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第五章 長い夜の祈り

35.もう一つの災厄

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 夜更けの時間も過ぎ、朝日がすぐそこまで迫る。
 またいつも通り平穏に満ち溢れた一日を迎えようとしていたこの街は今、混沌に陥っていた。燃え盛る住宅街、瓦礫で塞がれた大通り、爆発に巻き込まれて動けなくなっている人、街全体に響く人々の悲鳴。
 明らかに普段とは違う光景が、その街の者なら誰もが目を背けたくなるような現状が、そこには残酷にも広がっていたのだった。言うなればそれは、逆鱗に触れられた神によって作り出された地獄のように。
 住み家を焼かれ、逃げることを余儀なくされた人々が絶えず彷徨い続ける中、この狂騒で両親とはぐれた幼い子供がいた。だが道を行き交う人々は皆自分たちの身の安全を優先するあまり、彼女を顧みない。
「パパ、ママ……どこ……?」
 目に大粒の涙を湛えてゆく宛もなく歩き回る彼女。周りを見渡しても、広がるのは炎に包まれた住居と見知らぬ人の群れのみだ。不安と恐怖に襲われた彼女は、泣き疲れてその小さな身体で膝から崩れ落ちる。
 うずくまる彼女の頭上で、家屋の屋根が不吉な音を立てる。燃焼によって脆くなった家屋は崩壊し、その大きな屋根が殺人的な勢いと質量を持って、無抵抗な彼女の頭に襲いかかった。
(――――――?)
 大きな物音を感じ取った彼女は、おそるおそる自分の頭上を見上げた。
 果たしてそこに居たのは、自分を瓦礫から庇うような体勢をとった屈強な男だった。
「……ってぇ。お嬢ちゃん、平気か?」
「う、うん。平気!」
 自分の背にもろにのしかかった瓦礫を豪快に払い除けると、頑丈そうな防具に身を包んだ男は軽く肩を回して身体の状態を確認する。そしておもむろに自分を見上げる半泣きの少女の頭にぽん、と手を置いた。
「安心しな。お嬢ちゃんは死なない。もちろん、お嬢ちゃんの父さんや母さんもな。皆まとめて、俺達が助けてやる」
 少女の頭を軽く撫でると、男は立ち上がって辺りにいた兵士たちに指示を出し始めた。未だ炎の燃え盛る未明の街中に、街を護るという使命を果たさんとする衛兵たちが集まっていたのだ。この未曾有の事態にも臨機応変に対応することが、彼らのもつ使命であり義務でもあると信じて。
「人民の避難誘導を最優先に! 魔法隊と体力に自信のない者は連携して鎮火を急げ! 一人でも多くの命を救えるように尽力するんだ!」
 彼の怒号で兵士たちは人命救助のために動き出した。この絶望的な状況下で一筋の希望となるべく、彼らは自らの責務を全うする。現場指揮を執るその男のもとに、一人の兵士が息を切らしながら駆け寄って来た。
「ロディ隊長、冒険者協会ギルドへの協力要請受け付けてもらえました!」
「よし、じゃあすぐ動ける者から順に協力を仰げ! それと同時進行でこの騒ぎを起こしてる犯人を探し出す。見つけ次第冒険者たちと共同で制圧する!」
 威勢のいい指示とともに、現場はいち早く体勢を立て直す。夜の酒場でたむろっていた冒険者たちも加わり、ともに未だ例を見ない危機に立ち向かう。
 誰一人として死なせない。
 これ以上、奴らに好きにはさせない。
 やがて昇る朝日とともに、新たな一日を無事に迎えるために。


   §


「今だ! 一気に走り切るぞ!」
 一方、比較的被害状況の軽い街の西側。
 いち早く【蔓】の存在に勘づいたルフトとフェルトは、なんとか爆発を免れながらある場所を目指していた。尤も、この事態を引き起こしているものの正体を探ることも彼らの目的の一つだが。
 彼らが【蔓】の存在を認知してから、その行動は迅速かつ適正だった。いつの間にか街中に張り巡らされていた【蔓】に生る爆ぜる実の爆発の規則性に気づくことさえできれば、そこからの状況判断は難しくない。
 タイミングをうまく見計らいながら、二人は着実に目的地へと歩みを進めていた。
「あとはこの道を真っ直ぐ?」
 息を整えながら、ルフトは物陰で訊ねる。
「はい。ここはもう西の大通りのはずなので、パン屋さんはもうすぐです!」
 冷静に自身を先導する彼に寄り添うように、フェルトは答える。爆発に巻き込まれたことによって負傷した左足を時折気にする素振りを見せるが、彼の足でまといになっては元も子もない。自分と自分の大切な人たちで生き延びるため、フェルトは一層の覚悟を抱いていた。
「店長さん、もう避難していればいいんですけど……」
 不安げな表情を浮かべ、フェルトは自分の親代わりでもある人の安否に思いを馳せた。彼らが現在目指しているのも当然、彼女の店――『ベーカリーカトレア』である。敵の思惑なのか、奇跡的に爆発の被害が軽い街の西側ではあるものの、胸騒ぎのした二人はそこへ向かうことにしたのだった。
 ――もしかしたら、まだ彼女はこの事態に気づいていないかもしれない。
 そんな嫌な予感が彼らの頭をよぎる。
 何をするにも、今の彼らには時間が惜しいのだ。
 路地裏に潜んで大通りの様子を窺うルフトだったが、そこでまた妙な違和感に襲われる。
(おかしい……俺たちがこっちに向かってから、西側の爆発が急に収まった……)
 その様はどこか、彼らをそこへ誘うような意図をもっているかのようだった。罠ともとれるこの状況にも、ルフトは冷静で的確な判断を自らに迫る。物陰から窺う大通りにも人通りは皆無で、敵からすれば狩るべき獲物がいないのは確かだ。だがそれを理由にするにも、未だ情報が足りない。
(蔓を張ってないってことは……逆に罠なのか?)
 まるで、自分たちが何者かの手のひらの上で踊らされているかのような感覚。そう考えてしまう度に、ルフトは取捨選択の難しさと直面する。敵の思惑が分からない今、すべての行動に細心の注意を払わなければいけない。冒険者として、無知性の魔物と戦うときとはまた違った緊迫感だ。
「……お兄さん?」
 深刻な表情のまま考え込むルフトの顔を、フェルトはおずおずと覗き込む。彼の抱える不安も少なからず、隣にいるフェルトにも伝わってしまうものなのだ。
「なんでもない。ただ……」
 ルフトはその不安を言葉にしようとするも、躊躇った末に呑み込んだ。
「……いや、いい。先に進もう」
「そうですね」
 周囲に蔓が見当たらないことを確認して、ルフトは先導して走り出す。気づけば目的のパン屋はすぐそこにあった。焦りからか気持ちだけが先走り、身体は一直線に目的地へ進んでいた。ここからなら一気に走り切れる。
 残りあと数メートルといったところで、ルフトはけたたましい爆発音を耳にした。
「……!?」
 音のした方を振り返った。背後に伸びる石畳の道が弾けて、大きく抉れている。恐らくこれまでで最大威力の爆発だった。飛び散る砂埃に視界を奪われながらも、二人は再度前を向いて走り出す。
「……何、今の音……?」
 二人の目指すパン屋から出てきたのは、ベーカリーカトレアの店長、シャリーだった。ルフト達の考えた通り、被害の軽いこの辺りの避難は進んでいなかったようだ。
(シャリーさん! よかった……)
 背後の爆発に緊張感を揺さぶられつつ、フェルトは彼女の無事を確認して安堵する。煙る砂埃が晴れ、彼らの距離が縮まろうとしていたその時。
 ――彼らの間を別つように、突如【蔓】が地面に張り付いた。
「っ、フェルト、止まれ!」
「――!!」
 ルフトの制止も虚しく、『爆薬』はすでにフェルトの目前に鎮座していた。死を覚悟した三人の足元、【蔓】に生っていた果実が光を放つ。
 ――。
 その僅かな数瞬で。
 間に割って入った人物が、閃光を放ち、臨界状態を迎えた果実を空高く蹴り上げたのだ。夜空を舞った果実は弾け、眩い光とともに砕け散った。

『ふぅー、ギリギリ間に合ったかな』

 この場に颯爽と駆けつけられるのは、やはり彼女しかいないだろう。月に照らされて煌々と輝く銀髪を翻し、微かに息を切らして佇むエルフの少女。もう幾度となく誰かの窮地を救ってきたであろう彼女は、今宵も涼しい顔でこの盤面に登場してみせたのだ。
「……ハイル先輩!」
「ごめんね、みんな。ちょっと遅くなった」
 大剣使いのハイライトは、はっとする三人に笑顔で微笑み返した。


   §


「ん、り損ねたかしら?」
 街の中心地【アトリウム・クロック】の頂上で、元凶である少女は壊れゆく風景を未だ俯瞰し続けていた。そして今、塔から見えたのは、ありえない高度で爆ぜた果実。その方向には、少女が目をつけていた人間の少年と獣人族ハーフビーストの少女がいたはず。
(まさか、邪魔が入った……?)
 彼ら二人の向かう場所まで誘い出して、最大威力を誇る果実で殺し切る。この状況でもまだ殺戮を単なる遊戯として捉えていた彼女は、そう計画を立てていたのだった。だがそれを妨害する存在が、この場所にはすでに現れていた。
(おバカさんたちはもう救助で手一杯みたいだし、中心部ここまで戻ってこれる余裕はないわよね……)
 人民の救助を最優先とする衛兵たちは、本来なら一目でわかるはずの位置――時計塔の頂上に陣取る元凶の存在には一向に気づかない。だがこうなるように爆心地を散らしたのも、彼女の狙いの一部に過ぎなかった。
(それはそうとして、邪魔してくる奴がいるのは厄介ね)
 ここにきて初めて、魔族の少女は不快感を表情に示した。心の中で舌打ちをして、傍に放置していた【種】を右足で軽く蹴る。

「ほんっと、人間って面倒くさ……」


 
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