41 / 51
第五章 長い夜の祈り
40.だから俺は、戦う。
しおりを挟む
『……っ、はぁ!? なんなの一体……』
魔族の少女は、ここにきて初めて動揺する様子を見せた。一瞬視界に【青白い光】のようなものが映ったかと思えば、次の瞬間には狐耳の魔法使いを締め付けていた蔓が、根元から両断されていたのだから。
少女の目では追うことすら出来なかった何かが、割って入ってきたのだ。
少女は感情の昂りを抑えきれなかった。
『まだ楽しませてくれるのか』と。
彼女の揺らいでいた表情が、再び歪んだ微笑みに移り変わる。
「間にっ……合った……」
瞬時に数メートルの飛躍と全力の一撃という早業をこなしたルフトは、体力と魔力双方の消耗からか激しい息切れを起こしていた。先程まで蒼白の揺らめきを灯していた刃には、消えかかった小さな灯火が点々と燐光を放っている。
外壁への衝突を回避しきれなかったことで巻き起こった土煙の中、敵の次の一手が来ないうちにとルフトは呼吸と体制を整える。
「えっ、と……お兄さん……?」
けほけほと咳き込みながら、フェルトは目を開いて自分の置かれている状況を改めて確認する。ルフトの片腕に抱かれていることに気づき、頬を朱に染めて。おそるおそる、荒い呼吸を続けるルフトを見上げた。
「助けて、くれたんですか……?」
上目がちに訊ねるフェルトの無事を確認して、ルフトは安堵の息を吐く。
「ったく、当たり前だろ……」
「……あの、さっきはすみません。逃げろって言われたのに、私、あんなワガママ言って、足手まといで……」
死力を尽くして自分の救助に入ってくれたことを嬉しく思いつつも、自身の無力さで迷惑をかけたことをつい申し訳なく思ってしまう。それも彼の指示に背いてのこととなっては、フェルトにとって尚更のことだった。
消え入るような声で俯くフェルトから視線を離し、ルフトは肩で息を吸いながら言った。
「それは、考えすぎだ。俺は……フェルトが足手まといになるから逃げろって言った訳じゃない。未熟な俺のせいでフェルトに死なれたくなかっただけ、それだけだよ」
ルフトの腕の中でフェルトはその言葉を聞き入れ、不意にはっとする。フェルトが見上げた彼の視線は、既に対峙する敵へと向いていた。
『フフッ、最高ね。あんたまだ隠し玉を持ってたわけ?』
狂気的な笑みを浮かべながら、魔族の少女は語りかける。
(隠し玉っていうか、偶然出来ただけなんだけどな……)
火事場の馬鹿力というやつだろう。危機的状況の中での瞬時の「思いつき」と「思いきり」が、あのような無理矢理な挙動を可能にしたのだと、ルフトは勝手に自己解決する。人間、死ぬ気でやればなんとかなるもんだと。
だが。
気力を振り絞ってフェルトを救出した今、体力はともかく魔力は使い果たしてしまっている。もとより剣士であるルフトの魔力は少ない。一撃にあれだけの量を使ってしまっては、後が持たない。まさに諸刃の剣といったところだ。
ようやく肺での呼吸が落ち着いてきた頃、ルフトは冴えきった頭をもう一度回転させる。
「フェルト、魔力は残ってるか?」
「えと……はい、まだ十分残ってると思います」
「よし、ならまだ勝てる……」
ほんの僅かな望みではあったものの、ルフトには確信があった。一人剣を振るうだけでは勝てなくとも、フェルトが加われば百人力だ。ルフトの閃きも、フェルトの手助けがあれば敵を倒す決め手に変わる。
「力を貸してくれ、フェルト。今はお前の力が必要かもしれない……」
簡潔に、端的にルフトはその策を伝えた。
(ふん、呑気なもんね……)
蔓の再生を終え、魔族の少女は仁王立ちのまま無数の蔓を繰る。彼女にとって、彼らはもうそろそろ用済みのようだ。ここまで粘られるのは想定外だったが、蔓と果実の同時攻撃で畳かければいつでも勝機はあるといっていい。
『あんたたちもうお疲れみたいだけど、ほんとに今作戦会議なんて舐めてんの? 早く動かないと殺しちゃうわよ?』
「ああ、やってみれば? 俺たちはここで待ってやるから」
ルフトのやや挑発的な言葉に、少女は眉間の皺を深める。所詮は弱者の虚勢、と片付けてしまうこともできたが、殺戮を快楽としか捉えていない彼女はあえてその挑発に乗る。
『……あとで泣いて後悔することね』
縦横無尽に張り巡らされた蔓が、一斉にルフトとフェルトを目掛けて向かっていく。石畳の地面、瓦礫の隙間、民家のレンガの外壁。ありとあらゆるところを這うように進み、彼らを包囲すべく一度に。
少女の合図と共に向かってきた蔓に対し、ルフトとフェルトはその場に留まったまま。ルフトの作戦通り、『迎え撃つ』ことを選んだ。
「〈完全防御魔法〉!!」
左手を前に突き出し、フェルトの詠唱。
半透明で強固な壁が、二人を半球状に包み込む。膨大な魔力量を誇るフェルトだからこそ、持久戦での防御がここまで保っている。
(この程度なら、まだ保つ……)
壁の外では夥しい数の蔓たちが鞭打っている。果実の爆発を含まなければ、しばらく耐久力は保てる。
相手がこれだけ攻撃に専念している間は、やはり防御は手薄にするはず。そう考えたルフトは、ギリギリまで持久戦に持ち込むことに決めたのだった。
そしてまさに今、反撃の準備は着々と進んでいた。
「魔力供給、よし! フェルト今だ!!」
ルフトはフェルトと繋いでいた手を離す。
と同時に、フェルトは全方位防御を解除。
ついに、彼らの反撃ののろしが上がる。
フェルトから臨時の魔力供給を受けたルフトは、真紅の剣を再び鞘から引き抜いて。あたかも宙を穿つように、切っ先を真上に掲げた。
「炎刀ッ!!」
燃え上がる緋色の刀身。
再び灯を灯した鋭い刃は、先刻とは比にならないほどの爆炎をその身に宿す。
防御を請け負っていたフェルトから、少しずつ供給された魔力。この緊迫した状況、制約された時間とはいえ、フェルトの持つ魔力を分け与えられた剣は、炎を煌々と空高く伸ばす。
すぐ側の民家の屋根を優に超す長大な炎の剣は、ルフトの手で掲げられる。
準備は万端。……だが、
(っ、まずい……)
長大な剣を振り下ろすために、魔法による防御は解除している。
そこに生まれるのは、一瞬の隙。
……のはずが、あまりにも想定より遠大となった刀身をルフトが振り切るのに、大きなタイムラグが生じてしまう。その隙を突いて、障壁を取り除かれた蔓がルフトたちを追撃。
――絶体絶命。
『ふっ、終わりね』
無慈悲な微笑み。
少女が目前の勝利を確信した、そのとき。
『いいえ、まだ終わらせませんよ』
その声がしたと同時刻、蔓が、止まった。
いや、凍った。
彼ら目掛けて鞭打とうとしていた無数の蔓が、空中で静止していた。常人なら凍えるような凍てつく冷気が、蔓にまとわりついて。結果的に蔓の動きを文字通り『凍結』させていた。
『なっ、!?』
「ハアァァァァァァァァァァッ!!」
舞い降りた奇跡を逃すまいと。
手にした剣を、ルフトは腕の仰け反りを反動に振り下ろした。
炎が波打った。すべての悪を滅ぼさんとする火炎の閃光が、その先の敵に向かっていく。それを阻む蔓を薙ぎ払い、灼き尽くしながら。
ただ、一直線に。
強化された途轍もないリーチを誇る炎刀が、蔓を焼き付くしながら向かう先。
物量攻撃で油断しきっていた魔族の少女の半身を、地獄の業火のごとく焼き払った。
『……ふっ、ざけないで……あたしは!!』
寸分軌道が逸れた炎は、少女の全身を燃やし尽くすには及ばない。それでも左半身を灼かれて灰を撒き散らしている少女は、ヤケになりながらも蔓を展開し直す。
「氷が持ちません! ルフトさん、本体を!」
ルフトたちのいた道に面する家 民家の屋根から、ノアは呼びかける。ルフトの放った炎の熱による弊害で、蔓を凍結させていた氷が解け始めていた。刻一刻と、二人を潰しにかかろうと再起を図る。
状況を呑み込み、フェルトはルフトの背中に叫ぶ。
「お兄さん、行ってください!」
「フェルト!?」
「私が引き付けます!」
瞬時にその意味を察したルフトは、剣を握る手に再び力を込めて。
使い切った魔力などきにせずに、石畳を踏み切った。
後方で蔓を引きつける囮となったフェルトを残して。
防御はかなぐり捨て、ただ前へ。
加速。最後の力を振り絞って、最大限度の加速。
速く。もっと速く。
駆け抜けろ。
『――っ、まだ終わりじゃないっ!!』
灼かれた半身を抑えながら、少女は抗う。
彼女が片手で宙を薙ぐ。
それに呼応するように、時計塔の頂上から襲い来る蔓。
自らに迫り来る一人の死神を血走った眼で捉えながらも、ここにきて往生際の悪さを見せる。突如窮地に立たされた彼女は、自身のすべての魔力と蔓をもって眼前の少年一人の迎撃に集中した。
まだ死ぬわけにはいかない、と柄にもなく必死になりながら。
『死ねぇえええええええええええええええっ!!』
少女が慟哭したその瞬間。
ルフトを取り囲んでいた蔓が、止まった。
やがてそれは灰のように脆くなって崩れ、風に吹かれて粉塵のごとく消え去っていく。
「――残念。時間切れだよ」
背後、時計塔の上。
儚げな銀髪を夜風に靡かせ、手にした大剣を〈種〉に突き立てながら。一人のエルフの少女が、塔の上で佇んでいるのが見えた。
それが、彼女が最期に見た光景になることも知らずに。
「――」
直後、剣の一閃。
最期の一手、抗う手段すら奪われた魔族の少女は、ようやく一人の少年の手によって裁かれた。人間を殺して得た快楽を、彼らから奪った生命を、償うための贖罪。
『アハハッ、』
少女は笑った。
呆気ない最期を遂げた自分への、嘲笑。
人殺しを生業としてきた自分が辿り着いた結末に、少女はただ笑うことしかできなかった。後悔も未練も怨恨も、そこには残っていない。
『くそったれ……ね……』
深い斬撃を食らった胸部に目を落として。
少女の最期に呟いた一言は、その身体とともに灰となって流されていった。
「勝っ、た……?」
緋色の刀身を地に降ろし、ルフトは独りごちた。
もてる余力のすべてを出し切った渾身の一撃。決死の加速による超速度の魔法付与斬撃は、見事に敵の胸部に命中した。一筋の閃光が、メイレスタの破壊の限りを尽くした元凶を討ち滅ぼしたのだ。
彼女を討伐した張本人であるルフトは、未だ実感の湧かないまま剣を握って立ち尽くしていた。
ただ、目の前で崩れゆく灰の塊をぼんやりと見つめながら。
「あぁ、終わったのか……」
静まり返った広場。流れる夜風の音。
自身の斃した少女の最期の表情を、脳裏に焼き付けて。ふらつくような両脚から不意に力を抜いて、ルフトは地面に仰向けに倒れこんだ。
大の字になって仰いだ時計塔の上に、見慣れた白い影を認めて。
「……あれ、眠っちゃった?」
【アトリウム・クロック】の頂上。
ようやく迎えた事態の最後の行方。それを塔の上で見届けたハイライトは、眼下の地面で仰向けになったルフトを見下ろしていた。
すぐ横で、自身の大剣に貫かれた敵の〈種〉が静かに崩壊していく。
最後まで直接的な手助けはしなかったものの、彼が一つの勝利を掴み取る様をハイライトは見守っていたのだった。
街を囲む城壁の外、遥か遠くに見える地平線から。眩い光を伴って朝日が昇っていく。
もう、朝が来る。
視界を覆う光を手で遮りながら、ハイライトは眼下に見える少年に向けて。
「おつかれさま」
ただその一言を贈った。
魔族の少女は、ここにきて初めて動揺する様子を見せた。一瞬視界に【青白い光】のようなものが映ったかと思えば、次の瞬間には狐耳の魔法使いを締め付けていた蔓が、根元から両断されていたのだから。
少女の目では追うことすら出来なかった何かが、割って入ってきたのだ。
少女は感情の昂りを抑えきれなかった。
『まだ楽しませてくれるのか』と。
彼女の揺らいでいた表情が、再び歪んだ微笑みに移り変わる。
「間にっ……合った……」
瞬時に数メートルの飛躍と全力の一撃という早業をこなしたルフトは、体力と魔力双方の消耗からか激しい息切れを起こしていた。先程まで蒼白の揺らめきを灯していた刃には、消えかかった小さな灯火が点々と燐光を放っている。
外壁への衝突を回避しきれなかったことで巻き起こった土煙の中、敵の次の一手が来ないうちにとルフトは呼吸と体制を整える。
「えっ、と……お兄さん……?」
けほけほと咳き込みながら、フェルトは目を開いて自分の置かれている状況を改めて確認する。ルフトの片腕に抱かれていることに気づき、頬を朱に染めて。おそるおそる、荒い呼吸を続けるルフトを見上げた。
「助けて、くれたんですか……?」
上目がちに訊ねるフェルトの無事を確認して、ルフトは安堵の息を吐く。
「ったく、当たり前だろ……」
「……あの、さっきはすみません。逃げろって言われたのに、私、あんなワガママ言って、足手まといで……」
死力を尽くして自分の救助に入ってくれたことを嬉しく思いつつも、自身の無力さで迷惑をかけたことをつい申し訳なく思ってしまう。それも彼の指示に背いてのこととなっては、フェルトにとって尚更のことだった。
消え入るような声で俯くフェルトから視線を離し、ルフトは肩で息を吸いながら言った。
「それは、考えすぎだ。俺は……フェルトが足手まといになるから逃げろって言った訳じゃない。未熟な俺のせいでフェルトに死なれたくなかっただけ、それだけだよ」
ルフトの腕の中でフェルトはその言葉を聞き入れ、不意にはっとする。フェルトが見上げた彼の視線は、既に対峙する敵へと向いていた。
『フフッ、最高ね。あんたまだ隠し玉を持ってたわけ?』
狂気的な笑みを浮かべながら、魔族の少女は語りかける。
(隠し玉っていうか、偶然出来ただけなんだけどな……)
火事場の馬鹿力というやつだろう。危機的状況の中での瞬時の「思いつき」と「思いきり」が、あのような無理矢理な挙動を可能にしたのだと、ルフトは勝手に自己解決する。人間、死ぬ気でやればなんとかなるもんだと。
だが。
気力を振り絞ってフェルトを救出した今、体力はともかく魔力は使い果たしてしまっている。もとより剣士であるルフトの魔力は少ない。一撃にあれだけの量を使ってしまっては、後が持たない。まさに諸刃の剣といったところだ。
ようやく肺での呼吸が落ち着いてきた頃、ルフトは冴えきった頭をもう一度回転させる。
「フェルト、魔力は残ってるか?」
「えと……はい、まだ十分残ってると思います」
「よし、ならまだ勝てる……」
ほんの僅かな望みではあったものの、ルフトには確信があった。一人剣を振るうだけでは勝てなくとも、フェルトが加われば百人力だ。ルフトの閃きも、フェルトの手助けがあれば敵を倒す決め手に変わる。
「力を貸してくれ、フェルト。今はお前の力が必要かもしれない……」
簡潔に、端的にルフトはその策を伝えた。
(ふん、呑気なもんね……)
蔓の再生を終え、魔族の少女は仁王立ちのまま無数の蔓を繰る。彼女にとって、彼らはもうそろそろ用済みのようだ。ここまで粘られるのは想定外だったが、蔓と果実の同時攻撃で畳かければいつでも勝機はあるといっていい。
『あんたたちもうお疲れみたいだけど、ほんとに今作戦会議なんて舐めてんの? 早く動かないと殺しちゃうわよ?』
「ああ、やってみれば? 俺たちはここで待ってやるから」
ルフトのやや挑発的な言葉に、少女は眉間の皺を深める。所詮は弱者の虚勢、と片付けてしまうこともできたが、殺戮を快楽としか捉えていない彼女はあえてその挑発に乗る。
『……あとで泣いて後悔することね』
縦横無尽に張り巡らされた蔓が、一斉にルフトとフェルトを目掛けて向かっていく。石畳の地面、瓦礫の隙間、民家のレンガの外壁。ありとあらゆるところを這うように進み、彼らを包囲すべく一度に。
少女の合図と共に向かってきた蔓に対し、ルフトとフェルトはその場に留まったまま。ルフトの作戦通り、『迎え撃つ』ことを選んだ。
「〈完全防御魔法〉!!」
左手を前に突き出し、フェルトの詠唱。
半透明で強固な壁が、二人を半球状に包み込む。膨大な魔力量を誇るフェルトだからこそ、持久戦での防御がここまで保っている。
(この程度なら、まだ保つ……)
壁の外では夥しい数の蔓たちが鞭打っている。果実の爆発を含まなければ、しばらく耐久力は保てる。
相手がこれだけ攻撃に専念している間は、やはり防御は手薄にするはず。そう考えたルフトは、ギリギリまで持久戦に持ち込むことに決めたのだった。
そしてまさに今、反撃の準備は着々と進んでいた。
「魔力供給、よし! フェルト今だ!!」
ルフトはフェルトと繋いでいた手を離す。
と同時に、フェルトは全方位防御を解除。
ついに、彼らの反撃ののろしが上がる。
フェルトから臨時の魔力供給を受けたルフトは、真紅の剣を再び鞘から引き抜いて。あたかも宙を穿つように、切っ先を真上に掲げた。
「炎刀ッ!!」
燃え上がる緋色の刀身。
再び灯を灯した鋭い刃は、先刻とは比にならないほどの爆炎をその身に宿す。
防御を請け負っていたフェルトから、少しずつ供給された魔力。この緊迫した状況、制約された時間とはいえ、フェルトの持つ魔力を分け与えられた剣は、炎を煌々と空高く伸ばす。
すぐ側の民家の屋根を優に超す長大な炎の剣は、ルフトの手で掲げられる。
準備は万端。……だが、
(っ、まずい……)
長大な剣を振り下ろすために、魔法による防御は解除している。
そこに生まれるのは、一瞬の隙。
……のはずが、あまりにも想定より遠大となった刀身をルフトが振り切るのに、大きなタイムラグが生じてしまう。その隙を突いて、障壁を取り除かれた蔓がルフトたちを追撃。
――絶体絶命。
『ふっ、終わりね』
無慈悲な微笑み。
少女が目前の勝利を確信した、そのとき。
『いいえ、まだ終わらせませんよ』
その声がしたと同時刻、蔓が、止まった。
いや、凍った。
彼ら目掛けて鞭打とうとしていた無数の蔓が、空中で静止していた。常人なら凍えるような凍てつく冷気が、蔓にまとわりついて。結果的に蔓の動きを文字通り『凍結』させていた。
『なっ、!?』
「ハアァァァァァァァァァァッ!!」
舞い降りた奇跡を逃すまいと。
手にした剣を、ルフトは腕の仰け反りを反動に振り下ろした。
炎が波打った。すべての悪を滅ぼさんとする火炎の閃光が、その先の敵に向かっていく。それを阻む蔓を薙ぎ払い、灼き尽くしながら。
ただ、一直線に。
強化された途轍もないリーチを誇る炎刀が、蔓を焼き付くしながら向かう先。
物量攻撃で油断しきっていた魔族の少女の半身を、地獄の業火のごとく焼き払った。
『……ふっ、ざけないで……あたしは!!』
寸分軌道が逸れた炎は、少女の全身を燃やし尽くすには及ばない。それでも左半身を灼かれて灰を撒き散らしている少女は、ヤケになりながらも蔓を展開し直す。
「氷が持ちません! ルフトさん、本体を!」
ルフトたちのいた道に面する家 民家の屋根から、ノアは呼びかける。ルフトの放った炎の熱による弊害で、蔓を凍結させていた氷が解け始めていた。刻一刻と、二人を潰しにかかろうと再起を図る。
状況を呑み込み、フェルトはルフトの背中に叫ぶ。
「お兄さん、行ってください!」
「フェルト!?」
「私が引き付けます!」
瞬時にその意味を察したルフトは、剣を握る手に再び力を込めて。
使い切った魔力などきにせずに、石畳を踏み切った。
後方で蔓を引きつける囮となったフェルトを残して。
防御はかなぐり捨て、ただ前へ。
加速。最後の力を振り絞って、最大限度の加速。
速く。もっと速く。
駆け抜けろ。
『――っ、まだ終わりじゃないっ!!』
灼かれた半身を抑えながら、少女は抗う。
彼女が片手で宙を薙ぐ。
それに呼応するように、時計塔の頂上から襲い来る蔓。
自らに迫り来る一人の死神を血走った眼で捉えながらも、ここにきて往生際の悪さを見せる。突如窮地に立たされた彼女は、自身のすべての魔力と蔓をもって眼前の少年一人の迎撃に集中した。
まだ死ぬわけにはいかない、と柄にもなく必死になりながら。
『死ねぇえええええええええええええええっ!!』
少女が慟哭したその瞬間。
ルフトを取り囲んでいた蔓が、止まった。
やがてそれは灰のように脆くなって崩れ、風に吹かれて粉塵のごとく消え去っていく。
「――残念。時間切れだよ」
背後、時計塔の上。
儚げな銀髪を夜風に靡かせ、手にした大剣を〈種〉に突き立てながら。一人のエルフの少女が、塔の上で佇んでいるのが見えた。
それが、彼女が最期に見た光景になることも知らずに。
「――」
直後、剣の一閃。
最期の一手、抗う手段すら奪われた魔族の少女は、ようやく一人の少年の手によって裁かれた。人間を殺して得た快楽を、彼らから奪った生命を、償うための贖罪。
『アハハッ、』
少女は笑った。
呆気ない最期を遂げた自分への、嘲笑。
人殺しを生業としてきた自分が辿り着いた結末に、少女はただ笑うことしかできなかった。後悔も未練も怨恨も、そこには残っていない。
『くそったれ……ね……』
深い斬撃を食らった胸部に目を落として。
少女の最期に呟いた一言は、その身体とともに灰となって流されていった。
「勝っ、た……?」
緋色の刀身を地に降ろし、ルフトは独りごちた。
もてる余力のすべてを出し切った渾身の一撃。決死の加速による超速度の魔法付与斬撃は、見事に敵の胸部に命中した。一筋の閃光が、メイレスタの破壊の限りを尽くした元凶を討ち滅ぼしたのだ。
彼女を討伐した張本人であるルフトは、未だ実感の湧かないまま剣を握って立ち尽くしていた。
ただ、目の前で崩れゆく灰の塊をぼんやりと見つめながら。
「あぁ、終わったのか……」
静まり返った広場。流れる夜風の音。
自身の斃した少女の最期の表情を、脳裏に焼き付けて。ふらつくような両脚から不意に力を抜いて、ルフトは地面に仰向けに倒れこんだ。
大の字になって仰いだ時計塔の上に、見慣れた白い影を認めて。
「……あれ、眠っちゃった?」
【アトリウム・クロック】の頂上。
ようやく迎えた事態の最後の行方。それを塔の上で見届けたハイライトは、眼下の地面で仰向けになったルフトを見下ろしていた。
すぐ横で、自身の大剣に貫かれた敵の〈種〉が静かに崩壊していく。
最後まで直接的な手助けはしなかったものの、彼が一つの勝利を掴み取る様をハイライトは見守っていたのだった。
街を囲む城壁の外、遥か遠くに見える地平線から。眩い光を伴って朝日が昇っていく。
もう、朝が来る。
視界を覆う光を手で遮りながら、ハイライトは眼下に見える少年に向けて。
「おつかれさま」
ただその一言を贈った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います
騙道みりあ
ファンタジー
魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。
その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。
仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。
なので、全員殺すことにした。
1話完結ですが、続編も考えています。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
旦那様、どうやら御子がお出来になられたようですのね ~アラフォー妻はヤンデレ夫から逃げられない⁉
Hinaki
ファンタジー
「初めまして、私あなたの旦那様の子供を身籠りました」
華奢で可憐な若い女性が共もつけずに一人で訪れた。
彼女の名はサブリーナ。
エアルドレッド帝国四公の一角でもある由緒正しいプレイステッド公爵夫人ヴィヴィアンは余りの事に瞠目してしまうのと同時に彼女の心の奥底で何時かは……と覚悟をしていたのだ。
そうヴィヴィアンの愛する夫は艶やかな漆黒の髪に皇族だけが持つ緋色の瞳をした帝国内でも上位に入るイケメンである。
然もである。
公爵は28歳で青年と大人の色香を併せ持つ何とも微妙なお年頃。
一方妻のヴィヴィアンは取り立てて美人でもなく寧ろ家庭的でぽっちゃりさんな12歳年上の姉さん女房。
趣味は社交ではなく高位貴族にはあるまじき的なお料理だったりする。
そして十人が十人共に声を大にして言うだろう。
「まだまだ若き公爵に相応しいのは結婚をして早五年ともなるのに子も授からぬ年増な妻よりも、若くて可憐で華奢な、何より公爵の子を身籠っているサブリーナこそが相応しい」と。
ある夜遅くに帰ってきた夫の――――と言うよりも最近の夫婦だからこそわかる彼を纏う空気の変化と首筋にある赤の刻印に気づいた妻は、暫くして決意の上行動を起こすのだった。
拗らせ妻と+ヤンデレストーカー気質の夫とのあるお話です。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる