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第四章 メイレスタの安息

28.動き出す害悪

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「これが、魔晶石……」
 メイレスタの城壁の東の端、地下の最深部にて。
 地下通路を一番奥まで進んだところに、その紫色に光る結晶は存在した。一般的な魔物から採れる魔石と似通っている部分はあるものの、その大きさと輝きは別格だった。
 俺の身長と同程度の大きさの魔晶石は、四箇所を金属製の器具で固定されながら地面に突き刺さっていた。
「ここも異常はありませんね」
 結晶に触れてノアさんが言った。
「敵が狙うとすれば、やっぱり魔晶石ですよね」
「ええ。この街の魔力結界を生成しているのは、これを含む四つの魔晶石です。これらが一つでも破壊されれば結界は成立しなくなります。結界が弱ったところを本軍で襲撃するのが、おそらく彼らの最終目的でしょう」
 表情一つ変えず、彼は言った。


 数十分前。
 地下で衛兵の報せを聞きつけた俺たちは、今度はノアさんに呼び出されて再び応接室へと急いだ。外にいた衛兵の男たちもどこか慌ただしく、尋常ではない雰囲気が漂っていた。
 それも当然だ。魔族が街へ逃げたのだから。
 ノアさんはソファーには座らず、立ったまま到着した俺たちに話しかけた。
「私の嫌な予感が、当たってしまったようですね」
 苦笑いだった。苦し紛れの、大人っぽい微笑み。
 それで言葉を詰まらせながら、俺は言った。
「逃げた男はやっぱり、魔族だったんですか?」
「ええ。酷い有様でしたよ。皆殺しでした。怪我の具合を見ていた医師も、逃亡の一部始終を見ていた衛兵も、全員魔術で。
 ですが結果的に、あなた方のお話を伺っていて良かったと思いましたよ」
「それは、何故ですか?」
「魔族の話が出ていなかったら、今頃ただの『殺人犯』の逃亡として事を処理していたでしょうから」
 彼の顔に影が差した。
 それから表情を切り替えて一転、真剣な眼差しでノアさんは俺たちを見た。
「改めて現状を言うと、魔族と思われる被疑者が街へ逃亡している。加えて彼はおそらくその姿を偽装している。この点が彼の一番厄介な点です」
「素性が特定できない限りは、逃亡する犯人を見つけることすら難しいですからね」
「しかも、犯人が逃げていると知れ渡れば街はきっと混乱するでしょうし……」
 フェルトの言う通り、この事実を知れば街の経済は大混乱に陥るだろう。さらに犯人が姿を偽装することも知られれば、平民はお互いに疑心暗鬼になり、最悪の場合同士討ちが多発することも有りうる。
 そうなれば、魔族の思うツボだ。
「その懸念を払拭するためにも、領民への情報統制は万全にするつもりです。軍の行動もできるだけ隠密に済ませることも、彼らには伝えました」
「じゃあ俺たちも、このことは内密にするべきですね」
「そうしていただけると幸いです。……それと、そのことなのですが、お二人にもこの件には御協力の程をお願いしたいと考えているところでして」
「私たち、ですか?」
「ええ。可能なら、ハイライトさんにも」
 確かに、俺とフェルトは外見的にも、街での行動では衛兵たちに比べて目を引かない。ハイル先輩が協力してくれるかどうかは別として、俺はその案には賛成だ。
「俺は構いません。少しでも領主様のお力になれるなら、喜んで」
「恐縮です」
「ですが、フェルトは俺とは違ってまだ戦闘経験などはありません。危険なことにお力添えは――」
「私も、やりたいです」
 俺の意見を遮り、フェルトは真っ向から否定する。時折見せる彼女の強い意志にはどこか、有無を言わせぬ説得力があるような気がしてしまう。
「いやフェルト、いくらなんでもそれは……」
「戦闘経験は無くても、私にも何かやれることがあるはずです。危険だとはわかっていますが、知ってしまった以上は見ないふりはできませんから」
 過保護とか、そういうものだったりするのかもしれない。彼女は俺の思っていた以上に達観しているように思えた。
「お兄さんも、それなら……いいですよね?」
「まあ、フェルトの身に危険が及ばないなら」
 渋々といった感じで俺はそれを承諾すると、早速俺は魔晶石の安否確認へと駆り出されたわけだ。
 

 そんな訳で、俺は領主代理のノアさんとその護衛とともに地下へ潜っていた。
「そういえば、フェルトさん今は何方どちらへ?」
「フェル……彼女なら、一度自分の店番に戻りましたよ」
「おや?彼女は、冒険者ではないのですか?」
 そう訊かれると、ややこしい。彼女はいまものすごく中途半端だから。
「そうなる予定ではいるんですけど、訳あっていまは形だけで……」
「はぁ、不思議なご身分ですね」
 確かに、フェルトは今パン屋の店員と見習い冒険者を兼業している。それなりに忙しいのではないか。
 地下通路を戻りながら、ノアさんは微笑んだ。
「お二人のご関係は、見ているこちらまで心が安らぎます」
「そう、ですか?」
「ええ。お互いを大事になさっているのですね」
「いえ、そんなことは、全然……」
 少し俺をからかうように彼は言って、地上へ出たところで次の会合の時程を俺に伝えた。街の衛兵たちの対策会議に参加させられるらしい。
「それでは、私はこのあと孤児院の子供たちにご挨拶へ行きますので」
「はい。今日はわざわざ俺たちの話を聞いてくださって、ありがとうございました」
「ええ。では、また明日」
 にこやかな笑みを湛え、彼は護衛を引き連れて行った。俺はノアさんと逆方向の道を進んで、いつものパン屋へと戻ることにした。西陽が差して街が夕色に染まっていた。

「ただいま」
 パン屋のドアを開けると、チャイムが心地よい音を立てて俺を出迎えてくれた。
「あら、ルフトくんじゃない」
 会計のカウンター前に立っていたのは、フェルトではなくエプロン姿の店長さんだった。彼女は俺を見てしばらくにこにこしていた。
「な、なんですか?」
「ううん、。ルフトくん」
 おかえり? パン屋でおかえりっておかしくないか?
 あ、俺さっき「ただいま」って……
「い、いやこれはいつもの癖というか……別に深い意味はないんで」
「ふふ、これからも、たまにはこうして帰ってきてもいいのよ。私も、もちろんフェルトちゃんだって大歓迎なんだから」
「……考えときます」
 何をだろう。そもそもフェルトは冒険者を目指してここから旅立つわけだし、もうあんまり帰ってくる機会もなくなるはずなんだけど。
「あの、余ってるパンってあります? 夕飯それにしようかと思って」
「あるわよ、もちろん。でもいいの? 外に食べに行かなくて」
「先輩はまだ捕まったままですし、一人で食いに行くのはなんか変でしょう」
「ルフトくんって、意外と寂しがり屋なのね」
「違いますよ」
 違うからな。絶対に。
 もし俺が寂しがり屋だったら、追放された時点でとっくに寂しさで死んでる。そう、ウサギのごとく。
 店に並んでいたいくつかのパンを適当にトレイに載せ、カウンターに出した。日中でほとんどパンは売り切れてしまっていた。
「合計で820エルドね。ルフトくん、ここで食べてくでしょう?」
「ええ、まあ」
 アイテムボックスから麻袋に入れたコインを取り出し、彼女に手渡した。
「今夜泊まる宿は、もう予約してるの?」
「まだですけど」
「やっぱり。それなら!」
 なぜか興奮気味な店長さんに、若干嫌な予感がした俺だった。
「今夜は、うちに泊まっていかない?」
「ここに?」
「そう。私とフェルトちゃんが住んでる部屋以外に、お客さん用の部屋が一つ余ってるの。どう?」
 パン屋に泊まるお客さんとやらが本当に居るのかどうかは別として、お代を取らないのならいい話だと思った。
 でも、店長さんがさっきからニマニマしてるのも結構気になる。
「まあ、無料タダならお言葉に甘えて……」
「よし。そうこなくっちゃね!」
「はい……?」
「そうと決まったら、ちょっとお部屋の準備してこなくっちゃ。ルフトくんはパンでも食べてちょっと待ってて」
「わかりました」
 あれは多分、何かを企んでる顔なんだろうなー。
 ……なんて思いつつ、何を企んでるのかは全く読めないまま俺はイートインスペースで買ったパンをもそもそと食べ始めていた。パンうめぇ。
 椅子に座って改めて店内を見てみる。確かに、建物というか外観的には普通の古民家だ。カウンターの奥の通路には階段があったことも、今まで気づかなかった。
「はいお待たせ、紅茶よ」
「早っ。てか頼んでないですよ」
 数分も経たずに戻ってきた彼女に驚く。
「コーヒーの方がよかったかしら?」
「いや紅茶でいいです」
 頼む前から入れるのか、紅茶を。
 でもパンだけだと喉が渇くからちょうどいい。
 窓の外が暗くなり、店長さんは閉店の準備を始めていた。閉められていく店内を眺めながら、俺はふと思ったことを訊いてみた。
「フェルトって、ここに住んでたんですね」
 店長さんが振り返って、俺の質問が珍しいとでも言いたそうな顔をする。見返り美人。
「そうよ。それも結構前からね」
「前からって……大丈夫なんですか? 親御さんとかは」
「あら、言ってなかったかしら? 彼女、親御さんどっちも亡くなってるのよ」
 喉が詰まった。飲み込むのをしくじって、喉でパンが詰まって咳が出た。
 俺の咳が収まると、沈黙が続いた。
「……戦災孤児、ですか?」
「そうね。ルフトくんもそう?」
「まあ……そんなもんです」
 俺の場合、親が魔族に殺されたとかそういうありふれたものじゃないけど。でも俺の話をこの場でするのは場違いだろう。
 店の片付けを終えた店長さんは、近くのスツールに腰掛けてぽつぽつと話し始めた。
「フェルトちゃんはね、そういう経験があるからなのか、たまにこの間みたいなことを言ったりするの。自分を顧みないっていうか……ときどきなんだけどね」
「それって、魔族に明確な復讐心があるってことですか?」
「さあ?」
「さあって……」
 質問を質問で返さないでほしいのだが。
「あの子はいい子だから、表に出さないようにしてるのかもしれないわね。でも、私が思うには『私はきっとこうするべきだ』っていう観念に駆られてるんだと思うの。ほら、魔族に親を殺された子供が復讐のために冒険者を目指すっていうお話、よくあることでしょう?」
 だから自分も冒険者を目指すべきだ、彼女はそう思ってるわけか。でもそれは彼女の本心じゃない。周りに合わせて自分の進む道を軌道修正しようとする、一種の人間の習性だ。同調圧力、ってやつ?
「人の役に立たなくちゃ、って思うのは仕方ないことね。でもあの子は実際に戦うことそのものを心のどこかでは望んでいるのかもしれない。だから私は、今までこう言って諭してたの」
「?」
「こうして、自分が作ったパンを食べてくれた人たちが戦ってくれてるなら、あなたは十分それと闘ってる。ってね」
 いたずらっぽく彼女は言った。
 俺は紅茶を飲んでその話を聞いていた。
「そう思ってるなら、止めないんですか?」
 俺は訊ねた。わかり切った質問だった。
「……止められるものなら、もう止めてるわよ。でも私はあの子の母親でもないし、親戚でもない。赤の他人よ。それに、あの子のやりたいことに口うるさく反論できるほど私は頑固じゃないわ」
 やるせない、そんな感情が読み取れる表情だった。
 二人の間にある距離感が、どんなに温かくてもそれと同時にほぼ絶対的に縮まらないものでもあることを、俺は悟った。
「私は不安だし、やっぱり寂しい。だから最後に宿題を課したの。私を安心させてから旅に出なさい、って。こんなの、自己満足よね」
「じゃあ、俺の宿題って……」
「その一環ね。強い人があの子の傍に居てくれたら、私も安心するわ」
「なるほど……善処します」
「ふふ、頑張ってね」
 その微笑みはやっぱり、寂しそうだった。
 寂しがり屋なのは、彼女の方だと思った。
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