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第一章『無自覚な天才』

第三話『春風、来たる』

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庭木を切って木材にし、そこから作品を作るという依頼の他に、店で使っている家具や調度品を修繕したり、レトロモダン調の店の雰囲気を損ねないような新しい作品に取り替えたり、という依頼を受けた俺は、定休日の日に再び依頼を受けたその店を訪れた。


入り口の扉の鍵は開いていたから、もう中に待ち人である柿沼さんがいるものだと思って、御免下さい、と店の中に入ってから声を掛けた。すると、一匹の大きな体格をしたまだら模様の猫が俺の股の間を潜り抜け、その体格には似つかわしく無い素早さで、店の外へと走り去って行った。うわ、と小さく叫び声を上げてその猫を見送ると、驚きに身を固めていた俺を、一人の男性が俺を出迎えてくれた。


ぱたぱたと足音を立てながら近寄って来た男性は、カフェエプロンを着用していた相沢さん達とは違い私服だったので、この店にあってどのような立ち位置の人なのかは分からなかったけれど、俺は一応その人に向けて頭を下げて、はじめまして、と挨拶をした。男の人は、厚ぼったい目蓋をあげてぱちぱちと目を瞬くと、程なくしてにっこりと人の良い笑顔を浮かべて、何処か嬉しそうに声を弾ませた。


「はじめまして。えっと、確か、貴方は柿沼さんがお招きしたっていう、木工家さんの小日向さんですよね?お仕事は今日からだったんですか。僕、知らなくて、なんのお出迎えの準備も……」

「あ、いえ、大丈夫です。今日は簡単な打ち合わせと下見にきただけですから」

「本当に申し訳ないです。僕は、ここにいて長いには長いんですけど、カウンターの中には入れなくて、お茶の一つも淹れられないんです。すみません。あぁ、相沢さんがいればなぁ」


その人は、心底申し訳ないというか、残念を絵に描いたような表情を浮かべてションボリと肩を落とした。俺はそれを見てふと目尻を和ませると、一通りその人のフォローに回ることにした。


「先ほども言った通り、今日は簡単な話し合いと、修繕や作り替えが必要な家具や調度品の下見くらいしかしませんから、本当にお気になさらず。ところで、柿沼さんはまだ?」

「あ、はい、まだ……あの人は、ああ見えて時間にルーズなんです。でも大幅に遅れたりする事は少ないから、暫くすれば慌てた感じで現れると思いますよ」

「そうですか。なら、先に店の中を見て回っても宜しいですか?」

「どうぞ、僕で良ければ案内しますよ」

「ありがとうございます」


店内は俺達の他に人がいなかったのもあって、がらんとしていた。近くに咲いている木蓮にでも止まっているのだろうか。この時期に良く耳にする渡り鳥の囀りだけが、ひっそりと店内に響いている。その人に案内されながらカウンターを横切って歩いていくと、カウンターで作業している従業員が望める、けれど少しだけ奥まった所にある四人席まで案内された。


「ここの家具って、基本的にアンティークなんですよね。だから大切に使ってはいるんですけど、経年のせいかガタついてしまっている物も少なくなくて。お客さんが安心して使える物に修理できたらいいなってずっと思っていたから、小日向さんのような方が来てくださって本当に良かったです」

「ご期待に添えるよう、頑張ります。その、すみません、俺、貴方のお名前を知らなくて」

「あ、ごめんなさい。僕は世良田 尚と言います。これからも宜しくお願いしますね」


ふわりと柔らかな笑みを浮かべた世良田さんは、これまで出会ってきた他の誰にもない独特の雰囲気を身に纏っていた。季節でいうならば、春。麗かな午後の日差しが店内に忍び込む中、この人がいる場所は陽だまりのような暖かさを孕んでいた。


不思議な人だ。これまで、こんな雰囲気の人に出会った事がない。類い稀な気配を身に纏うこの人を相手にどんな会話に繋げていけば良いのか分からず、俺の胸は何故だか急に騒めき出した。こういう時は、無駄に会話の展開を急いだり考え過ぎても仕方がない。仕事に集中しよう。そう思って、小さく喉を、んん、と鳴らしてから問題のある家具に向き直った。


「はい、宜しくお願いします。問題があるのは、この椅子とテーブルですね」


四人席の椅子の一つの脚の部分がすり減り、ガタついてしまっている。テーブルも同様だ。単純に高くなっている方の脚を削り、バランスを取れば良いという物でもないので、工房に持ち帰って点検してから修繕に取り掛かる事になるだろう。ガタついている他の椅子やテーブルの確認も、世良田さんの案内によってスムーズに進んだ。この人が店にいてくれなければ無駄な時間を過ごすことになっていたかもしれない。従業員さんが一人でもいてくれて良かったなと思いながら家具の点検を終えると、世良田さんに向けて、お願い事をもう一つ頼むことにした。


「修繕や取り換えが必要な物の確認がある程度済んだので、中庭にある山桜を見に行きたいんですが、大丈夫ですか?」

「……え?あの木を?」


ぽかんと口を開かれて、不思議そうな顔をしてからまじまじと俺の顔を見てくるので、何か変な事を言っただろうかと首を傾げる。すると、恐る恐るといった様子で、世良田さんが再び口を開いた。


「あの、二度も下見をするだなんて……あの木に、何か問題でもあったんですか?」


それを聞いて、あぁ、と合点がいった俺は、世良田さんの不安を払拭する為に、丁寧に言葉を選んだ。


「前回見た時は、木自体の確認や伐採する前の下見も兼ねていたんですが。今回は、ただ普通の視点で見てみたくて」

「普通の視点?」

「えぇ。あの山桜の存在感や迫力という物を直に感じ取りたいというか・・・折角の出逢いですから、あの桜の生き様がきちんと反映されるような作品を作りたいんです。だから伐採される前に、もう一度あの山桜の凄みを体感しておきたくて」

「小日向さんは、あの山桜と『出逢った』とお考えなんですね」

「はい。ちょっと、なんていうか、変人かもしれませんが」

「いえ、僕はその考え方、素敵だと思います。本当に、貴方みたいな方が来てくれて良かった」


真正面から褒められて、自然と顔に熱が篭る。赤面症というか、人からの賛辞に疎い俺だから、こんな機会に巡り合うとどうしたらいいか分からなくなってしまう。それに、作品ではなく、こんなに率直に俺自身の内面を褒めてくれた人はこれまで居なかったから、どうしても、しどろもどろになってしまった。


俺は、その、じゃあ、行ってきます、とぎこちなく応答すると、ギクシャクとした動きで中庭へと進んだ。前回の相沢さんの案内があったから、もう一人だけでも中庭に降りられる。けれど、世良田さんはにこにこと楽しげな笑みを浮かべながら、俺の後についてきた。


顔の火照りを冷ます為にも一人になりたかった気持ちもあるにはあったのだけれど、あまりにも世良田さんの機嫌が良く見えたし、不思議と彼の存在は俺の隣に馴染んでいたから、面映い気持ちを抱えながらも、特に何も言わずに先に進んだ。


山桜の花はその隆盛を終えて、最早若葉しか残っていない状態だった。赤茶色の葉を萌えさせ、天空へと葉を広げていくその様は、この木の運命が風前の下に晒されているなどとは、一見するだけでは想像も及ばない。状況を説明されて、漸く納得できる。そんな悠然とした立ち姿だった。


『こんな姿になって勿体なかったね』


そんな風に言われない作品に出来るだろうか。そればかりは自分の腕に掛かっているから、その答えは自分が握っている。これから先の未来を新しく家具や調度品に生まれ変わって生きていく山桜。その存在感を、俺は身を持って体感した。


「本当に、見れば見るほど立派な木ですね。上手く木材に加工出来れば、椅子やテーブルだけではなく、もっと色んな活用法があると思いますよ」

「え、そうなんですか?例えば?」

「大きい物なら飾り棚とかかな?店内にあるランプシェードも統一出来そうですし、小物なら、この店で使うお盆や食器だとかコースターだとか・・・そういった物は、いくつも作れそうですね」


山桜を前にして自分自身にも語りかけるようにしながら話していると、作品に対するイマジネーションが、胸の奥底からふつふつと湧いてきた。これは、事前にしていた想像以上に大掛かりな仕事になりそうだ。木工家の魂に火がついて、口が滑らかに動いた。


「もっとお店の統一感を出してもいいようでしたら、少し存在感のある壁掛け時計なんて物もあっていいかもしれません」

「時計も?凄いなぁ……なんだかワクワクしますね。本当に、無駄にする部分が無いみたい」

「えぇ。この店のありとあらゆる場所に、この山桜の面影は無駄なく配置出来ると思いますよ。伐採され、この場所から離れてしまっても、一片も無駄にする事なく、この店と共に同じ時を過ごせる。出来ればそんな存在にしてあげたいなと思っています」

「わぁ……とっても素敵ですね」


素直な感情の赴くままに感嘆の声を上げる世良田さんに、こちらの肩の力も緩んでいく。はじめて出逢った、春風のように捉え所のない人だったから、話をするにしてもどう展開していけばいいのか分からなかったけれど。これだけ性根が真っ直ぐで優しそうな人ならば、変に緊張する必要なんて無かったかもしれない。


「僕、この木の事だけが本当に気掛かりだったんです。だから、伐採されてしまうことが決まった時は、本当に気落ちしました。でも、何とかしてこの木を無駄にはしたくないって思って……それで、話し合いの場で声を上げたんです」

「なら、もしかして、この木をこの店の調度品や家具として生まれ変わらせるのはどうだろうって、立案したのは……」

「えへへ、はい。僕なんです。僕は少し声が小さいから、無視されたらどうしようかなって、ドキドキしたんですけど」

「そうだったんですか」


この人がいてくれたからこそ、俺はこんな大口の仕事に巡り合う事が出来たんだ。感謝すべき存在。世良田さんは、俺にとって恩人にも近い人だ。どうにかして感謝を伝えたくて、俺は出来る限りの言葉を尽くした。


「俺、まだまだ駆け出しで。最初は荷が重すぎると思って、本当はこの仕事を断ろうと思っていた時期もあったんです。本当の事を言うと、この店に初めて来た時も、まだ気持ちは固まりきっていなくて……けど、俺の事を心から信頼してくれている柿沼さんや、この木を『こいつ』だなんて親しげに呼ぶ相沢さんを見ているうちに、次第に気持ちが決まっていったんです。この機会を絶対に逃したくないって。もし、この木の行く末を案じて、声を上げてくれた貴方みたいな人がいてくれなかったら、いつまで経ってもプロとしての自信が持てない、一枚も二枚も皮を被ったままの自分でしかいられなかったと思います。だから、こんな機会に巡り合わせて下さって、ありがとうございました」


俺が、胸に湧いた気持ちを世良田さんに吐露すると、世良田さんは細めがちな目を目一杯開いて、驚きの表情を浮かべた。そして、それからすぐに、麗かな春そのものをギュッと閉じ込めた様な、満面の笑みを俺に向けてくれたんだ。


「貴方みたいな人に出逢えて、僕も嬉しいです。依頼を引き受けて下さって、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いしますね……渉さん」


俺はその時、心の赴くままに言葉を尽くしていたから、世良田さんの・・・尚さんのその笑顔を、すっかり真正面から受け止めてしまった。その笑顔を見とめた瞬間。俺の胸の内側に、ぶわり、と。まごうことなき、春の嵐が訪れた。


頭の天辺から爪先まで、びり、と電流が通ったように身を奮わせると、俺は蚊の鳴くようなか細い声で、はい、とだけ返事を返した。その瞬間に、俺は、自分自身を滅多打ちにしたいという、強烈な衝動に駆られてしまった。


あぁ、もっと違う、気の利いた言葉が他にも沢山あっただろうに。恥ずかしい。顔から火が出るくらいに。


身体中の血流が活性化して、全身の汗腺が緩みきっている。全力疾走した後のように、どくどくと流れる血潮の音が耳の裏側から聴こえる。こんな感覚に苛まれるなんて生まれて初めてで、どう処理したらいいか分からない。これは、この感覚は、一体全体何だろう。


「小日向さん、遅れてしまってすみません」


頭に血が昇り、のぼせたような状態となって、反対にちっとも回らなくなってしまった頭を持て余しながら、ひたすらにぼんやりとして尚さんの顔ばかり見つめていたその時。少し離れた場所から、俺に声を掛けてきた存在がいた。


はたりと意識を取り戻し、声がした方を振り向くと、いつも通り仕立ての良いスーツに身を包んだ柿沼さんが、中庭の真ん中にあるテラス席の付近から小さく会釈をしてきた。


「もう、柿沼さんは本当に時間にルーズなんだから。渉さん、それじゃあ、また」


くすくすと、鈴を転がすようにして笑ってから、尚さんは柿沼さんと入れ替わるようにして店内へ戻って行った。名前で呼ばれたというその事実だけで、胸を掻き毟りたいくらいの強烈な掻痒感に見舞われる。生まれて初めての感覚が波状的に自分の身を襲ってきては俺を悩ませてくる。俺は、どうにも持て余すしかないその感覚を保持したまま、尚さんのその後ろ姿を見送った。


「ここにいらしたんですね。大変お待たせしました」


柿沼さんが、申し訳なさを滲ませて俺に向き合ってきたので、俺は、尚さんの小さくなっていく後ろ姿から無理矢理視線を外した。正体不明の感覚が身を襲ったからといって、いつまでも依頼主である柿沼さんを無視するわけには行かない。あっという間に乾ききってしまった喉を潤すように唾を一つ飲み下してから、柿沼さんにぎこちない笑みを向けた。


「大丈夫です。時間が出来たおかげで、店内の家具も一通り点検出来ましたし。案内してくれた、せ……尚さんのおかげで、有意義な時間が過ごせました」

「はは、そうですか。確かに、あの子は誰よりもこの店に詳しいですからね。山桜が目の前にあるテラス席で話すのもいいですが、資料が風で飛んでしまうかもしれませんから、中でお話をさせて頂いても宜しいですか?」
「あ、はい。宜しくお願いします」


今日は山桜の伐採とその後の計画について、本格的にオーナーである柿沼さんと膝を突き合わせて話をする日でもある。尚さんに今日の用件は下見だけだと話したのは、彼の肩の力を抜かせるためだった。後になったら俺の小手先の気遣いなんてバレてしまうかもしれないけれど、あの場を和ませるには、それくらいの言葉選びしか頭に思い浮かばなかった。


後で尚さんに詰られたら、その時に謝ろう。尚さんは、拗ねたり怒ったりしたらどんな顔をするんだろう。きっと、どんな表情であったとしても、自分の目には見るも鮮やかに映るはずだ。俺は、何故かそう、確信めいた想いを抱いていた。


「そういえば、この店の鍵は私が持っていたんですが、鍵は空いていたんですか?」


柿沼さんは俺を店内に促すと、そんな滑り出しで俺に話を振った。俺は、思考の海に潜り込んでいた意識を引き寄せると、前を行く柿沼さんに向けて慌てて言葉を紡いだ。


「あ、はい。店の中に、尚さんがいらっしゃいましたから」

「あぁ、なら恐らく、中に入りたくて困っていた尚を見かけた倉敷さんが、気を回してくれたんでしょうね。ここの鍵を持っているのは、オーナーである俺と、この古民家の元々の持ち主である倉敷さんだけなんですよ。従業員は、朝出勤すると倉敷さんに声を掛けて鍵を預かるんです」

「倉敷さんって、隣の骨董品店の?」

「えぇ。この古民家と骨董品店は、お子さんのいらっしゃらなかった倉敷さんの叔母夫婦から、イギリスに留学していた倉敷さんが骨董品店を引き継ぐ形で譲り受けたのですが、男一人くらいなら骨董品店の二階部分で十分暮らせるという事もあり、古民家の方は手離す事にしたんです。それを私が購入して、喫茶店にリノベーションしたんですよ」


この店の成り立ちや、隣の骨董品店の主人とこの店の従業員との不思議な関係性の中身を垣間見ることが出来て、俺は成る程、と内心で手を打った。だから、あんなに垣根がない接し方をしているんだな。普段から密接なやり取りをしているからこそ、従業員とも、あれだけ気兼ねのない関わり方をしているのだろう。


「イギリスに骨董品を買いつけに行く倉敷さんの目利きの甲斐があって、素晴らしいアンティークの食器をこの店で使用出来ているので、今ではオーナー同士とても良好な関係を築かせて頂いております。そういえば、倉敷さんは貴方の作品にも興味を持たれていましたよ。時間があれば話がしたいと。あの人は、今回の件に出資者としても関わっていますから、打ち合わせが終わりましたら、是非隣の店にも顔を出してあげて下さい」

「柿沼さんは、この後どうされるんですか?情けない話なんですが、骨董品店というものに一度も足を運んだ事が無いので、一緒に居て下さると心強いんですが……」

「私は色々と事情がありまして、あの店に入店する事が出来ないんです……申し訳ありません」


柿沼さんは、眉をしょんぼりと下げて、申し訳なさを前面に押し出した表情を浮かべた。俺はそこに何らかの事情があることを、その口調からも悟って、それ以上の追求をする事を辞めた。


けれど柿沼さんは、その理由について、まるで懺悔をするかのように自ら話をし始めた。なんでも柿沼さんは、自他共に認めるクラッシャーで、骨董品のような取り扱い注意の代物とは昔から悉く反りが合わないらしい。倉敷さんとはオーナー同士、話友達でもある事から暇を見つけてはあの店に来店していたのだけど、今度こそ何も壊さずに退店してみせると心に誓っても、絶対に何かしらの品物を傷モノにしてしまうのだという。


骨董品をこよなく愛する倉敷さんの堪忍袋の尾が切れ、ついに立ち入り禁止令が発令。それからというもの、あの店に出向く事が叶わなくなってしまったらしい。人と人との関係性には、それぞれ歴史がある。良好な関係性を維持するためにも、悪気は無くても、だからこそ許す訳にはいかないという事もあるのだろう。


話し合いが終わったら倉敷さんに声を掛けてみると柿沼さんに告げると、彼はホッとしたような安堵の笑みを向けてくれた。もしかしたら、来店を是非にと念を押したのには、倉敷さんと柿沼さんとの間に、それなりのやり取りがあったからなのかもしれない。そこに二人の力関係の一端を垣間見てしまい、俺は複雑な感情を持て余してしまった。


店内に戻ると、もうそこには尚さんの姿はなかった。俺はその事実を受けて少しだけ肩を落とした。どうせならば、尚さんも交えて話し合いが出来たらいいなと僅かながら期待をしていたからだ。柿沼さんの口振りからして、尚さんはこの店の内情に詳しそうであるし、あの木に思い入れがある人にいて貰えるだけで、自分の想像力が刺激される。彼がいてくれたなら、話し合いも、より満足度の高いものに出来るかもしれない。だが、いないものはもう仕方ないし、よくよく考えてみると長い間引き止めてしまう結果にも繋がってしまうから、その発想は速やかに収束させる必要があった。


そういえば、店休日だというのに、尚さんはここに何をしに来たのだろう。忘れ物でも取りに来たのだろうか。今思い返せば、休みの日だというのに長い時間付き合わせてしまって申し訳ない事をしてしまった。次に会える時には、今日のことを纏めて正直に謝ろう。そして、もし話の流れの中にあって可能であるのであれば、彼と連絡先を交換してみたい、と思った。あの山桜に思い入れのある人と話をしたり連絡を取り合ったりすることによって、作品のアイデアが頭に浮かぶかもしれないからだ。これは、以前工房に勤めていた時にも取り入れていた手法であって、決して不純な動機からではない。


いや、不純ってなんだ。相手は同性だろうが。あの人と対面するだけで、空中に意識がふわふわと漂ってしまったり、気を回し過ぎて下手くそな嘘をついてしまったり、素直になり過ぎてしまったり。あの人と対面したり話をしたりする機会が今後あるかもしれない事を想像するだけで、原因不明の胸の苦しみが俺を襲うけれど。だからといって、異性間でならば想像しやすいアレやソレに直接的に繋げてしまうだなんて、馬鹿げてる。


大体において俺は異性愛者だし、同性にクラっときた経験なんてこれまでに一度としてない。だから、この初めてすぎる感覚のその全ては、あの人が醸し出す独特の気配に当てられた一過性のものに過ぎない筈なんだ。時間が経って慣れていけば、きっと普通に会話できるようになれるはず。そうしたら、この原因不明の胸の苦しみからも解放されるだろう。


これは、錯覚だ。尚さんという、生まれて初めて出逢った存在自体に慣れていければ、この感覚から解き放たれる日がきっと訪れる。だからその日に向けて、徐々にでも良いから彼という存在を自分に慣らしていかなければ。


「小日向さん?どうかされましたか?」


柿沼さんの、こちらを伺うような言葉使いに、思考の海に再び解き放っていた意識を急速に手元に取り戻した。大事な話し合いの場にありながら、それに集中していなかった自分を恥じて、俺は慌てて柿沼さんに頭を下げた。本当にどうかしてるなと、かぶりを振って。俺は目の前にある資料に意識を向けた。
あり得ないさ、そんな事。


こんなに簡単に、人が恋に落ちるだなんて。


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