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最終章『そして、彼等は伝説となる』

『Cerberus』

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一日に受け入れる宿泊客を1組に限定している、温泉地の中心部からも人里からも離れた場所にあるその高級宿は、源泉掛け流しの部屋付き露天風呂と、界隈で一流として名を馳せる料理人達の手の込んだ部屋食をゆったりと楽しめる事で有名だった。それでいて、普通の手段を使った予約は受け付けておらず、受け入れる宿泊客は全て教会の一部会員の紹介を受けなくてはならないという制約が掛けられていた。雅之もその宿の存在に関しては勿論把握していたし、度重なる教会幹部達からのお誘いにもあってきたのだが、実際に足を運び、宿に訪れたのはこれが初めてだった。


部屋に通される前に、おもてなしの為に用意された生菓子と抹茶を、囲炉裏のある空間で雅之達がゆっくりと楽しんでいると、そこに一人の人物が現れた。そろそろ来る頃か、と思っていた雅之は、その人物に視線を向ける事なく、まるで冷たく突き放す様な口調で、その人物を歓迎していない雰囲気を作った。


「お前の分は無いよ、ロサ・ギガンティア」


在席を拒絶する雅之……御方に向けて、ロサ・ギガンティアと字名で呼ばれた慎也は、内心で何でいつも俺ばかりがこんな目に遭うのかと嘆いていた。自分の全身全霊を掛けて忠義を尽くし、誰よりも深い愛を捧げている存在に牙を剥き出しにされる。これ以上ないストレスと苦痛を感じながら、慎也は、深々とその場に平伏した。


「度重なる無礼をお許し下さい。ロサ・ルキアエ、ロサ・ムルティフロラ、そして私……また、一部幹部達から、直接御身の元に馳せ参じ、謝罪させて頂きたいとの陳情を持って参りました」

「そう、他には何か言っていなかった?」

「………我々は、谷川 真司を、御身の忠実なる守護者ケルベロスとしてその立場を認める、と」


本気で怒った雅之の怒りをどうにか解くべく、この場所に送り込まれた慎也が、絞り出す様にして代表して発言をすると、鈴を転がした様な可憐な笑声が空間に溶けた。


「ふふ、みんな面白い事を言うね。認める?我がこのケルベロスを自らの隣に置くと決めているというのに……まぁ、そんな馬鹿な発言をした子の大体の顔は分かるよ。しかし、流石にこの場所にまで押し掛けては来ないだろうね?」

「慰安が終わるまで、本部にて待機しているとの事です」

「ならいいよ。だけど、今回の件に加担した人間に対して、今後予定していた『寵愛』は、全て白紙にする。これは決定事項だから、先に周知させておくように」

「……はっ、」


御方による決定事項が覆る事は有り得ない。神がそうと決めた事由について口出しをする権利など、例え大幹部である薔薇の八大原種にもありはしない。以前、真司を人質にして雅之を謀った男よりも重い罰だが、これは、それだけ今回の雅之の怒りが深いという事の裏付けとなっている。雅之は、これだけ真司を追い詰めた原因が、今回の四日間だけに限定しているとは全く考えていないのだ。長期間に渡り、真司の精神を蝕み苦しめ続けてきたツケが、いまここで回ってきた。それが分からない慎也ではないので、それ以上何も言う事は無かった……言える筈が無かったのだった。


「君は残るつもり?」

「はい、御方がお許しになられるなら、御身の護衛の任に着かせていただきたく思っております」

「そう。だけど、はっきり言って不快なんだ。これ以上、我に纏わりつくのは辞めて欲しいな」


慎也は、心臓に太い杭を、ずぐん、と深く打ち込まれた様な強い衝撃を受けた。死に直結するその痛みに、慎也の額にじっとりとした脂汗が浮かぶ。呼吸すら覚束なくなり、平伏した格好を維持するのが次第に難しくなっていく。そんな慎也に一瞥すら向けない雅之に、真司の胸は激しく震えた。


自分がもしも慎也と同じ立場だったら……自分の神から見捨てられたら、と考える。それは絶望そのものを身に宿した様な心境だろうと。


真司は、今では薔薇の八大原種に勝るとも劣らない信仰心を雅之に抱いている。だからこそ、真司には、慎也の今の気持ちが手に取る様に分かった。そして、それに同情する一方で、自分の為にこれだけ雅之が激怒してくれているのだという事実に、深い多幸感に包まれていた。そして、神の寵愛を一身に受けている自分という存在が、何よりも尊く感じられ、自分自身の自己肯定感の上昇に、著しく関与していった。


この三年間で、だいぶ自分自身に向ける自信は身に付いたが、幼い頃からの積み重ねで地の底を這っていた自己肯定感の引き上げをするのは、一朝一夕には叶わなかった。しかし、戦場で『ケルベロス』という自分の字名と同様のコードネームが一人歩きしても、ブラック・バカラで数々の功績を上げても、全く微動だにしなかったそれが、雅之の言動一つで、こんなにも。


これが、信仰か、と改めて感慨に浸る。真司は、ずっと、何かを信仰する人々を、危篤な人間もいたものだな、と心の何処かで斜めに見ていたが、この三年の月日を掛けて、それはあまりにも浅慮な考えだった事に気が付いたのだった。


アメリカにある海軍特殊部隊時代に出会った、様々な宗教観を持つ人々の価値観に触れ、ブラック・バカラ達の熱い信仰心に触れて、真司の意識はゆっくりと変化していった。信仰する対象から見守られているという絶対的な安心感は、自分の自信へと繋がっていく。そしてその人物の揺るぎない自己を確立していく礎となっていく。それを否定されたり、汚されたり、コケにされたとなれば、それは、自分自身を貶されたも同然なのだ。そんな事も分からずに、真司は、信仰の対象である雅之を、その存在を祀る祭壇を使って繰り返し嬲り、凌辱してきた。そんな人間が薔薇の八大原種に並ぶ立場を確立するなど、到底看過出来ないと考える人間がいるのは当然なのだ。


「御方、俺は、これまでずっと御方の尊い御身を汚す様な真似を繰り返してきました。そんな俺を受け入れ難いと考える方々がいるのは当然です。改めて、謝罪をさせて下さい。本当に申し訳ありませんでした……ですから、どうか怒りをお納め下さい」


真司が頭を下げて、否、慎也と同様にその場に平伏をすると、雅之はそんな真司の中にある、人としての人格の帰結をそこに見た。


これまで、どれだけの人間達が、まずは疑いの目を向け、そして恐れ、そして感服し、自分の前に平伏してきただろう。母親のトラウマを抱えていた真司も、結局は、これまで雅之が見てきた人間と同様の流れに身を任せた。時間は掛かったが、雅之は本当の意味で谷川 真司という人間を攻略した、という感慨を抱くと共に、深い落胆に暮れている自分がいる事にも気が付いていた。


真司の自由奔放なところが好きだった。自分という人間をあっという間に忘れてしまった自分勝手さを愛した。自分を祀り上げる為の祭壇を使って繰り返し自分を凌辱する事に喜びを見出していた、人として歪んでいる部分に強く惹かれた。


人として欠陥のある真司を、愛していた。


その、人として欠陥のあった部分が、信仰心によって補完されてしまったら、雅之が愛した男は、この世界から居なくなったも同然なのだ。


しかし、雅之が真司を手元に置き続ける為には、そこに終着点を定めないといけなかった。真司が、信者として模範となる存在にならない限り、真司は雅之の隣に居続ける事はできないのだ。


分かっていたのに、実際に目にしてしまうと、こんなにも虚しい。勝手な、本当に身勝手な人間だな、と雅之は己を自嘲した。


こんな人間のどこを見て、真司は好きになってくれたのか。自分の生涯を賭して、こんなにも歪んだ自分を守り、支え、尽くして、愛してくれる理由は、どこにあるのか。真司に尋ねたい気持ちもあるけれど、雅之は、それを怖いと感じていた。


もはや、雅之を恐れさせる存在は、真司を置いて他にいない。にも関わらず、真司がこんな風に信者の鏡を体現する人間になってしまったのは、雅之にとって、とても切ない出来事だったのだった。


「……慎也、顔を見せて」


そっと雅之に促された慎也が、ゆっくりとその顔を上げると、今にもその場に崩れ落ちそうに顔面を蒼白にした、死人そのものの表情をした慎也が、雅之に縋る様な眼差しを向けた。


「君の気持ちは分かった。だけど、今の『俺』はとても機嫌が悪い。それは分かってくれるよね?」

「……はい」

「なら、それを肝に銘じた働きをすると誓えば、側にいる事を許そう。ただ、俺達の部屋に入って来たり、聞き耳や盗み見をするのだけは、ごめんだ。二日間、俺達を本当の二人きりにしてくれ……その条件を飲めるかい?」

「必ずや」

「そう。なら、下がって……嫌な役ばかりさせて、すまないね。たまには自分達が来いと、帰ったら今度こそは言ってあげるからね。『二人』も、いつも心配ばかり掛けて、ごめんね」


雅之が、自分の立場を理解して気持ちを汲んでくれているというのが分かっただけで、慎也の献身とこれまでの努力は浮かばれた。それをこっそりと盗み聞きしている、本部にいた大会議場の幹部達にも、動揺が走った。しかし、その会場の何処にも、真司除外派にあった祐樹や真智の姿は見当たらない。何故なら、今現在その二人は、囲炉裏の間であるこの部屋の隣にあるロビーにいて、待機していたからだ。しかし、直接顔を見せて陳謝する機会を、雅之はその二人には与えなかった。真司も気配で二人がこの場所に来ているのは大体分かっていたので、顔くらいは見せるだろうと思っていたのだが………あっさりとその機会を失わせた雅之に、微かに目を見開いた。


その行動には、慎也に対する絶対の信頼が垣間見えて。『この者は、お前達とは別格だ』と暗に言い含めている感覚を、真司の胸に抱かせるのであった。


薔薇の八大原種には、明確な序列は存在しない。しかし、古参であればあるだけ、その発言力が増してしまうのは、どうしても避けられない。今の自分があるのは、古参である愛しき薔薇達がいてくれるからこそだと理解している雅之は、だから、これまでその緩い階級が生まれてしまっていた事をどうする事も出来ずにいた。しかし、今回の件で、薔薇の八大原種二人の暴走や、一部幹部達の尻拭いに奔走する『中立派』とでも言うべき苦労人の慎也を見て、雅之はこの機会を慎也の為に使うべきだという確信を抱いたのだった。


慎也には辛く当たってしまったが、これで、慎也の薔薇の八大原種の中での立ち位置や、幹部層からの慎也に対する『便利屋』扱いにも変化が生じるはず。雅之は、絶対にタダでは転ばない。そして、一見すると失敗に見えてしまう、その先にある未来こそに雅之の目指していた本当の未来がある……と他者に感じさせてしまう、圧倒的なカリスマ性があった。


慎也が囲炉裏の間から姿を消すと、波が引いていく様に、周囲を取り囲んでいた人の気配が遠くなっていった。宿の外にはまだ幾人か待機しているようだが、二人に接触を図ろうという気配は全くない。また、真司の全身を取り巻いていた監視や盗聴の目も感じられず、真司は、凡そ一年振りに味わう本当の自由に、ホッと息を吐いた。ちなみに、まだ平伏の体勢は続いている。しかし、それに対する不満など、真司は一切感じてはいなかった。


「真司も、顔を上げて」


優しく雅之に促されて真司がゆっくりと顔を上げると、囲炉裏の反対側にいた雅之が、真司のすぐ側に来ていた。そして、雅之はそのまま、真司の上半身を、ぎゅっと抱き締めた。雅之の頭髪から香る雅之専用のシャンプーの香り、そして雅之本人の香りが、三年間の修羅場を経験した真司の野生の獣の様に鋭敏になった鼻腔を擽る。どくり、と心臓が大きく肋骨を打って。真司は思わず、かちり、とその身を固めた。


「ごめんね、真司……君には、本当に苦労を掛けた。これからは、絶対に同じ目には遭わせないから」

「御方……」

「二人きりになったんだから、いつも通りに呼んで。それとも、俺が怖いの?」


真司が否定を示す為に首を横に素早く振ると、雅之は身体を少しだけ離して、真司の額に自分の額をこつり、と当てた。


「君には、いつも通りでいて欲しい。無邪気で、ちょっと我儘で、いつだって俺を独り占めにしたいって気持ちを隠さないでいて欲しいんだ。難しいのは分かってる。だけど、真司には、二人きりになった時くらいは自然体でいて欲しい。俺を一人の人間扱いしてくれるのは、もう君しかいないんだ」


御方として、教祖として、神として向き合うではなく、個人的に抱える心の底からの本音を語る雅之に、真司の体温は上がる一方だった。雅之が求めるなら、他の薔薇の八大原種達だって気安い反応を見せてくれるとは思うのだが、それを真司が雅之に告げると、雅之は寂しげに首を横に振った。真智を除いた全員が、基本的に敬虔な信者からスタートして今の地位についている。そんな人間達の信仰心を蔑ろにさせる言動や行動ばかり求めてしまうと、彼らにとっての心理的な負担になってしまう。それだけは避けなければならないと、雅之は考えているようだった。


「なら、御……雅之さんは、俺に信仰心を求めてはいないんですか?」

「どうかな。でも、その所為で君の本来持つ良さが無くなってしまうのは、とても悲しいんだ」


切なさを眼差しに宿す雅之を見て、真司はどうしたらいいか分からなくなってしまった。雅之と共に生きていくなら、真司は、雅之に対する信仰心を必ず持たなければならない。それこそ、薔薇の八大原種に勝るとも劣らないまでの深い信仰を雅之に捧げられる人間でなければ、雅之の側仕えには当然相応しくないからだ。それを重々承知してしまった真司の意識は、一朝一夕に変えられるものではなかった。真司がはっきりと困窮している様子を見せているのを確認した雅之は、微かに苦笑しながら真司の額に合わせていた自分の額を離した。


「困らせてしまったよね。真司がこれまで頑張ってきた結果に難癖を付けたようなものだから。でも、今のが俺の本心だっていうのは、心に留めておいて欲しい」


切なる願いが込められている雅之の言葉に、真司の胸は強く打たれた。そして、薔薇の八大原種達と肩を並べるだけの強い信仰心を、雅之に寄せる深い恋慕と執着が上回った、刹那。






一匹の、美しい獣(ケダモノ)が、この世に再び解き放たれたのだった。






「雅之さん、俺は今日、精神安定剤を一錠も服薬していません」


真司の纏う気配が、一瞬の内に変わったのを察知した雅之は、ハッと我に返って、咄嗟に真司から身を引こうとした。それは人間の持つ危険回避の本能が刺激された結果であったので、雅之の意思とは無関係の反応だったのだ。しかし、真司はそれを許さなかった。雅之の腰に、丸太の様に太く硬い腕を回して雅之を自分の身体に一気に引き寄せると、雅之の顎をがっしりと掴んで自分と無理矢理視線を合わせた。


「なので、貴方に対して自制が全く効きません。そんな俺に、そんな話をしたらどうなるか、その身体にしっかり教え込んであげます……二日間、じっくりとね」


ぎらぎらと、殺意にも程近い獣欲をその眼に宿した真司の眼差しを至近距離から『食らった』雅之は、下半身から頭の天辺まで一気に駆け上がった興奮と快楽にぞくり、と身を震わせた。全く触れていない自分の花芯が、ひくん、ひくん、と反応している。そして、口内にドッと湧いた生唾を、こくん、と飲み込んだ雅之に、真司は口の端を吊り上げて、ククッと笑った。


「これだけですっかり雌の顔になって……やっぱり最高ですね、貴方。そんな貴方に、俺から特別なプレゼントがあるんです。こんな風に可愛らしくなるなら、持ってきておいて正解だったな」


真司は、雅之の腰を抱いたまま自分の持っていたボディバッグを手元に引き寄せると、外側にあるチャックを開けて、中から小さなガラス製のエッセンシャルオイルの小瓶の様な物を取り出し、雅之の顔の前でそれを軽く振った。


「これ、なーんだ?」


茶目っ気のある、兎の様に愛らしい笑顔を浮かべて小瓶を見せびらかす真司の、先程までとは打って変わった柔らかな空気に、全身の硬直が自然と解れていく。雅之は、胸の中でホッと息を吐いてから、分からない、という意思を示す様に、首を横に振った。そんな雅之を再び絶望に突き落とす様な冷酷な笑みを、にたり、と浮かべると、真司は雅之の耳朶に、ねっとりと舌を這わせてから、その耳元で囁いた。


「……媚薬ですよ。昔、気持ち悪いおっさんに一服盛られそうになったでしょう?その時のツテで手に入れたんです」


三年前に不本意ながら親交を結んでしまった幹部の男と、真司は密かに交流を交わしていた。たまに仁経由で『お元気ですか?私はおかげ様で元気です』という謎の近況報告をしてくるという、一方的に真司が懐かれている関係性を築いていたのだが、真司は真司なりに滅茶苦茶に忙しかったのと、単純にリアクションを返すのが億劫だったので、それまで完全にスルーしていた。


しかし、ある日の報告の内容に、この媚薬の話題が突然紛れ込んできたのだ。


どうやら、あれからかなり反省をして、粛々と自分の与えられる仕事をこなしながら、事業の拡大をしてきたらしいのだが。その中に何故か媚薬の開発も含まれており、その開発が順調に進んでいる事を、男は嬉しそうに真司に報告してきたのだ。何故そんな開発を進めているのかと、それまで全くの無視を決め込んでいた真司が思わず尋ねると、初めてのリアクションをくれた真司に嬉しくなったのか、男はペラペラと聞いてもいない話までしてきた。


どうやら、自分の舌技が全く通用しなかった雅之に、悲しみよりも、同じ男として同情心が刺激されてしまったらしいその男は、真司から離れている間にも自分の身体の火照りを自分で解消出来ればという、御方の御身を、救って差し上げたいその一念で、媚薬の開発に乗り出したのだという。


あんまりお節介が過ぎる話に真司は呆気に取られたが、男はガチの本気だった。自分の所有している大手製薬会社の大株主の権利を余す所なく利用して、超強力かつ人体に無害な媚薬開発を進めていき、ありとあらゆる試行錯誤を繰り返し、三年間掛けて未だかつてない強力な媚薬を執念で完成させてしまったのだ。真司の早過ぎる帰還とタイミングが被ってしまったのがその男の泣ける部分ではあったのだが、その男は真司に恨み節を一言も言っては来なかった。それだけでなく、その集大成ともいえる作品を、仁経由で真司に託してきたのだった。


『どうか、この私に代わって、御身にその媚薬を進呈して欲しい』と。


自分で渡すには忍びないからと言いながら、チラチラこちらの顔色を伺ってくるのを見るに、どうやら御方その人の媚薬を使った際の反応の報告を男が聞きたがっているのは明白だった。つまり、真司は真司で、その男にある意味で利用されていたのだ。真司は男の強かさにうんざりとしたが、使える物は使ってみようじゃないかと、その話に乗ったフリをしてその媚薬をかっぱらう事にした。媚薬を使用した雅之の感想を男が求めて来ても、知らんぷりをするつもりで。


「あれからだいぶ改良が進んで、今では一滴舐めただけでも大変らしいですよ。それが今、俺の手元に10mlあります……折角だから、二日間で、これ全部使い切りましょうね」


舌先をにゅるにゅると耳介に纏わせて耳全体を嬲り、腕の中でビクッと身体を弾ませた雅之を更に追い詰める様にして、真司は続けた。


「先にちょっとだけ試してみましょうか。ただ、苦味が多少あるらしいので、この抹茶に入れて、まずは二、三滴から……効果は大体20分くらいで出てくるらしいので、その間に直腸の洗浄も出来て色々と好都合ですよね」


実際に自分の身に媚薬と真司の手が及ぶ近距離の未来を想像した雅之は、『やぁっ』と小さく叫び、真司の腕の中で目尻に涙を滲ませた。真司は、雄に生来備わっている加虐心を何処までも煽ってくる雅之があまりに愛しくて、その額に唇を、ちゅ、ちゅ、と音を立てて寄せると、雅之の潤んだ瞳を覗き込みながら、自分の中にあるサディスティックな部分を隠す事なく、雅之を追い詰めていった。


「食事をする時間以外、俺は貴方を自分の腕から離す気はありません。そして、その食事にも、俺はこの媚薬を惜しみなく使っていきます。そして、昔させてあげられなかった妊娠をさせるまで……貴方が、いつか俺の目の前で悪阻に苦しむ姿を見せるまで、この慰安旅行が終わってからも、これから先もずっと、ずぅっと、俺は貴方を離しません。だから、今から覚悟して下さいね。俺をこんな狂人にしてしまったのは、貴方自身なんですから」


うっとりと目を細めて、恐ろしい未来を口にする絶対的強者に、何が何でも懐胎させると宣言されてしまった雅之は、生存に纏わる本能までもが激しく刺激された結果、すっかりと腰を抜かしてしまった。全身をがたがたと震わせながら、敢えなくその場に失禁を果たしてしまった愛しい雌を見て、真司はくすくすと、新しい玩具を与えられたばかりの子供の様に無邪気に笑った。その笑顔は、戦場で、ブラック・バカラの任務地で、死者が美しい獣を最後に目にした際、その時にその獣が浮かべていた表情と全く同一のものだった。だからこそ雅之は、真司の中に秘められていた残虐性を垣間見た瞬間に、自分の辿る運命を確認したのだった。


自分の中にあった雄としてのなけなしの本能は、この二日間でぐしゃぐしゃに踏み潰され、その存在を無きものとされてしまうのだろう、と。


「嗚呼、すいません、雅之さん。加減が分からなくて、湯呑みの中に10滴くらい入ってしまいました。次からは気を付けますから、今回は取り敢えず、このままグイッといって下さい」


いつの間にか涙をポロポロと零していた雅之は、促されるままにその湯呑みを手に取った。そして、その中に入っている超強力な媚薬入りの抹茶を飲み下す他に、選び取れる方法など存在しないという感覚を得ながら、震える手で湯呑みを傾けた。こく、こく、と媚薬入りの抹茶を飲む際に動く、微かに浮き出た雅之の喉仏を、真司は自分の親指の腹で、じっくりと撫で回した。そして、自分に備わっている猟奇性を惜しみなく全面に押し出した態度で、『本当の自分』との再会を果たして、恐怖と喜びからお漏らしをしてしまった、腕の中にいる自分の愛しい雌に向き合った。


「今まで俺の前で直腸洗浄する姿を見せてこなかったでしょう?何度も貴方以外の男の脱糞する姿見過ぎて、ウンザリしてたんです。漸く貴方の姿で上書き出来るなぁ……貴方の透明な腸液が出てくるまで、今日こそはちゃんと確認させて下さいね」


自分は、この雄の前で、人間が生来兼ね備えているポリシーですら尊重されずに、徹底的に犯されるのだ、という事を理解した雅之は、喉に絡む抹茶と媚薬のえぐみを再確認しながら、小さく頷くしかなかった。


そして、蹂躙に次ぐ蹂躙、凌辱に次ぐ凌辱に明け暮れる事実が確定した二日間が、ここに幕を開けたのである。
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