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しおりを挟む次の日、転生してから初めて迎える朝。
ジェシカはカーテンを開けると、太陽の日差しに目を細めた。
「良い天気!」
基本的にこの学生寮では、身の回りのことは自宅から連れてきた世話係が行う。貴族の令嬢と令息ばかりなのだから、そりゃあ一人でできるものは少ないだろう。
しかしジェシカは平民のため世話係がいない。とはいえ、平民であることと、前世の記憶もあるため、自分のことは自分でできる。
「さ、顔を洗ったら、制服に着替えて~髪の毛をまとめて~」
本来なら、今の状況を考えれば教室に行くのが嫌になるだろう。
しかし、ジェシカは笑顔で身支度を整えていた。
ラプツェを含めた攻略対象たちのことは許せないし、彼らに同調して虐めてくる周りの人たちともできるだけ関わりたくないなとは思っているが、如何せんそれほど心に傷を負ってはいないからだ。
(休みなしで安月給、セクハラする上司と嫌な先輩に囲まれてた私には、これくらいどうってことはないのよね)
更に、前世での年齢も加えると、現在のジェシカはいわゆる中年。子どもにいくら傷付けられたって、本気で落ち込むことなんてないのだ。
「とはいっても、むかつくものはむかつくけどね。……ジェシカはあんなにも、傷付いていたんだもの」
転生する前のジェシカの感情や記憶から、謂れのない悪評を流され、罵倒された彼女がどれだけ傷付いていたのか、今のジェシカには分かっている。
いくら相手が子どもだとしても、ジェシカの気持ちを思うと腹が立って仕方がなかった。
「……でも、平民の私が過剰に反抗したら、それを逆に問題にされるかもしれない。卒業まではあと約三ヶ月半だから、できるだけ誰にも関わらないように、魔法を極めることにだけ集中して頑張ろう!」
そう意気込んだジェシカは身支度を終えたので、最終確認のために姿見の前に立った。
「わ~、やっぱり、ジェシカって可愛いなぁ」
朝なのに一切顔がむくんでおらず、とっても目が大きい。スカートのウエスト部分に余分な腹の肉が乗っかっていないし、足も真っすぐでスラリとしている。
そして、この制服だ。白を基調としたジャケットスタイルの制服に、くすんではいるが青いリボンが可愛らしい。焦げ茶の編み上げブーツも、現代では制服になかった組み合わせでとても新鮮だ。
「改めて、本当に『マホロク』の世界に転生したんだなぁ……。と、そろそろ時間ね」
黄昏れていては遅刻してしまう。
ジェシカは最後にぐっと拳を作り、自身に気合を入れてから部屋を出た。
そして、歩くこと十分。学園の正門に着いたジェシカは、きょろきょろしながら教室に向かう。
いくら攻略対象たちに辟易しているとしても、憧れのゲームだっただけあって、その世界観をじっくり観察したかったのだ。
(でも、だめだめ! あんまりきょろきょろしていたら、不審がられちゃう)
ただでさえ、自分に向けられる視線は鋭い。これ以上好奇の目に晒されないよう、ジェシカはできるだけ平静を装って教室に足を踏み入れた。
(わぁ……。本当に『マホロク』の教室だぁ……!)
昨日、前世の記憶を思い出したのは放課後だったため、転生してから直に教室を見るのは初めてだ。
前世で言うところのよく大学で見られる教室の作りだ。段差があり、教室の後方に行くほど高くなっている。
机は一人に一つ。席が決まっており、自宅学習で使わない教科書なんかは机に置いておくところは、中学や高校と似ているだろうか。
記憶の中には何度もこの光景は刻まれていたけれど、実際に見ると、なんだかんだ感動してしまう。
「来ましたわよ……クスクス……」
「ふふ、どんな顔をするのかしら……」
しかし、ジェシカが感動したのは束の間だった。
先に教室に入っていた貴族令嬢の二人が(確か、どちらも子爵令嬢)窓際に立ち、こちらを見て嘲笑を浮かべていたからだ。
同じクラスにラプツェや攻略対象がいないのは不幸中の幸いだが、クラスメイトたちも悪意を向けてくるため、面倒だった。
(わー……懐かしいなぁ、この顔)
前世では、同じ職場に嫌な先輩がいた。同期や後輩に仕事のミスを押し付けたり、わざと仕事が滞るように仕向ける女だ。そんな彼女は、上司に怒られて泣いている後輩などを見て、嘲笑を浮かべていた。
目の前の貴族令嬢たちと、全く同じ表情だ。
そして、彼女たちはチラチラと窓から下を見て、再びこちらを嘲笑うような笑みを向けてくる。
おそらく窓の下に何かあるのだろう。ジェシカはため息を漏らしながら窓の側まで行くと、下を覗き込んだ。
(うわ、中庭の噴水に教科書が浮かんでる! この子たちの感じからして、この教科書、絶対私のじゃん……)
学園の中心にある中庭にある大きな噴水。『マホロク』では、告白によく使われていたスポットの一つだ
けれど、現実は悲しきかな。噴水に捨てられた自分のものと思われる教科書。
わざわざ窓の外から捨てたのか、噴水に捨てた後、ジェシカの反応を見るために窓際でスタンバイしていたのか分からないが、幼稚な嫌がらせだ。
周りのクラスメイトのほとんども笑っていることから、この状況を理解しているのだろう。
(うんうん。彼女たちはまだ十八歳かそこらだし、ラプツェや攻略対象たちの言葉を信じて私を悪者だと思い込んているんだし、しょうがないよね……)
「──って、なるわけなくない?」
「「え?」」
ジェシカに鋭い眼光で睨み付けられた貴族令嬢たちからは、上擦った声が漏れた。
これまでのジェシカは何をされても悲しんだり、自分はラプツェに何もしていないと弁明するだけで、ここまで好戦的な瞳をぶつけることはなかったからだ。だって、ジェシカは誰よりも優しい子だったから。
「……けれど、私は違うのよね」
「何を言ってるの!? へ、平民如きが私たちにそんな目をしていいと思っているの!?」
人生で凄まれたことなど殆どないのだろう。
虚勢を張っている令嬢たちに、ジェシカは口元にだけ笑みを浮かべた。
「すみませんねぇ。私、目が悪くて、しっかり相手を見ようとするとこんな顔になってしまうんです。当然、睨んでいるわけではありませんから、ご容赦くださいね」
「ヒィ……!」
悲しんだふりをして教科書を取りに行くのが一番丸く収まることくらい、ジェシカには分かっていた。
けれど、できなかった。
(だって、あの教科書は、両親たちが購入してくれたものだから)
学費や寮費、制服代などは国が負担してくれたが、勉強に最も使うだろう教科書類ぐらいはどうしても自分たちで用意してあげたいからって、両親が払ってくれたのだ。
そんな教科書を、お金を稼いだこともないような令嬢たちに粗末に扱われたジェシカは、正直頭にきていた。
(この子たち、教科書代がいくらなのか知ってるわけ? そもそもここは魔法の勉強をするところなのに、その教科書を噴水に落とすとか、親に何を習ったの? 物を粗末にするな! あー! むかつく!)
けれど、ここで平民のジェシカがそれを述べたって、彼女たちの心には一切響かないことは明白だ。
それなら、このまま何もせずに終わるのか。
(……卒業まであっと三ヶ月半だから、その方が良いのかもしれないけれど)
ジェシカは考えた末、一瞬俯くと、誰にも聞こえないように魔法の呪文を唱えた。
「「きゃあっ!!」」
すると次の瞬間、窓から令嬢たちに強風が吹き荒れた。
きっちりとセットされていた令嬢たちの髪型はボサボサ。ジェシカの魔法だとは思っていないようで、彼女たちは「何なのよ~!」と誰にでもなく怒りをぶつけている。
おそらく、周りのクラスメイトたちにも気付かれていないだろう。皆、ジェシカがこのような反撃に出るとは夢にも思っていないはず。
(ま、このくらいなら許されるわよね)
ジェシカは少しスッキリとした面持ちを見せると、手鏡を見ながら髪の毛をどうにか直そうとしている令嬢たちを横目に、教室を出ていった。
「……どういう気持ちの変化かな?」
……なんて、実は彼にだけバレてしまっているとは知らずに。
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