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第二章
第三話
しおりを挟む聡は、僕を本当に部屋の外に出さなかった。僕は、衣食住が完備されている、彼が用意した新しいマンションで、タイムスリップのきっかけになるとされる扉の無い空間で過ごし、夜になれば、帰ってきた彼に朝方近くまで激しく抱かれた。愛されていると言われてしまえば聞こえはいいが、これでははっきり言って軟禁以上の扱いに分類されてしまう。確かに、自分の体質をコントロール出来ない以上、僕が知らないうちに違う時間軸に飛ばされてしまうのは、離れている間気が気では無いのは分かるけど。僕という人間は変わらずにその場に止まり続ける筈なので、全くの別離になるというものでもないと思っていた。父と電話をするまでは。
『お前、自分が飛んだ先にある世界が、これまで生きてきた世界と同じ物だと考えていたのか?』
父によると、この世界はタイムパラドックスという矛盾を絶対に生じさせないのだという。この世に我が家系の男児が誕生した時から、その赤ん坊は無数の可能性をその手に握り締めるのだ。そして、その男児が無事に成長し、新しい男児が誕生するまで、無限にも相当する時間旅行は終わらない。そして、一度、時間旅行を経験した人間が脱ぎ捨てたその世界は、もう誰の想像にも及ばない世界となってしまうのだ。
つまり、神隠しや失踪がこれに当たる、という可能性もあるという事。
であるなら、この世界を生きてきた未来の雨宮 葵の意識は、もう違う世界に時間旅行に出掛けてしまい、この世界線には二度と戻っては来ないのかもしれない。
今回は神隠しや失踪に至る前に、僕の意識が新しくこの身体に憑依したから難を逃れたのだろうけれど、そう考えるならば、聡の地位と金に物を言わせた必死さにも理解が及ぶ。狂愛とはまた毛色の違う執着で雁字搦めにされてしまうのも、ある程度は道理なのかもしれない。
それにしても、こんな生活、いつまで続くのかな。首輪や足枷は辛うじて付けられていないけれど、これじゃあまるっきり飼い殺しと同じだ。息が詰まって仕方がないし、聡のSEXは次第にSMの域を越えて快感漬けの拷問にも近い激しい物になって来ているので、日に日に身体も悲鳴を上げ始めている。このまま爛れきった関係性に落ち着くのは、お互いの為に良くない。それに、積み重ねて来たお互いの歴史に誤差がある以上、彼の気持ちには応えきれない、という感情も働いてしまう。僕自身は、僕という存在を失ってしまった彼を何とか立ち直らせてあげたい気持ちはあるけれど、彼はそれを特別望んでいないのだ。
僕が、聡の愛した僕ではないと知りながら、それでも自分の手元に置こうとする彼を、どうやって説得するべきか、最近はずっと、そんな事ばかり考えていた。
それに、こんな扱いをされていても、僕はいつかまた、絶対に聡を、そして、周囲の人間を置いてタイムスリップしてしまう。それも、二度や三度の話ではない。ならば、理解ある家族以外の誰とも付き合わない方が良いのではないか。それが、こんな可哀想な存在を生み出さないで済む、唯一の方法なんじゃないだろうか。
でも、だとしたら。今、僕の目の前で、僕の身体中に真っ赤な花弁を降らせ、浅ましく腰を振る聡の涙を、どうしたら止めてあげられるんだろう。
「僕を、殺したらいい」
それが、一番手っ取り早い気がした。これまで生きてきた人生の二分の一をもう一度やり直した時に、考え付いていた理屈でもあった。自分の様な子供を残したくない、と思った時、いつか自分の人生に飽いてしまったら、その時は自分から命を絶とうと。だから、それが遅いか早いかのだけの話。別に悲しくも何ともない。それに死んだからと言って、人間の想像力の及ぶ範囲にある本当の終わりが来るかも分からない。こんな数奇な運命に生まれついた人間の死に行き先が虚無であるだなんて、そう簡単には思えなかった。だけど、これだけの献身と深い愛情を傾けてくれる聡の気持ちには、出来るだけ報いたい。
僕は、彼が愛した僕ではないけれど。
僕は、彼を愛した、僕だから。
「・・・出来るわけ、ないでしょう。貴方がいま死んだら、誰が俺を助けてくれるんですか。貴方は、絶望の淵にいた俺の光なんです」
君に会うまで、こんなに綺麗な涙がある事を、僕は知らなかった。
「孤児院にいた俺をおじさんが引き取ってくれたのは、息子の貴方の後押しがあったからだ。本当の兄弟の様に育って、俺が熱を出した時は、やる事全部放り出して、ずっと側に居てくれた。貴方と同じ学校に通いたくて、必死になって机に齧り付いていた時も、貴方が優しく教えてくれた。学費だって、全部、俺の為に必死になって用意してくれて・・・その恩を返したくて、俺は芸能界に入ったんです」
君に会うまで、こんなにも、ただ一人を愛せる才能に恵まれた人がいる事を、知らずにいた。
「貴方は、俺の全てです」
君に会うまで、愛とは、罪深い物だという事を、知らずに生きてきた。
「だから、貴方は俺を導き助ける為に、この俺を捨てなくてはいけません」
君は、綺麗だ。
「絶対に、お前の所に帰ってくる。どれだけやり直しても、必ずお前の所に。だから、これは本当の別れじゃない。これが、全ての始まりなんだよ」
僕の聡。
君は、綺麗だ。
だから、僕は君を、絶対に見失ったりしない。
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