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第74話 アシュフォードside
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違う、違う、確かに3回言ったけど!
そんなんじゃなかった、先生の代わりに言っただけなんだ!
それを聞かせてくれたら、勇気を貰えるだったか、頑張れるとか、何とか言われて。
クラリスは楽しそうに笑っていたけど、俺は楽しんでなんかいなかった!
カードを返して欲しくて言ったんだ!
いつの間にか俺の背後に回っていた先生が俺の肩を押さえる。
アグネスに知られていた事に動揺して体勢が動いていたのだ。
見上げると先生の赤い瞳と視線が絡んだ。
『違います』と否定したいのに、首を振られる。
「殿下もクラリスも、あんなに上手にトルラキア語を話せるなんて教えてくれなかった。
私の知らないところでふたりで勉強して、おしゃべりしていたのだ、としか……」
ひとりしか教えたくない教師に、王城で教えて貰っていたんだ。
先に習得を終えていたクラリスとは、同時に習っていない。
あの日まで、学園ででも二人きりで会った事もなかった。
いつだって、並んで歩く時だって、間にレイを挟んでいた。
トルラキア語を知る人間が少ないからと、あの時はそれで話をしただけだ。
アグネスにちゃんと、俺も外交の為に語学を勉強中だと説明していたら、ここまでの誤解はさせなかった。
手始めにトルラキア語を選択したのは、それこそ君とだけの会話をしたくて……
あの後、温室で俺に組み紐を手渡したアグネスの心情を思うと、申し訳なくて震えた。
最悪だ、アグネスが呪いを掛ける原因を作ったのも俺だった。
君を苦しめていたのは俺だったんだ。
呪いを受けるべきは俺だった。
◇◇◇
「殿下がクラリスに愛していると言っていたのね?
それを聞いて貴女はどうしたの?」
「それは……」
もうここまでにしてくれ、もう聞かせないでくれ、そうお願いしたかった。
ドレスとカードについてまでは先生に話したが、温室での話はしていなかった。
狡い俺の中では、それはアグネスにいつか話して謝ろうとは思っていた事だったけれど、他の人には知られたくなかったからだ。
俺の愚かさが遡って明るみになっていく。
アグネスの手を握る掌に汗をかき始めていた。
「ドレス、贈った、カード、カムフラージュ、誤解……
ふたりは話していて……」
アグネスがトルラキア語で単語を話し続けていく。
万が一、誰かに聞かれてもばれないからと、バロウズの言葉でなく外国語を使用した事実が。
こうして晒されると、それが如何に秘密めいて淫靡な関係であると受け取られるか、突き付けられた様な気がした。
「それで殿下がクラリスにドレスとカードを贈ったのかもと思って……探しに行って見つけたの。
綺麗な、すごく素敵なドレスと……」
「カードも見たのね?」
あれだけは、あれだけは君に見られたくない。
そう祈ったが、アグネスは微かに頷いた。
「ドレスはどうしたの?」
「お姉様のお部屋に……でも、消えてしまったの。
……王太子殿下に命じられて皆で探したけれど……」
夫人の問いに、アグネスは苦しそうに眉をひそめた。
そして、俺の手から自分の手をそろそろと、引き抜こうとしていたので、慌ててその手を掴んだ。
今この手を離してしまったら、二度と掴まえられない、そう思って。
ドレスだけじゃなく、カードまで見られていた。
俺に手を握られたくないのはショックだが、無理もない。
自分と姉の両方に愛を囁く最低な男、俺はそう思われている。
あの頃ふたりだけで話す事を徹底的に避けられていた。
邪魔をする様に入ってくる従兄、逸らされる視線、虚ろな笑顔、噛み合わない会話。
未だに記憶の奥で燻っていたそれらの辻褄が合った。
「私は愛しているなんて、言われた事もない!
……愛を込めて……そんなカードを、いただいた事も!
私が大人になるのを待つのに、疲れてしまわれたんだ、と」
「アグネス、落ち着いて?
一度息を吐きましょうね、深く、そう……」
今までよりも大きな声を出したアグネスの呼吸が荒くなる。
当時を思い出したのか、また涙が流れ始めた。
何も考えていなかった自分が。
その時その場を凌ぐ事だけに腐心していた自分が、許せない。
「それで貴女はクラリスが邪魔になったのね。
でも、殿下は? 殿下には何もしなかったの?」
「……温室でお揃いの、渡したら……
渡したら、泣いたから、もういい、って。
悪魔に誘惑されてるだけ……そう思いたかった」
「だから、殿下の事は許したのね」
そう言いながら夫人が俺を一瞥して……その視線が痛かった。
アグネスの苦しみを救いたいなんて、傲慢だった。
自分が仕出かした事こそが、アグネスを苦しめていたのに。
「その時は、アグネスにとってクラリスが悪魔に思えたのね。
そう思ったのも仕方なかったわね。
ごめんなさいね、辛い話をさせてしまって」
「……どうしたらいいのか、わからなくて。
クラリスに何故ドレスが贈られたのかも……
無理矢理に聞き出した。
優しくしてくれたお姉様に……意地悪したのに、謝ってな……い。
……もうお母様にも、お姉様にも会えないの。
……許して貰えない」
夫人はテーブルに燭台を置き、左手から右手へアグネスの手を持ち返して握り……
それから、そっとアグネスを抱き締めた。
「皆が貴女を愛しているの。
とても大切に想っている。
その想いを受け取ることを恐れないで。
お母様とお姉様もね、今でも貴女を愛しているのよ。
おふたりは貴女のせいだと思っていらっしゃらない」
アグネスのぎゅっと瞑った目頭が濡れているのが、ぼんやりした灯りの中でも見えた。
「もう、休んでね?
ゆっくり眠ろうね。
殿下の方に凭れて……」
自分が抱き締めていたアグネスの身体を、夫人は俺の方にゆっくり倒すように渡してきた。
俺の胸に背中を預けてきたアグネスの重みが、あまりにも軽くて……
『貴方が語る言葉と、自分自身の目で見た貴方の姿だけを信じます』
かつて腕の中で、噂など信じないと、俺を見上げて誓ってくれた君は笑顔だった。
俺が語った偽りの愛の言葉と、見られた名前入りのカードが君の本当の笑顔を奪ってしまった。
夫人はまた、深呼吸を促す。
今度は夫人も俺も同じ様に深呼吸をして、アグネスの吐く息にゆっくりと合わせて行く。
それを時間をかけて行うと、アグネスの吐息は寝息に変わった。
ポケットから懐中時計を取り出して、先生は時間を確認した。
アグネスを起こす時間を測っているのだ。
イェニィ伯爵夫人が立ち上がり、俺達から遠い場所から蝋燭を消していく。
それに近寄った先生とふたりで何か話し合っていた。
会話を終えた先生がこちらに戻ってくる。
「殿下、そろそろアグネス嬢を起こします」
「とても気持ち良さそうなんですが、もう少し寝かせてあげるのはいけませんか?」
アグネスの眠りを妨げたくなくて、小声で会話する。
「最適なのは15分前後なんです、それを過ぎると却って目覚めが悪くなる」
今が15分くらいなのか、先生からそう言われると起こさなくてはいけない気になった。
催眠術らしきものにかかった時間は1時間くらいか。
あれもやはり睡眠に入るのか。
そっと彼女の額にかかった髪をかきあげて、耳元で名前を呼びかける。
何度か呼ぶと、アグネスが目覚めて。
至近距離で久しぶりに視線が合い、どきりとした。
さっき聞かされた話が頭の中で駆け巡ったからだ。
自分を裏切っていた、姉を愛していた、そう思わせた俺に別れを告げないのはどうして?
先生がカーテンを開くと、午後の柔らかな日差しが部屋の中に入ってきた。
そして全ての蝋燭を消して、先生はベルを鳴らした。
そんなんじゃなかった、先生の代わりに言っただけなんだ!
それを聞かせてくれたら、勇気を貰えるだったか、頑張れるとか、何とか言われて。
クラリスは楽しそうに笑っていたけど、俺は楽しんでなんかいなかった!
カードを返して欲しくて言ったんだ!
いつの間にか俺の背後に回っていた先生が俺の肩を押さえる。
アグネスに知られていた事に動揺して体勢が動いていたのだ。
見上げると先生の赤い瞳と視線が絡んだ。
『違います』と否定したいのに、首を振られる。
「殿下もクラリスも、あんなに上手にトルラキア語を話せるなんて教えてくれなかった。
私の知らないところでふたりで勉強して、おしゃべりしていたのだ、としか……」
ひとりしか教えたくない教師に、王城で教えて貰っていたんだ。
先に習得を終えていたクラリスとは、同時に習っていない。
あの日まで、学園ででも二人きりで会った事もなかった。
いつだって、並んで歩く時だって、間にレイを挟んでいた。
トルラキア語を知る人間が少ないからと、あの時はそれで話をしただけだ。
アグネスにちゃんと、俺も外交の為に語学を勉強中だと説明していたら、ここまでの誤解はさせなかった。
手始めにトルラキア語を選択したのは、それこそ君とだけの会話をしたくて……
あの後、温室で俺に組み紐を手渡したアグネスの心情を思うと、申し訳なくて震えた。
最悪だ、アグネスが呪いを掛ける原因を作ったのも俺だった。
君を苦しめていたのは俺だったんだ。
呪いを受けるべきは俺だった。
◇◇◇
「殿下がクラリスに愛していると言っていたのね?
それを聞いて貴女はどうしたの?」
「それは……」
もうここまでにしてくれ、もう聞かせないでくれ、そうお願いしたかった。
ドレスとカードについてまでは先生に話したが、温室での話はしていなかった。
狡い俺の中では、それはアグネスにいつか話して謝ろうとは思っていた事だったけれど、他の人には知られたくなかったからだ。
俺の愚かさが遡って明るみになっていく。
アグネスの手を握る掌に汗をかき始めていた。
「ドレス、贈った、カード、カムフラージュ、誤解……
ふたりは話していて……」
アグネスがトルラキア語で単語を話し続けていく。
万が一、誰かに聞かれてもばれないからと、バロウズの言葉でなく外国語を使用した事実が。
こうして晒されると、それが如何に秘密めいて淫靡な関係であると受け取られるか、突き付けられた様な気がした。
「それで殿下がクラリスにドレスとカードを贈ったのかもと思って……探しに行って見つけたの。
綺麗な、すごく素敵なドレスと……」
「カードも見たのね?」
あれだけは、あれだけは君に見られたくない。
そう祈ったが、アグネスは微かに頷いた。
「ドレスはどうしたの?」
「お姉様のお部屋に……でも、消えてしまったの。
……王太子殿下に命じられて皆で探したけれど……」
夫人の問いに、アグネスは苦しそうに眉をひそめた。
そして、俺の手から自分の手をそろそろと、引き抜こうとしていたので、慌ててその手を掴んだ。
今この手を離してしまったら、二度と掴まえられない、そう思って。
ドレスだけじゃなく、カードまで見られていた。
俺に手を握られたくないのはショックだが、無理もない。
自分と姉の両方に愛を囁く最低な男、俺はそう思われている。
あの頃ふたりだけで話す事を徹底的に避けられていた。
邪魔をする様に入ってくる従兄、逸らされる視線、虚ろな笑顔、噛み合わない会話。
未だに記憶の奥で燻っていたそれらの辻褄が合った。
「私は愛しているなんて、言われた事もない!
……愛を込めて……そんなカードを、いただいた事も!
私が大人になるのを待つのに、疲れてしまわれたんだ、と」
「アグネス、落ち着いて?
一度息を吐きましょうね、深く、そう……」
今までよりも大きな声を出したアグネスの呼吸が荒くなる。
当時を思い出したのか、また涙が流れ始めた。
何も考えていなかった自分が。
その時その場を凌ぐ事だけに腐心していた自分が、許せない。
「それで貴女はクラリスが邪魔になったのね。
でも、殿下は? 殿下には何もしなかったの?」
「……温室でお揃いの、渡したら……
渡したら、泣いたから、もういい、って。
悪魔に誘惑されてるだけ……そう思いたかった」
「だから、殿下の事は許したのね」
そう言いながら夫人が俺を一瞥して……その視線が痛かった。
アグネスの苦しみを救いたいなんて、傲慢だった。
自分が仕出かした事こそが、アグネスを苦しめていたのに。
「その時は、アグネスにとってクラリスが悪魔に思えたのね。
そう思ったのも仕方なかったわね。
ごめんなさいね、辛い話をさせてしまって」
「……どうしたらいいのか、わからなくて。
クラリスに何故ドレスが贈られたのかも……
無理矢理に聞き出した。
優しくしてくれたお姉様に……意地悪したのに、謝ってな……い。
……もうお母様にも、お姉様にも会えないの。
……許して貰えない」
夫人はテーブルに燭台を置き、左手から右手へアグネスの手を持ち返して握り……
それから、そっとアグネスを抱き締めた。
「皆が貴女を愛しているの。
とても大切に想っている。
その想いを受け取ることを恐れないで。
お母様とお姉様もね、今でも貴女を愛しているのよ。
おふたりは貴女のせいだと思っていらっしゃらない」
アグネスのぎゅっと瞑った目頭が濡れているのが、ぼんやりした灯りの中でも見えた。
「もう、休んでね?
ゆっくり眠ろうね。
殿下の方に凭れて……」
自分が抱き締めていたアグネスの身体を、夫人は俺の方にゆっくり倒すように渡してきた。
俺の胸に背中を預けてきたアグネスの重みが、あまりにも軽くて……
『貴方が語る言葉と、自分自身の目で見た貴方の姿だけを信じます』
かつて腕の中で、噂など信じないと、俺を見上げて誓ってくれた君は笑顔だった。
俺が語った偽りの愛の言葉と、見られた名前入りのカードが君の本当の笑顔を奪ってしまった。
夫人はまた、深呼吸を促す。
今度は夫人も俺も同じ様に深呼吸をして、アグネスの吐く息にゆっくりと合わせて行く。
それを時間をかけて行うと、アグネスの吐息は寝息に変わった。
ポケットから懐中時計を取り出して、先生は時間を確認した。
アグネスを起こす時間を測っているのだ。
イェニィ伯爵夫人が立ち上がり、俺達から遠い場所から蝋燭を消していく。
それに近寄った先生とふたりで何か話し合っていた。
会話を終えた先生がこちらに戻ってくる。
「殿下、そろそろアグネス嬢を起こします」
「とても気持ち良さそうなんですが、もう少し寝かせてあげるのはいけませんか?」
アグネスの眠りを妨げたくなくて、小声で会話する。
「最適なのは15分前後なんです、それを過ぎると却って目覚めが悪くなる」
今が15分くらいなのか、先生からそう言われると起こさなくてはいけない気になった。
催眠術らしきものにかかった時間は1時間くらいか。
あれもやはり睡眠に入るのか。
そっと彼女の額にかかった髪をかきあげて、耳元で名前を呼びかける。
何度か呼ぶと、アグネスが目覚めて。
至近距離で久しぶりに視線が合い、どきりとした。
さっき聞かされた話が頭の中で駆け巡ったからだ。
自分を裏切っていた、姉を愛していた、そう思わせた俺に別れを告げないのはどうして?
先生がカーテンを開くと、午後の柔らかな日差しが部屋の中に入ってきた。
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