【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第77話

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この日は翌年1月の私のデビュタント用のドレスの注文をする為に、アシュフォード殿下にドレスサロンへ連れ出されました。
今回ゆったりした日程で休暇を取られたのも、これが目的のひとつだからだと殿下は仰せになりました。

ドレスのオーダーには時間がかかります。
完成までに何度もフィッティングが必要で、店に足を運ぶか、邸まで来て貰うか。

今も昔もファッションの流行はリヨン王国から始まると言われていて、殿下にも『良ければリヨンの有名メゾンでドレスを作らないか』とお誘いをされたのですが、たった一度の夜会の為に、わざわざリヨンまで行くのは……とお断りしました。
普通のドレスならともかく、デビュタントの白いドレスはただ一夜纏うだけなのです。

殿下としては、リヨンでドレスを注文して、あちらのご友人達にも私を紹介してくださるご予定だったそうなのですが、こちらも謹んでご辞退致しました。
それで、この日はトルラキアの王都グラニドゥで一番のドレスサロンへドレスのオーダーに参ったのでした。

私にとってはそれも贅沢だったのですが、よくよく考えればパートナーを勤めてくださるのが王弟殿下なのですから、外見だけでも相応しく装わなくてはならないと思い直したのでした。

ドレスの型番と細かく追加するデザイン、生地、縫い付ける繊細なレースや煌めく宝石等の装飾を決定し、そしてサイズの測定。

『どこかに金と紫を入れて欲しい』と、殿下が命じられたのはそれだけで、後は私の好きにさせてくださいました。
私でさえ疲れるこの作業には2日間かかり、それにずっと殿下は付き添ってくださっていて。


「今回はリヨンへ行かれていた慰労の休暇でしたのに、これでは全然お休みになれていないのでは?」

「そんなことないよ。
 予定ではリヨンに君を連れて行くつもりだったし、君と居られるだけで、疲れは癒されるよ」

サロンでそう仰せになるお優しい殿下に、打合せをしていた店員さんやお針子さん達はうっとりとしていたようですが……
ここに来るまでも大変でした。
それは私がドレスの代金は殿下にお支払をしていただく必要はないとの父からの伝言を、初日の帰りの馬車でお伝えしたからでした。


「どうして?
 君のデビュタントは全部俺が用意すると、前々から決めていたのに」

「父もそう決めていたようです。
 婚約者でもない殿下にそこまで甘えられません」
 
私がそう言うと、殿下は少しだけ寂しそうに微笑まれます。
それに気付かない振りをして。
嫌な物言いをする私でした。


あのまま……3年前のバロウズでの日々が続いていたのなら。
母が居て、姉が居る……あの日々が続いていたのなら。
今頃、私と殿下は婚約をしていた様な気がします。

お誘いしてくださった通りに、リヨンのメゾンで一夜限りの為のドレスを贅沢に注文して、殿下のご友人方にご挨拶をして……
それとも例のマダム・アローズでオーダーをしたかもしれません。

でもそれは既に失われてしまった未来でした。
どんなに望んでも、もう手に入らない未来。


それは不思議な感覚でした。
あの日、ストロノーヴァ公爵家に殿下と伺って。
話の流れで何故か、催眠術を受ける事になって。
初めて術をかけられたので、これが普通なのかわからないまま……
意識はあるのに、今まで話せなかった事、話したくなかった事。
この様な話はするべきではないと思いつつ、第3者の前で明らかにしてやりたい。
そんな感情もあって。

自然に口にしていました。
手を握ってくださっている殿下が動揺されているのもわかっていましたし、術をかけたアーグネシュ様が優しいけれど私を観察している事も、離れた場所から検証される為にその場全体を冷静に見ているストロノーヴァ先生のお姿も。
それらが全てが見えていた様な。

私が私を見ている感覚です。

話して泣いて優しく抱き締められて、本当に眠りに落ちて。
深い眠りから覚めたら、とてもスッキリしていて。
私を背中から抱いていてくださっていた殿下と目が合った時、催眠術にかけられてよかった、と思いました。

私はもう謝らなくていい。
謝って貰う側の人間になったのだ。


その直感の通り、翌日から殿下には謝罪されるようになりました。
生誕夜会の事、リヨンの女王陛下の事、姉をパートナーにして、ブレスレットを渡してしまった事。
ドレスとカードを贈ることになった経緯やそれを原因としたバージニア王女殿下の嫉妬からの事件の真相。
温室で私が聞いてしまったトルラキア語での会話の秘密、そしてあの愛の言葉。
それらを全て話してくれました。

殿下がずっと私に話を聞いて欲しいと言っていたのは、この事だったのだとわかりました。
私は姉の代わり、ではなく。
私だけが出会った時から好きだったと仰ってくださいましたし、ずっと欲しかった『愛している』という言葉も何度も仰せになって。
『許さなくてもいい、謝りたい』
何度も頭を下げられて。

それらを全部、殿下は惜しむことなく与えてくださったのに。


自分でも理解出来ない感情でした。
許さなくてもいいなら、許すとは言わない。
大好きな大好きな……このひとしか私は好きになる事はない。
愛しているのに憎い。
憎いのに、他には誰も要らないくらい愛している。
このひとが居なければ、母と姉は今も生きていたかも知れない。

色んな感情が私のなかで渦巻いていました。
それを別の私が見ているのです。
君だけを愛していると抱き締められている私を見ている別の私こそが、本当の私。

その不思議な感覚が、いつの間にか不思議でなくなり、当たり前に受け入れる様になるまで、それ程の時間はかかりませんでした。


 ◇◇◇


長い休暇を終えられて、アシュフォード殿下はバロウズへ帰国されました。
再び、私は日常へ戻る筈だったのですが。
イェニィ伯爵夫人が伯爵家へ私をお誘いしてくださる様になりました。

アーグネシュ様は普段は王都学園で週に2回程相談室を開いていらして、そちらでリーエと知り合われたそうなのです。


「王都学園には比較的裕福な平民の子弟子女が通っているの。
 その中で学校からの退学処分ではなく、自ら中途退学の申し出があれば、呼び出して事情を聞くことになっていて」

「やはり途中で辞められる方もいらっしゃるんですね」

「男子の場合は経済的な理由が多いので、本人に希望を聞いて奨学金でどうにかならないか保護者に確認したりね。
 女生徒は本人の意に染まぬ結婚の可能性もあるのよ」

「……」

「家の為だと言われたら、学校からはどうしようも出来ないけれど、本人から話を聞く事で彼女達の気持ちは少しはましになるの。
 話を聞いてくれる、それだけで救われたと言われることもあって……本当に聞くしか出来ない自分に落ち込む日もあるけれど、とても遣り甲斐のある仕事だと思っているの」

「……リーエは想うひととの結婚でした」

私がそう言うと、アーグネシュ様は懐かしそうに目を細められました。


「そうだったわね、リーエの事はあの容姿だから相談室に呼び出す前から知っていたの。
 友人が居ない様子なのが気になって、辞める理由は苛めかしらと思って」

「リーエは女性からは誤解されやすくて……」

「そうね、恋を繰り返す女性はそう見られやすい。
 この男性は駄目だと思うと、見限るのが早いのよ」

「……」

「アグネス様はずっと……これからも王弟殿下だけと決めていらっしゃるの?」


それは賛成するでもなく、責めるでもなく。
とても静かな……
私は同情されているのかもしれない。
ひとりのひとに囚われてしまっている私はアーグネシュ様から哀れに見えているのかもしれません。


「殿下の事は憎いです、だけど愛しています。
 私の心には殿下しかいないのです」


それは口にせず、心のなかだけで思っていればいい事なのに。
もう催眠術にはかかっていないのに。


ここは裕福な伯爵邸で。
選び抜かれた美しい調度品に囲まれて。
美味しいお茶と手の込んだお菓子。
ここは学園の相談室ではないのに。

『話すだけで救われる』

そう言った顔も知らない平民の女性達の言い分が少しだけわかった気が致しました。





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