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◆シド視点 懐中時計

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なんとか戴冠式前夜のパーティーを終えたシドは、ある場所に向かっていた。王城の裏からそっと暗闇の中へ足を進める。
随分とぐったりしているのは、パーティーが終わった後もあれやこれやと引き止められ時間がすっかりと深夜を回ってしまったからだ。疲れた体に、この静けさが心地良い。

「……ここに来るのも久しぶりだな」

王城に来たばかりの頃は、慣れない城暮らしから逃げるように足を向けていたものだけど。ここのところはそんな時間さえもなくなって、すっかり足が遠のいていた。
無言のまま、サクサクと雪の上を進む。
そしてカツリと音を立て、石の床にブーツの足を乗せた。
辺りには八年前のあの時とほとんど同じ姿で残骸が散らばっていて、それらがすっぽりと雪を被っている。
相変わらず明かりもなく真っ暗で、随分と厳かな空気があたりに満ちていた。

――こんなところを俺が一人で歩いているなんて知ったら、バッシュ以外の部下は皆卒倒するだろうな。

優秀な部下たちの顔を思い出して、そんなことを考える。
部下たちは皆、気配に過敏なシドの睡眠を妨げない為、夜の間はできる限り王の寝室に近づかないようにしてくれているのだ。まさかその間にシドがちょくちょく脱走を繰り返しているなんて、想像もしないだろう。

シドはコートのポケットに手を入れたまま、ホッと白い息をついた。
ジャリ、と靴底が鉄の小さな破片を踏む。
初めはミナトが万が一来ていないか確認するためにここに来ていたのだが。いつのまにか、気の抜けない王城から一時でも逃れるためという目的に変わっていた。
自分が幽閉されていた牢獄の跡地が落ち着く場所だなんてつくづく変な話だ。けれどここはもうシドにとって、辛い思い出の残る場所というよりはなんだか懐かしい、妙なことばかりを思い出してフッと肩の力が抜ける場所になっているのだ。……きっと、ミナトに毎日のように振り回され驚かされていた記憶が強すぎるせいだろう。

「……はあ、疲れた」

足元の残骸に腰掛けながら、耳元で音を立てる煩わしいピアスを手探りで取る。
そして、袖口が顔に近づいたことで香った香水に思わず眉を寄せた。
シドが豪華な衣服で埋め尽くされた衣装部屋を目の前にしても、驚いたり喜んだりするどころか片眉を歪めて「……服なんていざという時に動きやすくて温かいものならなんでも良いだろ」なんて呟くタイプなものだから、香水も女中たちが選んだものを勝手に吹きかけられるのだ。
任せきりにしておいてなんだが、彼女たちとはいまいち趣味が合わないな。
豪奢な服を見下ろしポツリとそんなことを思いながら、シドはピアスをポケットにしまった。

……ああ、でもいよいよ明日だ。
初めはミナトを探すために始めたことだが、いつのまにかここまで来ていた。この八年必死で駆け抜けてきた。
だがそれも明日の戴冠式とパレードを終えれば一段落だ。とりあえず一段落。
正式に王位を継げば、未だに事あるごとにシドの足を引っ張ろうとしてくる貴族たちの動きも少しは落ち着くだろう。

暗闇の中で目を瞑り、ゆっくりと息を吸う。
シンとした雪と針葉樹の香りに混じって、春らしい穏やかな匂いがする。
シドがこの時期に決まって思い出すのは、あの妙な日々のことだ。
初めは食料や防寒具などの生活必需品ばかりを持ち込んでいたのに。次第に物が揃ってくると肌触りの良いブランケットやらラグやらクッションやら、まるで巣を整えるみたいに無駄なものまで持ち込み始めて。
シドが少しでも安心して過ごせるよう隅々まで整えられた牢獄はいつもどこか優しい気配がしていた。
ミナトのいない時でもそうだ。
温かな火を灯す蝋燭に、甘いチョコレート。まるで柔らかな膜に包まれたみたいな妙な心地だった。
そりゃあ、牢獄から出たくなくなる訳である。
あんな風に安心して過ごせたのは初めてだったのだから。
突然外に逃がされた日は、嬉しい反面、妙に心細いような気分だった。
あんな風に甘やかしておいて唐突にここを出ていきなさいなんて言われたら、誰でもそうなるに違いない。
何もかも自分のためだったと分かっているが、アイツは案外酷いやつだったよなと今になって思う。

シドにとってここはもうただの嫌な思い出ばかりが残る場所ではなく、初めて誰かに手を差し伸べてもらった優しい記憶の残る場所なのだ。
人に出された食事や、父と同じ色をした髪や、この国も同じ。恐ろしくて忌々しくて大嫌いなものばかりだったのに。

「会いたい」

いつか、また会える日が来るだろうか。
きっとアイツのことだから、自分から国王になると聞いたら信じられないほど喜ぶに違いない、と思う。

『まあ、シドならできるって俺は知ってたけどね……』

そう言って何故だが自分のことのように得意げな顔をしてみせるミナトの姿が簡単に想像できて、シドは一人で笑った。
そして瞑っていた瞼を持ち上げ、あたりを何と無しに見回す。
あまり気は乗らないが、そろそろ帰って身を休めた方が良いだろう。
明日は戴冠式だ。朝も早い。
ゆっくりと立ち上がる。
そして瓦礫の上をヒョイと跨いだその瞬間。
視界の片隅、薄暗がりの中にキラリと光る何かが見えた気がした。

「……」

……咄嗟に動きを止め、目を凝らす。
雪に埋もれていて、よく分からない。

……そういえば、最近修繕した壁というのはあの辺りじゃなかったか。何も見当たらないが。

シドがここでボンヤリしている時、雪に降られないように。ここのところバッシュが忙しい業務の隙間を縫って、少しずつ牢獄の修繕を試みようとしているらしいことを思い出す。
シドはやや怪訝な顔をしながら、サク、サク、と瓦礫に積もった雪の上を歩き、光るものに近づいた。
……以前来た時にはあんなものなかったはず。
こんなところに自分以外が来るとは思えない。バッシュの落とし物だろうか。

「……」

万が一のことも考え、シドは念のためすらりと剣を抜いた。
そして、その切先で引っかけるようにして光るものを拾い上げる。
雪にすっぽりと埋まっている他の瓦礫と比べて、随分と少ない量の雪がパラパラと落ち、落ちていたものが顕になる。

「……っ」

それが何かを認識した瞬間、シドは目を丸め、弾かれるように顔を上げて辺りを見渡した。
雪には自分一人分の足跡しか残っていない。
周囲には誰の気配もない。
シャラと小さな鎖がついたそれを手のひらで受け止めたシドは、唖然としたままその懐中時計を見つめた。
間違いない。王都のマーケットを二人で回ったあの日、どちらにするか選ばされたあの懐中時計だ。
シドが髪飾りの方を選んだものだから驚いた顔をしたミナトが「じゃあ俺はこっちをお土産に持って帰ろ」と言って、コートのポケットにしまっていた様子を、シドははっきりと覚えていた。
確か、持ち主の願いを叶えるだとかそんな効果のついたアクセサリーである。間違いがなければ裏面に……。
シドは懐中時計をひっくり返した。
そこには確かに、あの日店主が言っていた傷がついている。

「……」

一番最初に思ったことは、ああ、やっぱり無事だったんだということだった。
それからやや遅れて、じゃあ、どうして会いに来てくれなかったんだろうかとそんなことを思う。
いつ帰ってきたんだ。
今、一体どこに。

ドクリと嫌に跳ねた心臓の音が耳元で聞こえた。
頭の中が疑問で一杯になって、うまく言葉が出てこない。
シドはいつかに戻ったようだと思いながら、牢獄の跡地を出、もう一度辺りを見渡した。
……どこにも、彼の姿はない。
ここのところ随分と春めいてきたとはいえ、王都より高いところにある王城では、いまだにちらほらと雪の舞う日が続いている。
懐中時計に積もっていた雪の量を見るに、あそこに落とされてからそう時間が経っていないことは確実だ。
だが八年ぶりに帰ってきたミナトが、知り合いの誰もいない、様変わりしたウィンターグレーでどこに姿を消してしまったのか、それが分からない。なぜ自分に会いにこないのかも、わからない。
夜の山は危険な魔物も多いのだ。
荒事のちっともできない白い手と、八年前に見た血の跡を思い出し、ゾッとする。

「……」

戦いに身を投じた時にも、命を狙われた時にも、こんなに何かを恐れたことなんて一度もなかったのに。
シドはいつかのように竦みそうになる指先を懐中時計ごと強く握りしめ、暗い夜道に踵を返した。


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