ドSな師匠と指輪と私

饕餮

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問題児たちがやって来た

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 不機嫌な寺坂さんの後を追いかけながら、無言で歩く。私がなんかしたわけじゃないんだけど、かなり気まずい。
 なんて声をかけようか悩んでいたら、すっごく低い声で「雀」って呼ばれてちょっとだけ肩が跳ねる。

「は、はいっ!」
「……あのバカ女たちをどう思う」

 その言葉に、なんで事務所で見た機嫌の悪い人たちに見覚えがあったのか、思い出した。指輪のことや私と寺坂さんのことを知っていると、橋本さんが教えてくれた人たちだったからだ。内心それに溜息をつきつつ、彼の言いたいことをなんとなく察する。

「多分、あの場にいた全員が思ったことだと思うんですけど」
「なら『せーの』で一緒に言うか。せーの」
『脳内お花畑かよっ! 気持ち悪っ!』

 私と寺坂さんだけでなく、私たちの近くにいた人たちにも話し声が聞こえたのか、一緒に声をあげた。まさか最後まで揃うとは思わなかったよ。
 叫んだことで多少はすっきりしたのか、彼や他の人たちの雰囲気が柔らかくなる。そのことにホッとしつつ、仕事を始めた。

「本みりんOPが2ケースと5です」
「おう。……なあ、雀」
「なんですか?」
「あのバカ女二人がいる間、名前で呼んでくれないか?」

 しばらく集中して商品抜きをし、隣の列に移ってみりんの商品抜きを始めたら、小さな声でそんなことを言い出した。それに一瞬首を傾げたものの、先ほどのこともあって

「もしかして、指輪はあの二人が原因ですか?」

 と小声で聞けば、「普段は鈍いのに、こんな時だけ察しがいいのな」と答えが返って来た。鈍感ですみませんね! とすぐに返したいんだけど……今日は女性二人のせいで皆さん機嫌があまりよろしくないから、たまには寺坂さんや周囲から笑いをとるお笑い芸人に徹したいと思います。
 え? いつものことだって? キコエナーイ! 決めたからには早速突っ込みをしますとも。

「誰が普段から鈍感チビ雀ですかっ!」
「チビだなんてひとっことも言ってねえ!」
「今言ったじゃないですか!」
「屁理屈捏ねんじゃねえよ!」
「屁はガスなので捏ねられませーん!」
「ああ言えばこういうなよ! 雀の口を塞ぐぞ、このやろう!」
「嫌でーす! 外にいる雀はチュンチュンと囀ずるのが仕事なので、口を塞がれたら仕事になりませーん!」

 そんなやり取りをすれば、それを聞いていた人たちが吹き出して笑う。名前呼びなんかしてみんなにバレないかな、なんて思いつつもその笑い声に紛れて「いいですよ、名前で呼びます」と言えば、寺坂さんは嬉しそうに破顔した。おおぅ、ドアップで見るその笑顔は反則だよ……ドキドキして顔が熱くなってくるじゃないか。
 「ありがとな」と言った彼に笑顔を向けると、頭をガシッと掴まれ「その笑顔反則」と言われた。……なぜだ。
 そのあとも別のメーカーのみりんを抜き、料理酒も抜いてお醤油を抜き始めた時だった。

「……醤油の薄口を1ケースと2ほ……」
「あ、いたいた~! 寺坂くぅん、手伝うよぉ~」

 脳内お花畑のうちの一人が、猫なで声を出しながらこっちに来た。途端に寺坂さんの空気がひんやりして来て不機嫌になる。しかも、隣の列からは同じようなことを言っているもう一人の女性の声がしているから余計だ。
 せっかく和やかな雰囲気にしたのに、なにしてくれちゃってんの、この人たち。それに「手伝う」と言いながらも手伝うことはなく、私が商品を読み上げようとするとそれを邪魔するかのように話すもんだから、一向に先に進まない。
 しかも明らかに寺坂さんは嫌がって「気持ち悪いから触んな」って言っているのに、「照れちゃって~」と超解釈をして彼女の手を無理矢理外しても外しても腕をベタベタと掴み、商品抜きまで邪魔するもんだから彼はイライラしっぱなしだし、私もなんだかイライラする。

 なんなの、この馴れ馴れしさは。さっき所長に「仕事の邪魔をするなら今すぐ帰れ」って言われてたよね? なんで邪魔してんの?

 うるせー! 邪魔くせー! 仕事になんねー! とか思っていたら、寺坂さんの仕事用(会社支給だそうだ)の折り畳み式の携帯が鳴った。ちょっと助かったとホッとしていたら、彼は携帯を開いて相手を確認すると、耳にちょこんと填まっているbluetoothヘッドセットのボタンを押して通話を始めた。いつものことだからと彼にメモ帳とボールペンを差し出すと、それらを受け取って取引先の名前を書き始めた。どうやら発注もれがあったみたいで、その下に商品名も書いていってる。
 字が綺麗だな、彼女が静かなうちに仕事してしまおうと考えながら、寺坂さんのにこやかな声と有線放送をBGMに、チェックリストを見て商品を抜いていく。その静かな彼女はと言えば、堺さんたちとは違って販促用の商品を探すでもなければ商品抜きを手伝うでもなく、派手にデコった爪を見たり髪の毛先をいじったりしながらボーッと立っていた。
 その爪を見て思ったのは、デコパーツの一つ一つは綺麗だし可愛いけど、お姉様方のいう通りあまりにもあちこちに盛り過ぎていて下品にしか見えなかった。

 食品を扱う会社にいて、デコった爪ってどうなのって思う。デコるのが悪いとは言わないけど、プライベートならともかく仕事に来てるならせめてマニキュアだけにするとかじゃないの?
 ダンボールを扱ってると爪が割れたり指先が荒れるから、私は爪を短く切った上で透明のマニキュアを塗り、ハンドクリーム代わりとして化粧水と乳液が混ざってるやつを使ってる。仕事中だと早く馴染むほうがいいから、クリームよりも液体のほうがいいのだ。
 それはともかくこの人、本当に支社で営業をしてる人なの? 厳しい場所に飛ばされて再教育をされたんじゃないの? 実は移動なんかしてなくて性根を入れ換えたふりして支社に居座り、お目付け役がいない場所では普段被っている猫を外しちゃってるってこと? 所長のお小言ですら本気で捉えてないとか?

 私の憶測でしかないけど、そんなことを考えたら頭が痛くなった。そしてそんな彼女の様子を、近くに来た奥澤さんや他の人たちが厳しい目で見てることすら気づいてもいない。
 そうこうするうちに寺坂さんの電話も終わり、メモ用紙に何やら一言書いてからそれを私に見せる。そのメモに対して「はい」と返事をすると、それごと一枚剥がした。

「雀、追加もらったからチェックリストを出してくるな。ついでに所長んとこ行ってくる」
「はい。その間に商品を抜いてますね」

 寺坂さんと話し、彼が胸ポケットに差していた細長いものを私に二本寄越すと移動した。渡されたものをエプロンの上の部分に差し、チェックリストを見ながら商品を抜こうとしたんだけど、なぜか彼女が私の前に立ちはだかった。それに合わせるように、近くにいた奥澤さん達社員や平塚さんが彼女ににじり寄って行く。……何してんの、皆さん。

「何かご用でしょうか? 商品が抜けないので退いていただきたいんですが」
「あんた、寺坂くんのなんなのよ?」

 私の話を無視して退くこともなく、仕事のことかと思えば非常にくだらない話でした。しかも、寺坂さんがいなくなってから言い始めるなんて性格悪っ! どう見ても確信犯でしょ、コレ。奥澤さんたちもそう思っているのか眉間に皺が寄っているし。つか、奥澤さんたちがいることに気づこうよ。

「なんなの、って言われましても。今は寺坂さんの仕事のフォローをしています」
「そんなこと聞いてんじゃないわよ! 聞けば『雀』ってあんたの名前だっていうじゃないの、なんで寺坂くんだけじゃなく他の男にも名前で呼ばれてんのよ!」
「意味不明なことを言わないでください。どなたに聞いたのか知りませんが、とあることがきっかけで、寺坂さんだけではなくこの事業所の皆さんが私のことを名前で呼んでくださっていますが、それが何か? それに、初対面の人に向かって自己紹介をするどころか『あんた』って呼ぶなんてどうかしてますし、私が『名前で呼ばてるから』なんて、仕事をする上や貴女に関係あることなんですか?」
「……っ! 煩いわねっ!」

 乾いた音と共に、頬にピリッとした痛みが走った。それを見ていた人たちは息を呑んでざわつく。……なんなの、この色ボケ女。口では敵わないと思ったのか、或いは図星を刺されたからなのか、叩きやがったよ。ホント、何しに来たの? まさか仕事をサボって男漁り?
 いいとも、売られた喧嘩なら買うぞ? ……但し、メモの内容のことがあるから口でね!

「痛っ! 何をするんですか、頬を叩くなんて最低です! 子供じゃあるまいし、口で言えば済むことでしょう? 営業をやっているのにそれすらもできないんですか?」
「煩いっ! あたしに叩かれて当然でしょ! あんたがいるから寺坂くんと一緒に仕事ができないし、照れて仕事してくれないんじゃないの! 彼はあたしのものなの、あたしはこの事業所のみんなから愛されてるの! あんたは邪魔なんだからさっさと消えなさいよ!」
「また意味不明なことを……。フォローを決めているのは私ではなく、この事業所の社員です。文句があるなら社員に言ってくださいよ、私に言われても困ります」
「煩い煩いっ! あんたが今すぐ消えれば済む話でしょ?!」
「ですから、それはここで働いている社員が決めることであって貴女が決めることではないし、そんな権限もありませんよね? そんなこともわからないんですか?」
「この……っ!」
「何してんだ! やめろ!」

 はあ……呆れてものも言えない。ネット小説でよく見かける逆ハーヒロインみたいな脳内お花畑なことを喚き、常識も通じないなんて。手を振り上げた彼女は周囲が動いて奥澤さんが止めたにも拘わらず、もう一度私の頬を叩いた。しかも、またピリッとしたよ今……痛いじゃないか、このやろう!

「いたっ! 二回も頬を叩くなんて……ひどい!」
「あんたがここから消えるまで、何度でも叩いてやるわよ!」
「何をしてる!」

 あまりにも頭のおかしいことを言い出すから現実を教えてきっちり言葉で刺してやろうか……なんて思っていたら、そこにチェックリストを持った寺坂さんと所長、所長よりも年上に見える人が一緒に現れた。私が叩かれたところをバッチリ見たらしい所長が大きな声を張り上げ、寺坂さんやもう一人もバッチリ見たみたいで、無表情で激おこ状態なのが怖い。

「あっ、寺坂くぅん! ひどいのよ~、この女が何もしてないあたしのこと叩いた……え?」

 それなのに、寺坂さんが目に入った途端に豹変して嘘をついた彼女は、寺坂さんに抱きつこうとして思いっきり避けられ、呆然としながら彼を見ている。お? ようやく現実が見えて来たか?
 というかね、周囲は彼女の言葉を聞いて行動を見て止めたのに、なんでそんな嘘がつけるの? それに、途中から来た三人の表情や周囲の表情は今も激おこ状態なのに、なんでわかんないの? マジで愛されてる、照れてると思ってるの? そうだとしたら本気で引くんですけど。

「雀、大丈夫か?」
「良裕さん……すっごく痛いです」

 頼まれた通り名前で呼ぶと、寺坂さんの目が嬉しそうに細まる。私たちのことを知らない周囲は「おや?」って顔をしてるし、知ってる人たちは一瞬ニヤついていたけど、無視です、無視。今はからかうような雰囲気じゃないしね。
 そして彼女から庇うように私の前に来た寺坂さんは心配そうに、その大きな掌で私の叩かれた方の頬に触れる。その手がひんやりしていて気持ちよかったから目を瞑ってほぅと息を吐く。それが聞こえたらしい彼は少しだけそのままでいると、その手をそっと離した。あれ? 何か頬がヒリヒリして痛いんですけど……なんで?

「……誰か、冷凍庫にある保冷剤を持って来てくれないか」
「は~い」

 寺坂さんの指示を聞いた平塚さんが返事をする。頬が痛いから、保冷剤の存在は有難い。そしてそんな彼の指示に反応したのは、所長や寺坂さんと一緒に来た人だった。

「保冷剤? なぜかな」
「今見てましたよね? そこの女にぶっ叩かれたせいで、彼女の頬が腫れて来ているからですよ。冷やさないともっと腫れますよ?」
「なんだと……?」

 振り向いてそう伝えた寺坂さんの言葉に、見ていた全員が頷く。それを見聞きしたその人の目が細まり、彼女に鋭い視線を投げ掛けるも、彼女は知らん顔をしていた。
 そんな様子を見ていたら平塚さんが来て保冷剤をくれたのでそれを受け取り、手拭いを巻いて冷やそうとしたら「写真を撮るから待って」と所長に言われ、待つことしばし。え? 写真? 所長……なんだか用意周到過ぎませんか……?
 所長がデジカメで写真を撮ってる間、所長の邪魔にならないように私の横に来た寺坂さんに彼から預かったものを二本とも返すと、そのうちの一本を男性に渡した。その人は無言で操作して耳にあてて聞いているけど、どんどん眉間に皺が寄って来て険しい顔になっていく。

 寺坂さんがメモに書いたのは

『俺が帰ってくるまでボイスレコーダーを預けとく。支社と本社に証拠として提出するものだから、スイッチはそのままにしといて』

 だった。なんでそんなことをするのか、なんでボイスレコーダーを持っているのかわからないけど、その辺りはバイトやパートの私たちに話が回ってくることは滅多にないから、素直に頷いた。
 ただ、私は実害にあっちゃったから、所長辺りから何らかの説明をしてくれないかなあとは思うけど、どうだろう。

「しかも、爪で引っ掻いたような傷もいくつかありますし」
「ひどい! あたしがやったっていうの?!」
「俺たちはあんたが雀の頬を叩いて引っ掻いたのを見てるんだぞ? あんた以外に誰がやったっていうんだ? しらばっくれるのもいい加減にしろ!」
「そんな……! あたしじゃないわよ! 自分でやって……」
「いい加減にしなさい! これだけの人間が見聞きしている中で、よくもそんな嘘がつけるな!」

 写真が撮り終わったので頬を冷やしながら所長に写真を見せてもらったら、見事に赤くなって腫れていた。しかも寺坂さんが言ったように、爪で引っ掻いたみたいな跡まである。道理でヒリヒリして痛いわけだよ……これ、病院に行かないとダメじゃん。うう……次兄が担当だった場合は確実に怒られる……なんて考えていたら彼女がまた嘘をつき、ボイスレコーダーを聞き終えたらしい男性に怒鳴られていた。

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