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42 ウィンターグレーでの生活

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「そうですね。お探しの"オーロラの布"は、東の峡谷の方を探すと見つかるかもしれないですね」

「まあ、本当に?」

「はい。アイスウィザードが晴れの日の寒い夜に持っているかもしれません。ウィザード系のモンスターは魔法耐性が高いので力自慢の方に依頼を出すことをお勧めします」

スラスラと要点を書いたメモを渡せば、お客さんであるお喋りなご婦人は「まあ、本当に助かるわ」と嬉しそうにそれをそそくさと小さなバッグにしまった。
そして晴れやかな顔をあげたかと思うと、上品なピンク色に塗られた口を開く。

「うちの娘がね、とっても良いお家に嫁がせていただくことになったものですから、あっと驚くような嫁入り道具を持たせてあげたくて。……準男爵家なんですよ、信じられます? うちみたいな商家の娘がお貴族様に嫁ぐなんて、数年前じゃ信じられないことですわ。恥をかかせたら可哀想でしょう」

……平民の女性が貴族に嫁入り。それは確かにすごいことだ。

「おめでとうございます」

「まあ、ありがとうございます。それでね、私が悩んでいたらお友達に王都にとってもよく当たる占い師の方がいるって噂を聞いたんです。来てみて正解でしたわ」

「お役に立てたのなら安心しました」

「あら、ふふ、私も噂通りの優しい方で安心しましたわ」

ご婦人が、俺の言葉に頬を染め笑う。そして、……オーロラの布についての情報がよほど嬉しかったのだろうか……何かとてもありがたいものを見るような表情で、俺の顔をまじまじと見つめた。
……そんなにありがたがるような顔はしていないんだけど。
そう思いつつ、ニコリと笑ってみせる。

「私、また来ます。今日は本当にありがとうございました」

「是非、またお待ちしてます」

彼女の様子を不思議に思いつつにこやかに頷けば、彼女が酷く嬉しいものを見たというように笑みを深め、それから丁寧に頭を下げて外へ出ていく。
カランカランと耳に優しいドアベルの音だけが一人きりの店内に残り、俺は「……はあ~」と息を吐きながらテーブルに突っ伏した。
ああ、よかった。
今回もなんとか満足してもらえたみたいだ。あとはアイスウィザードが無事現れて娘さんの嫁入りに間に合うことを祈るのみである。あいつ、準レアモンスターだからなあ。その分オーロラの布を持っていけば、貴族だって驚くのは間違い無いけど。うまくいくと良いなあ。


「……うまくいきました?」

俺がぐったりとテーブルに突っ伏していると、まるで俺の内心を読んだような声がした。
慌てて後ろを振り返ると、店の奥から背の小さな老婦人がヒョコリと顔を覗かせている。
彼女は店内に誰もいないことを確認すると、お盆に小さなカップを載せて、ニコニコとこちらに歩み寄ってくる。

「お仕事、お疲れ様でございます」

「うわあ、ありがとうございます」

カップから上る温かな紅茶の香りに、俺は喜びの歓声を上げつつ老婦人こと、シンシアさんを見上げた。 

「慣れないお仕事は大変でしょう。だけどお客様、とっても喜んでらしたわね」

「そう見えました? なら良かったです」

「ええ、そう見えましたわ。ミナトさんの占い、とっても評判になっているんですよ。黒髪のとても綺麗な男性のやってる占いがとんでもなくよく当たるんだって。まだ一ヶ月も経っていないのに、すごいことだわ」

「はは……いや……」

俺は彼女の言葉に、首を振ることで答えた。
まさか自分がこんなことを……ウィンターグレーで暮らしながら占い師まがいのことをやる日が来るなんて、夢にも思わなかったのだ。
数年前の俺が聞いたら「なんの冗談?」と眉を顰めるに違いない。

「俺は何もすごくないですよ。今こんな風にしていられるのも、シンシアさんとジェームズさんのおかげだし」

俺の言葉に彼女が「まあ、そんなこと」と眉を下げる。
だけど本当に、俺が今こうして呑気に紅茶の香りを楽しんでいられるのは、彼女・シンシアさんと、彼女の夫・ジェームズさんのおかげなのだ。

「ほんと、あの時シンシアさんに会えなかったらどうなってたか……」

紅茶に口をつけながらしみじみと呟く。
俺が彼女と出会ったのは、今からもう一ヶ月も前。
具体的に言うと、俺が"八年後のウィンターグレー"に迷い込んで途方に暮れていた、あの日のことである。






――一ヶ月前。

『私たちの王様の名前はね、シド様。シド・ウィンター様よ』

俺は今の状況を理解するため、一人で王都中を歩いていた。
そうしているだけで、あちらこちらから聞こえる人々の話が、俺の突拍子もない仮説の正しさを証明してくれる。
長い間牢獄に幽閉されていた王子様がついに新国王様になったのだということ。
なんでも彼は五年もの間身分を隠し国中を旅して、その中で大勢の人々を助けて回っていたのだということ。
その後、王妃と一部貴族たちの後押しで事実上の国王になり、昨日ようやく後回し後回しになっていた戴冠式を終えたのだということ。
それはまさに、俺が一昨日見た『ラスト・キング』の新しい物語そのものだった。
つまり俺は『ラスト・キング』から今の彼の様子を覗き見ていたということなのだ。

どうしてそんなことが起こったのかはわからない。
だけど俺の脳裏によぎるのは、一年前……いや、この世界では八年前。ウィンターグレーから帰った時の、時間の妙なズレだった。あの時は怪我でそれどころではなかったし、訳が分からなくて深く考えることをしなかったけど、ひょっとしてウィンターグレーと日本の時間の流れには微妙なズレがあったのかもしれない。
そしてそのズレが、扉の閉まっている間に段々と広がっていったのだとしたら。

訳のわからない仮説だ。
けれど一昨日の晩、王城から漏れ聞こえていた賑やかな声は、ひょっとしなくても新国王の誕生を祝う前夜祭の声だったのかもしれないと思う。
『ラスト・キング』で見た、前夜祭の準備にうんざりとした様子のシドを思い出す。

『ほら、こっちよ。急いで……!』

そして、今日はその"新国王様"のお披露目のパレードがあるらしい。
人波に流されるようにしてたどり着いた中央広場は、幸せなざわめきで満ちていた。
やれ「俺は昔街道で盗賊に襲われたところを旅の途中のシド様に助けてもらったことがある」だとか。やれ「私は店の料理を褒めてもらったことがある」だとか。とても嬉しそうに彼のことを自慢する声があちらこちらで聞こえるのだ。
唯一あの日と変わらない初代国王様の銅像の頭には、この日を祝うように可愛らしい花冠が載せられている。
俺はそんな空間の中で、現状を飲み込みきれずに立ち尽くしていた。



『おい、いらしたぞ、シド様だ!!』

あたりが一層騒がしくなり始めたことでハッと顔を上げる。
目の前は人混みでとてもじゃないけど見えなくて、だからと言って押し合いへし合いの中央広場にこれ以上足を踏み入れることはとてもじゃないけどできそうになかった。
だけど幸いにも、俺は路地裏の入り口から新国王様の姿を見ることができた。
人混みの隙間から覗き見たその光景は、残念ながら俺の貧相な語彙じゃ言い表すことはできない。

ウィンターグレーじゃ晴天の日が珍しい。
だけどその日はまるで神様がこの日のことを祝福しているみたいに雲ひとつない青空と、柔らかな日差しがさしていた。
美しい白馬の上、クリーム色のラインと金刺繍のあしらわれた然たる純白のローブを身に纏った彼の姿といったら。
まるで奇跡みたいに綺麗だったのだ。
記憶の中の華奢な少年らしい顔立ちはもうそこになく、彼はすっかりと大人びた絶世の美青年に成長していた。
ナイフで切ったような深い二重に、鮮烈な赤色をした切れ長の瞳。銀色のまつ毛は氷細工のように陽の光を反射していて、彫りの深い真っ直ぐな鼻梁も、薄く色づいた唇も完璧な形でそこにある。
ぽさぽさと肩口まで伸びていたはずの銀髪が程よい長さに整えられているおかげで、彼の美しい顔立ちがとてもよく見えた。
柔らかな春の光の中、中央広場をパレードの列がゆっくりと縦断していく。
彼の後ろには、ヴェールで顔を覆い隠した栗色の髪の女性が付き従うように歩いていた。
彼女が自分の乗っている馬から少し身を乗り出すようにしてシドに話しかけると、彼がすぐに振り返る。
彼女が何かを言ったらしい。
どこか緊張したような面持ちをしていたシドが目を丸めて、少しだけ安心したように笑ってみせた。
「ありがとう」と彼の唇が動くのが、俺にも見えた。

――ああ、まるでおとぎ話だ。
虐げられていた王子様が人々に愛され、美しく心優しいお妃様と幸せに暮らす。
まさに完璧なハッピーエンドである。
俺は夢でも見ているような気分で、酷く遠くのものを見るように、人々から祝福の花々を投げられる馬上の彼を路地の隅から見ていた。

俺が扉の前でやきもきしながら過ごしているうちに、シドはとっくに約束の一年を終え、長い長い旅と苦難の末に人々に愛される立派な国王様になっていたのだ。

「もう会いに行ける相手じゃなくなっちゃったな」

幸せそうな彼の姿を目に焼き付けるみたいに見ながら小さく笑って、ついポツリとそんなことを呟いた。
嬉しいような寂しいような。何とも言えない不思議な気持ちだった。


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