【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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私の家には鏡が無い。
もちろん個人としては所有している。
それはお父様が決めた。

王都の公爵邸にも、元王家直轄領のフラナガン公領のお城にも、お母様から見えるところには1枚も無かった。
それは旅先でも徹底していて、宿泊するホテルには復旧費用は請求して構わないので、必ず部屋の鏡は撤去するようにと事前に伝えていた。
お父様は自分用の浴室でのみ、鏡を使用して髭を剃っていらっしゃる。


フラナガン公爵家には鏡を置かない。
何故なら、お母様が嫌がるからだ。
お母様が嫌がる事を、お父様は絶対になさらない。


あ、あった。
唯一の例外は時折お父様の気持ちが盛り上がると、お母様に愛していると何度も言うやつ。
人前だろうと何だろうと言い出すので、お母様はそれが始まると逃げ出す。
それを追いかけてまで言い続ける。
バロウズ語だったり、帝国語だったり、リヨン語だったり、トルラキア、ラニャン、とにかくお父様が話せる言語で愛の言葉を、抱き締めたお母様の頭の上から雨あられと降らしている。
嫌がられているのに、それだけは止められないようだ。
仲が悪いよりはいいのだけれど、『時と場所を考えてください』と、お顔を赤くしてお願いしているお母様をお気の毒に思う時も多い。


「あれはね、反動なんだ」

トルラキアの、お母様のおばあ様が遺された邸宅に遊びにいらっしゃったノイエ様が私に説明してくださった。
私達家族は、トルラキアに避暑に来ている。


「ルルのお父上は昔、何も言えないひとでね。
 無理矢理に偽りの愛の言葉を3回言わされて、心の傷みたいになっていたんだ。
 それを君のお母上に意地悪されて、また3回言わされてしょんぼりしていたので、僕が1回で勘弁してとお願いしたらと、言ったら」

「……」

「そしたら、反対にね。
 嘘の古くさい愛の言葉を3回言ったんだから、これからは最新の真実の愛の言葉を、その倍言うことにする、ってなったんだよ」

「あれは倍以上ですね、父は母に対しては少しも羞恥心がないんです」

「……ルル、君と話していると本当は幾つなのか、確認したくなるね?」

呆れたように私が言うと、ノイエ様は楽しそうに笑っていらした。
この黒髪赤い瞳の、完璧に近い美しい男性はお母様の留学時代の先輩だったけれど、今はどちらかと言えばお父様の方と親しくされている。

『だって君のお母様と仲良くすると、フラナガン公爵閣下に消されてしまうから』と、真面目な顔で仰る。

ノイエ様はこのトルラキアの勇猛公の家門ストロノーヴァ公爵閣下の後継でいらっしゃるのに、現在は何故かリヨン王国で舞台俳優をされている。
主演の舞台のチケットは入手困難で有名なのに、お父様とお母様には、毎回ご本人が手渡しにいらっしゃるのだ。


『いつかルルが大きくなったら、僕が引退する前に絶対に観に来てね』と、素晴らしいお声で、幼い乙女心を惑わす29歳のノイエ様。
ルルはリヨン語で小さい女の子を表す言葉なので、私が舞台を観に行ける年齢になったら、もうルルとは呼んでくれなくなって、こんな風に親しく接してくれないんだろうなとわかっているから、この頭を撫でてくれる優しい手が無くなる事は少し寂しい。

私がそう言うと、お父様が難しい顔をして
『あいつを出入り禁止にしようかな』と、仰るので慌ててしまった。
お母様が困った顔をして、お父様を見つめている。


「年上の男性しか愛せないのは、ダウンヴィルの血筋なの」 
「ロニィの22歳上だよ、年上過ぎる!」


お母様がそう憤慨するお父様の左手首を優しく撫でると、お父様はおとなしくなる。
そこにはお母様とお揃いの、色違いの組み紐が巻かれている。
もう何代目になるのかな、古くなるとお父様とお母様はおふたりで、出会い市へお出掛けになる。


「お茶を入れましょう」

お母様がそう仰って、手ずから私達に入れてくださる。
トルラキアに来るとお父様と私は、お茶に薔薇のジャムを入れる。
この国だけのお楽しみなのに、お母様は絶対に入れない。
何故かな、美味しいのに、お試しもしない。




「この前の続きを教えて」

お母様にお話の続きを聞かせて欲しいと、お願いした。
お父様が鏡を割ったところまで、話は聞いた。
今日はリーエおばさんのところのノンナが遊びに来ていた。
私とノンナはお父様とお母様の10年間の恋のお話を聞くのが大好きなので、ノンナが来ると決まって、ふたりでお母様にお話しくださるようにお願いをする。

一回につき、ひとつのエピソード。
前回は死人還りの後半と自分のドレスなのに間違えちゃったお話で、私達はきゃあきゃあと大興奮した。
亡くなったクラリス伯母様に配達されたドレスは、お母様が留学中にプレストン伯父様からお父様に返却されていたそうだ。


「それで、鏡を割ったフォード様は……」


 ◇◇◇


フォード様は肘の腱を切ってしまう大怪我をされました。
扉のところに立っていた護衛騎士様はオルツォ様でした。
粉々になった鏡と痛みに耐えかねて座り込んだフォード様、そして泣き叫ぶ私。
阿鼻叫喚というのかしら、血が辺りに飛んでいて。

直ぐに助けを呼びに行ったオルツォ様と、お祖父様とプレストン伯父様が入れ違いに部屋に入ってこられたのです。
ふたりはフォード様と私を引き離そうとしたのだけれど、私も殿……フォード様もお互いに離れたくなくて。

私は小さい子供みたいにずっと。
『嫌だ嫌だ』と、言い続けたの。
どうしてか?
それはね、フォード様が私から離れる為にバロウズから居なくなると、仰ったからなの。

お母様の頭のなかの声の話をしたでしょう?
あの声がね、『行きたいなら行かせたら?』なんて言ってたけれど、私は絶対に嫌だったの。
だから大きな声で『行かないで!私を離さないで!』って叫んだのです。
これまで貴族の娘として躾られていたから大声なんて出した事無かったのね。
それでお祖父様も伯父様もフォード様も驚かれて。

だけど直ぐにフォード様が『絶対に離さない!』って負けないくらいの大きな声で言ってくださったので、伯父様が
『聞こえているから、こんな近い距離で叫ばないでください、殿下』と、笑い出されたのよ。


オルツォ様が至急に連絡してくださったので、早く来られた侯爵家の侍医が、専属のお医者様の事よ、フォード様の腕を診て、鏡の破片で上腕から指へ続く腱を切っているかもしれないから、帝国へ行くべきだとお見立てをされたの。
直ぐに冷やして動かさないように固定はしたけれど、帝国は医学が発達していたから、2週間以内にあちらで手術をして、その後3ヶ月かかるであろう訓練も受けなくては、指だけでなく右手も自由に動かせなくなる、って。

その間も、私はずっとフォード様とくっついていたから、お祖父様に診察の邪魔になるからと叱られて。
私のせいでフォード様の右腕が動かなくなったらどうしようと泣いていたら、オルツォ様が慰めてくださったの。

でも、向こうからフォード様が
『ノイエくっつくな、離れろ』と睨んでいらしたから、お祖父様に
『こちらに集中して、診察中です』と注意をされてしまって申し訳なかったわ。

それから私も診察を受けたの。
精神的に不安定になっているから、私にはリヨンの海辺の町に有名なその専門の病院があるから、そちらで療養しなさいと言われたのだけれど、フォード様がアグネスも帝国で療養すればいいと、反対してくださって。
『もう、離れ離れは駄目だ』って仰って、私も同じ気持ちだったから、お祖父様も諦めて好きにしなさいと。

それから王城から国王陛下のご使者が来て、フォード様の命に別状がないのなら大事にはしないと、思し召しをいただいて、一緒に帝国に行くのならと、翌日に婚約したの。
そう翌日よ、次の日。
もうお互いに1日だって延ばしたくなかったから。


 ◇◇◇


今日の話はここまでね、と。
お母様が仰ったので。
私の隣でノンナが溜め息をついた。


「うちの親の馴れ初めなんて、閣下と公妃様に比べたら……
 いえ、比べる事こそ、失礼ですね」

「素直になれなかった私にとって、リーエとトマシュさんは、ずっと憧れだったのよ」

「……」

「ノンナ、私の事は公妃と呼ばないでね。
 フォード様は公爵だけれど君主ではないから妃と呼ばれてはいけないと思うの。
 アグネス、それでいいから」

「……畏まりました、アグネス様」


やはり、ノンナはアグネスおばさんとは呼べないようで。
夕方、ネルシュ兄さんがお迎えに来て、ノンナは帰った。
次は帝国でのお話を聞かせてくださいと、お願いをして……


「お母様の頭のなかの声は、どうなったの?」

「ずっとうるさかったの、でも、それからは無視したのよ。
 本当の私がしたいようにする、言いたいことを言う、と心に決めて、要らない言葉に耳を傾けないようにして。
 頭が痛くても、自分を失わないように気を付けたの」

「今はもう、聞こえないの?」

「小さい声で聞こえる時もあるわ。
 貴女のお父様は女性にとても人気があるでしょう?
 お仕事で女性とお話をしているところを見たりすると、声がね、聞こえてくることもあるの。
 だけど、もう相手にしない。
 昔誓った言葉をずっと胸に言い聞かせるの」

「……」

「ヴェロニカ、その声はいつか、貴女にも聞こえてくるかもしれない。 
 でも、その時には……思い出して」

「……」

「それは、まるで呪文の様に……」


それは、まるで呪いの様な愛の誓い…… 
私も幾度も聞かされた誓い。

お母様の瞳は遠くを見ている様で。



今もまだ頭のなかで、囁く声が聞こえるのでしょうか。



胸が痛むことは、もうないのでしょうか。



─ 私は貴方が語る言葉と、自分自身の目で見た貴方の姿だけを信じます ─






  おわり

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感想 335

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みんなの感想(335件)

tomoe
2024.04.08 tomoe
ネタバレ含む
Mimi
2024.04.08 Mimi

tomoe様

ご感想ありがとうございます!

1年以上前の完結作に、ご感想いただけて感激です💧

アシュフォードくんは最初はバカ王子で迂闊過ぎる行動に皆様マイナスポイントで盛り上がりました笑
個人的な話で申し訳ないのですが、私には成人済みの社会人◯年目になる息子がおります。
その彼がしっかりしだしたのが、大学3年生位なんですね。
だからつい、10代の王子は頼りなく書いてしまっていました。彼が最後には生暖かい目で見て貰えるようになったのは、とにかくアグネスに一途だった。この点ですね。

対するアグネスは本当に、自分から不幸になる種を探す女でした😅 
私は自分をヒロインに投影するタイプではないので、彼女の短所も書きました。
モヤっていたのは私も同じでしたね。

私のお気に入りはサイドストーリーの3人+プレストンお兄ちゃんです。
彼サイドの話がまとまらなかったのが、心残りです。

もし、『もう誰にも~』をお読みくださっていたなら、そちらにもご感想をいただけますと、幸いです。
(直ぐに調子に乗るんです💦)

ご感想ありがとうございました🙇‍♀️

解除
みかり
2023.02.23 みかり
ネタバレ含む
Mimi
2023.02.23 Mimi

みかり様

ご感想ありがとうございます💕

承認と返信が遅くなり、申し訳ありません💦

82話を消してしまいまして、今まで新たに書いていました😭

こんなポンコツでごめんなさい。
😢⤵️⤵️
迂闊さ、ではアシュフォード以上。


皆様からいただけるご感想が嬉しくて。
返信するのが楽しくて。

連載中にいただくのは勿論ですが、完結してからいただけるのは格別です。

本棚の幾多のお話の中で、タイトルを見て、
『あんな話だったかなぁ』と。
ぼんやりと内容を思い出していただけるような。
そんなお話を目指しています。

図々しいお願いになりますが。
他の話にもご感想がいただけましたら幸いです✨✨

どうもありがとうございました!

解除
白崎りか
2023.02.17 白崎りか
ネタバレ含む
Mimi
2023.02.17 Mimi

白崎りか様

ご感想ありがとうございます✨✨

一気読み、重ねて感謝致します❣️

結末は最初から決めていましたが(当たり前ですね😅)、
結ばれても、よかったね、がいただけない2人かなぁと苦しくなったりしていました。
終わってしまえば、それもいい思い出です。

他のお話も読んでいただけましたら、嬉しいです。
宣伝&感想クレクレを忘れない私です💦

また、お立ち寄りいただけます様に🍀
どうぞよろしくお願い致します!

解除

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