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第五話 この身体が朽ち果てる時

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 青く燃え盛る月。
 肌を掠める冷気。
 耳をくすぐる虫の声。
 そして、愛する者の温かな背中。

「……ずっと……一緒……だよ……エリク……」

 力なき、私の声も。
 静謐とした森の中なら、十分な大きさだった。

「……絶対、離さない」

 心地のいい声音に、癒される。

「…………私……幸せ……」

 視界は陽炎のように、揺らめていたけれど。
 私の中の、まさに風前の灯火は、身を焦がすように燃えていた。

 ──生を、実感していた。

「……っっ、俺も、幸せだ……!」

 エリクの声には喜びと哀しみの色が滲み混じっていた。

 寂寞とした森を、進んでいく。

 私達だけの、音しかしない。

 そこは、二人だけの、世界だった。

   ◆

 森を抜け、山頂にある小屋にエリクは入った。

「……人が住んでる形跡はない、か」

「…………」

 私の意識は、朦朧としていた。

「……お、暖炉もある。薪は……取ってこなきゃダメそうだな……」

 次はないと警笛を鳴らすほど、私の生命は衰弱していた。

 エリクは暖炉の前に、静かに私をおろす。

「待ってろ、すぐ戻るからな」

「…………うん」

 彼の温もりが消え、物寂しさを覚えながら、ゆっくりと、意識は途絶えていくのだった。

  ◆

 脳が覚醒すると、エリクの背中とは違う暖かさが身体を包み込んでいた。
 目の前の暖炉で、バチバチと火種が飛び交っている。

「良かった……目を覚ました……」

「エリ……ク……」

 長い間眠っていたのか、身体は幾分楽になっていた。
 ニーナに殴られた傷も、多少痛みは引いていた。

「腹は減ってないか? この森、結構山菜が採れそうなんだ」

「……うん……大丈夫……。エリクの笑顔で……胸が……いっぱい……」

「そ、そんな歯の浮くようなことを……。でも……俺もだ。俺も心が、姉貴で満たされてる」

 エリクは紅潮した頬を、人差し指でぽりぽりと掻きながらそう言った。
 そんな彼の表情が、この時間が、とても愛おしかった。

「…………最後に……願いが叶って……良かった……。貴方のその顔が……見れてよかった……」

「さ、最後なんて言うなよ……! もう姉貴は、 誰かの為に泣く必要なんてない!その命を犠牲にしなくていい! 自分の為に怒って、喜んで、笑って……自分の為に泣けるんだ……!」

 彼の瞼を、透き通る雫が振動している。

「……そうね……」

 この身が朽ち果てる時とは、すなわちこの泪が枯れ果てる時。
 聖女は人の為に生命を──泪を全て与えねば、死なない存在。
 それが使命であり、呪いであり、天誅だから。

「……けれど……失われた私の命が……戻ることはない……。……エリクも知っての通り……聖女は自分の傷を癒せない……。……身体の無数の傷跡も……生気を失ったこの顔も……永遠に……」

「……何が……言いたいんだ……? どんな姿になっても……姉貴は姉貴だ……! だから最後だなんて……言わないでくれよ……!! ずっと一緒だって言ったじゃねぇか!!」

「……うん……言ったわ……」

「じゃあ……!!」

「……でもね……私が私で居られる時間は……もう長くない……」

「……え……居られる時間……?」

 それはとても、単純明快なお話。
 重い病魔や深い傷跡は、放置していれば、悪化する。
 それと同じで。

「……聖女の身体に……瘡蓋かさぶたはできない……。……症状だけが悪化して……次々とこの身を侵食していく……。……ただ……呪いのせいで……死なない──ううん……死ねないだけ……。……身も心も……確かに朽ちているはずなのに……ね……」

 だからこそ、リュークやニーナは無遠慮に、邪知暴虐を働いた。
 死なないと分かっているからこそ、好きなだけ痛ぶったのだ。

「…………特に最近の……ニーナの暴行は……老体に鞭を打つようなものだった……だからね……私……私の身体はもうね…………」

 ゆっくり、ゆっくりと、相好を崩す。
 彼の淡く、蒼く煌めく瞳を、しっかりと見つめる。

「──私の身体はもう……長くないの……」

 身体だけが、朽ち果てて。
 私はイリスという魂を失って。
 植物人間のような存在に、成り果てる。

「……なん……でだよ……んなの……そんなのあんまりじゃねぇか……! なんでいつも姉貴ばかり……!」

 エリクの瞼を揺らしていた雫が、静かに頬を伝っていく。

「……だけど私がお姉ちゃん──イリスでいるうちは……貴方に傍に居て欲しいなっ……」
 
 ──笑えるうちに、沢山笑おう。

 ──貴方の顔が見えるうちに、沢山脳裏に焼き付けよう。
 
「……っっ!」

 エリクが小さく息を零したかと思うと、彼の身体が、私の身体を包み込む。
 それはメラメラと燃え盛る暖炉の焔よりも暖かかった。

「…………じゃあやっぱり……永遠に一緒だ……!」

「……え?」

「……だって……姉貴が姉貴じゃなくなる時なんて……来ねぇんだからな……。俺が生きている限り、姉貴は俺の姉貴なんだ。だってそうだろ……? 今でも俺らの母親は……あの人だけだろ……!? だから……あんたはずっと俺の姉貴で、イリスだ……!」

「そん……なの……。屁理屈よ……眉唾よ……! こうして貴方とお話することも……貴方に微笑みかけることも……貴方を抱きしめることも……なにも……できなくなるの……。そんな植物のような人間を……糸の切れた人形を……貴方は……エリクは……家族と……呼べるの……!?」

 哀しみの純度全てに満ちた泪が零れる。
 エリクの泪と混ざり合って、お互いの衣服を濡らしていく。

「知ってるだろ姉貴……愛の力は絶大なんだ……」

「おかしいよ……もう貴方は……自由なのに……」

「自由でも……俺の思い描く全ての未来に……姉貴が居るんだ……。愛するあんたが……」

「私も愛してる……だから──」

「じゃあ、俺の愛の方が、ずっと強いんだろうな」

 そう言って、私の身体を引き離す。
 そして再び、引き寄せられたかと思うと──。

「ん……」

 唇に、柔らかな感触が迸った。

 ひんやりとしていたけれど、とても、温かかった。

 ただ唇を重ね合わせただけなのに、彼の愛情がどこまでも広がっていく。

 その熱をいつまでも感じていたいと体が求める。

 身勝手な感情に支配される。

「…………ほ……本当に……いいの……? 私は…………こんなにも……醜くて……今よりももっと醜くなって……それでも貴方は……私の傍にいてくれるの……?」

 リュークが言うように、その身体は骸骨のように痩せこけり。
 金色に輝いていた髪の毛も、色素を失い、傷みきっていて。
 生命力を失った顔は、お世辞にも可憐だとは言えない。

「あぁ。俺の姉貴は、いつまでも、どこまでも、誰よりも美しく咲き誇っているさ」

「……そ……それだけじゃない……きっと…………貴方のその気持ちは……。だ……だって……貴方は私以外の女の子と……まだ触れ合ったことがない……だから……」

 外の世界には、私よりもずっと容姿端麗で、宝石のように煌めく女の子だって多いはず。

 それに比べれば私なんて、石ころ同然。

 だから……エリクのそれが恋心と呼べるのか。

 もしかしたら──単なる同情なのかもしれない、そう思ってしまった。

「……この気持ちに、恋以外の名前を付けられねぇよ」

 エリクにそっと、そして力強く抱きしめられる。

「え……?」

「これだけ守られてきて……姉貴を──イリスを好きにならない奴なんて、居ないよ」

 優しくて、温かな抱擁。
 それに比例するように、心が、満たされていく。

「……イリスが嫌なら突き放してくれて構わない。……まぁ、ずっと傍には居座り続けるけどな」

 私は……。
 どうなのだろう。
 ローランド家にこの体を捧げることが決まっていて。
 恋なんて、考えてもみたことなかった。

 だけど……。

「……嫌じゃ……ない……。エリクの胸は……とても……安心する……」

 それは覆りようのない事実だった。

 ──

「……エリク……好き……大好き……」

 すると、そっと、背中の腕が解放されて。

「……んっ」

 先程よりも強くて、柔らかい口づけをされた。
 それは、迷いを断ち切る剣のようだった。
 エリクの愛情が全身を駆け巡るように、支配する。

 ──あぁ、そうだ。

 ──そうなのだ。たとえ、どんな出会い方を、していても。

 私も、応えるように、唇に力を入れる。

 ──きっと私は、貴方に恋をしていて。

 ──貴方もきっと、私に恋をして。

 熱情が、混じり合う。

 想いが、重なり合う。

 ──それが、私の都合のいい、夢幻だとしても。

 ──私と貴方は、愛しあう運命にあったのだ。

 ──私達は何があっても、一生離れないんだ。

 身体が、一つになる。

 深く、深く、愛し合っていく。

 煌々と輝く月明かりと共に、おちていく。
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