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◆シド視点 プレゼント

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「シドにこれあげる」

ある日、そんなことを言ったミナトから唐突に新しい本を差し出された。
表紙にも背表紙にも何も書かれていない。ただ裏表紙に「シドへ」とだけ書かれている真っ白な冊子だ。 
ミナトが訳の分からないことを言って訳のわからないものを渡してくるのはいつものことである。なのでシドは渡されたそれを何となしに受け取った。
彼には既に何冊か本を貸してもらったことがある。美しい文字の書き方や護身術といったいつか役立ちそうなものから、息抜き用の物語まで。
今度は何の本だろうか。

「……は」

深く考えることなくパラリと表紙を開いたのだ。
しかし中に書かれているものを認識した瞬間、シドは酷く間の抜けた声を漏らすはめになった。
目を見開いたまま、ぺらぺらと指先でページを捲る。
捲れば捲るほど意味のわからないものばかりが目に飛び込んでくる。
ミナトに視線を向ければ、正面に腰掛けシドの様子を見守っていた彼が「いい本でしょ」なんて白白しいことを言った。
良いも何も……。
本にもう一度視線を落とす。

「これって……」

シドの呟きに、ミナトが胸を張り、笑顔で答える。

「ウィンターグレーの攻略本」

彼の返答にシドは、呆然と目を丸めることになった。
攻略、攻略とはなんだったか。確か、確か、……敵陣を攻め落とすこと。
攻略本という馴染みのない言葉に、シドの頭の中でパラパラと辞書が開かれた。
しかし確かに攻略本。そう形容するのが最も適切なのかもしれない。
シドの手の中の冊子には、シドがまだ一度も行ったことのないウィンターグレーの王都に関する情報がぎっちりと詰まっていたのだ。
一番最初に目にしたのは見開きの王城地図だった。
広い城内を透視したような作りのそれには、廊下、階段、主要な部屋の位置などが大まかに書かれてあり、隠し通路の位置まで記されているのである。
さらには城の貯蔵庫の一番奥、左から二番目の樽の蛇口を右に二回、左に三回、もう一度右に一回回すと王族が昔逃げ道に使っていた王都の地下水路に繋がる道が現れる……だとか。
王の居室近くに松明に火を灯すと昔の国王がこっそり作った貴重な武器の保管庫があって……だとか。
そういったことが小さな文字で事細かに言及されているのだ。

この時点で、この本は王城内部で働いている人間ですら知り得ない情報について記されたとんでもない代物になっているが、それだけじゃない。
シドを一番驚かせたのは王城の地図の上に付け加えるようにして書かれたいくつかの手書き文字だった。
そこには、各部屋に在中している人々の個人情報が書かれていたのだ。

例えば王の間の上にはこう書かれている。
『現国王。白髪交じりの銀髪と顎髭が特徴。一見ワイルドな美オジに見えるけど、美女に目がない上に酒癖が悪く、過去に隣国・ノースフィールドの貴族にまで手を出したことがあるドクズ。ご存知の通り、ノースフィールドとウィンターグレーの力関係は対等とはいえないので、貴族の娘は泣き寝入りをすることになった。その事件についての証言は昔彼に仕えていた老人(王都の地図参照)から聞くことができる。ちなみに、王の居室には初代国王がお忍びで街に降りるためつくった王城のあちこちへ続く隠し通路がある。ただどこかで情報が途絶えたらしく、現国王はその隠し通路の存在を知らない。本当にいざという時は、他の人を巻き込まずに暗殺し放題だね』。

……そして、王妃の居室に記された情報はこうだ。
『王族唯一の良心。今の国のありさまに胸を痛めているが後継が生まれないことで立場が弱く何もできずにいる。シドの存在を知らない。多分味方になってくれます』。

そんな情報が国王の側近や、使用人。王城内の牢獄の守衛にまで及んでいるのである。
シドは息を呑みながら、文字を追った。

『年々貧富の差が開き、平民の暮らしが苦しくなり続ける今のウィンターグレーはいつ暴動が起きてもおかしくない状態らしい。平民たちも少し苛立っていて治安が荒れぎみなので注意。街の情報はP18~参照』

そんな誘導にパラパラとページを捲って見れば、王都の詳しい地図と共に普通の人々の名前が相当数、ずらりと並んでいるページに辿り着いた。
橋の下で珍しいコレクションを売っている老人。広場の露店で体力回復にとても効率のよい料理を安値で売っている女性。噴水の前で靴磨きをしている情報通の少年。かつては優秀な騎士だったが、訳あって今は酒場で飲んだくれている前騎士団長の息子。
さらには王都の廃屋や地下を通っている水路の道筋、王都周辺の街の簡単な概要、道に出てくる魔物の情報に至るまで。
その全てにざっと目を通し、息を吐いたシドはようやく顔を上げた。

「これは……」

「それね、プレゼント」

「……」

プレゼント?

「今日はシドの誕生日でしょ。シドの喜ぶものをあげたくてさ。めっちゃ頑張って作った」

「…………は??」

思いもよらない言葉に、思考が止まった。

「"誕生日"?」

誕生日、という聞き慣れない言葉に、シドは猫騙しを食らった猫のように赤い目を丸めて固まってしまった。もちろん、言葉の意味は知っている。その人が生まれた日、ということだろう。
いつか本で読んだことのある言葉を思い出してシドは瞬きを繰り返していた。
自分には、一切縁のない言葉だと思っていたのだ。
――生まれた日を祝う? 俺の生まれた日を?? いや、待て。作ったって言ったのか?? "これ"を??

「まあ、その本はおまけっていうか、プレゼントの一部って感じなんだけど」

言われている意味がわからない。本を見下ろしていたシドがはたと顔を上げる。
おまけ、とはどういうことだろう。
珍しく分かりやすいくらいに疑問符を浮かべたシドの表情に、ミナトが目を細めた。

「しばらくの食糧と防寒着があって、怪我も治って、体力もついて、魔法も使えて、その上外の情報も手に入ったら、ここから出る準備は万端でしょ」

「……ここから、出る?」

「シドの欲しいものを考えた時にさ、この牢獄から出ることじゃないかって思ったから。外に出ても役立つ本と一緒に今日、それをプレゼントしようと思ったんだよね」

ゆっくりと視線を下げながら彼が言う。
急だけど。こういう時じゃないときっかけがなくて、いつまでもタイミングを伺い続けちゃいそうだから。

「ほら、神様も空気読んで今日は霧が出てる割に雪が少ない。脱獄日和ってやつだ」

シドが驚愕して言葉を失っていれば、ミナトが個人的な感情を振り払うような妙に明るい声でパッと指差した。
無意識にその指の先を追いかけると、いつもミナトがやってくる白い扉の方ではない、いつもこの牢獄にシドを閉じ込めていた重たい鉄の扉に焦点が合う。
魔法を覚えた今となってはもうなんの障壁にもならない木のバリケードを見、それから内側にかかった南京錠を見。シドは、ああ、そうか、と手元にある白い本を見た。

――ああ、そうか。そういえば、俺はここから出ようとしてたんだった。

咄嗟にそう思った後、はた、と我に返り、不可解さに眉を寄せる。

"そういえばここから出ようとしていたんだった"? 
生まれてからずっとここから出ることだけを望んできたのに何を言っているんだろうか。

「……改めて誕生日おめでとうシド。君のこれからの人生が良いものになりますように。……あれ。なんか今臭いこと言ったな、俺。いや、いいか。こういう時は恥ずかしがらずに言いたいことを言うべきだ」

シドは今まで何があっても死んだようにシンと静かに凪いでいた自分の感情に小さな白波が立つような奇妙な感覚を感じながら、情けない笑顔を浮かべるミナトの顔を黙って見つめていた。
外に出られることは、シドにとっても素直に嬉しいことだ。ずっとそれだけを望んできたのだから当然だった。
けれど、ミナトが時折聞かせてくれる鉄の馬が走っているとかいうトンチンカンな異世界の話や、そんな世界に住んでいるくせシドが魔法を見せるたび黒い目をキラキラ輝かせて「うわ、すごい!」と声を上げるあの表情や、この狭い牢獄にあるシドのために集められたさまざまな物たちや。
今目の前にあるものに比べたら、自分が小さな子供だった頃から欲してやまなかった外の世界がなんだか突然とそう価値のないもののように感じられたのだ。
一体どうしてそんな風に感じたのかは、分からない。

「シド?」

ジッと黙ったままでいたせいか、気遣わしげに声をかけてきたミナトに、シドは困惑と動揺を押し殺して「なんでもない」と返事をした。
そして彼に教えてもらったように小さく息をついて、指の先にシュルリと小さな炎を灯してみせた。
ミナトが暗い牢獄に一人取り残されるシドのため、毎回灯してくれた蝋燭の炎だ。

「……」

その炎を見た瞬間、胸の奥がチクリと痛む。
けれどシドは小さく眉を寄せるだけでその不可解な痛みを振り払い、指先を扉の方へ向けたのである。
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