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第三章

side龍之介(1)

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「ねぇお兄ちゃん。奈々美ちゃん、いつ来てくれるかな」

「どうだろうな。新しい生活で忙しいんだろう。記憶のこともあるし、多分大変なんじゃないか?」

「……そうだよね」

「……もしかして、このまま奈々美が来ないんじゃないかって心配してんの?」

「そんなこと……うん。実はちょっと思ってた」


奈々美が退院してから二週間が経過した。

奈々美から一度電話が来たきり、数回メッセージを送ってはいるものの返事は来ていない。

美優も寂しがっていて、俺も何かあったんじゃ?と気が気じゃなかった。

最初にこの病室で出会った時は、こんなに大切な存在になるなんて思っていなくて。

所詮美優が入院してる間だけの関係だって思ってたから、退院してからもこうやって自分から連絡していることに自分が一番驚いていた。

奈々美は、不思議なやつだ。

長い黒髪と、大きな目。綺麗なその瞳に、初めて会った時から吸い込まれてしまいそうだと思ったことを覚えている。

いつも柔らかな笑顔を浮かべていて、楽しそうに美優と喋る姿からはまさか記憶喪失になっているなんて微塵も感じさせなかった。

中庭で倒れた時にその余りに重い事実を知って、あんな華奢な身体と笑顔の裏でどれだけのものを背負っているのかと俺の方が怖くなった。

俺が力になりたい。家族以外の誰かのためにそう思ったのはもしかしたら初めてかもしれない。

だからこそ、今のこの連絡が取れない状況がもどかしくてたまらない。


「お兄ちゃんは、奈々美ちゃんはまた来てくれると思う?」

「あぁ。だってアイツはお前の友達だろ?」

「うん……。でも、そう思ってるのは私だけなんじゃないかとか考えちゃって」


美優がそんな弱音を吐くことは滅多に無くて。

急に大部屋に一人になったのが相当ストレスになっているのだろうと想像ができる。


「美優はさ、奈々美のどんなところが好きなわけ?」

「奈々美ちゃんの?」

「うん」

「そりゃあ、笑顔が可愛くて、優しくて、頭も良くて、しゃべっててすごく楽しくて。本当のお姉ちゃんみたいに思ってるの。……最初は一人部屋じゃなきゃいいって思って大部屋に移ったけど、もし同じ部屋なのが奈々美ちゃんじゃなかったら、きっともっとつまんない生活だったなあって思って」


奈々美の話をする美優は、とても嬉しそうだ。

最近は側から見ても姉妹に見えてくる二人。

似たような怪我をしたからか、通じるものがあったのだろう。

だからこそ、急に会わなくなって不安が募っているのだ。


「学校の子たちが来てくれるのももちろん嬉しいし、翼が来てくれるのももちろん嬉しい。でもやっぱり私は奈々美ちゃんともお話ししたい。お兄ちゃん、奈々美ちゃんと連絡取れる?」


美優の不安そうに揺れる目に


「わかった。もう一度連絡してみるよ」


と答えながらも、実は俺も漠然とした嫌な予感がしていた。どうせまだ暗くなるまで時間はある。この後奈々美の元を訪ねてみようかと決意した。

美優の病室を出て、以前美優が手紙を出したいからと聞いていた住所に向かう。

思っていたよりも病院から近かった住宅街で、何か大きな音が聞こえて恐る恐る進むと、広い庭の向こうにある一軒の家のドアを何度も叩いている女がいた。


「奈々美ちゃん!いるのはわかってるのよ!開けなさい!開けなさいってば!」


奈々美?

聞き慣れた名前に、その敷地の前にある表札を確認した。

桐ヶ谷と書かれたそれを見て、慌てて玄関へ向かう。


「奈々美ちゃん!?」

「あの」

「っ!?誰!?」


声をかけると、慌てたように振り向いたその女は俺の顔を見て数歩後ろに下がる。


「この家に何か用ですか?」

「あんたには関係ないでしょ!?私はねぇ!この家の娘に用があるの!」

「でも、そんな大声出してドア叩いてたら怪しいし十分不審者ですよ。警察呼びますね」

「なっ……!?」


スマートフォンを取り出して通報する素振りを見せると、その女は慌てて俺を押してその場から逃げていく。

敷地から出たのを見て、呼吸を置いてからインターホンを押そうと手を伸ばす。

しかし一旦手を止めて、もう一度スマートフォンを出して電話をかけた。

一分間ほど、コール音が鳴り続けただろうか。


『……りゅ、のすけ……くん』


聞こえた声に、


「うん。俺。奈々美、今奈々美ん家の前にいるんだ。さっきの変なおばさんは逃げてったから、もう大丈夫」

『え……?うちに来てるの?』

「あぁ。奈々美に会いに来たんだ。ドア開けてくれるか?」

『ち、ちょっとまってて……!』


家の中から、階段を駆け降りてくるような音が聞こえて。

すぐにガチャリと鍵が開いた。
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