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しおりを挟むフィクスとの会話の後、必死の形相で駆け寄ってきてくれたキャロルとクロードに、セレーナは何度も大丈夫だからと伝えた。
二人共、額に青筋を浮かべてフィクスを睨めつけるので、説得が大変だった。
続いて、いつの間にか近くまで来ていたリックには「突然お声がけをして申し訳ありません」と謝られたので、転倒をしたのは自分の責任だと伝えた。
リックのせいではなく、スカーレットの姿を見て集中力を欠いてしまった自分が悪いのだから。
──ただ、その理由はこの場で言えなかった。
「セレーナ様がお怪我をされていないようで安心しましたわ」
「スカーレット様、ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」
スカーレットにも心配されたセレーナは居た堪れなくなりながら、謝罪の言葉を口にする。
それほど関わりのない自分に労りの言葉をかけてくれるなんて、スカーレットは優しい女性だ。
見た目も美しく、身分も高く、教養だってある。
「お似合い……」
無意識に呟いたセレーナの言葉に、スカーレットは素早く目を瞬かせた。
「え? なにがですか……?」
「あ、いえ! その、独り言です……! 申し訳ありません……!」
「ふふ、変なセレーナ様」
とりあえず誤魔化したセレーナは、その後フィクスから「少し待っててね」と言われ、彼はリックと話し始めた。
「警備について──」
「ああ、それは──」
どうやら話の内容は、御前試合会場での警備の確認らしい。
フィクスは御前試合に選手として参加するのはもちろんのこと、当日の警備の統括も任せられているのだ。
それに加えて王子としての公務まであるのだから、多忙なのも当然と言えるだろう。
フィクスとリックが警備のことについて話を詰める中、スカーレットはキャロルに話しかけていた。
「キャロル様、ご挨拶申し上げます。まさか王女殿下もこちらにいらしているとは思いませんでしたわ」
「ごきげんようスカーレット様。それはまぁ、愛するセレーナを見るためですもの!」
「まあ! 仲がよろしいんですのね。……それにしても」
スカーレットはキャロルの方に体を向けたまま、視線だけをフィクスたちの方に移した。
「フィクス様もリックも大変そうですわね。体調を崩してしまわないか、心配ですわ……」
そう話すスカーレットを見て、セレーナは目を見開いた。
(もしかして、フィクス様の片思いではなく、スカーレット様もお好きなのでは……)
スカーレットの頬が軽く朱色を帯び、緋色の瞳には隠しきれない思いが浮かんでいるように見えた。
それはまるで、愛おしくて仕方がない相手に向ける目──。
(……なんだ、そうだったのか)
フィクスとスカーレットが何故結婚をしないのか、その理由は分からない。
フィクスが仮初の婚約者の話を受け入れた理由も、未だに不明だ。
けれど、これだけははっきりした。
(……フィクス様とスカーレット様は、互いのことが好きなんだ──)
──ズキン、ズキン、ズキン。
それを知ってしまったら、先程一瞬感じた手首の痛みが移ったのかと錯覚するほどに胸が痛くなり、騎士服の胸元をギュッと掴んだ。
自分が『仮初』の婚約者である現実に、無償に泣きたくなった。
(なんで、こんな気持ちに……っ)
その理由を、セレーナは分からなかった。
ただ、この場に──フィクスとスカーレットが居るこの場所に居たくない。
「兄様……一つお願いがあるのですが」
そう強く願ったセレーナは、近くに居るクロードに話しかける。
クロードはセレーナに頼られたことが嬉しいのか、「なんでも言え!」と笑顔で答えた。
「手合わせでかなり汗をかいたので、一度顔を洗いたいのです。直ぐに戻って来ますから、引き続きキャロル様の護衛をお任せしても……?」
平然と、平然と。セレーナはそう意識して問いかけたというのに、クロードは眉をしかめた。
「もちろん構わないが……。何故そんな辛そうな顔を──」
「……っ、気の所為です。で、では兄様、よろしくお願いいたします」
「おい、セレーナ」
セレーナはクロードの呼びかけを聞こえていないふりをして、キャロルにもこの場を少し離れることを説明した。
仕事の話の腰を折ってしまうだろうとフィクスたちには話しかけることをせず、セレーナは訓練場を後にした。
──訓練場から、徒歩で約二分。セレーナの前には、目的地である手洗い場があった。
五人程度が同時に使える設計で、騎士のために数年前に作られたものだ。
訓練の後に手を洗ったり、体を拭うために手拭いを濡らしたりでき、騎士たちからは大変評判だった。
「ハァ……」
セレーナはそこで顔に水を浴びると、ズボンのポケットに入れておいたハンカチで水気を拭う。
拭いきれなかった水が前髪からポタ……と落ちたと同時に、溜息が漏れた。
「……少しだけ頭が冷えた気がするけれど、さっぱり分からない」
手洗い場に来るまでの道中、そして今もずっと考えているけれど、明確な答えは浮かばなかった。
フィクスに関わると胸が高鳴り、スカーレットを見ると胸がモヤモヤし、二人が互いを好いていることを知ると、胸がズキズキと痛むのは何故なのだろうか。
「どこかおかしいのかもしれない……。今度お医者様に診てもらおうか……」
セレーナから、ハァ、ともう一度溜息が漏れた。今度は先程の溜息よりも重々しい。
しかし、この場でずっと悩んでいるわけにはいかない。
早くキャロルたちのもとに戻って、護衛の任務に戻らなければと、セレーナが訓練場の方向に足を踏み出した瞬間だった。
「なあ、聞いたか? 今年の御前試合はフィクス王子が出るって話」
「ああ、聞いた聞いた。やってらんねぇよなぁ」
手洗い場の奥にある騎士団棟に繋がる通路から、聞こえてきた声。
セレーナは振り向いてその人物たちを確認すると、王宮に務める騎士たちだった。確か、まだ騎士になって一年目のはずだ。
彼らはセレーナの存在に気付くことなく、大きな声で話し続けている。
「ほんとだよな! 俺らみたいな凡人がどれだけ頑張ったって、天才のフィクス王子に勝てるわけねえじゃん」
「そりゃあそうだ。良いよな~天才は。大した努力もせずに一丁前に強くてさ」
「あ、けどあれかもよ? 絶対優勝するために、トーナメントで当たる相手に今頃賄賂でも渡してるんじゃねぇか? 王子としての面子もあるだろうしさ」
「確かに! 有り得そうだな!!」
聞くに耐えないような有りもしない話と、ガハハハという汚い笑い声が聞こえてくる。
セレーナは奥歯をギリギリと噛み締めて、右手を力強く握り締めて拳を震わせた。
「……なんて酷いことを」
フィクスは基本的に騎士の皆に慕われている。
家柄や性別で判断せずに、騎士たちの努力や仕事ぶりをしっかりと見て昇進や報奨金の額を定めるなど、頑張った者が報われるように務めているからだ。
王族だというのに、過度に偉ぶらないのも、フィクスの良いところだった。
しかし、全ての人に好かれる人間なんて居ないのも、また事実だった。
(人伝に聞いた話では、彼らは前にもフィクス様についてあることないことを話していたとか。……その時は彼らの直属の上司が厳重注意を言い渡して、大事にはならなかったようだけれど)
どうやら、彼らは一切反省していないようだ。
こんな誰が聞いているか分からない場所でフィクスの悪口を話すなんて、どうかしている。
(ああ、腹が立つ)
同じ騎士として彼らの浅はかな言葉に、反省の心さえ持っていない彼らに、苛立って仕方がない。
セレーナは、ゆっくりと彼らに向かって歩き出す。
「貴方たち、少しいい?」
──なにより。
フィクスのことをよく知らないくせに、大した努力もしていないとか、賄賂を渡すだとか、そんなことを軽々しく口にする彼らを、セレーナは許せなかった。
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