【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第67話

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私が祖母に連れられてトルラキアへ参りましたのは、秋が終わる頃でした。

この国では丁度学年末にあたり、その時期に転入するより、春の中等部入学に向けて、バロウズでほとんど通わなかった初等部6年の学習とトルラキア語の猛特訓が始まりました。
貴族学院からは入学の為に初等部卒業までの学力の有無と授業内容を理解出来るかの判断になるトルラキア語をどこまで習得しているかのテストを行う、と通知されたからでした。

寒冷地域故の暖房設備が整っている祖母の邸はとても暖かく、覚悟をしていた寒さもそれ程ではありません。
年末にはバロウズから父と兄も来て、喪中だから華やかな飾りつけやパーティーはしませんでしたが、それなりに少し賑やかな新年を迎えることが出来ました。


父と兄とは王都グラニドゥの街並を散策し、グラニドゥ・シュトー・オステルへ案内して、リンゼイさんのバロウズ料理に舌鼓を打ちました。
ホテルのご主人ペテルさんがバロウズ語で、私がトルラキア語で会話をするのを、兄は
『不気味過ぎる、理解出来ない』と笑っていました。


兄とはリーエと3人で隣街の出会い市にも行きました。
最初、あの日を思い出して辛くなるかと思ったのですが……何故か静かな気持ちでお店を見回る事が出来ました。
あの組み紐のお店がなかったからかも、知れません。

リーエは、あの日パエルさんにねだって買って貰った組み紐を付けていなくて。


「パエルが浮気をしているみたいなの」

「本人に聞いたの?」

「そんなの聞けるわけないわ!」

3年前には私に、殿下ご本人に話を聞けと言ったリーエなのに。
兄も余計な事は他人には言わないタイプなのですが。
『落ち着いて、気のせいじゃないか』とリーエを宥めていました。

結局、この後リーエはパエルさんと別れて、なんとパエルさんの親友のトマシュさんとお付き合いを始めたのですが、それは殿下にも兄にも手紙で知らせることはやめました。
どう書けば、上手く伝えられるかわからなかったからです。
恋の遍歴を重ねたリーエの選択はよくわかりませんが、私が彼女を大好きなのは変わりませんでした。 
一時険悪になりかけたパエルさんとトマシュさんも仲直りしたみたいだし、トマシュさんがリーエの終着点になればいいな、と思うだけでした。


そうして冬が過ぎていき。
私は貴族学院のテストに合格して、無事に中等部入学が決まりました。
注文していた制服を身につけて祖母の前に立ちます。
合格して、無駄にならなかったのがとても嬉しかったのを覚えています。


「アグネスには、こちらの水が合うのかしら。
 背も延びて、頬もふっくらして、ますます可愛らしくなったわね」

生意気で大きな私を可愛いと言ってくださるのは親族と……殿下だけだった。
不意に殿下の事を思い出す事も多くて。
普段ずっと考えている訳ではないのに。
瞬間瞬間でかけてくださったお言葉を思い出したり、目の前にお姿が浮かぶのです。


この一面の雪景色を見たら貴方は、どう言うのだろう。
甘いものが苦手な貴方は、こんなに甘いケーキを食べたら吐き出すのかな。
この真新しい制服を着た私を、貴方は……


祖母の邸から見たリヨンの方角を兄に教えて貰っていました。
時々そちらを見て、リヨンの空を想いました。

私にとって殿下は。
会えば逃げ出したくなるのに、会えないと何度も想ってしまうひとでした。


 ◇◇◇


誰ひとりとして知り合いのいない学院生活が始まりました。
やはり私の金髪と青い目はこの国では珍しいのか、ジロジロと見られる程ではありませんが、廊下等で追い越されると振り返られて2度見されてしまう事も多々ございました。

クラスメートとは全員と挨拶は交わすのですが、そこから話を広げてくださるご令嬢も2、3の決まった方達でしたので、少々淋しい日々でした。

その日は以前から調べてみたい事があって、私は中等部の図書室に来ていました。
バロウズの学園では図書室は特別教室棟にあり、初等部から高等部まで在籍している生徒全員が利用する広いものでしたが、こちらでは中等部は中等部の校舎に図書室があって、自分の校舎の図書室しか利用出来ない決まりとなっていました。
ですから、私の読みたい本が中等部図書室に無ければグラニドゥの王立図書館に行かねばなりません。

私の調べたい、読みたい本は果たして中等部生向けに有るのでしょうか……
おそらく無いのではないか、と思いつつ書架に並べられた背表紙を一冊ずつ辿っていきます。

新学年が始まってすぐの、お昼休みの図書室は人影もまばらでした。
きっと皆、新しい教室で、新しい顔触れで、新しい関係を築くのを優先されているのでしょう。
本来なら私もその場に居た方がよいのはわかっていました。
最初にグループに入れなければ、クラスで外れてしまう。
それがわかっていても……

まだ時間は有る、もう時間は無い。
この事を考え始めると焦燥感に駆られてしまう私でした。

その分類の書架が次の列で終わろうとしていて、私はそこへ入ると目の前に現れたひとに既視感を覚えました。
そのひとは直接床に座り書架にもたれて、読書をしていたのです。

イシュトヴァーン・ストロノーヴァ先生。

学園の図書室で、昼休みに会いに行った。
いつも床に直接座っていたり、寝転んでいたり、大人の癖に行儀が悪い先生。
取っつきは悪いのに、話し始めると色んな話をしてくださった。
読書の邪魔をしてるのに、いつもその場所に居てくださった。

『よく誤解されるんだけど、僕は吸血鬼や魔女の研究をしているんじゃないんだ。
 どうして、人々の間でそんな伝説や伝承が広まったのか、それによって人は何を求め、何を得られたのか、そんな人間の心の研究だよ。
 人の心の研究なんて終わりがないから、辞め時が見つからないんだ』

私にとって、教えを与えてくれたのはストロノーヴァ先生でした。
今の私を助けてくださるのは先生しか居ないのに。
同じ国にいらっしゃるのはわかっているのに。
もう話を聞いて貰えない、もう会えない先生。


年齢も様子も違うのに、目の前で同じ姿勢で読書をされている方に、何故かストロノーヴァ先生の面影が見えて。

つい、口に出してしまいました。


「ストロノーヴァ先生、お会いしたかった」

それが聞こえたのか、その方が本から顔を上げられて。
あぁ、やはり先生だ、と思いました。
この国に来て、初めて先生と同じ赤い瞳の方とお会いしたからです。

赤い瞳の方は読んでいた本を閉じられました。
そのまま立ち上がり、こちらへやってこられました。

私より頭1つ以上背が高く、綺麗な黒髪を肩の辺りまで長く伸ばされていました。
背は高いのに細身で華奢で、綺麗な顔立ちをされていたので一瞬女性かと思いました。
ですが、制服のタイは紺色で1学年上の男性の先輩であることがわかりました。
それに目の前に立たれると、ストロノーヴァ先生とは全く違う印象の方でした。

じっと私の顔をご覧になり、皮肉そうに微笑みました。


「へぇ、今まで女の子から色々と声をかけられてきたけれど、ストロノーヴァの名前を出すなんて、怖いもの知らずだね。
 1年生でしょう、何処から来たの? 金髪だね、留学生?」

「……バロウズからです」

仕方なく答えながら、私はしまったと思いました。
ややこしいひとに声をかけてしまった。
場所が図書室だったせいで、先生を懐かしむあまり、中身は似ても似つかないひとに声をかけてしまった。


「読書の邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした。
 ご事情のよくわかっていない新参者ですので、お許しくださいませ」


不注意にストロノーヴァの名前を出してしまった自分を呪いたくなりました。
この国ではその名は特別であると、既に知っていたのに。


「俺はまだストロノーヴァじゃないんだ。
 いつかなるかも知れないし、いつまでもならないかも知れない」

謎かけのような訳がわからない事を言われて、私は後ずさりました。


「本当に申し訳ございません。
 失礼致します。ごめんなさい」

頭を下げて、小走りでその場を去りました。
怖い怖い怖い、と、心のなかで繰り返しながら。

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