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第1章 今日、あなたにさようならを言う

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 フラットに到着すると、キャリッジの運転手は運賃とチップの受け取りを拒否した。
 既にフィリップスさんがチップを含めて多めに渡してくれていたらしい。
 そして、わたしがパピーを抱いているから、ドアの前まで重い氷が入った荷物を運んでくれた。
 そこまでを、運転手にお願いしてくれていたのだ。



 帰宅して直ぐに行ったのは、わたしのベッドに寝かせる前にパピーの汚れを拭くことだった。
 着ていた服は背中からハサミを入れて、慎重に脱がせた。
 血が固まりだして、傷口にくっついた服がこれ以上パピーを傷付けないように慎重に剥がしていく。

 顔は泥がこびりついたような感じだったが、汚れを落とすと造作は整っていた。
 身体は不思議と汚れていなくて、全身を拭くのは、明日以降にすることにした。
 夢うつつ状態のパピーはわたしにされるがままで、前開きのわたしの夜着を着せて、ベッドへ運んだ。




 体力気力を消耗したのか、ずっと眠っていたパピーは、フィリップスさんが教えてくれた通り夜中に熱を出した。
 しかし帰宅したら直ぐに傷口を消毒して薬を塗り込んで、1錠の半分弱の鎮痛剤を飲ませるように言われていたので、それほど高熱にはならなかった。
 額に手を当てると、じんわり熱さを感じるくらい。 


 お陰でわたしも少し眠れた。
 明け方にもう一度氷嚢の氷を替えて、眠り続けるパピーの頬を撫でた。



 それから手早く身支度をして。
 パピーが目を覚ます前に、フィリップスさんがパピーに着せてくれていた彼のコートを手にして部屋を出た。


 気が急いていた。
 先ずはノックスヒルに電話を入れて、モニカのことを知らせなくては。
 その後、コートをクリーニングに出して。
 馴染みのその店は丁寧なのに、安くて早い。
 それから角の食料品店へオートミールとミルクを買いに行って、目覚めたパピーに蜂蜜を入れた甘いポリッジを作ってあげよう、と思った。




 土曜日の朝早くは、いつもより人通りは少なくて静かだ。
 白いとんがり屋根の電話ボックスに入って、受話器を上げて交換手にクレイトン領のノックスヒルと告げた。
 ノックスヒルとは領地を見下ろす小高い丘の名前で、伯爵家のカントリーハウス以外に建物はないので、ノックスヒルと言えばウチを指した。


 しばらくすると。
 父がノックスヒルの真の主と呼ぶ、家令のクリフォードが電話口に出た。


「おはようございます、ジェラルディンお嬢様」

 いつも通りの落ち着いたクリフォードの声だ。
 彼は父が幼い頃からクレイトン伯爵家に仕えてくれている。
 この忠実なクリフォードを忙しい目に合わせるのは忍びないが、今日の1日を乗り越えられるかは、彼の双肩にかかっている。


「おはようクリフォード、お父様とお母様はいらっしゃる?」

 わたしは挨拶もそこそこに早口で切り出した。


「旦那様は夜明けから鴨撃ちへ。
 奥様は教会のバザーへ」

 わたしの逸る気持ちが受話器からも伝わったのか、返すクリフォードの返事も短い。
 父が朝一番で猟に出ているであろうとは思っていた。
 鴨はモニカの大好物だからだ。

 11月第2週に猟が解禁されると、10日に1度は父はモニカが喜ぶから、と鴨を撃ちに行っていた。


 これから。
 わたしは姪の帰郷を心待ちにしているそんな父も含めて……

 ノックスヒルの皆が信じたくもない、心を削るであろう話を、聞かせなくてはいけないのだ。


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