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第二章『罪』

『お兄ちゃん』

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朦朧とする意識の中、霧の深い森を分け入っていく。お兄ちゃんが先に行ってしまったから、早く俺も追いかけて行かなくちゃいけないのに、お母さんから『教会にあるあの森には絶対に入ったらいけないよ』と言われていたから、俺の足はどうしても早く動いてくれなくて。最近では俺が言う事を聞かないと、お母さんは鞭を使って折檻してくるから、怖くて足が進まなかった。だけど、いつも遊んでくれるお兄ちゃんが、『いい物を見せてあげる』と俺を誘ってくれたのが俺は凄く嬉しくて。お母さんとの約束を破って、俺はそのまま深い森に分け入って行った。


森の奥に古びた教会が見えてきたのは、歩いてどれくらい経ってからだろう。子供の足だったから多少の時間は掛かってしまったけれど、約束の時間は守れたみたい。ここがきっと、お兄ちゃんが言っていた『いい物』とやらが隠された場所なんだと俺にも分かったから、胸がドキドキしてしまった。


扉の前には全身真っ黒のフードを被っている男の人が二人立っていて、中には入れて貰えそうにない。教会の人だというのは分かっていたから必要以上に怖がる必要はないのは分かっていたんだけど、なんだかその二人の男の人の気配は不気味そのものだったから、こんにちは、をしたいとは思えなかった。


けれど、じゃあどうやって中を覗いたらいいんだろう。俺は少し考え込んでから、そうだ、これがあったんだ、と頭に閃いた行動を起こす事にした。俺は、背中に背負っているリュックから、お兄ちゃんから預かった物を取り出した。これがあれば中に入れるよ、と教えてくれたのに、俺は男の人達の怖そうな雰囲気を前にしてすっかりその事を忘れてしまっていたんだ。おっちょこちょいなところは、お兄ちゃんにもいつも揶揄われる。可愛いね、と言われる度に、男なのに可愛いとか言わないでと返すと、お兄ちゃんはいつも首を傾げていた。


『嬉しくないの?』

『嬉しくないよ、お兄ちゃんだって男なんだから、言われても嬉しくないでしょう?』

『そうなのかな?……俺にはよく分からない。いつも大人に言われるから、ありがとうって言うけど、それも変?』


難しい事を言われている様な気持ちになったから、俺はそれに、分からない、と答えた。するとお兄ちゃんは困った様に固まってしまって。その後は一緒になって作っていた砂のお城を最後まで完成させる前にさよならをする事になったから、お兄ちゃんがどんな気持ちで俺とさよならをしたのかが俺には分からなかった。けれど、お兄ちゃんは次に俺に会った時、この小さな教会に入る為に必要な『それ』を手渡してくれたんだ。教会の前に来るまで、誰にも見せたらいけないよ、と言い含んで。


林の中でそれを身につけると、どきどきしながら、扉の前にいる男の人達の前に歩いて行った。これで怒られたらどうしよう、お母さんにも怒られてしまうかな、なんてびくびくしていたけれど、それはどうやら俺の考え過ぎだったみたいだ。俺の姿を見た男の人は、最初驚いた様な顔をしていたけれど、直ぐに強そうな顰めっ面に顔を戻して、何と俺に向けて道を開いただけでなく、一礼までしてきた。だから、俺もお辞儀を返して、そそくさと教会の扉の前まで歩いて行ったんだ。


扉を開けて貰って中に入ると、そこには俺と同じ格好をした人達が沢山いて、正面にある祭壇に向かってお祈りを捧げていた。お母さんがいつも歌う様に読み上げているお祈りと同じだったから、この人達もやっぱりお母さんと同じ人達なんだな、と思って、何処となくホッとした。そして、俺がこの教会に入った最後の一人だった様で、お祈りが一斉に終わったと同時に、祭壇に男の人が現れた。その人の顔を見た瞬間、俺は嫌な記憶を一気に思い出した。


髭をたっぷり蓄えたそのおじさんは、俺のお母さんを俺の前で散々虐めた事のある奴だったからだ。お母さんは裸だったのに、おじさんの方はズボンしか脱いでいなかった。だけど、お母さんは虐めてくるその人にずっと、ありがとうございます、と言って、一度も辞めてください、とは言わなかった。なんだか、とても嫌な物を見させられた気持ちになったから、俺はその場を逃げ出したくて堪らなかったんだけど、お母さんの修行の為に絶対そこで見ていなくてはならないとおじさんに言われたので、俺は泣きながらその光景を見ている事しか出来なかった。


人の良い笑顔をにっこりと浮かべているそのおじさんを見ていると、その時の記憶が蘇ってきて、胸が苦しくなる。ばくばくと心臓が激しく鳴って、その場に蹲りそうになったけど、そんな事をしたら周りの人が吃驚して俺に気がつき、お母さんにこの場所に来たことを教えられてしまうかもしれないから、拳をギュッと握り締めて、それを堪えた。


そのおじさんは、何やら難しい話をし始めた。敬虔な、とか、修行に耐えて、とか長々と説明をしていたけれど、素晴らしい信仰心に溢れた新しい仲間が増えた事を、みんなで盛大に喜びましょう、と言って締め括ると、最後に祭壇の真ん中から少しだけ身体をずらして、ある女性を祭壇の上に呼び寄せた。


その女性は、俺が誰よりも知る人物、俺のお母さんだった。お母さんは、おじさんの斜め後ろに立って、おじさんがお母さんの紹介をしているのを黙って聞いている様だった。けれど、祭壇を向いている人だかりの方からはクスクスという忍笑いや、鼻で笑い飛ばした様な冷たい声が漏れ聞こえてきて。なんだか、お母さんはこの人達から全く祝福されていないような気になったんだ。お母さんはおじさんに沢山褒められているのに、どうして?


『身体で地位を買ったんだって?』『プライドも何もありゃしない』『やっぱり育ちが悪いから』『司祭様のお気に入りだもの』『子供の方が気に入られてるって話だぞ』『子供の前で馬鍬ったって』『まぁ、盛りのついた猫みたい』『はしたない、親子揃って』


なんで、どうしてお母さんは、この人達から嫌われているの?




『それでは、新しい仲間に洗礼を。『    』のお出ましである』



どうして、お兄ちゃんは、俺にこんな光景を見せたの?


どうして、お兄ちゃんは、誰よりも高い位置から。


俺を、大人達を、この世界を。


氷みたいに冷たい瞳で、見下ろしているの。
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