10 / 43
10
しおりを挟むフィクスに仮初の婚約者にしてくれと頼んでから、一週間が経った日の早朝。
王宮の敷地内の所々に植えられている木々からは、爽やかな風により、葉擦れの音が聞こえる。
少しばかりひんやりとした気温は、毎朝欠かさず剣の稽古をしているセレーナの体を程よく冷やしてくれた。
「ふぅ、スッキリした」
稽古が終わり、キャロルから与えられた王宮の自室に戻ったセレーナは湯浴みを済ませると、騎士服に着替えた。
(時刻はまだ……午前六時)
時計を確認したセレーナはソファに腰を下ろすと、テーブルに置いてあった手帳を開く。
午後からのキャロルの護衛任務の他に、今日は午前中に大きな予定が入っているため、念のために確認したかったのだ。
「……午前九時から、第三王子宮の部屋に移動……。昨日両陛下が婚約のことは承諾してくださったから、婚約者である殿下の住まれている宮殿に私が暮らすことになるのはおかしな話ではないけれど、些か早すぎる気がするような」
──そう、実は昨日、セレーナはフィクスと共に、国王と妃に婚約をしたい旨を伝えたのだ。
ティアライズ伯爵家が王家の信頼を得ていること、キャロルの暗殺をセレーナが未然に防いでいることなどから、婚約に対する反対の声は上がらず、手続きは滞りなく行われた。
(確か、同席していたキャロル様は、私と姉妹になれることに大変お喜びだったな)
本当は仮初の婚約者になるだけで、フィクスと結婚をするわけではない。
そのため、喜ぶキャロルに対しては罪悪感を抱いたものの、仮初の婚約者であることを打ち明けるわけにもいかなかった。
というのも、両陛下に会う前に、この件に関しては他言無用にしようと、フィクスとセレーナの間で既に取り決められているからであった。
(もしも仮初であることが公になれば、縁談を煩わしいと思われている殿下の盾になれないから、当然か。……ああ、もしかしたら、こんなに早く私が第三王子宮に移動するのは、私が殿下の婚約者であることことを周りに知らしめるためなのかもしれない)
フィクスは頭がキレるため、そう考え先に先にと根回しをしていた可能性は大いにあるだろう。
「うん、きっとそう」
疑問が解消されたセレーナは、そっと手帳を閉じた。
それから三時間後。
セレーナは現在、第三王子宮の統括侍女に、新たな住まいとなる第三王子宮の案内をしてもらっていた。
「セレーナ様。一番奥にある扉が書庫に繋がるもので、こちらが第三王子殿下の執務室、そのお隣が殿下の私室で、またそのお隣がセレーナ様の私室となります」
第三王子宮には、一週間前に訪れた時以外に来たことはなかったが、王女宮と作りはあまり変わらないため、比較的早く覚えられそうだ。
(それにしても、殿下の部屋と私の部屋は隣なんだ)
いずれ結婚をする者同士なのだから、別におかしなことではないのだが、仮初の婚約者としては申し訳ない気分だ。
通常、王子が使う部屋の隣はその配偶者にあてられたもので、日当たりが良いのはもちろん、部屋は大きく、調度品も最高級のものが使われるためである。
「では、セレーナ様の私室をご案内いたします」
「あ、はい」
とはいえ、敢えて部屋を変えてほしいなどと伝えたら、怪しまれてしまうかもしれない。
統括侍女が開いた扉の先にある豪華絢爛な部屋に目が眩みながらも、セレーナはできるだけ冷静な態度を崩すことはなかった。
それからセレーナが軽く部屋を見て回ると、統括侍女から専属侍女を紹介された。
「セレーナ様、お初にお目にかかります。この度は第三王子殿下とのご婚約、おめでとうございます! セレーナ様の身の回りの世話をさせていただきます、リッチェルと申します……! よろしくお願いします!」
歳頃は十代後半だろうか。リッチェルは黒髪を後頭部でひとまとめにし、侍女服を身に纏っている。
顔つきにはあどけなさが残っていて、頬が赤い。
(彼女を見ていると、何故か既視感を覚える……。一体なんだろう)
理由は分からなかったけれど、こちらをじっと見つめながら挨拶を述べたリッチェルに対して、セレーナも微笑みながら挨拶を返した。
「こちらころよろしくお願いしますね、リッチェル。それと、素敵な部屋を準備してくれてありがとう」
「きゃー! 格好良い!! 実は私……以前から騎士として働かれているセレーナ様のことを陰ながら応援しておりました! ですので、そんなセレーナ様に仕えることができて、本当に嬉しく存じます……! 」
「……!」
なるほど、リッチェルを見て既視感を覚えたのは、彼女の様子がキャロルの侍女たちに似ていたかららしい。
「そう言っていただけて、大変光栄です」
応援してもらえるのは素直に嬉しい。感謝を伝えれば、リッチェルは「幸せ……!」と言って、軟体動物と同じくらいに体をくねくねとさせた。凄技である。
そんなリッチェルは、「失礼ですよ!」と統括侍女からお叱りを受けていた。
だが、これから世話になるリッチェルに悪印象を持たれていないことに、セレーナは胸を撫で下ろした。
(既に城内には私と殿下が婚約したことは広まっている。……見目麗しい姫や公爵家の令嬢ではなく、伯爵家の私が殿下の婚約者になったことを不満に思うも者は少なからず居るだろうけれど、リッチェルは違うようで良かった)
その後、統括侍女が退室し、リッチェルと二人きりになったセレーナは彼女と他愛もない話をした。
互いの家族のことや、侍女の仕事、騎士の仕事についてなど。
フィクスとの馴れ初めを聞かれた時は動揺したが、その話は適当に流しておいた。
「セレーナ、フィクスだ。入って良い?」
すると、ノックの音の直後に聞こえたフィクスの声に、リッチェルは素早く扉へと向かう。
「悪いけど、セレーナと二人で話したいから、少し下がっててくれる?」
「はい! かしこまりました!」
そうして、退室するリッチェルとほぼ同時に入室してきたフィクスを出迎えたセレーナは、彼をソファへと促した、のだけれど。
「セレーナ、座るのこっちね」
「はい?」
フィクスの向かい側に座ろうと思っていたセレーナだったが、彼の行動に目を丸くした。
ソファに腰を下ろしたフィクスが、自身の隣をポンポンと叩いたからである。
「……いえ、私は向かい側に座りますので」
しかし、隣に座らなければならない必要性を感じられなかったセレーナは、フィクスの誘いを断ったのだけれど、彼はニッコリと微笑んで口を開いた。
「こういう時、婚約者なら隣に座って仲睦まじく話をしてもおかしくないと思うけどね」
「……! た、確かに」
「でしょ? だから早くおいで。あんまり遅いと、隣じゃなくて俺の膝の上に乗せるけど」
「……っ、失礼いたします!」
事前の取り決めで、この婚約が仮初であることを周りに隠すことは互いに同意していた。
そのために、疑われないよう人前では仲睦まじい姿を見せることや、咄嗟にボロが出ないよう、普段から本当の婚約者同士のように接しようということも。
(とはいっても、膝の上に乗せるのはやり過ぎのはず……!)
セレーナは急ぎフィクスの隣に腰を下ろすと、ドクドクと高鳴る鼓動を落ち着かせる。
楽しそうにこちらを見つめるフィクスに若干の恥ずかしさを覚えながらも、セレーナは話し始めた。
「殿下、このような素敵な部屋をご用意くださり、まことにありがとうございます」
「ううん。むしろ急がせてごめんね。隣の部屋なら、セレーナとたくさん会えるかなと思ってさ。……あ、結婚したら寝室は一緒にしようね」
「は!?」
「はは。冗談だよ、冗談。セレーナは仮初の婚約者だもんね?」
(……相変わらず、殿下の冗談は心臓に悪い)
しかし、こういうことにも慣れていかなければ。
気を引き締めたセレーナに、フィクスはそう言えば、と話を切り出した。
「俺が今日ここに来たのは、セレーナに一つ報告があったからなんだけどさ」
「と、言いますと?」
うーんと考える素振りを見せるセレーナに、フィクスはずいっと顔を近付けた。
「早速、明後日にセレーナのご家族に婚約の挨拶をしに行こうよって話」
「……明後日!?」
17
お気に入りに追加
920
あなたにおすすめの小説
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。
しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」
その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。
「了承しました」
ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。
(わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの)
そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。
(それに欲しいものは手に入れたわ)
壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。
(愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?)
エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。
「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」
類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。
だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。
今後は自分の力で頑張ってもらおう。
ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。
ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。
カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)
つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?
蓮
恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ!
ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。
エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。
ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。
しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。
「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」
するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~
岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。
本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。
別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい!
そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる