【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第95話 アシュフォードside

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9月4日の侯爵夫人とクラリスの命日に、バロウズに居たのは今年が初めてだった。
去年までアライアに頼んでいたふたりへの花は、今年はカランに頼み、自分で持参した。
スローンとダウンヴィル両家の親族が集まっての昼食会は断ったので、その前にと午前中に侯爵邸へ伺った。
2週間前にも前伯爵夫人の命日に、親族はダウンヴィル伯爵家で集まっていたと、聞いていた。


俺を迎えてくれた侯爵には侯爵夫人への白百合を。
アグネスにはクラリスへの白薔薇を手渡す。
庭園の東側の奥に、大きな柏の木が植えられていて。
その根本に白い大理石の碑があった。

侯爵夫人とクラリスの遺体は遠い領地の侯爵家の墓地に埋葬されたが、王都の邸宅にもふたりを偲ぶ美しい石碑を侯爵は建てたのだった。
2つの花束を添えて、3人並んで頭を垂れた。


プレストンと隊長の立ち会いの元、私設騎士隊の何名かが、柏の木の下に支柱を何本も立てていた。
今日はそこに日除けのタープを張り、その下で昼食会が行われる。
下男達が長テーブルを運び繋げていく。
メイドが真っ白なテーブルクロスを広げている。
9月初旬の風は、まだ夏の香りがする。


祈り終えた俺にプレストンが近付いてくる。
俺から声をかけないと、彼は話せない。


「ふたりに花を捧げさせていただいた。
 今回は君の仕切りなの?
 大したものだね」

「畏れ入ります。
 庭園での食事会のマニュアルがあって、その通りに」

「侯爵も君に任せられる様になって、助かっているだろうね」

アグネスの前なので、当たり障りのない会話を重ねていく。


「本日の昼食会のメニューと席順はアグネスの担当で、立派にホステスの役目を果たしてくれました」

プレストンがそう言うと、侯爵は目を細めて頷き、傍らに立つ娘を見て。
アグネスは兄の言葉に頬を染めた。
控えめなアグネスが照れているのを見たのは久しぶりだった。
初めての彼女の手腕を、出席してこの目で確認出来ないのを残念に思った。


将来は公爵家の女主人だ。
彼女には内政や社交を任せる事になる。
最近は、それらの話をアグネスに語っていた。
自分からはあれこれ話さないが、俺の語る話を聞いてくれて頷いてくれていた。
本来の彼女は賢くて強い。
褒めた方が、どんどん能力を発揮してくれると感じている。



柏の木は翌年新しい葉が育つと、古い葉が落ちる。
その木の下で、老若男女の親族が集まり、亡くなったふたりの思い出を語りながら食事をする。
俺も来年はこの場に、アグネスの隣で参加したいと想いを馳せた。


 ◇◇◇


そして、9月8日クラリスの誕生日。
4日前は快晴だったのに、朝から雨が降り続いている。

午前中は王城で執務をして、昼食後に護衛1人を伴って侯爵邸へ向かった。
アグネスに怪しまれないように、今日も例年通り侯爵は登城したが。
実際は彼女と俺がクラリスの部屋に入った時点で、家令が早馬を送り、侯爵とプレストンは帰宅して、隣のプレストンの部屋で待機する事になっている。


以前、アグネスからクラリスの誕生した時間を聞かれた侯爵は城に居て仕事をしていたから、わからないと答えたそうだ。
彼がいつも通りに仕事を終えて帰宅したら、当時同居していた母に妻の出産を知らされたと言う。
つまり娘の誕生さえも、仕事に支障を来さぬ為に伏せられていたのだ。
当然、同じ馬車で帰宅した財務大臣の父には至急の連絡があったのに。

その答えから出産の時間は日中だとアグネスは判断して、16歳時のお篭りは昼だけにしたのだろうと、推察した。
今日、午後から俺が来ることを知らないアグネスは迎えには出なかった。

俺を迎えたのは家令ゲイルの息子アーサーだ。
彼には話してもいいと、侯爵は家令に言った。
息子も父と同様に、今日これから邸内で起こる事は誰にも話さず、墓場まで持っていく。

今朝からゲイルの姿は見えない。
彼は妻の付き添いで病院へ行った事になっていて、午後には帰れるのかと、アーサーはアグネスから何度か尋ねられたそうだ。


頼りにしていた協力者が不在だったら、君はどうする?
死人還りの手順だけはわかっている。
だが、ひとりでそれを行えるか?
依り代になった自分を呼び戻してくれる協力者が居ないのなら、もう諦めるか?
ゲイルが帰ってこられないのなら、アーサーにやり方を教えて協力者とし、付け焼き刃で儀式を決行するか?


「仰せの通り、午前中は何事もなくお過ごしになられていました」

アグネスの午前中の様子を、アーサーが俺に報告をした。


「散歩はしたのか?」

「散歩はなさっておられませんでした。
 ピアノ室に入り、クラリスお嬢様を偲びたいからと、何曲かピアノを弾いておられました」

そうか、朝はピアノを弾いていたか。
俺は何の曲か知らないが、多分クラリスが好きだったか、得意だったかの曲を弾いて、彼女の霊を招こうとしていたか?

応接室でアーサーと話していたが、2階から降りてきたアグネスに見つかるより、そろそろこちらから彼女に会いに行こうか。
俺としては、このまま諦めてくれてもいいし、決行してくれてもいい。
だが、そうなれば協力者は俺だ、アーサーやレニーではない。


立ち上がろうとすると、応接室の扉が控えめにノックされた。
アーサーが誰何すると『レニーです』と、答えがあった。
彼女には詳しい話をしていないが、アグネスの部屋にアーサーは入れないし、気軽に話も出来ない。
それで、今日一日のアグネスの言動に何か変わったことがあれば、アーサーまで直ぐに報せる様に、侯爵は命じていた。

アグネスに動きがあったか?
アーサーがレニーから話を聞いていたので、俺は座り直した。
レニーが退いて、アーサーがこちらにやってきた。


「お嬢様が温室に行かれたそうです」

「……わかった、私が行こう」

温室か……正直、あそこには辛い思い出しかなくて行きたくない。
慌ててドレスとカードの回収に来て、クラリスに誘われて初めて足を踏み入れた。
誰かに聞かれても大丈夫だと、トルラキア語で会話した。
アグネスが聞いている事に気付かず……カードの回収の為なら、それでクラリスに勇気が持てるならと、定型通りの愛の言葉を口にした。 

今でも思い出すと、自分の愚かさに吐き気がした。
眠る前、ベッドの中で不意に思い出したりすると、しばらく眠れなくなる。
やらかした俺がこうなのだから、聞いていたアグネスもきっと同様に、思い出すと胸の傷が痛んで眠れなくなっているだろうと……
後ろに控えていた護衛に手を上げて、ひとりで温室へ行く事を伝えた。


温室に入り、アグネスを探す。
温室の中の花と低木の葉の香り、差し込む光、少しだけ汗ばむような気温と湿度。
一気にあの日の記憶がなだれ込むように甦る。

それで改めて思い知る。
あの日のここを思い出して、胸が千切れるように痛むのはクラリスとの思い出ではなかった。
あの後、アグネスに連れてこられて、組み紐を贈られて、彼女に抱き締められて許されたから、だ。

あの日のアグネスを、俺を、思い出してこの胸が痛むんだ。
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