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第二章『Ⅹ・Y・Z』

最終話『Ⅹ・Y・Z』

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「お待たせしました」


出来上がったばかりの、いつもの『それ』を目の前に差し出すと。遥はカクテルグラスの蔓を持って、その縁にそっと唇を押し当てた。嚥下する喉の動き。伏せた長い睫毛。しなやかな指先。寄せた口元の、全てが官能的で。彰は、その様子を黙って見つめながら、その眼差しに確かな熱を乗せていった。すると、直ぐにそれを察した遥が、くすくすと笑いながら、半ば職場放棄している彰を嗜めた。


「えっち。仕事して」


厭らしい方が悪いんですよ、と告げると、心外だなと、冗談めかしながら不貞腐れるので。彰は反省の色を全く示さない遥の態度にすっかりと呆れた。無自覚で人を煽っておきながら、この態度。太々しいにも程がある。だから、他の店には絶対に浮気させたくなくて、彰は日々、自分の腕を磨き続けている。どこ吹く風といった体で遥は『それ』をゆっくり楽しみ、暫く、心地良い無言のひと時が流れて行った。しかし、グラスの中身が半分になった頃、遥は自分の男に向けて、ある相談を持ち掛けてきた。


「今度のライブにカメラ入れて、円盤作ろうかと思ってるんだけど、お前どう思う?」

「どうしたんです、突然」


これまでに一度足りとも実現させて来なかった円盤化の話をされ、驚きに目を見開くと、遥は意外そうな声を上げた。


「あれ、てっきり喜ぶと思ったのに」

「昔なら。でも、今は、もういいです」

「どうして?」


興味津々に理由を尋ねてくる自分のオンナに、彰は溜息を吐いた。自分が円盤化を拒否する理由が本当に分からないのだとしたら、前途は多難だな、と理解したからだ。


「『してる』ところ、人に見せびらかす趣味がないから」

「……ふふ」

「何がおかしいんですか?」

「だって、子供みたい」

「子供が酒なんて作りませんよ」

「美味しいよ、今日も」

「煽ても、俺の意見は変わりませんから」

「俺もだよ」


遥は、彰にとって思ってもみない前置きをしてから、カクテルグラスの小さな水面に、色を忍ばせた眼差しを向けた。


「いつもあの曲は、お前の俺を求める目や腕とか、指先とか、逞しい背中とか、最後の瞬間に低めに呻く声を、思い出しながら弾いてるよ」


グラスの蔓を指先でゆっくり辿りながら、しっとりと艶のある声色で事実を告げてくる遥に、激しい喉の渇きを覚える。この話がしたいからこその会話の流れだった事は明白で。いつもの様に、いつの間にか掌の上で転がされている事実に、彰は舌を打ちたい衝動に駆られた。グラスの蔓ではなく、自分のそれを弄んで欲しい。カウンターの上に転がして、いつまで経ってもこんな真似をしてくるこの人を叱責する様に、貫きたい。


しかし、今は就業時間。この情動は、今はまだ持て余すしかないのだ。後で覚えていろよ、と胸の内で低い唸り声を上げると、彰は自ら仕入れたネット上の知識を、話題の中心人物である本人に告げた。


「……彼のピアノになりたいって、専ら話題になってますよ」

「まぁ、バレるとこには、バレるよねぇ」


そんな話が持ち上がっても致し方無いだろうな、と一定の理解は示しているが、それと感情は別問題だとも彰は思っていた。問題のあの曲。彰の為に書き下ろしたという……『SEAGULL』は、今ではライブの締めの一曲として、すっかりと定着している。だが、彰はその事実を面白く感じていなかった。


この演奏を、貴方に捧げます。と、熱烈にアピールしながら演奏をされるのだから、優越感に浸るには浸れる。しかし、かといって、その演奏する姿を自分以外の他人に見せびらかしたいとは思わなかった。奏でるのなら、二人きりの時だけにしてくれればいい。そして、胸の内に蔓延った衝動に任せて、ベッドに縺れ込みたい。だから、円盤を作るだなんて以ての外だと今では思うし、そこに拒否感を示すのは、彰にとって自然な反応だった。


「兎に角、円盤を作るなら、俺が撮ります。それで、見る時は一人で見ます」

「独占欲?」

「どうとでも言ってください」

「可愛い」

「店始めたら、絶対にピアノ置くんで」

「はは、本気だ」


腹を抱えて笑いだした遥を一旦は放っておいて、彰は頭の中で算盤を弾いた。いけそうだな、と内心で頷くと、いつの間にかグラスが空になっている遥に、その事実を告げた。すると、笑い過ぎて目尻に涙を浮かべていた彼が。


「じゃあ、おかわり下さい」


と、指先で涙を拭いながら注文をしてきたので、彰は、ラム、コアントロー、レモンの絞り汁をシェイカーに入れて、シェイクした。
出来上がった『それ』を差し出すと、頂きます、とお行儀良く口にしてから、遥がそのグラスを手に取り、縁にそっと唇を押し当てる。そして、いつもの様に、ふわりと柔らかく微笑んでから、彰が欲して止まないその一言を、その耳に運んだ。


「美味しい」





『Ⅹ・Y・Z』……『永遠にあなたのもの』



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みんなの感想(6件)

のーちゃん
2022.07.12 のーちゃん

こんな恋愛ができたらいいなぁ、と思いながら読み進めました!楽しい時間をありがとうございます!

解除
かみたま
2022.07.12 かみたま

大人の雰囲気にドキドキしましたが、楽しんで読めました。

解除
ひより
2022.07.09 ひより

最新作お待ちしておりました!お酒には詳しくありませんが、楽しんで読めてしまいます。続きお待ちしています!

鱗。
2022.07.11 鱗。

優しいお声掛けを下さり、ありがとうございます。無事に完走いたしましたので、楽しんで頂けたら幸いです。

解除

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