくれたおかげで俺はピンチを迎え始めました。
「あ、悪い。腹痛いって言ってよな」
俺の呻き声を別の方へと受け止めた幸慈は、慌てて立ち上がって部屋のドアを開けた。俺は腹痛の振りをするように、腹を抱えながら一階のトイレに駆け込んだ。情けないにも程がある。俺はトイレの蓋の上に腰を掛けて熱が冷めるのを待つ間、ずっと今日の夜をどう乗り越えようかと、頭を抱えることになった。こんな姿、絶対に見せられない。今までの俺を知る人達がこの事を知ったら、さぞかし面白い顔をしてくれるだろうな。いや、馬鹿にされる確率の方が高いか。
胸に当てた幸慈の手の温度が、まだ残ってる気がする。少し、戸惑ってた様に見えた。少しは伝わったって思って良いのかな。でも、すぐに無かったことにされそうな気もする。どうするのが正解?どう受け止めれば良い?俺の中を、こんなにも支配しているなんて、本人は知るよしもないだろうな。知ってほしい。もっともっと知ってほしいし、もっともっと知りたいよ。
ねぇ、幸慈。好きって凄いね。こんなにも、世界を変える力を持ってるなんて、全然知らなかった。幸慈の世界は、どんな世界?俺は居る?居たら良いな。隅っこでも良いから、置いてほしい。同じ世界で、生きても良いんだって思わせて。今はそれだけで良いから。だからどうか、涙を全部、痛みも傷も、全てを俺に背負わせてよ。幸慈の為に生きさせて。
ねぇ神様、どうか、あの子を俺に下さい。
「俺に、誰を重ねたの?」
俺は幸慈の敵じゃないのに。幸慈にとっては違う。アイツって誰?何をされた?何で幸慈のせいで、お母さんが殺されるの?解らない事ばかりだ。求めてる量と、実際に与えられる量が違いすぎる。こんなんで守り合う事なんて出来るの?背負わせてすら、もらえないのに。
「ヒーくん、お腹はどう?」
遠慮がちに俺を気遣う言葉を口にするミーちゃんに、ぎこちなく笑い返す。本当は、いつもみたいに幸慈と下校しながら、明日の予定なんて話してみたりしちゃって。二人のまた明日、を、俺が奪った。何で優しくするの?責めてよ。大事な親友を傷つけるなって、責め立てて殴る権利があるのに。
「あー、うん。薬が効いてきたお陰で大分良くなったよ」
「良かった」
「まぁね」
そう返事をして、唇が震える。良かった?何が?
「……良くないよ。全然、これっぽちも良くない」
もう、枯れたと思った涙は、まだ大量に残っていたみたいだ。悔しい。ただただ悔しいよ。何でこうなるかなぁ。やっと見付けて、始まった恋なのに。こんなにも歯痒くて遠い。手で涙を拭う俺の顔に、ミーちゃんがタオルを当ててきた。柔らかくて、優しい匂いがする。涙を拭く情けない俺の手を引いて、ミーちゃんはリビングへと連れて行ってくれた。
「また泣いているのか」
困った様に微笑むオジィは、俺を手招きした。
「最近のオマエ、どんどん幼稚化してねぇか?」
「うるせー」
ミーちゃんと手を繋いでる事に嫉妬してるが丸解りだっての。オジィの右隣りに腰を下ろした俺は、ティッシュで鼻をかんだ後、付き人が用意してくれたぬるま湯を飲む。温度的には、幸慈の用意してくれたやつの方が好きだな。
「爺さんから話は聞いた。原因が解らないってのはマジで言ってんのか?」
「悲しい事に大マジだよ。いきなり突き飛ばされたと思ったら、玄関飛び出してって……オジィのお陰で大事にはならなかったけど」
あの後、急いで幸慈を追い掛けて外に出た時、全てが終わったと思うほど後悔した。全身で恐怖をまとって、オジィにすがり助けを求める姿を見て、幸慈を失った、と。オジィに動くなと目配せされるまでもなく、俺はショックと絶望に動けなくなってた。幸慈が家の中に運ばれるのを見送っても、現実を受け止められなくて、立ちすくむ。オジィが居なかったら、幸慈はどうなっていただろうか。それを考えるだけで、恐怖が体を駆け上がる。それが、今もまとわりついて、離れてくれない。
「香山君は、何か心当たりはあるかい?」
「……えぇ、とても」
伺うオジィの言葉に、悲しそうに言葉を口にしたミーちゃんは、俺に手を握ってほしい、と言ってきた。秋谷の顔を一瞥してからミーちゃんの手を握ると、俺のよりもずっと小さい親指が、手の甲を撫でるように動き出す。その動きに驚く。どうして、俺が幸慈の手を触った時と同じ動きをしてるんだろう、と、不思議に思っていたら、ミーちゃんはそっと手を放した。
「今の、幸慈にやった……よね?」
俺はその問いに小さく頷いた。ミーちゃんはそんな俺の様子を見て深く呼吸をした後、階段の方へ目を向ける。何かを悩むように瞳を揺らした後、ゆっくり瞬きをして俺を見る。
「本当は、幸慈本人から聞くべきなんだけど。絶対に言いそうにはないから」
今回は特別だから、と前置きをしたミーちゃんは、俺の手元へと視線を戻す。
「この場所は、途中まで三人で暮らしてたんだ。昔は内装も今とは全部違って、和風な佇まいだった」
途中までと言われて気がついたのは、お母さんからも幸慈本人からも、父親についての話題が何もなかった事。普通だったら母親と父親の話題は一緒にするものなのに、ここではその父親の存在が感じられなかった。俺の両親みたいに、単身で赴任してるのかと思い込んでたけど、家族三人にしては物が少なすぎる。
「香山君、途中までと聞くと、どうしても悪い方へと考えてしまうんだが」
「そうですね。ただの離婚なら良かったんですけど」
「……不倫、か?」
遠慮がちに聞いた秋谷の質問に対して、ミーちゃんはぎこちなく頷いた。あんなに綺麗な奥さんがいて浮気なんて最低。でも、セフレが居た俺に、それを言う資格なんてない。結婚してないだけで、俺のやってきたことは、不倫と同じ。
「小学校に入学する頃には、幸慈のお父さんは家に帰らなくなってた。それから半年位かな、幸慈がよく泊まりに来るようになったある日、父さんに好きな人が出来たから、母さんはさよならをしたんだって、俺に言ってきたんだ。子供の俺にも、さよならの意味が何となく解ったかな。とても優しい人だったから、最初は俺の家族も驚いてたよ」
それからすぐに名字が多木崎になった幸慈は、クラスの奴等にからかわれたらしい。その度に、難しい言葉を並べて相手を馬鹿にする姿が、同年代の女子には大人びて見えたようで、男子からのからかいが、苛めへと発展するのに、時間がかからなかったそうだ。最終的に、自分にぶつけられる罵声や罵りを、テープレコーダーに録音したものを紙に書き出し、両方持って警察に届け出た。それをきっかけに、教育委員会やPTAの耳にも苛めの事が届き、学校も保護者も面目は丸潰れになったそうだ。それを聞いた時は、さすが幸慈だとさえ思ってしまった。でも、それだけじゃ幸慈が怯えた原因にはならない。むしろやり返して二度と逆らえなくするくらいまでやれそうだ。
「さよならの後も、ピクニックに行って、お泊まりしあって、毎日がすごく楽しかった」
子供の頃の事を思い出して話すミーちゃんは、すごく楽しそうだったけど、その笑顔はすぐに消えた。
「楽しい、が、続くと思ってた。……幸慈のお父さんが、警察に逮捕されるまでは」
ミーちゃんの言葉に空気が重くなったのを感じて、無意識に唾を飲み込んだ。逮捕ってどういう意味?幸慈は犯罪者の子供って事?でも、血は繋がってても両親はとっくに離婚をしてるわけだから、大きな問題はなかったはず。無かったと、信じたい。
「ニュースで取り上げられなかったのが、奇跡的な位だったんだよ」
「そんなに、酷い犯罪だったの?」
聞くために発した声が震えなかった事に安堵した。
「……新しい奥さんを殺したんだ」
殺した。その言葉が、幸慈の背負うものの重さを直に教えてくる。
「その足でこの家まで来て、匿えって言って暴れたんだ、って後から幸慈に聞いた。警察が駆けつけた時には、お母さんも幸慈も傷だらけだったって、病院に付き添った俺の母さんが父さんに言ってたのをこっそり聞いて、すぐに病院に行ったけど、警察の人に止められちゃった」
「無理するな」
ミーちゃんが強がっているのは、目に見えて解ってはいたけど、それを気づかう事ばかり考えていたら、幸慈の事を知るのがどんどん先延ばしになるようで、秋谷の様に労る言葉をかけられなかった。
「怪我って酷かったの?」
「おい、少しは未来の気持ちも考えろ」
俺を責める言葉を口にする秋谷を、ミーちゃんが宥めた。
「大丈夫だよ。今、止める方が辛いから」
ミーちゃんの言葉に、秋谷は苦い顔をしながら口を閉ざした後、恋人の小さな手を握った。
「幸慈に限って言うなら、痣とか打撲がほとんどだったんだけど、唯一酷かったのは右足だった」
台所で保護された幸慈の右足は、倒れた食器棚の下敷きになっていて、骨折だけでなく、割れた硝子片が甲に傷を作っていたそうだ。ようやく病室に入って幸慈と話をした時に、自分の事を僕と、呼ぶようになっていたらしく、それはきっと父親と同じように、自分の事を俺と、言うのが嫌だったからなんだろうな、と思った。
「親指だけを動かして撫でるのが癖だった人だから、ヒーくんの何気ない行為が、幸慈にとっては、どうしようもなく怖かったんだよ」
その言葉に俺は反射的に自分の手を見る。やっと解った。どうして、幸慈を怖がらせてしまったのかが。俺にとっての当たり前は、幸慈にとっての恐怖だったんだね。俺はミーちゃんにお礼を言って立ち上がった。大丈夫、俺はもう間違えない。間違えてたまるか。
「俺達は帰る。多木崎も、未来がここに居たら色々と気を使いそうだからな」
「なら途中まで送ろう。茜は、帰らないつもりなんだろう?」
「うん」
「良い顔だ。覚悟を持った、男の顔をしている。これを持っていなさい。無闇に壊すと困ると解っただろ」
臨時の携帯を差し出すオジィの言葉に頷く。叱りながらも、誇らしそうに言うオジィに背中を押され、俺は皆を見送る為に玄関へ向かう。ミーちゃんは不安そうだったけど、最後は俺を信じると言ってくれた。その気持ちに応える為にも、俺はもう泣かない。
「証明してみせる」
俺の全部をかけて証明するんだ。下手糞でも真っ直ぐに。ぶつかる事しか出来ない俺には、正しく気持ちを伝える方法なんて解らない。だから、とことんぶつかってやる。逃げれば追いかけるし、振り払うなら捕まえる。それを何度も何度も繰り返す。だって、体で伝えないと嘘吐き呼ばわりされるだろうし、何より、一番伝わると思うから。
日頃の行いか。女癖が悪いってのは、全国の女子は嫌だと言う事位は解るから、男子が同じ事を相手に思うのも、当然だとは思ってたけど、ミーちゃんの話を聞いてから余計に反省した。幸慈を好きになってから、反省しまくってた以上に後悔する。幸慈のお母さんがした辛い思いを、今まで関係を持っていた女の子達皆にさせるのか。そう考えると体が重くなる。とはいえ、携帯は壊しちゃったから、直接会いに来るのを待つか、行くかしないといけなくなったけど、ちゃんとさよならをする為なら、その方が良いのかもしれない。
怖かったよね。大好きな人が居なくなって、大好きな人が傷ついて、大好きだった人に裏切られる事が、どれくらいに苦しいのか知っているから、終わりの先を知ってしまったからこそ、遠ざけて生きてきたんだね。
駄目だな。決めたばかりのに、幸慈の事を考えるだけで、胸が苦しくて泣きそうだ。甘酸っぱいなんて、とんだ夢物語じゃんか。きっと、この息苦しさはこれから先も、俺の内側に居座って、居なくなってくれないんだ。上等、と、小さく笑った後、階段を上り始める。幸慈と手作りのプレートが掛かったドアに、親近感を覚えながら、そっと中の様子を窺う。ベッドの膨らみが小さく動いたのに心臓が跳ねた。冷静になってみれば好きな子と二人きりなんだよな。改めて実感しただけで、俺の体温は上昇していった。こんな状況で何考えてんだよ。自暴自棄になってると、幸慈が寝返りを打ったことで、寝顔が俺の方に向いた。保健室の時は怪我の事とかで一杯一杯だったから、じっくり見ることは出来なかったけど、改めて見ると凄く幼い。普段は人を遠ざける為に、冷たい態度をとってるせいで、かなり大人びて見えるから忘れがちだけど、幸慈も俺と同い年なんだもんね。幼くて当然なんだ。カーテンを少し開けて、窓の外を見る。幸慈が毎日見る景色。この景色の中に、俺は入れない。お隣さんになれば可能性はいくらでも、なんだけどねぇ。あの工事してる建物、マンションかな。今度確認しとこっと。カーテンを整えて、ベッドの近くに座って、起きる気配が無いのを確認する。左手で幸慈の髪を撫でると、見た目よりもずっとさらさらしてて、触り心地が良い。幸慈は少し身じろいだ後、猫の様に体を丸める。その様子が凄く可愛くて、俺の胸はポカポカした。布団をかけ直そうと伸ばした左手は、右足の傷を見つけたことで止まる。右足の甲にある傷は薄くなってはいたけど、それでも存在を訴えるには充分だった。無意識に傷跡へ触れると、顔面に強い衝撃を受けてを後ろへ倒れ込む。
「……んぅ、今、何か蹴ったような気が」
「見事に蹴られたよ!本当に寝てた!?寝惚けましたの威力じゃないよ!」
体を起こす幸慈に、鼻血が出て無いのを確認しながら抗議をすると、不良なんだからそれくらい避けろ、と、眼鏡をかけながら言われてしまいました。不良だって皆が俊敏って訳じゃないってば。
「喧嘩は葵の特技で、俺はそんなでもねぇの!」
弱くはないけどね。でも、良かった。いつもの幸慈だ。
「僕、なんで部屋にいるんだ?」
僕に戻ってる。
「覚えてない?」
「台所で騒いでたのはぼんやり覚えてる」
あれは騒いでた部類になるのか。幸慈の受け止め度合いが分かり難いな。
「それから……」
ベッドの上で記憶を辿る幸慈の顔は、次第にどんどん青ざめていった。ヤバい!何か言ってフォローしないと!
「俺のせいなんだよ!」
フォローどころか事実!オジィ、フォローって何!?
「俺が幸慈の嫌いな事をしたから、怖い思いさせたんだ。本当にごめんなさい!」
頭を下げると、謝る必要は無いって言われた。
「未だに引きずってる僕が駄目なだけだ。迷惑かけたな」
何で幸慈が謝るのさ。
「駄目なんて言わないでよ。幸慈からの迷惑は嬉しいだけだし、今回の原因は本当に俺にあるんだからさ」
頼むから、俺のせいにしてよ。
「良い人止まりで恋愛が発展しないタイプだろ」
「何で解るの!?」
幸慈の口から恋愛トークが出るなんて。
「母さんがハマって見てたドラマで、恋が叶わないタイプは皆そうだった」
えー、それ何てタイトル?今度、幸慈のお母さんに恋愛相談してみようかな。息子は渡しません、とか言われたらどうしよう。
「保護者の人って、まだ下にいるか?」
「ううん。秋谷とミーちゃんを送るって言って帰った」
「未来が来てたのか?」
難しそうな顔をする幸慈の前で、俺は頭を抱え込んだ。せっかく幸慈が必要以上に気を使わなくて良い様に、皆が優しさ全開で帰ってくれたのに、それを台無しにするとか最悪すぎる!床に頭をぶつけ始めた俺に、床を壊すな、と、幸慈が一喝してきた。大人しく座り込む事に専念したいけど、感情が付いてこない。壁なら頭ぶつけても平気かな?
「じゃあ、聞いたよな?」
幸慈の質問に、丸みをおびた言葉で返事をしたいけど、そんな言葉を俺は知らない。
「本当は、幸慈から聞かないといけないのは解ってたんだけど……ごめん」
俺の言葉に、幸慈は目を伏せる。不可抗力、なんて思ってほしくないな。俺だったら、知られたくないって思うし。
「……いや、構わない。この状況じゃ仕方ない事だ。腹の具合はどうだ?」
不可抗力みたいに捉えた幸慈の言葉に、今度は俺が目を伏せる。どうして?幸慈は何も悪いことしてないのに。どうして、全部の悪者になろうとするの?
「随分良くなったよ。でも、今日は泊まれたら嬉しいなー」
なんて、言ってみた。
「どうせ、母さんと話が出来上がってるんだろ」
「うっ」
正確にはオジィにだけなんだけど。でも、幸慈のお母さんも辛かったら泊まっていって、と、薬をくれた時に勧めてくれたのを、傍で聞いてたかのような返答に、俺はかなり焦った。
「保健室で似たような事があったからな」
「あー、したねー」
だって、幸慈が心配だったし、一緒に帰りたかったんだもん。
「布団出さないとな」
「言ってくれれば俺が出すよっ!部屋どこ!?」
「此処」
「……へ?」
人生で一番アホな声を出した気がする。いや、え、この子は何を言ってるの?
「そこの押入れ開ければ一セット入ってるから」
俺の混乱してる頭を無視して、淡々と説明を始める幸慈に待ったをかけると、どうした、と、首を傾げられた。その仕草はすごく可愛いけど、今はそれを堪能してるどころじゃない。
「此処で一緒に寝るって事!?」
「他に部屋はない」
「そっかー……ってならないから!俺は幸慈が好きなんだってば!」
「そうだな。だから何だ?」
幸慈の言葉に氷点下と真夏位の温度差を感じたよ。
「そうだなって……頼むから少しは危機感を持ってください。俺に寝込み襲われるかもとか、好いてきてる相手と同じ部屋で寝るなんて気まずいとか無いの!?」
ダメ元で色々聞いてみた。
「別に」
玉砕。幸慈の中の俺の立ち位置って何!?唐突に悲しくなった俺は、その場に膝を抱えて蹲った。幸慈にとって俺って何さ。友達の彼氏の友達っていう、遠い認識のままだったら、凄く悲しいんですけど。いやまぁ、普通はそれくらいの認識でしょうよ!でも頑張ってアピールしてたよね!?
「トイレは一階にしかないぞ」
腹痛を忘れるくらいの衝撃を受けてます。もー。
「バカ」
そう言って俺は、幸慈の右足首を掴んで、ベッドから引きずり下ろした。バランスを崩して落ちて来た幸慈の体を、簡単に腕の中に納めると、そのまま自分が下になるように床にねっころがる。
「少しは気にしてよ」
「何をだよっ」
腕の中から抜け出そうと必死になるくせに、同じ部屋で寝るのは平気なんて変すぎるでしょ。
「好きなんだよ。ラブなの。恋してるの」
幸慈だけに。それを伝えたくて、幸慈の左手を取って、壊れそうなくらい暴れてる心臓を知ってほしくて、胸の上に乗せた。
「凄いでしょ。幸慈と一緒にいるだけで、こんなにドキドキしてる人間と、一晩過ごすってどういう意味か解ってるの?」
「……」
「幸慈?」
俺の胸に手を置いた状態で、固まってしまった幸慈に呼びかけると、慌てたように体を離して上半身を起こした。そのせいで幸慈が俺の上に跨る体勢になる。普通なら喜ばしい眺めなんだけど、今幸慈が座ってる下には、俺のムスコがいるわけで、少しでも動かれると確実に反応してしまう。
「悪い、そうだよな。オマ……檜山にも色々あるよな。でも、部屋は本当に此処しかないんだ」
「じゃあ、俺は押入れで寝るよ」
「駄目だっ」
「ぐはっ」
「?」
幸慈が少し動いてくれたおかげで俺はピンチを迎え始めました。
「あ、悪い。腹痛いって言ってよな」
俺の呻き声を別の方へと受け止めた幸慈は、慌てて立ち上がって部屋のドアを開けた。俺は腹痛の振りをするように、腹を抱えながら一階のトイレに駆け込んだ。情けないにも程がある。俺はトイレの蓋の上に腰を掛けて熱が冷めるのを待つ間、ずっと今日の夜をどう乗り越えようかと、頭を抱えることになった。こんな姿、絶対に見せられない。今までの俺を知る人達がこの事を知ったら、さぞかし面白い顔をしてくれるだろうな。いや、馬鹿にされる確率の方が高いか。
胸に当てた幸慈の手の温度が、まだ残ってる気がする。少し、戸惑ってた様に見えた。少しは伝わったって思って良いのかな。でも、すぐに無かったことにされそうな気もする。どうするのが正解?どう受け止めれば良い?俺の中を、こんなにも支配しているなんて、本人は知るよしもないだろうな。知ってほしい。もっともっと知ってほしいし、もっともっと知りたいよ。
ねぇ、幸慈。好きって凄いね。こんなにも、世界を変える力を持ってるなんて、全然知らなかった。幸慈の世界は、どんな世界?俺は居る?居たら良いな。隅っこでも良いから、置いてほしい。同じ世界で、生きても良いんだって思わせて。今はそれだけで良いから。だからどうか、涙を全部、痛みも傷も、全てを俺に背負わせてよ。幸慈の為に生きさせて。
ねぇ神様、どうか、あの子を俺に下さい。
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