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第一章

記憶の片鱗(4)

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「ゆっくりでいいよ。もし体調が悪くなるようならすぐに中断しよう」

「はい」


翌日。頭痛も落ち着いたため、朝から診察室で東海林先生と向かい合っていた私。

昨日のことを覚えている限り、事細かく話す。

東海林先生は数回頷きながら親身に聞いてくれて。

立花さんは私の話す内容をパソコンに打ち込んでいた。


「もしかしたら、事故に遭った時の記憶なんじゃないかなって、思って」

「……きっとそうだね。怪我した時の記憶だろう。その他は何か思い出したことはないかい?」

「はい。今のところはそれだけです」


朝起きて、引き出しの中のノートに鉛筆を走らせたのは正解だったようだ。

頭の中が整理されたことで、スムーズに話ができた。


「わかった。一応検査もするから今日と明日のリハビリは無しにしてもらったからね」

「あ、はい。わかりました」

「午後から検査の予約入れとくから、後で声掛けるね」

「はい」


どうやら昨日の一件でまだ完治していない右手を無理に使ってしまったらしく、ズキズキとした痛みがある。後でこれもレントゲンを撮られるだろう。悪化していないことを祈る。


「首の傷は……検査前にガーゼ交換しておこうか」


治り切らない手で喉を掻きむしっていたようで、首元には大きなガーゼが付いていた。


「はい」


そんな会話をして、診察室を出た。

車椅子を押してくれる立花さんとは特に会話が無いまま、病室へ向かう。

昨日脳内で見て感じたあの出来事。あれはきっと、私の忘れている記憶の一部だ。

きっと、こんな怪我をした事故に遭った時のもの。だって、血の海だったし救急車のサイレンの音がうるさかったから。

轟音もしていた。何かにぶつかったような音もしていた。そして息ができなくなるほどの衝撃と痛み。今思い出しても全身が震えてくるようだ。

やっぱり交通事故にでも巻き込まれてしまったのだろう。


……ああいうのを、フラッシュバックと言うのだろうか。


「奈々美ちゃん」

「……ん?」

「無理に思い出そうとするのはダメよ。こういうのは、焦ると身体に負担が大きいの」

「はい。……でも、やっぱり気になっちゃって」

「無理もないわ。でも、だからこそゆっくり、焦らずね」


立花さんの言葉に、前を向いたまま頷いた。

午後からの検査の前に、龍之介くんが病室に来てくれた。


「体調はどう?」

「うん。頭痛も落ち着いたし元気だよ」

「良かった」


私の顔を見て安心したらしい龍之介くんは、いつも通り私と美優ちゃんの間に座って息を吐く。


「あ、忘れてた。はい」

「ありがとお兄ちゃん」


いつも通り着替えを持ってきた龍之介くんに、美優ちゃんはもう慣れてしまったようで素直に受け取る。


「聞いてよお兄ちゃん、今日の朝ご飯ね、またトマトサラダ出たんだよ?私トマト嫌いだから抜いてって散々立花さんに言ったのに」

「だから昔から好き嫌いすんなって母さんが言ってただろ。病院だってお前の好みに合わせて飯作ってるわけじゃねぇんだから」

「だって、嫌いなものは嫌いなんだもん」

「ガキかよ……」


そんな二人の会話を聞きながら、私がクスクスと笑うまでがワンセット。

本当、仲が良くて羨ましい。そう思いながらたまに会話に入っていると、病室のドアが開く。


「美優ちゃーん、検査の時間だよ」

「えー、もうそんな時間?」

「そんな時間。あら龍之介くん、いらっしゃい」

「どーも」


すっかり立花さんとも打ち解けてきたらしく、軽く挨拶した龍之介くんは車椅子に乗った美優ちゃんを送り出す。

そうして私の隣に戻ってきたかと思うと、さっきまでの明るい顔とは違って、神妙な表情になった。


「……昨日のこと、聞いてもいいか?」

「……うん」


心配をかけてしまった手前、話さないわけにもいかないだろう。

そう思って頷く。

引き出しの中からノートを取り出して、龍之介くんに渡した。


「……これは?」


不思議そうに表紙と裏表紙を見比べる龍之介くんは、私に怪訝そうな顔を向ける。

しかし、


「私の記憶を取り戻すためのノート」


そう伝えると、


「……記憶?」


またよく理解できなかったのか顔を上げた。


「……私ね、この怪我する前の記憶が、一切無いの」


そして一瞬で目を見開いて、声を詰まらせる。


「……え?」





「私、解離性健忘っていう……記憶喪失なの」


龍之介くんは、そのまま言葉を失ったかのように呆然としていた。
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