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第三章 英雄たちのモノローグ

14.雨と逸話

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 ――四年前。エルダール王国、王都。
 これは王国親衛隊の弓兵である俺、ロイファーと遊撃隊のシュプリンガーがタッグを組んで戦っていた頃の話。
「明日か」
 王国の城に隣接する騎士団の宿舎の共用スペースで、俺は煙草の煙を吐いたあとで言った。
「明日? 何がだっけ」
「お前⋯⋯明日は隣国との外交のために外出する国王陛下の護衛任務だろ。まさか忘れていたのか?」
 呆れ顔の俺に対し、シュプリンガーは「いやいや」と心外そうな表情で返す。しかも前髪を神経質に指でいじりながら。
「まさか。この僕が任務を忘れる訳がないだろう? あとロイファー、ここは仮にも共用スペースだよ。君の一人部屋じゃない」
「?」何の話だ?
「それ、煙草」びっと彼はパイプ煙草を指さす。
「ん、ああ⋯⋯だが今は俺とお前しかいないのだからいいだろう」
「いやあのねぇ⋯⋯はぁ」
 がくん、とシュプリンガーは顔を伏せる。
 俺はそれでも構わず煙を吹かし続けた。
「君がヘビースモーカーなせいで、一緒にいる僕にまで臭いが移ってるんだよ⋯⋯禁煙しなよ禁煙」
「⋯⋯前向きに検討する」
「それ絶対やらないやつじゃないか! ったく、もし僕が死んだら君の健康管理は一体誰がするんだろうね。⋯⋯あ、もしかして将来の美人なお嫁さんとか?」
 フッ、とキメ顔で言うシュプリンガー。こいつは度々独り身の俺に自分の妻の自慢をしてくるクソ男だ。まあそれだけ彼女を愛しているという証拠ではあるわけか。それでも俺の前でその話題は如何なものか。
 彼の薬指にはめられた指輪を一瞥した。
「俺は独り身で構わない」
「頑なだね君は。それじゃあ一生結婚は無理そうだ」
 彼の顔の横に垂れた髪の黒い部分が、彼が笑うと揺れた。色の薄い金髪に、右側だけ黒い髪が長く垂れ下がっている。そんな奇妙な頭をした彼だが、持ち前の気さくさとルックスで多分女には困っていない感じだ。言うなれば俺の正反対と言ったところか。
 ⋯⋯いや、それだと俺が恋愛に不自由ということにならないか?
「ロイファー――君の身体を思って言うけど、もし本当に僕が死んだら禁煙しなよ。天国でも君の健康を心配するなんて僕は嫌だからね」
「⋯⋯何かのフラグか?」
「フッ、違うよ。それと、できればお嫁さんもね」
「⋯⋯善処する」
 いつもと同じ煙草が、少しだけ苦く感じた。
 
 その翌日。
 国王陛下と共に、俺を含めた親衛隊のメンバーとシュプリンガーを始めとしたエリート部隊である遊撃隊は隣国のデュヘルツ王国の城を訪れていた。
 城の応接室へと陛下が招かれ、側近と数人のボディーガード以外は城周辺の警備にあたる。俺とシュプリンガーは応接室の廊下で手を後ろで組み、周囲を警戒しつつ立っていた。
 説明が遅れたが、親衛隊メンバーである俺と遊撃隊メンバーであるシュプリンガーは所属部隊は違うものの、最適化された戦術に従って特例で共に任務にあたることが多い。というか俺たちに限ってはそれぞれの所属部隊での任務回数の方が少ないのだ。
 というわけで、今日も彼は応接室のドアを挟んだ俺の隣に鎮座している。
「ねぇ、ロイファー」
「何だ」任務中だぞ?
「今日は何も起きないといいね」
 何故か意味ありげに彼はそう言った。どうせいつもの軽い冗談だろう。正面のガラス窓を見据えた彼の横顔は、いつも通り柔かな笑みを浮かべている。
「お前がそう言った日には、何か起こった試しはなかったな」
「そうなんだよね~。僕がいくらフラグを立てようとそれは神様にへし折られる運命みたいだ」
 彼の立てるフラグよりも、彼にまとわりつくジンクスの方が強力なのだ。
「だが、何も起きないことに越したことはないだろう」
「そうだね。確かに」
 結局、いつもこの話はこの結論で終わる。
 静寂の舞い戻ったカーペットの敷かれた廊下に、部屋の中から聴こえる二人の男の声だけが響く。和やかな談笑なども聴こえてくるあたり、今回の交渉は問題なく終わりそうだ。
「⋯⋯シュプ、お前家には帰れているのか?」
 ひたすら窓の外を見ているのも退屈だが、かといって話し相手が彼しかいないのも退屈だ。適当にこの話題を振っておけば、彼は二十分近くそれについて話し続ける。
「帰れてないねー。生憎あいにく最近は仕事が忙しくてさ。いくら僕が優秀だからと言って、労働環境の改善くらい求める権利はあると思うんだ。このままじゃ、僕の一生の思い出が君との思い出で終わってしまう気がするよ。ああ、早く会いたいよシャリー⋯⋯僕の愛しのシャ」
「わかった。今のは俺が悪かったから一旦黙れ」
 忘れていた。こいつは彼女とのことになると呼吸を忘れて喋り出した挙句、仕舞いには過呼吸になるほどの愛妻家だ。
「おっと、つい。⋯⋯あとロイファー、その『シュプ』ってなんだい? 僕のあだ名にしては適当すぎると思うんだけど」
「お前の名前が長くて省略しにくいのが悪い」
「にしてももっとちゃんと考えてよ!」
 そうだな。シュプリンガーだから⋯⋯シュピ、シュピール、シュプリング、リンガー、プリンガー。
 ――いっそのこと『プリン』はどうだろうか?
「おい、プリ――」
 俺が巫山戯ふざけた渾名で彼を呼びかけたそのとき。
 バリィン、とすぐ側の正面の窓が叩き割られた。
 ガラス片が飛散し、廊下に崩れ落ちる。窓との対角にあった壁に刺さっていたのは、一本の矢。
「敵襲だ! 伏せろ!」
 俺の怒号が反響し、廊下にいた十余人ほどの護衛兵たちは一斉に身を屈める。俺は近くの柱まで中腰で移動し、そこから外の様子を窺う。
「弓兵が二人⋯⋯いや三人か」
「ロイファー、敵は?」彼が膝をついて訊ねる。
「魔族じゃない。恐らく民間の私設部隊だ。数は少数だが油断できない」
「なるほど、了解」彼は腰の剣に手を添えて言う。
 俺はもう一度外の敵に目を向ける。草木の陰に身を潜める三人の弓兵の背後から、後続の兵たちが突入してくるのが見えた。もう時間はない。
「ロイファー、弓兵は任せていいよね? 僕はちょっとよ」
「ああ。無茶はするなよ」
「わかってるさ。よし、僕についてこれる剣士はついてきてくれ。僕たちで迎撃する」
 そう言い切った直後、彼は先陣を切って窓枠を蹴り飛び降りた。数人の護衛が彼のあとに続く。
 敵の弓兵たちの注意が彼らに向く。その隙に俺は弓矢を構え、矢を引いた。彼に向けて放たれた敵の矢をすべて撃ち落とし、俺は弓兵に狙いを定める。
「墜ちろ」
 敵がこちらの存在に勘づく前に、三人の弓兵の脳天を矢でぶち抜く。弓兵の沈黙を確認し、次に城を取り囲むように散らばった歩兵たちへと矢先の方向を変えた。
「シュプ、先行しすぎるなよ!」
「わかってる! フォロー頼んだよ!」
 自慢の剣術と跳躍力で敵をなぎ倒していく彼を目で追いつつ、彼の守備範囲を抜けた敵を矢で撃ち抜いていく。
 木や壁、さらには敵の身体までもが彼の足場だ。
 縦横無尽に戦場を飛び跳ね、駆け回る彼を誰も止めることは出来ない。瞬時の判断力に長けた彼は、俺の矢が当たる心配などしていないかのように自由に、そして優雅に剣を振るう。その姿はまるで、フィールドを跳ねるチェスのナイトのようだった。
 敵部隊の殲滅を確認した俺たちは、会談中の国王陛下の護衛を他の兵に任せて事後処理にあたることにした。
 窓から援護射撃を行っていた俺も、城の外まで行って敵生存者の拘束や負傷者の手当てを行った。
 被害確認をしていた俺のもとに、彼はゆっくりとやってきた。
「やっぱり、いいもんじゃないね」
 頬に付いた返り血を手で拭い、シュプリンガーは憂いを帯びた力ない笑みを浮かべた。彼は地面に転がった敵の屍体を見つめていた。
「ゆっくり話し合おう、なんて悠長なこと言ってらんないのはわかってるけどさ。彼らだって同じ人間なんだよ」
「そう、だな。⋯⋯分かり合えない相手というのは難しいものだ」
 それを『わかっていた』彼は、どんな感情を抱えて剣を振っていたのか。戦地で人間の敵と相見えたとき、彼はいつもそう言う。そして俺は彼の複雑な葛藤を推し量ることになるのだ。
「でも僕は、この仕事をやっていて後悔はしてないな。こうなることも仕方ないことだとは思ってるし、なにより僕自身いつ誰に殺されたって文句は言えないからね。戦いってのは常に無慈悲な椅子取りゲームだ。誰も椅子を譲る意思がない以上、戦場では分かり合えないものなんだよ」
 血の付いた刃を眺めながら、彼は言った。
 人それぞれ、抱えているものは違う。彼はそれを誰よりも理解した上で、人並み以上の覚悟を持って剣を握って立ち向かっているのだ。
「フォローありがとう。助かったよ」
「礼はいらない。相棒として当然のことをやったまでだ」
「うん。サンキュー、相棒」
 二人の拳がぶつかり合い、鈍い音が鳴った。


  *


「この話を誰かにするのは、初めてだったな」
 
 そこまで話し終えたところで、ロイファーさんはコーヒーのカップの持ち手に手を添えて話を区切った。そしてコーヒーを一口啜り、真冬の空に白い息を吐くように、ふっと溜め息をつく。俺にはその顔は、笑っているようで泣いているようにも見えた。
「⋯⋯すまん、退屈だったか?」
 静かに彼の話を聞いていた俺を、彼ははっとしたように見る。
「いえ、つい聞き入ってしまって」
「そうか」
「俺も会ってみたかったです。本物のシュプリンガーさんに」
「ああ。そうしたらきっと、あいつはお前を弟子にしたがるだろうな」
「それは⋯⋯俺なら断りますね」
「だろうな」
 二人しかいない部屋に、束の間の笑い声が響いた。もうこの世にはいない彼は、どこかでこのやりとりを見ていたりするのだろうか。本当の顔すら知らない俺に、それを知る権利はなさそうだけど。
「そう言えば」と俺は切り出した。
「二人の話は、まだ本にはしてないんですか?」
 弓の弦を弾いていた彼の手が、一瞬止まった。
 呼吸を一瞬止められたかのように。
「⋯⋯ああ。まだ、書いていないんだ」
「それは、どうしてですか?」
 これは後に思ったことだが、このとき俺はとんでもなく無遠慮なことを言ってしまったみたいだ。少し考えればわかることを、口走って訊ねてしまったのだから。
「⋯⋯この話の終着点には、俺自身まだ納得していないからだ」
 彼が言い終えた途端、窓に水滴が一つ付着する。
 その水滴は数を増していき、やがてまとまった雨となって窓外の景色を埋めつくした。彼の話が終わるのを心待ちにしていたかのように、突然。
「雨か」
 窓の方を見ずに彼は言う。その目はずっと冷めたコーヒーの底を見つめていた。
「お前になら、これも話しておくべきだったな」
「⋯⋯?」
「――この話の、現時点での終着点を」


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