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第一章

あの頃に思いを馳せる(5)

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先生の目は、見ることができなかった。

自分から逃げるように街を出て行ったくせに、今更何言ってるんだって。そう言われてしまうのが怖くて。

お前の帰る場所なんてどこにも無いって。先生にそう言われてしまったらもう立ち直れない気がして。

でも、もう限界だった。

久しぶりに帰省して。懐かしい香りに懐かしい空気。今は誰もいないけれど、確かに両親がそこにいたことがわかる実家。

見れば見るほど、東京に帰りたくない。そう思ってしまった。


「───帰って来いよ」

「……え?」


それは、情けないくらいの弱々しい声だった。


「今すぐ、帰って来いよ」


対称的に、とても力強い声が正面から聞こえて、その声に引き寄せられるように視線を戻す。

先生は、何故か今にも泣きそうな顔をしていた。

苦しそうで、切なそうで。

とても、悲しそうな顔。


「俺は、あの時お前の手を離したことを、ずっと後悔してる」

「……」

「泣きそうなのに強がって、全身震えるのに平気なふりして一人で抱え込んでるお前を。俺の手の中に閉じ込めておけば良かったって、ずっと後悔してる」

「教師とか、生徒とか、そういうの関係無く。俺がお前を守ってやりたかった。あの時、教師っていう自分の立場を気にしてお前の手を離したことを。今でも後悔してる」


先生はそう言って立ち上がると、呆然としている私の隣に腰掛けてそっと身体を抱き寄せる。

ふわりと香るのは、先生が付けている香水の香りだろうか。

ほんのりと香る上品な甘さ。それが今は、とても心地良い。


「……綺麗事に聞こえるかもしれないけど。薄っぺらいって思うかもしれないけど。今度こそ、俺が守ってやる。お前の手を離したりしない。一緒にいる。一人にしない。……だから、こっちに帰って来いよ」


力強いのに、優しい声。

それは水のように胸に染み渡り、私の固まった心をほぐす。

ずっと、心に押し込めていた想いが涙となって溢れ出した。

頬を伝ってそのまま落ちる大粒の涙。

先生の服を汚してしまうから、離れたいのに。

先生はむしろ私をきつく抱きしめる。


「そう。泣いていいよ。もっと泣いて。泣きたい時は素直に泣いていいんだよ。我慢しすぎなんだよ。一人で頑張りすぎなんだよ。もっと俺に縋って、もっと俺に甘えていいから。ちゃんと受け止めるから」

「っ……せんっ、せー……」

「うん。大丈夫だから。俺はずっとここにいるから。帰って来いよ。……な?」

「いいっ、のかな……。私、帰って来ても、いいのかな」

「うん。いいんだ。だから帰って来い」


何度も頷きながら、私は先生の服を涙で濡らし続けた。

先生は背中をずっと摩ってくれていて、私が泣いているのに何故か嬉しそうに「うん。うん」と頷いていた。

両親が死んでから、こんなにちゃんと泣いたのは初めてかもしれない。

確かに私はなんでも一人で抱え込むタイプで、溜め込んで溜め込んで、最終的にこうやって爆発するタイプだ。

それは、両親が亡くなってからはさらに酷くなっていた。

先生は私のことをよくわかっている。

だからこうやって素直に泣いている姿が、私が感情を出す姿が、嬉しいのだろうか。




しばらく涙は止まらなかった。

泣き腫らした目は真っ赤に腫れているのがわかって、それが恥ずかしくて泣き止んだ後もしばらく顔を上げられないでいた。


「……落ち着いた?」


先生の優しい声に、そっと頷く。

先生は身体を離してくれるのかと思いきや、安心したように笑った後、また私をギュッと抱きしめた。


「……先生?」

「みゃーこ、今日何食べたい?」

「え?」

「晩メシ。一緒に食いに行こ。もちろん俺が出すから」


それが、私が顔を上げるきっかけを作ってくれているのだとわかって、悔しいような嬉しいような。複雑な気持ち。


「みゃーこの好きなもの、なんでも食べさせてあげる」


食べたいもの、かあ。


「……じゃあ、焼き肉」


パッと頭に思い浮かんだものを呟いて顔を上げれば。


「ははっ!了解。とびきり美味い店に連れてってやるよ」


胸を締め付けるくらい綺麗な満面の笑みの先生が、私を見つめてくれていた。


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