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第一章 離反

疑惑

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 神戸かんべ家の家督を継いだ三七郎さんしちろうは、いみな信孝のぶたかとした。
 神戸三七郎信孝の誕生である。
 天正二年(一五七四)の七月に、神戸信孝は、北伊勢の兵をひきいて、長島攻ながしまぜめに従軍した。
 そのなかには、もちろん山路やまじ正国まさくにや山路久之丞きゅうのじょうの姿もあった。
 長島はほどなく信長の手に落ち、その地に滝川一益たきがわかずますが封じられた。滝川一益は北伊勢四郡を支配する国持大名くにもちだいみょうとなった。
 つづいて翌天正三年(一五七五)に北畠きたばたけ家を屈服させた信長は、二男の信雄のぶかつを北畠家へ養子として送りこみ、南伊勢を支配させた。
 よって伊勢国は、北方より、滝川一益・神戸信孝・信長弟の織田信包のぶかね・北畠信雄が分割支配することとなった。
 具体的な三七信孝の支配圏は、河曲かわわ鈴鹿すずかの二郡で、およそ五万石に相当した。
 伊勢に封じられた四名の織田軍における位置づけは、遊撃軍団ゆうげきぐんだんであり、かれらの活躍は信長の征服戦を下支えした。
 信孝は、
 天正三年八月、越前一向一揆えちぜんいっこういっきの残党狩りに活躍。
 天正五年(一五七七)二月、雑賀さいか攻め。このときは織田家督をついだ長兄信忠のぶただの指揮のもと、活動した。
 天正六年(一五七八)四月、信忠に従って、大坂表おおさかおもてに出陣した。
 同年五月、信忠の指揮のもと、大坂にあった信孝は、播磨はりまへ転身した。
 播磨の信孝は、六月二十七日の神吉城かんきじょう攻めで、激情げきじょうのまかせるまま足軽にまじって先陣を競った。
 同年十一月三日、播磨から安土あづちへ返した信孝は、信長に従って有岡城ありおかじょう攻めに参加するやにおもわれたが、安土城の留守居を命ぜられ、安土に残された。――が、まもなく信忠に呼びだされ大坂表へ出陣し高槻城たかつきじょう攻囲こういに参加した。
 荒木村重あらきむらしげの裏切りではじまった有岡攻城戦は、翌天正七年(一五七九)十一月までつづいた。
 この有岡攻城戦は、ほとんど信忠が総指揮を執り、信孝は遊撃軍であることを十二分に発揮して、有岡表のみならず播磨はりま三木表みきおもてへも出張でばった。
 このころ、戦場に信長はほとんど姿をみせることはなくなり、信忠の指揮のもと、信孝ら遊撃軍は働くことが多くなった。
 有岡攻城戦がおわって、織田軍は帰城のはこびとなった。

 帰城のとちゅう、兄・信忠が信孝のもとにやってきた。
「同道させてもらうが」
 信忠が信孝に許可をもとめてきた。むろん、信孝に否やはない。
 信忠は信孝と駒をならべて進む。
 ふたりはとりとめのない話に興じていた。そのとき、不意に、信忠が言葉をはさんだ。
「そういえば……」
「いかがなされました? 兄上」
 信孝がくと、信忠は句をついで、
「信孝、おぬしが先年、山路弾正だんじょう種常たねつね)をしいして神戸家を掌握しょうあくせしこと、上様うえさまがたいへんお褒めになっておいでだったぞ」
 信忠も父信長を〝上様〟とよぶ。
 信孝はくすくすと笑う。
 信忠は怪訝けげんな表情で誰何すいかした。
「何がおかしいのか?」
「いえ、あれは弾正の弟の正国まさくにがやったことにございます」
「おぬしが斬ったと聞いておるが」
「すべての段取りは正国が仕組んだことにございます。確かにわたしが手をくだしましたが、正国が仕立ててくれなければ、ああはうまくいかなかったでしょう」
「山路正国、そうとう切れるみたいだな。ああいうのは、おのれ大事に動くから、おぬしも気をつけろよ」
「肝に銘じます」
 そのとき、たまたま北伊勢衆として信孝の旗本はたもとに組み入れられていた古市ふるいち与助よすけは、聞くともなしに二人の話を聞いてしまった。
 古市与助は山路三兄弟とはおさなともだちであった間柄だ。
(え? 亀若かめわかどの(弾正種常)は千手せんじゅどの(将監正国)の手引きで亡くなったというのか?)
 不審ふしんに思い、信孝の言葉を一言もらさず聴こうとするが、二人の話はそれで終わってしまった。
 信忠はお付きの者を引きつれて、自身の陣にかえる。
 一人になった馬上の信孝へ古市与助は詰め寄った。
「との、本当に弾正どのは、将監しょうげんどの(正国)の手引きで果てられたのですか?」
 信孝は、うっとうしいという表情で、
「なんだ、いまの話を聞いていたのか? 嘘だ! 山路弾正は切腹して果てたのだ。それ以上もそれ以下もない。散れ!」
 古市与助はがく然とした。
(殿は嘘をおっしゃっておる。亀若どのが切腹? たしかに亀若どのの御性格ならば、切腹などありえぬ。だまされて殺されたのだ。亀若どのは。……これはしたり。久之丞どの(山路三兄弟末弟一勝かずかつ)は、今は千手どの(次兄正国)と同陣どうじんのはずだ。いそいで報せてやったほうがいいだろう)
 与助は帰城後に書をしたため、一勝へ種常殺しは正国の仕業しわざと報せてやった。

 書状を受け取った久之丞は、にわかには信じられないという気持ちだったが、とりあえず、正国を問いつめた。
「うそだよ。とののたわむれを与助が勘違いしたものさ。たしかに亀若兄者は進退きわまって切腹されて亡くなられたのだ」
「本当か? 本当だな?」
「本当だよ。与助が聞いたのは、とのに酒でもはいっていたのではないか。帰陣の途中だしな。酒の上のたわむれよ。ご自身の手柄を謙遜けんそんなされて、それがしのせいなどといったのだよ」
「…………」
 一勝は言葉を発せず、じっと正国を見つめた。
「そんなに信じられないのか?」
 正国の表情にかわりはない。
 一勝はどぎまぎして、
「い、いや、そういうわけではないが……」
 といいつつも、その気持ちの中にわだかまりが渦巻いたことはまちがいない。
 複雑な表情をしている一勝の横顔を、正国は横目でみた。


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