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第三話 綺麗で美しいだけの生き物なんていない

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「どうしたんですか、ジッと見つめて」


目の前で俺お手製のキムチチャーハンをがっついていたレイジが、スプーンを持っていた手を止めて、咀嚼しながら尋ねてきた。人と会話をする為のマナーすら知らないレイジに、むっつりと押し黙ったまま、無言で暖かいコーン茶を差し出す。話す時は、せめて口の中に物が入っていない時にしろという無言のアピールではあったのだが、レイジには恐らく伝わらないだろう。


「なに、なんで黙ってるんですか?・・・あ、分かった。最近ご無沙汰だから、俺見てちょっとムラッとしたんでしょ?分かりますよ。人が物食ってるの見ると、興奮しますよね」

「断じて違う」

「どっちが?ご無沙汰だってこと?それとも、飯食ってる俺見て興奮した事?・・・でも、ご無沙汰なのは本当でしょう、ねぇ」


こいつ、本当に、いつだって会話にならない。こちらとしても、するつもりが無いという気持ちが今はあるから、放って置けば良いのは分かっているんだけど。こいつはそうして置くと、どんどんと増長していく。セクハラ発言だけでなく、今の様に、俺の手を上からそっと包み込んできたり、いつの間にか隣に近付いてきて俺の腰を抱いた・・・いやいや、待て待て。


「おい、近い、近いから、離れ・・・」


そして、慌てた俺が口を開くのを、にやにやと笑いながら待つ、という今現在の様な流れが常態化している。俺はこれを何度繰り返せばいいのか。湊が居ない時に限ってこんな真似をしてくるので、こいつのこれは確信犯だ。


本気でも無い癖に、いつも狼狽えてしまう。俺はこういう手合いとは出会った事が無かったから、どう対処したらいいのか分からなくて。押し返すにしても、こいつは俺と殆ど体格が同じなうえに筋肉がしっかりと付いているから、その肉塊の持つプレッシャーにいつも負けてしまう。揶揄われているのが分かっているのに、声は上擦るし。言動もしどろもどろになって、心無しか顔も少し熱くなってしまって。レイジは、俺のそんな初心な反応が見たくてやっているので、だんだんと上機嫌になっていくのだけど、それが分かってくると俺も次第に苛立ってきて、伝家の宝刀を抜かざるを得なくなってしまうのだ。


「それ以上調子に乗ったら、出禁にするからな」


真剣な表情で冷たく言い放つ。しかし、目尻には涙が浮かんでいるので、あまり格好は付いていない。自分でもその事は良く分かっているのだけど、この暴虐無尽っぷりを許容する訳にはいかないのだ。俺のこれ以上したら出禁にする、という宣言を前にして、レイジは、ち、と舌打ちをしてから、俺の側を離れた。


ホッと胸を撫で下ろして自分の状態を確認すると、ズボンのホックがいつの間にか外されていたのが判明した。ギョッとしてレイジの顔を凝視すると、奴はしらっとした表情で再びキムチチャーハンを口に運んでいて、冗談にしてもしていい事と悪い事があるだろう、と、テーブルの下で拳を握り締めた。しかし、何か文句を言ってやろうと口を開こうとした瞬間、レイジは何の躊躇いもなく、突然会話を切り出した。


「アレに何をしたのかに関しての質問には答えませんよ。そういう話だったでしょう」


胸中にある疑問を言い当てられ、どきりとする。分かっていたのか、俺が何を考えていたのか。そして、その疑問を解消する為に、どこかに交渉の余地がありはしないかと考え倦ねていた事も。


何故俺の持つ疑問を言い当てたのかは分からないが、レイジは度々こうして、俺の考えを先回りした会話をしてくる時があるので、慣れていると言われれば慣れていたから、その理由を深くは考えなかった。


それにしても、湊に近付く女性の事を『アレ』だの『ソレ』だのと言い切る所は相変わらずだな。個人的にはあまり良い感情は持てないが、レイジは湊の事をこれでいて深く愛しているのは分かるから、そこを突いても仕方がないか、と気持ちを改めた。


「そう、だけど・・・無理だよ、気にするなって言う方が」

「そうでしょうね。でも、仕方ないでしょ、あなたが俺の話を蹴ったんですから」

「でも、あの時は、こんな事になるなんて思わなかったから・・・」


まるで坂を転がり落ちていく人間の末路を一から十まで見せつけられたかの様な心境になって、ここ最近はずっと酷い気分だった。実際に体調不良すら引き起こしそうになったから、今日の夕飯だって、レイジの分しか作っていない。俺の最近の夕飯は、もっぱらゼリー飲料ばかりだ。湊には心配されたが、あいつに俺がいま抱えている悩みを打ち明ける訳にはいかない。あいつだって、親しくしていた女性が突然帰らぬ人となってしまった事実に憔悴している。そんな湊に、これ以上の心理的な負担を掛けるだなんて、俺には無理だ。かと言って、俺だけで抱え切れる問題でもない。となれば、恐らくは問題の渦中にいるだろう人間に、その悩みをぶつけるくらいしか、俺のストレスを解消する手立てはないのだ。


もしかしたら、レイジはこんな好青年な見た目をしていながら、反社会勢力と関わりのある人間なのかも知れない。だとしたら俺はかなり危ない橋を渡っている事になるのだけれど、今目の前にいるレイジという人間は、俺の出す飯や提供する寝床に執着心を見せる、ごく普通の青年にしか見えない。言動や行動は厨二臭い時はあるけれど、それ以外は至ってまともな・・・いや、若干我儘な、普通の子だ。そんな子を必要以上に怖がっていてどうする。


腹を割って話し合えば、人間は誰しもが分かり合える、とまでは考えていないが、多少なり歩み寄る事は出来る筈だとは思っている。だから俺は、一旦年上としてのプライドを横に置いて、レイジに向けて軽く頭を下げた。


「あの時は、お前の話をまともに取り合わなくて、すまない。だけど、このままだと、俺の気も済まないし、これ以上お前をここに招くわけにはいかなくなる。湊とお前の関係性には首を突っ込まないと約束するから、どうか事情を話してくれないか?」


テーブルに額を擦り付けるとまではいかないが、陳謝の意味がそこから充分に伝わればそれでいいと思っていたし、これで俺の気持ちがまだ分からないというのであれば、今の言葉通り、俺はこいつをこの場所に招くつもりは無くなってしまう。
湊との関係性を邪魔するつもりはないし、『あいつは危ないから辞めておけ』などと話すつもりも無い。だけど、自分の中にある線引きだけはしっかりさせて貰うつもりでいた。


その意思が伝わったのか、レイジは手に持っていたスプーンをテーブルの上に置いて、顔を上げる様に促してきた。それに合わせてゆっくりと俺が顔を上げると、レイジは俺の目の前から、忽然と姿を消していた。え、と口から思わず声が漏れる。すると俺の耳元で、くすり、と微かな笑声が弾けた。


「なら、あの時俺が言った様に、まずはあなたの身体を差し出して貰います。あなたが俺を満足させられたら、事情を説明してあげますよ」


身体を差し出す?一体、何の話をしているんだ、こいつは。そんな話、俺は一言も聞いていないぞ?・・・いや、そう言えば、あの日、会話の最中に突然突風が吹いて、それにこいつの声が掻き消されてしまったタイミングがあった。口が動いていたのは目視で確認出来たけど、まさか、そんな話をしていただなんて。


顔から、ざぁ、と血の気が引いていく。待て、待てよ。だとしたらなら、俺は今から、こいつに?


「う、ぁ・・・っ、?!」


背後から抱き締められ、トレーナーの上から、ピンポイントで乳首をきゅっ、と摘まれる。反射的に口から大きめな声が生み出されてしまい、慌てて自分の口を両手で押さえた。


危ない、非常に危ないぞ。俺はいま、貞操の危機に陥っている。どうしたら、この危機的状況を回避出来るのか頭を懸命に働かせるも、大した回答は導き出せない。それでも辿り着いた一つの道筋に、俺は必死になって縋り付いた。


「ま、って、くれ。俺は、本当に、男とそういう事は・・・それに、お前には湊が居るだろう。だから、こんな事しちゃ駄目だ」

「あぁ、その事ですか。大丈夫ですよ、こんな物、浮気の内にも入りません。それに、俺はあの人に指一本触れないと決めているので、偶の摘み食いくらいは許して貰わないと。だから、安心して俺に身を委ねて下さいね」


ちょっと待てよ。恋人なのに指一本触れない関係って何。あと、これが浮気にも入らないって、どんな神経してんだ。そもそも、何処にも安心出来る要素が無いんだが?


「いや、安心なんて出来るわけ・・・ひっ?!」


ズボンの布越しに股間をゆっくりと嬲るレイジの指先に、上擦った叫び声が上がる。色気の全く無いそれに、しかしレイジは機嫌の良さそうな押し殺した笑声をくつくつと漏らした。碌な反論すら口に出せず、完全に腰が引けてしまった俺のズボンの前を寛げ、ボクサーパンツのボタンを外しながら、トレーナーの中に手を突っ込んで、乳首を爪先でかりかりと引っ掻き刺激していく。その淫猥な動きを見せるレイジの両腕を必死で引き剥がそうとするが、べろ、と首筋を下から上に舐め上げられた瞬間に、かくん、と全身の力が抜けてしまった。たったそれだけの刺激で自分の全身に力が入らなくなってしまった事実に驚愕していると、とうとうボクサーパンツの中から俺の性器が取り出されてしまった。


「かわい、ふにゃふにゃ」

「やめ、も、ほんと・・・離して」


最早、声だけでしか反抗出来ない。その声ですら力が篭っておらず、反発や批判の意思をどれだけ込めたつもりでも、言葉には全くと言って説得力が無かった。性器の根元から先端に掛けてをゆっくりと扱かれ、次第に性器に芯が通り始めると、その手の動きは射精に向けた事前準備をする為の本腰を入れたものとなっていった。


あっ、あっ、と途切れ途切れに、自分自身も聞いた事すらない嬌声を俺が上げ始めると、耳に音を立てて唇を落としていたレイジが、へぇ、と思わずといった風に感嘆した。


「前から思ってましたけど、あなた本当に良い声してますよね。ねぇ、もっと鳴いて」

「あ、やだっ、く、ぁ・・・も、ほんと、やめて・・・ッ」

「自信持ってよ。ここ弱いんでしょ、ほら、秀一」

「ひ、やっ、あっ、ぁあ・・・ッく、ぁ・・・んッ」

「あー、いいね、ぞくぞくする」


先走りが溢れ、くちゅくちゅと、レイジの手元からひっきりなしに生み出される卑猥な水音が自分の耳を擽る。俺の静止を物ともせず、はちきれんばかりに昂った性器に対する刺激を続け様に与えてくるレイジは、俺の耳の穴に舌先をぐちゃりと突っ込むと、俺の聴覚を完全に支配しながら、絶頂に向けた最後の階段を強制的に駆け上がらせていった。


「あ、・・・ッ、や、ぁ・・・だめ、もぅ・・・アアッ・・・ッ」


びく、びくん、と全身を戦慄かせて、俺はレイジの腕の中で絶頂を迎えた。他者から与えられる快楽というものを初めて経験した俺の陥落は呆気なく、振り返ってみれば、あっという間の出来事だった。


肩を上下させ、荒い息を吐く俺の額に唇を落としたレイジは、俺の吐精を受け止めた右手を俺の目の前で見せびらかすと、『見てよこれ、ゼリーみたいになってる』と俺に残酷な事実を突き付けてきたうえに、それをくすくすと嘲笑った。


「あーあ、定期的に出さないから。でも、その分、気持ち良かったでしょう?顔、とろとろになってるよ」

「・・・言うな」

「いいなぁ、その反応。落ちそうで落ちないとこ、堪んない」


自分の穿った性癖を開花する人の悪さを全面に押し出したレイジは、信じられない事に、自分の手の平で受け止めた俺の精液を、俺の眼前でべろり、と舐め上げた。俺があまりの出来事に、この場の状況すら忘れて呆気に取られていると、レイジは、視線を俺の双眸に固定したまま、興奮を隠さない眼差しをそのままに、その精液を全て舐め取ってしまった。


指の先を吸い上げて唇を離すと、そこにはねっとりとした銀糸が伝った。レイジはそれすらも舐め取ると、最後に恍惚とした溜息を、ほぅ、と漏らした。


「おいし・・・あなた、ここ最近は飯も碌に食ってなかったし、自然に精進料理で身を清めてた様な物だから、我慢するの大変でしたよ。だから、こんな機会が巡って来るのを、本当はずっと待っていたんです。ねぇ、女としなくなってどれくらい経つ?この感じだと、相当ご無沙汰でしょう・・・教えて、秀一」


二度に渡り呼び捨てにされただけでなく、目の前で自分の体液を舐め取られ、全く意味が分からない事をペラペラと話されて、頭が酷く混乱する。何でそんな恥ずかしい話をお前にしなくちゃいけないんだ。それこそお前のお得意の守護霊云々で片付ければ良いだろうがと思ってダンマリを決め込もうとしたのに、口からは勝手に、本音がぽろりと突いて出てしまった。


「したこと、ない」


そう、俺は、幼い頃に女性家庭教師に迫られた経験から、酷い女性恐怖症を患っていた。かと言って、性的対象が男性にすげ変わるという事もなく、俺の恋人はいつだって二次元の女性ばかりだった。


巨乳の女性が特に苦手なのも、家庭教師がそれの持ち主だったから。だから、女性と密着しながら満員電車に揺られる生活が本当に苦痛で、職場から徒歩数分の場所にあるこのマンションに、事故物件だと知りながら飛び付いたのだ。


独身を貫く為の資金を貯めるという意味でも、俺の中には、このマンションを手放したり、湊とルームシェアを辞めるという選択肢はない。だから、どれだけ精神的に辛くても、この状況に耐えてきた。湊に文句を言わず、得体の知れないレイジという青年を受け入れて、まるで超常現象の様な事態が巻き起こっても、見て見ぬ振りをしてきた。


だけど、人の命が関わって、それでいて自分の貞操の危機にまで晒されたとなれば話は別だ。もうこれ以上、俺はこの状況を我慢してはいられない。


「女もいやだし、男なんて、もっといやだ。俺は、誰も受け入れたくない。誰にも触れて欲しくない・・・誰も、俺に近付かないでくれ」


いつの間にか、俺は泣いていた。勝手に過去を暴かれて、勝手に身体を弄ばれて、勝手に自分の弱さを引き摺り出され見せつけられて。


惨めで、情けなくて、辛くて。


なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ、と。なんで俺ばかりが我慢しなくちゃいけないんだ、と。怒りが込み上げてきて。


いや、本当は、ずっとずっと、怒っていて。


「おれに、さわるな」


その怒りをぶつけた瞬間に、レイジと俺との間で、ぱしん、と小さな破裂音が生じた。俺は怒りに震えていたから、それに目立ったリアクションは取らなかったけれど、レイジの方は目を見開いて驚きを露わにしていた。


「わぁ、あなた、凄いね。知ってたけど、本当に凄い・・・これは、流石にこれ以上は手が出せないか。残念」


一人納得を深めながら、本当に残念そうにそう呟くと、レイジは俺から身体を離して、すくっとその場に立ち上がった。俺はレイジからサッと距離を取ると、トレーナーの裾で恥部を隠して、レイジをキッと睨み付けた。


「あんまり威嚇しないで下さい。これだけ拒絶されたら、俺の気だって変わります。ちゃんと事情も説明しますから、怒りを鎮めて下さい。ね?」


そんな話、頭から信じられるわけがない。ついさっきまでなし崩しで人を手籠にしようとしていた癖に、白々しいにも程がある。第一、本当の話をするかどうかすら怪しいんだ。これまで通りに対応すると思ったら大間違いなんだからな。


「今日のこの一件を湊に話されたくなければ、正直に話せよ」

「あはは、それで俺を脅してるつもりですか?でも、確かにそれは効きました。了解です、正直に話しましょう。だから、あなたも俺との約束を覚えていて下さいね。これからする話を、一切あの人の耳には入れないと」


了承を過不足なく告げる様に、静かに頷く。すると、レイジは満足そうに微笑んでから、自分の席に戻った。そして、すっかり冷めてしまったコーン茶を啜ってから、あっさりと、それでいて淡々と、事の経緯を説明し始めた。


「先ず初めに説明をしておくと、俺には霊を除霊する力はありません。出来るのは、霊と対話をして納得させてからその場から引き剥がして、別の人間の元に送り届ける事。俺はこのマンションにいた行き場の無い女性の霊をこの半年間ずっと抱えて生活していました。そして、あとほんの僅かな時間で自分自身が取り込まれてしまうかもしれない、というタイミングで、湊さんを誑かそうとする悪女が近付いてきた。後はご想像にお任せしますが、ここまでで何か質問は?」


何処となく、こんな話をされるのは予見していたけれど、想像していた以上の、まごう事無きオカルトな話をされてしまった。頭から信じ込みたくは無いが、この前提に待ったを掛けてしまっては、話が前に進まない。一応はその話を信じたフリをして、疑問を一つ一つ解消していこう。


「送り届けた相手がその後どうなるかは考えていないのか?お前がそれをしなかったら、彼女はあんな目には遭わなかったんじゃないか?」

「誰彼構わず擦り付けられる訳じゃありません。人には相性というものがあるでしょう?気に入った相手じゃなければ、霊も憑代にしたいと思えないんですよ」

「それにしたって・・・」

「でなければ、俺が自滅します。そうしたら、誰が湊さんを守るんですか?俺に代わって、あの人を生涯守り通せる自信が、あなたにあるんですか?」


平然と切り返すレイジに、言葉を失う。そんな自信、俺にある筈が無い。自分一人でだって満足に生きられないからこそ、こうして共同生活を送りながら、独身を貫く覚悟を持って慎ましく生活しているんだ。それでいて、誰かの人生まで抱え込むなんて、無茶が過ぎる。


「あなただって、正直ホッとしているんじゃないですか?湊さんがあの女をこのマンションに引き入れたり、女と暮らす様になったら、この生活は続けられなくなる。常日頃から二次元の世界にどっぷり嵌って、他人を拒絶し続けているあなたを受容してくれる相手を一から探すのは、骨が折れますものね。あの人ほど、あなたにとって都合が良い人間はいない筈だ。だからこそ、あなたはあの人を失うのが惜しい。人間なんて、所詮は綺麗事で生きられないんですよ。認めて下さい、自分だって湊さんを利用している人間の一人なんだと」


だから、俺は。レイジの言葉に、何の反論も出来なかった。確かに、俺は篠宮 湊という人物を利用している人間だからだ。


俺という人間が本当はどれだけ独善的な人間なのか、あいつは知らない。家賃を何の条件もなく折半し、お互いに持ち回りで行おうと決めていた筈の家事の一手を何も言わずに引き受けて、俺の生活を脅かさないで、俺を好きな様に生きさせてくれる、それでいて親でも親族でもない口煩くない人間。そんな人間、探そうとしても探せる筈が無いのだ。


なのに湊は、俺のおかげで自活が出来て嬉しいと語り、俺の親にも、自分の為にこの生活を続けてくれていると話して、俺のプライドを傷付ける様な行動の一つとして取らない。それどころか、定期的に実家から送られてくる野菜や果物を俺の親にもお裾分けしていたりして、俺の家族の覚えも滅法良く、息子をお願いね、などと半分以上本気で俺の母親に言われても、お世話になっているのは僕の方ですから、と決して驕らない。そして、その気遣いに対して俺が何も言わずにいても、全く気にした素振りを見せないのだ。


得体の知れない、はっきり言って薄気味の悪いレイジという青年を表面上は受け入れていたのも、湊という存在を失いたくないから。それをこの半年間、ずっと見透かされ続けてきたのだとしたならば、俺には彼の前で取り繕う必要など無いも同然だった。


「お前、これから先もずっと、あいつが悪霊に狙われる度に助けて、湊に近付く悪意のある人間に、ソレを擦り付けていくつもりなのか?」

「ええ、まぁ」


呆気なく、平然と『篠宮 湊に近付く悪意ある他者を今後も呪い続ける』と認めるレイジに、暗澹とした思いを抱えながらも、自分の疑問を解消させる為に、ぎゅ、とトレーナーの裾を握り締めてから、口を開いた。


「なら、俺はどうなるんだ。お前からしてみたら、俺だって湊に近付く悪意ある他者だろ」

「俺があなたに何もしなかった様に思えますか」


言われている意味が分からなくて、思わず床にへばり付けていた視線を上げる。すると、そこには、鹿の目をした青年が、一生脳裏に焼き付いて忘れられない様な、とてもとても綺麗で美しい笑顔を浮かべていた。


「なんで人間は、いつの時代も、自分だけは大丈夫だと思い込むのかなぁ」


作り物の様に美しい彼の美貌に、視線が縛り付けられる。瞬き一つの動作すら、しようと思っても叶わない。金縛り。半覚醒の人間にしか見られないその現象が、今まさに俺の身体に引き起こっていた。


「あなたの様に、弾く力を持って生まれた人間は、時たま現れるんです。だからこそ、湊さんもあなたの側にいる事で、本能的な安心感を抱いている。いつもお世話になっていると、あの人だって感謝していたでしょう?まさか、自分だけは他者に利用されないとでも思っていたんですか?・・・まぁ、あの人は無意識に近い形でそれをやっていますから、あなたのソレとは次元が違いますけどね」


綺麗で美しいだけの生き物なんていない。


「あの人が実家から切り離された時はどうなるかと思いましたけど、どうやら、あなたの手で作られた食事や飲み物や、女を知らないあなた自身の体液には、俺の力を補強してくれる作用があったみたいなんです。だから、これからもあの人の虫除けと俺のお世話を、宜しくお願いしますね」


だけど、綺麗で美しい化け物は、いる。


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