上 下
33 / 43

33

しおりを挟む
 
 ギュッと、抱き締める腕に力を込めながら話すフィクスだったが、続きの言葉がセレーナの耳に届くことはなかった。

「あー!! フィクスお兄様! 遅いと思ったら私のセレーナになにをしていますの!?」
「フィクス! 俺のセレーナに抱き着くとは、万死に値する!!」

 というのも、またもや全速力で走るキャロルとクロードが現れたからだった。クロードはまだしも、キャロルの思いもよらぬ身体能力の高さには驚くばかりである。

「……うわ、もう来たよ」
「キャロル様に、兄様……! ……って、フィクス様! そろそろ離してください……!」
「残念。もう少し抱いていたかったけど、仕方がないね」

 フィクスの腕から開放されてからというもの、セレーナはキャロルに質問攻めにあった。
 抱き締められた時に変なところを触られていないか、匂いを嗅がれていないかなど、変な質問ばかりだったので、驚いたものだ。

 一方クロードは、フィクスに顔を近付け、「婚約者としての節度は守れ!と額に青筋を浮かべている。
 しかし、おそらく、マスコットを人質──物質? にされて、上手く言いくるめられるのだろう。

 セレーナにはそんな未来が容易に想像できたが、直ぐに他のことに意識を奪われた。

(……あの頃っていつのことだろう)


 ◇◇◇


「ハァ、ハァ……」

 ──同日。夜が更けた頃。
 静まり返った訓練場は、少し不気味な雰囲気を醸し出している。
 そんな中、セレーナは一人でブンブンと木刀を振るっていた。

「やっぱり、色々考えてしまう時は体を動かすに限る……!」

 ──昼間、手洗い場での出来事の後、フィクスはリックに懇願されて執務室へと戻っていった。
 どうやら、フィクスにしか処理ができない急ぎの案件があったらしい。

 そのため、セレーナは再びフィクスと手合わせをすることなく、キャロルの護衛の任務に戻り、いつもと変わらない日常を送った。

 しかし、現在。
 いつもならベッドに入ると直ぐに熟睡できるはずのセレーナだが、今日は悩み事が頭を支配してなかなか眠りにつけなかったため、一人で汗を流していた。

「ふぅ、もう少し、だけ……!」

 一心不乱に素振りを行い始めてから、既に一時間を超えた。
 額には汗が滲み、それが顎を伝って地面を濡らしている。

 体力の限界が近く足下がふらつくが、こうやって鍛錬に打ち込んでいる間は、悩み事についてあまり考えずに済んだので、気が楽だった。

「セレーナ、無理のし過ぎは体を壊すぞ」
「……! 兄様……何故ここに?」

 昼間とは違い、静かに登場した兄、クロード。
 クロードは御前試合までの間、騎士棟に部屋を借りるらしい。そのため、場内に居る事自体は驚かなかったが、何故訓練場に居るのだろう。
 セレーナと同じで、クロードも体力作りや素振りなどは早朝に行うことが多かったというのに。

「俺に用意された部屋の窓から、この場所が見えてな。それで、セレーナがフラフラになっても素振りを切り上げないから、様子を見に来た」
「そうでしたか……。手間を取らせてしまい申し訳ありません。もう少しで切り上げますから、兄様は先に部屋に戻ってお休みください」 

 本音は、どうせ部屋に戻っても眠れないので、素振りを切り上げるつもりはないのだけれど。

(とはいえ、ここだと兄様の部屋から見えてしまうから、兄様が去ってから場所を変えないと)

 クロードに余計な心配をかけたくないセレーナはそんな嘘を吐き、クロードを背にして再び木刀を振り上げる。
 しかし、それが先程と同じように素早く振り下ろされることはなかった。

「セレーナ、お前なにか悩みでもあるんじゃないのか?」
「……!」

 まさか、こんな指摘をされるとは思わなかったセレーナはゆっくりと木刀を下ろして、クロードに向き直った。

「何故、そのように思うのですか……?」
「昼間、辛そうな顔をしていたから。それと、セレーナは悩み事があるといつにもまして剣を振るいたがるからな」
「兄様……」

 クロードの眉尻が僅かに下り、頼りないのかと言いたげな目でこちらを見てくる。

(そういえば、手洗い場に行く直前、兄様は心配してくださっていた……。私がなにかに悩んでいることなんて、兄様にはお見通しだったんだ)

 クロードは昔から優しい。とても良く見てくれて、声をかけてくれる。
 時には暴走したり、マスコットのことになると我を忘れたりするところがあるものの、セレーナにとって自慢の兄だった。

「申し訳ありません兄様……。少し聞いていただいても?」
「ああ、もちろん」

 嘘に嘘を重ねても、クロードを余計に心配させるだけだろう。

「その、実は──」

 それならいっそのこと話してしまおうと、セレーナはポツポツと話し始めた、のだけれど。

「……なるほどな。つまり、フィクスを見ると胸が高鳴ると」
「はい。そうなのです。過去にない現象でして……こう、体も熱くなってくるというか、こう、うわーっとなるのです。……なにか病気なのでしょうか? 兄様はご存知ですか?」

 セレーナの話に、クロードは「嘘だろ……?」と言いながら大袈裟に頭を抱え、髪の毛を掻き毟った。

(そ、そんなにまずい病気なのか……?)

 話した内容は、フィクスを見たり、話したり、触れられたりした時のことだ。

(スカーレット様とフィクス様が両思いなのだと思うと胸がズキズキすることも話してしまいたいけれど)

 クロードはフィクスとセレーナが仮初の婚約者同士であることを知らない。
 そのため、スカーレットが関わった時の胸の違和感については言わなかったというのに、クロードの反応に、セレーナは不安げに眉尻を下げた。

「あ、あの兄様……」
「セレーナが……。まさかそんな……」
「兄様! 一人で落ち込んでいないでそろそろ教えてください……!」

 セレーナはクロードを落ち着かせるために、勢いよく彼の両頬を挟み込む。

「兄様、大丈夫ですから、なにか分かるのならば話してください」

 すると、クロードは少し落ち着きを取り戻したのか、髪の毛を乱したまま、小さな声でポツリと言い放った。

「セレーナ、それは恋だ……」
「え?」
「セレーナはフィクスが、好きなんじゃないか……? 俺もらびたんやちゅーりんのことを思うと胸が高鳴るから、間違いない」

「私がフィクス様を好き……?」

 ──確かに、そう仮定すると、全て納得がいく。

 フィクスに胸が高鳴るのも。スカーレットとフィクスが互いに好意を抱いていると知って、胸がズキズキと痛くなったのも。
 それは、全て──。

(私、いつの間にかフィクス様のことが好きになってたんだ……)

 しかし、自覚しても、その恋が叶うことはないのだ。
 セレーナは仮初の婚約者でしかなくて、フィクスはスカーレットを愛しているのだから。

(初めて恋を自覚した日に、失恋するだなんて──)

 仮初の婚約者になりたいと言い出した時は、フィクスに恋心を抱くようになるなんて夢にも思わなかった。
 フィクスの想い人がスカーレットなのだと知った時は、自分になにかできることはないかと思っていたというのに。

(失恋って、こんなにも苦しいものなんだ……)

 けれど、現実に打ちひしがれてばかりはいられない。

 セレーナが今、フィクスの仮初の婚約者であることは事実なのだ。
 フィクスが仮初の婚約者をいらないと言うまで、フィクスとスカーレットの恋が叶うまでは、自分の役目を全うしなければ──。

「ハァ……。あいつの喜ぶ顔を想像すると、無性に腹が立つな……」

 ボソッと呟いたクロードの話はセレーナに届かない。
セレーナは騎士服の上から、ネックレスをギュッと握り締めた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。

しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」 その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。 「了承しました」 ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。 (わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの) そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。 (それに欲しいものは手に入れたわ) 壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。 (愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?) エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。 「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」 類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。 だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。 今後は自分の力で頑張ってもらおう。 ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。 ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。 カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?

恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ! ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。 エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。 ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。 しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。 「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」 するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

処理中です...