【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第72話 アシュフォードside

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「ようこそ、お越しくださいました」

ストロノーヴァ公爵邸に到着すると、先生が出迎えてくれた。
前回、伺ったときに打ち合わせていたのではないが、先生も久し振りに会った雰囲気を出してくださっている。
これで今回の訪問の目的がアグネスを催眠術にかける事だとは気付かれないだろう。
それと、俺にはある指令が下されていた。
それは……

『こちらに来る馬車の中で、アグネスの母上、もしくは姉上の名前を出して、会話をする』

それも出来るだけ中途半端に会話を止める、という俺にとっては難度の高い指令だ。


ストロノーヴァ先生の説明によると、そうする事でアグネスの頭の中に、それについて思い出したり、まだ語り足りないだったり、記憶を誘導しておくと、話す下地が出来て引っ張り出しやすい、というのだった。

自分でも、器用な方でないのはわかっている。
アグネスが度々起こす発作の原因を探る為に、自分の方から先生に助けを求めた。
ひとりでは何も出来ないのがわかっているから、出来ることはしたいと思っているのに。 

こちらからはうまく話題を誘導出来なくて。
もうすぐ到着するのにと臍を噛む思いでいたら、彼女の方から話してくれた。


「ストロノーヴァ先生はお変わりになられました。
 殿下も驚かれると思います」

先生からも聞いていた。
この3年で、ふたりが会ったのは1度だけ。
去年のオルツォ侯爵令息のデビュタントの夜。
きっと、貴族として正装をしている姿で会った感想だ。  


「ちゃんとしたら凄く素敵で、君の姉上が一目惚れしたそうだよ」


それで自然にクラリスの話を出せた。
ところが、アグネスが黙ってしまって。
侯爵夫人との関係は元には戻っていなかったが、クラリスとは仲は悪くなかった。
不自然な感じだったかな?
そうだ、アグネスにはクラリスの想いびとについて、先生だとは話していなかった事を思い出した。
唐突過ぎたな。


クラリスから聞いた『中等部の頃、来られたばかりの先生に図書室で一目惚れをした』という話をするか。
それとも俺やレイの前では絶対に見せないのに、先生の前でだけ乙女に豹変する話にしようか。
その2択で迷っていたら。

『クラリスはストロノーヴァ先生を追いかけて、トルラキアへ行こうとしていたのは本当ですか?』と、尋ねられた。
クラリスがそこまで自分で話したのか。
先代に追求されては可哀想だから妹には話さないと、亡くなる前日には言っていたのに。
あの日の事は未だに思い出すと胸が痛む。


「そのお手伝いを殿下がしようとしていたのも?」

「そうだよ、姉上から聞いたの?」

自分の家出の計画に俺がどこまで関わっていたのかも話したのかな。
あの時は話せなかったけれど、クラリス本人がアグネスに話しているのだから、もう隠さなくてもいいよな。

「……どうして?」

「どうして、って、そう約束したから」

「それは、もしかして、や……」

残念だったが彼女が言いかけた途中で、馬車が止まり。
これでストロノーヴァ先生の言う、中途半端に会話を止めるに成功しただろうか。


アグネスの頭の上で、先生と視線が交錯する。
『上手く出来たか?』と聞かれたようで。
『多分』と目で伝え、頷いた。


公爵家の家令を先頭に、応接室に案内される。
中では既に女性が居た。
この方が催眠術を専門に?

その職業から想像していたのは、眼鏡を掛けた聡明そうだが、神経質にも見える細身の女性だったが、目の前で微笑んでいるのは、少しふくよかで包容力のありそうな女性だった。
なる程、この方になら安心して何でも話せそうな気がする。 
彼女は丁寧にカーテシーをした。


「アシュフォード・ロイド・バロウズです。
 ……本日はストロノーヴァ先生の教え子として招かれています。
 どうぞ、頭を上げて下さい」

「王弟殿下におかれましては、御機嫌麗しく……」

型通りの口上が始まり、しばらくそれを聞く。
俺はいつものスマイル。


「イェニィ・アーグネシュと申します」

アーグネシュ、こちらの言葉でアグネスだ。
同じ名前か、これはアグネスも親近感がわくな。
さすがはストロノーヴァ先生だ。


「イェニィ嬢とお呼びしても?」

頭を上げたイェニィ・アーグネシュの手の甲に口付ける。


「是非、イェニィ伯爵夫人とお呼びくださいませ」

イェニィ伯爵夫人との挨拶が終わり、アグネスの紹介をした。
しばらく4人で、リヨンでの当たり障りの無い話題で歓談をする。

この場に関係のない夫人が同席していることを、先生はアグネスにどう説明するのだろう?
確か研究の協力と言って、それを俺が反対したらいいんだったな。
それまで余計な真似はしないように……

不意に先生が夫人に向かって尋ねた。


「あの例の、何だっけ、催眠術?
 あれまだ続けているの? 結婚したから引退した?」

「今でも頼まれたら、ご披露していますのよ」

「そう? 皆から頼まれて?
 あれは本当はどうなんだろうね?
 君はどう思う、アグネス嬢は催眠術って、信じてる?」

急に話題をふられたアグネスは慌てていた。
催眠術に否定的な感じの先生と、初対面の女性と。
だけど俺にはわかっている、彼女がどちらに付くか。
それは先生も夫人も同じ様にわかっている。


「まだ、催眠術を見たことがないので、どちらとも言えないのですが……
 ひとの、心の研究をなさっている先生のお言葉とは思えません」

思った通り、アグネスは夫人の肩を持った。
より力が弱い方の味方に付くのが彼女だ。
では、俺は先生側に付く事になるな。


「僕はね、実際に自分の目で見ないと信用出来ないんだ。
 もし良かったら、殿下に掛けて貰ってふたりで検証してみようか?」

え、俺が?
違うよな、アグネスにだよな。
反対はまだ言う時じゃないよな?


アグネスが俺を見る。
心細そうな表情をしてみようか、アグネスが庇ってくれそうな。


「王弟殿下に、それは如何なものか、と」

「そうだね、バロウズの民としてはそうだよね。
 アシュフォード殿下にお願いするのは不敬だ。
 じゃあ、君にお願いしてもいいかな?
 そろそろ伝承ばかり追いかけるのも疲れてきててね。
 結果次第では、僕の研究範囲も広がるから、とても助かるよ」

俺が頼んだから、先生は協力してくれているのだが。
ぽんぽんと早口で言われて、アグネスが気の毒になってくる。


「わ、私、ですか?」

「だ、駄目だ、アグネスは。
 止めて、私が」

俺が拙い台詞を言う。
トルラキアのふたりに比べて芝居が下手なのは、バロウズ王家の血か。
イェニィ夫人がにっこり笑って言う。


「ストロノーヴァ様でもよろしいと思いますけれど?」

「僕が掛けられたら、検証出来ないでしょう?
 やはりアグネス嬢に、協力して貰うのが一番いい」

「アグネスは駄目です、私が」

大人3人で言い合っていると、諦めたのか、呆れたのか、アグネスがわかりました、と言った。 


「催眠術を私に掛けてくださいませ」


彼女がそう返事をすると、すかさず隣に座っていたイェニィ伯爵夫人が立ち上がり、アグネスの足元に跪いた。


「アグネス様、利き手はどちらですか?」

「み、右です」

「では、右手を殿下にお預けしましょう。
 ずっと握っていていただくと安心ですわね」

夫人はそう言ったが、先生の方が安心するのでと言われたらどうしたらいいかと、それが一瞬頭をよぎったが、彼女の向かい側から右隣に移動した。
幸いなことに、アグネスは頷いて素直に俺に右手を預けてくれたので、両手で挟むようにして柔らかく握る。
この手は絶対に離さない。


「左手は私の掌の上に」

差し出された夫人の左の掌に、緊張した面持ちのアグネスが自分の掌を重ねた。
    
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