【完結】この胸が痛むのは

Mimi

文字の大きさ
上 下
93 / 102

第92話 アシュフォードside

しおりを挟む
これからアグネスと話をしてみると仰った先生に、帰国の前にストロノーヴァ公爵家へ伺いたいとお願いした。 
アグネスから俺には何も話さないだろうと、わかっていたからだ。
その後、イェニィ伯爵にも直接お会いして
『アグネスがお世話になるご挨拶をしに行こうと思っています』と、付け加えると。
先生の方から伯爵へ先触れを出してくださるとのことだった。


先生を見送るアグネスの様子は特に変わっては見えない。
先生からは、今はまだ俺が死人還りの事を知っていると、伝えない方がいいと言われていたので、白々しく何の話をしていたのか、彼女に尋ねたが。
アグネスの方も正直には言ってくれなかった。

何も言ってくれない彼女に。
つくづく信頼が回復していないのだと思い知らされて。
許さなくてもいいからと、わかっていた筈なのに寂しくて。
いつもより長く、彼女を抱き締めた。



翌日はストロノーヴァ公爵邸へ。
先ずは当代の公爵閣下の私室に挨拶に伺う。
以前は迎えに出てくださっていた時もあったが、最近は寝込まれている事も増えていると聞いていたので、出迎えは不要、こちらから顔を見せに行きますと、先生に言付けをお願いしていた。
矍鑠とされていた閣下が寝込むようになられたのは年齢のせいもあるが……
気落ちされたからだろう。
その責任の一端は俺にもあるから、心苦しい。

公爵閣下は口では家出をしたノイエを許さないと広言したが、彼の事は可愛がって目をかけていた。
閣下の急激な老いは、ノイエのせいであり、それを後押しした俺のせいでもあり。 
彼に送る手紙には閣下の現状を綴ろうと思った。
それを知って、国に帰るかどうかはノイエ本人が判断すればいい。


「お見舞いありがとうございます」

先生が自身の私室に向かう為、俺を先導して、見慣れたストロノーヴァ家の長い廊下を歩く。


「父から聞いた話ですが、当代も若かりし頃は、家を出た事があるそうです」
 
「公爵閣下が、ですか……」

「誰もが、この家から。
 この名前から一度は逃げ出したくなるんですよ」

「……」

「私の場合は、行く先も期限も伝えて出ただけなので。
 あれは家出とは言わんと、当代には笑われました」

先生の私室に入ると、既にお茶のワゴンが置いてあった。
最近は、家令やメイドの顔を見ること無く、この邸を辞する事も増えた。
程よい広さの先生の私室は心地いい。

トルラキアに来る度にこの邸に通うようになって、すっかり薔薇のジャムにも慣れた。
反対にそれを入れないと、何かを忘れた様な気にもなる。
この不思議な習癖というか、中毒性は、この国そのものの様な気がする。

アグネスの卒業式には予定が入っていて、出席出来ないので、しばらくはこの邸に伺う事もないし、先生にも会えなくなる。


「ノイエの事は御礼を申し上げたいと、思っていました。
 改めて……ありがとうございました」

先生に頭を下げられるが、俺は大した事はしていない。
初対面では煽ってきたノイエも、公爵家の晩餐会で会った時に頭を下げられてからは、親しくなった。
それはお互い、アグネスには言わなかったが。

幾度も顔を合わせて会話を重ねる中で、学院を卒業したら国を出たいと聞いて、俺がした事はリヨンのライナスへ手紙を出しただけ。
彼の夢を実現するには俺の知る限り、自由と芸術を守るフォンティーヌ女王が治める国リヨンがいいと思ったからだ。
金銭的な援助はしていない。
ただ入国したら、先ずはライナスを訪ねる事、それから居場所を変える時には必ず連絡を入れる事を約束させただけだ。


初恋の相手が、兄に嫁いで義姉になる。 
ふたりの姿を、側で延々と見続ける。
ノイエの話に、胸が痛んだ。
そして、気付く。

これが俺とクラリスが、アグネスに与えた痛みなんだ、と。
考えなしの俺達はまだ12だった彼女に、この痛みを与えてしまったんだ。
いくら後からこんな理由があったと言い訳しても、それは無かった事には出来ない。
俺の寂しさなんて、比べる事も出来ない。

ノイエは、アグネスへの俺の贖罪だ。


「御礼など、仰らないでいただけますか。
 私は目障りな虫を、追い払っただけです」


 ◇◇◇


昨日、アグネスの様子はどうだったかの話を先生が始めた。


「我知らず、きつい責める物言いになりました。
 あれは説得とは、程遠い……自己嫌悪に苛まれましたよ。
 結果としてアグネス嬢は決行すると、確信しました」

「……そうですか、先生に対してもそうなら、私には止められそうもありませんね」

出会った頃の素直なアグネスを頑なにしてしまったのは俺だ。
取り敢えずは、死人還りなるものの説明をもっと詳しくと、お願いした。


元々は遠い地で亡くなった子供にもう一度会いたいと願う親が始めて、本当に還ってくると広がったらしい。
息子に似た年齢の……出来れば兄弟だったり、友人だったり、個人をよく知る人物を依り代にして、霊を呼ぶ。
兄弟も友人も居ない場合は、人形を用いる。

依り代が人物の場合は、依り童。
人形の場合は、形代と、呼ばれる。
当然のように、術の成功率は依り童の方が高くなる。
それはやはり知っている人物が、死者を装うからか。


本当に還ってきたのだと信じた者の方が少ないのに、それが受け継がれてきたのは。
それでも、死んでしまった人間に会いたいと願う人が多いからだ。

術に関わった誰もが、これはまやかし、偽りだとわかっていても、死者にもう一度会いたくて行う、鎮魂の……


「死人が出たと仰っておられましたが、それはやはり霊的なものではないですね?」

「そうです、人的なものです。
 一種のトランス状態に陥った依り童と呼ばれる人物が暴れてしまって、倒した蝋燭の火で火事が起きた。
 それと、刃物を持ち出して周囲の人間や自分の首を切り付けた、そんなものです」

「トランス状態……」

「変格意識状態とも、呼ばれています。
 本来の自分とは違う感覚や記憶、それに囚われてしまって、文字通り人格が変わってしまう。
 死者よりも生者が恐ろしいのです」

依り童の方が成功率が高いなら、アグネスはこちらを選ぶだろう。
それも自分を、姉に似ている自分を依り童とする筈だ。
無意識に暗示を自分にかける彼女は危う過ぎる。


「通常はかける人物と依り童の、最低ふたりは必要です。
 アグネス嬢には、協力者がいそうですか?」

バロウズにそれ程親しい人物が居ただろうか。
余程信頼出来て、口が硬い人物じゃないと無理だ。


「悪手でしたよ、責めるのではなく、手伝うと言えばよかった。
 アグネス嬢は私に手助けは頼まないし、私から言っても邪魔をされるだろうと、用心するだけ……」

後悔したような先生に俺は言ってみた。


「私が手伝うと、言ってみるのはどうでしょうか?」

アグネスの全てを受け入れると、いつだったか先生に話した。
それを証明する時が来たと、思った。



先生は頭を振る。

『ご自分の立場をお分かりでしょう?』と。
しおりを挟む
感想 335

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】お世話になりました

こな
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

成人したのであなたから卒業させていただきます。

ぽんぽこ狸
恋愛
 フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。  すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。  メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。  しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。  それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。  そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。  変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。 ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。 しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。 ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。 それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。 この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。 しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。 そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。 素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。

処理中です...