上 下
34 / 43

34

しおりを挟む
 
 ◇◇◇


 ──同時刻。 
 執務室で机に向かっていたフィクスは、必要書類を書き終えると、机の定位置に羽根ペンを戻す。
 その次に時計を確認すると、溜息を吐いた。

「もうこんな時間か……」

 強張った体を解したいからと、フィクスは両腕を天井の方へと突き上げる。

 いつものフィクスならば、今より一時間は早く仕事を終わらせることができただろうが、今日はやたらと時間がかかってしまった。
 というのも、書類に不備があって手間取ってしまったわけでなく、日中の出来事を思い出し、集中力を欠いていたためだった。

「あれはほんとに危なかった……」

 両腕を下ろし、先程よりも椅子に深く座り直す。
 フィクスは、昼間のセレーナのとある言葉を頭に思い浮かべ、恥ずかしそうに頬を赤く染めた。

『フィクス様は少し分かりづらいところはあるけれど、しっかりと見ればあの方の良さがちゃんと分かる。だから、これからあの方をちゃんと見て。…………根拠のない言葉で、フィクス様のことを傷付けないで』

 あの言葉を聞いた瞬間、セレーナを意識し始めた時のことを思い出した。
 気持ちが高揚して思わず、言葉が溢れそうになった。

『セレーナは、あの頃と変わらないね。正義感が強くて、優しくて……。そんなセレーナを、俺は──』

 その後に続く言葉は言わないと、決めていたはずなのに。


「……好きだ」


 結果として、フィクスはその思いを伝えることはなかった。
 キャロルとクロードに、こんなにも感謝したことがあっただろうか。

(……まずいな。セレーナに好きだなんて言ったら困らせてしまうだけなのに、気を抜くと言ってしまいそうだった。……しっかりしないと)

 とは言っても、仮初の婚約者になってからというもの、セレーナに対する思いは日に日に強くなっていく。
 学生の頃みたいに遠くから眺めていた時や、ただの同僚だけだった頃よりも、ずっと、ずっと。

(自分でも怖いくらいに、どんどん好きになる)

 ──ティアライズ伯爵家に挨拶に行った際、斬り掛かってきたクロードからフィクスを守ろうと剣を構えるセレーナも。

 フィクスに恥をかかせないように、パーティーに意気込むセレーナも。
 シトラスの香りが好きだと言って、笑うセレーナも。

 デートの時の盛大に照れているセレーナも。
 当たり前のように困っている女性を助けるセレーナも。

 彼女に関する全てのことが、頭に焼き付いて離れない。
 愛おしいと、心が叫ぶ。

「……お願いセレーナ、早く俺を好きになって」

 ひとりきりの執務室。フィクスの懇願するような声は、やけに響いた。


 ◇◇◇


 一方その頃、騎士団棟の地下にある牢屋にて、デビットは頭を悩ませていた。

(クソォ……。牢屋から抜け出す機会がない……!)

 キャロルとの幸せな日々を邪魔したセレーナとフィクスに復讐を誓った日から脱獄の機会を伺っていたデビットだったが、それは想像以上に困難を極めた。

 地下牢には常に三人、騎士が見張りで立っているからだ。

(貴族の僕をみすみす死なせられないだろうから、倒れたふりをすれば、必ず騎士たちこいつらは鍵を開けて僕の安否を確認するはずなのに……!)

 その際に、油断している騎士を攻撃し逃げ出そうとデビットは考えた。
 だが、たとえ騎士の一人を戦闘不能にしたところで、他の騎士たちに直ぐに捕らえられては意味がない。

(……どうにか、見張りの数が手薄になる時はないものか……っ)

 顔を伏せて眉間に皺を寄せながら、デビットはギリギリと奥歯を噛み締める。 

 デビットがそんなことを考えているだなんて知らない見張りの騎士たちは、ぽつぽつと雑談を始めた。
 話題は、三日後に行われる御前試合のことだ。

「御前試合って、王城から馬で十分程度の所にある円形闘技場で行われるんだろう?」
「ああ。一般開放もされるから、おそらく凄い人混みになるだろうよ。陛下たち王族や多数の貴族たち、市民の安全のために、俺たちも最低限の人数だけ残して会場警備に努めよと上からのお達しだ」
「ま、そうなるわな」

 そんな会話が聞こえていたデビットはピンっと来て、騎士たちに見えないように顔をニヤけさせた。

(それだ……! 僕にも運が回ってきた!)

 三日後の御前試合が行われる日、この地下牢の見張りは確実に手薄になる。おそらく見張りは一人になるだろう。
 それならば、騎士を戦闘不能にできる可能性は高く、なんなら騎士の服を拝借すれば、堂々と外に出られるし、剣も手に入る。

 騎士たちは馬で移動することが多いため、地上に出れば厩舎もあるだろう。デビットは侯爵家の人間として、馬に乗ることくらいは造作もない。

(これなら、会場まで行ける……!)

 セレーナはキャロルの専属護衛騎士で、フィクスは王族のため、会場に居るのは間違いない。
 まさかデビットが脱獄するだなんてセレーナもフィクスも思いもしないだろうから、突然現れたら隙を見せるはずだ。

(……ふはは! キャロル様と僕の仲を引き裂いた罰は受けてもらわなければ! それから、キャロル様のことを迎えに行こう!)

 ──それならば、まずは片方ずつ確実に狙おう。
 そう考えたデビットがまず思い浮かべたのは、涼し気な碧い髪に、琥珀色の瞳をした憎き女のことだった。

(女であり、王族のフィクスよりも確実に一人になりやすいセレーナを狙うか)

 その次にフィクスだ。
 この二人を懲らしめた後には、キャロルとの幸せな日々が待っているのだから──。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛なんてどこにもないと知っている

紫楼
恋愛
 私は親の選んだ相手と政略結婚をさせられた。  相手には長年の恋人がいて婚約時から全てを諦め、貴族の娘として割り切った。  白い結婚でも社交界でどんなに噂されてもどうでも良い。  結局は追い出されて、家に帰された。  両親には叱られ、兄にはため息を吐かれる。  一年もしないうちに再婚を命じられた。  彼は兄の親友で、兄が私の初恋だと勘違いした人。  私は何も期待できないことを知っている。  彼は私を愛さない。 主人公以外が愛や恋に迷走して暴走しているので、主人公は最後の方しか、トキメキがないです。  作者の脳内の世界観なので現実世界の法律や常識とは重ねないでお読むください。  誤字脱字は多いと思われますので、先にごめんなさい。 他サイトにも載せています。

処理中です...