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第30話 その後
しおりを挟む「これ、"怠け者のスーザン"って言うんだって。知ってる?」
「突然何の話始まった?」
「回転テーブル」
椅子に横向きに腰掛け、背もたれに凭れたシーナが、回転テーブルをクルリと回した。
手持ち無沙汰なんだろう。時折、「あふ」とコチラの気まで抜けてしまいそうな呑気な欠伸をこぼしている。
俺の胸ポケットから掠め取ったジッポを開けたり閉めたりする。
暇になるとすぐふわふわと意識が飛んでいく、気まぐれな男を見つめながら雑談に乗る。仕方ないから、このかわいい恋人の暇つぶし相手になってやろうと思ったのだ。
「そんなことまで勉強したんだ。忙しいのに」
「だって外人との取引のたびに『ナギサ、お前外人なんやから英語話せるやろ』って駆り出されるんだもん。話せねーって何回も言ってんのに。やっぱあの歳になるとボケるのかな。あんま長生きとかするもんじゃないね。俺は長生きするけど」
高い鼻に皺を寄せて「いつまでも俺を外人の子供扱いしやがる。あの時代錯誤レイシストじじい」と唸るシーナに笑う。綺麗な顔して口が悪いんだよなあ。そんなとこも好きだけど。
しかし突然どうしてそんな話になったのか。それに、組長の態度に不満を感じているわりに、ここ二、三年のシーナは熱心に英語の勉強に励んでいるみたいだ。気づいたら組長の無茶振りにさえ、「ああ、いいですよ」とおざなりに首を縦に振って通訳を買って出るようになった。言語ってそんなサラリと覚えられるものじゃないだろ。
つくづく、器用な男だと思う。
なんでも卒なくこなすし、どんな状況であっても大きく取り乱したりしない。「今どき暴力なんて流行らないって」と言う言葉通り、腕っ節のなさを加味してもあまりある働きぶり。
ピンチになると時々銃が火を吹くが。その命中率も素晴らしい。多分シーナの前世はガンマンだ。それか凄腕の殺し屋。
「アイツ向いとるわ」と早くに組長がシーナを見てボヤいていたらしいがそれは本当だった。
シーナは出世した。この数年で、シーナのことを"お飾り"なんて揶揄するやつはほとんどいなくなった。
仕事の覚えも早い上に優秀だ。どんなに慣れた人間でも顔を顰めるような現場を見たって、すまし顔で黙々仕事をこなす。「綺麗な顔して根性座っとるわ」と幹部のおっさん連中も感心するくらいに、やる気を出したシーナはできるヤツだった。
「てか聞いた? 湯田って人がチャリ横流ししてたって」
「ああ、うん。聞いた。随分前からやってたらしい」
「驚いた。そんな長いこと気づかないことってあるんだね」
「まあ組織がでかいからなあ」
「被害額かなりでしょ」
「高田が必死になって探してるらしい」
「金回収できなかったらクビ?」
「まあ、落とし前は付けなくちゃならないだろうね。自分の右腕がやらかしたことだから」
ザマアミロ。
内心でそんなことを呟いていると、それまで細い顎を上に向けて、ぼんやり油で黄ばんだ天井を見上げていたシーナが、チラッとこちらを見てほくそ笑んだ。
「今、ざまあみろって思ったでしょ」
「思った」
高田といえば、男好きで有名な脂ぎったオッサンである。お気に入りの若い男を集めた風俗を経営してるなんて噂もある。組の中では地味に偉いやつ。俺に言わせればデカい尻で居座っている古株なだけの脳なし変態野郎。
「あんなブスがよく面と向かってシーナと話せたもんだわ」
あの変態ジジイ、俺の目を盗んでシーナを口説きやがった。ほんの数分、目を話していた隙にシーナに近づいて「いい酒があるんやけど」なんて。よりにもよって使い古された臭い口説き文句で夜の自宅に誘いやがったのだ。しかもシーナの腰にあの指輪の食い込んだ醜い手を回して。
「………」
思い出したら腹が立ってきた。
ギリと奥歯が嫌な音を立てる。
苛立ちを態度に出したりなんて子供じみた真似はしたくない。特にシーナの前では。
シガレットケースを取り出して、タバコを口に咥える。
取り澄ました顔で胸ポケットをゴソゴソ探る俺の心情を見透かしたようにシーナが笑って「まあまあ落ち着いて」とジッポの火を差し出した。
「そんな怒ることじゃないって。あのおっさん好みの男あちこちで口説いてんでしょ。俺だってあれが初めてじゃないしさ」
「は????」
怒りのあまりぐしゃっとタバコを握りつぶした。
ジュッと手のひらが焦げた音がしたがそんなことはどうだっていい。
「………今なんて?」
「………」
シーナがタバコを握りつぶした手のひらをポカンと見、俺の額に走っているだろう血管を見、それからヒクと頰を痙攣させ、次の瞬間「あはは!!」と大笑いして後ろにひっくり返った。
あぶないな。グッと手を掴んでコチラに引き寄せる。
ガランと後ろに転がった椅子を残してシーナが俺の膝の上に乗り上げた。
笑いすぎて涙が出ている目を拭ってやりながら、その流れで白い頬をむぎゅっと捕まえる。こら、人が怒ってんの見て喜ぶんじゃない。
「口説かれたとか聞いてないんだけど」
「んふふ、毎回断ってるもん。しつこいんだよあのオッサン。わざわざアンタに言うことじゃないでしょ」
笑いの余韻を引きずって、まだヒクヒク震えるシーナを睨みつける。
この可愛い男は一体いつのまにこんな悪い趣味を覚えてしまったんだろう。時々こうして俺にヤキモチを妬かせて、嬉しそうにケラケラ笑うのだ。
毎回懲りずに嫉妬する俺が悪いのかもしれない。
だけど、好いた人が他の男と一緒にいるところを我慢して眺めているよりずっといい。
俺といるよりきっと幸せになれるから、と自分に言い聞かせるのはとっくにやめた。
だって大切な人自ら、俺と一緒にいたいと言ってこんなところに飛び込んできてくれたんだから。
今にも威嚇する犬のように歯を剥き出して唸りだしそうな俺の頭を、膝の上に座ったままのシーナがヨシヨシと撫でた。
そうだ。それでいいんだ。俺はお前のなんだから、取られそうになったら歯を剥き出して嫉妬してくれよ。そう言うみたいに、チュッと頭にキスまで落とす。大サービスじゃん。
こんな風にされるだけで、まんまと気分が上向いてしまう自分はバカなのかもしれない。
でもだって、シーナが、今までの恋人たちにこんなことをしている姿なんて見たことがないから。
名誉のために言っておくけど、普段の俺はこんな風じゃない。惚れた方の負けとはよく言ったものだと思う。
「………てかなんでいきなり湯田の話になったの?」
俺の手のひらを開かせて、火傷の確認をしているシーナにふと尋ねる。「ん?」と顔を上げたシーナの襟元にはよく見れば小さな血痕が飛んでいて、ああ、シーナこのシャツ気に入っていたのに、とつい眉間に皺がよる。
奥の厨房で縛り上げられている男の血だと思うと気分も悪い。
帰りにシーナ行きつけの店に寄って新しいのを買わないと。
この男、金なら十分あるはずなのに、一週間着回せる程度の服しか買わないのだ。「物が増えると面倒だから」とこの数年ずっとシーナは言っている。引っ越しの予定があるわけでもないのに、一体何が面倒なのか。
「いやさ、今ベストシーズンなんだよ」
「…………なんの?」
「ニュージーランド」
「………は?」
今度は俺がポカンとする番だった。
いつにもまして今日は話が支離滅裂だ。話題が変わりすぎてて理解が追いつかない。映画の話から始まり、裏切り者の稼いだ大金の話、それから裏切り者が見つからなかった時に割を食う変態のおっさんの話に……ニュージーランドのベストシーズンの話?
「南の島にさ、高飛びしようとしてたって昔言ってたじゃん」
思考が止まる。
昔。シーナと出会ったあの夏のことだ。
たしかにそんな話をした。大金を手に入れた男の、ただの思いつきの話だ。
「こないださ、映画見てた時にこんなところ住みてえーって二人で話したじゃん。あれ撮影現場ニュージーランドでさ、今ベストシーズンなんだよね」
「…………」
「俺この数年すっごいよく働いたからお金もたくさん貯まってさ。もうすぐまとまった金もドカンと入りそうなんだ」
そういえば、と思う。
湯田。
人の名前を永遠に覚えられないシーナがよくその名前を覚えていたな。
思い入れのない相手だと尚更覚えられない。数年付き合いがあって、ようやく名前と顔が一致するってくらいのあのシーナが。
「、」
パチン。相変わらず表情の読めない、ひんやりとした相貌の中のブルーがコチラを見ている。
話題が変わりすぎ、じゃない。この男は最初からずっと一つのことについて話していたのだ。
「ここ数年の俺、なんか長生きしたい気分なんだよね。でもこんな仕事続けてちゃ難しいだろうしさ」
俺の首筋についた傷をなぞる。
シーナがこの仕事を始めてすぐ。俺がシーナの右腕になって数ヶ月後。彼を庇ってできた傷だ。
この計画は一体いつから始まっていたんだろうか。
血を流す俺を立ち尽くしたまま見つめていたシーナを思い出してそんなことを考える。
「で、どう?」
は、と息を呑む。
「………回りくどいな。もっとロマンチックに誘ってよ」
辛うじて絞り出した言葉は、なんとも無様に震えていた。余裕を全然取り繕えてない。俺ってこんなのばっかり。好きな子の前でこそカッコつけたいのに。全然ダメダメ。
だけど、俺の言葉を聞いて、それまで無表情を保っていたシーナが破顔したからカッコつかなくてもいいかななんて気持ちになる。なんだよその顔。まさか俺が断るとでも思ってたのか。こっちはシーナに誘われたんなら地獄にだってスキップして遠足しに行ってやるつもりだ。俺みたいな男の腕に自分から飛び込んできたんだから。今更後悔しても遅いんだよ。
「……ごほん」と気恥ずかしそうに咳払いをするシーナを見つめる。とんでもないことをやろうとしているくせに、こんなことで恥ずかしがって赤くなってる。ああ、かわいい。ほんとかわいいなあ。
シーナの長い睫毛がふるふると震えながら伏せられて、おや、と思い俺も目を閉じた。チュッと可愛らしい音を立てて、唇にキスが落とされる。
「………俺と、駆け落ちしてくれませんか」
「………はは、喜んで」
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従順なストーカーさん可愛いですね…私こういう無害で対象に貢ぐ?尽くす?タイプのストーカーさんのお話を読むのが好きなので更新が楽しみです!!
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