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番外編

彼が失ったもの☆ベリルダ①

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「明日からでいいわ。今日はゆっくりなさい」


建付けの悪い扉は開くにも閉じるにもコツがあるようで年配の修道女は少し扉を持ち上げるようにして閉じた。

子爵家の部屋でもこんなに狭くはなかったし、隙間風が入って来る事も無かった。クローゼットと言う名の衣装棚にはドレスどころか人が1人入れるかどうかの大きさしかなく、部屋の中には湯殿や不浄用のクローゼットに通じる扉もない。

湯殿のようなものはあるけれど、大抵は竈で沸かした湯を張った桶に井戸の水を加え乍ら頃合いを見て布を浸して体を拭くのが湯あみ。御不浄も共同。

食事室はあるけれどさっき出された【歓迎用】の食事は滅多に出ない豪華仕様。
なんだろうと思えばいつもは塩ゆでした豆が2,3種類に硬いパンと湯かと思うようなスープが常で【歓迎用】はそれに蒸したジャガイモとスプーンに1杯ほどのジャムが付くのだと言う。

低位貴族の出だと言っても、馬車で2週間。そのうち最後の3日は獣が出そうな森を抜けてきた。そんな所を1人歩いて帰ろうにも途中で行き倒れるのが目に見えている。

夜になると同室だという修道女が1人部屋に入ってきた。
同室と言っても彼女は明後日にはここを出ていく。

「私は期限付きなの」

ブレンデル国は裕福とは言えない国。偶々王都に屋敷がある子爵令嬢として育ったベリルダは何も知らなかった。田舎の領主の娘や、領で暮らす貴族の娘は王都に出て学園に通うとすれば多額の借金をしなくてはならない。

だからそういう家の娘は修道院で行儀作法や簡単な諸国のマナー、所作を学ぶ。
すぐ後ろに見える高い山は国境になっている事もあって、年老いた御者が引く荷馬車の荷台に揺られて近郊の村や街に奉仕に出向くため、この修道院ではブレンデル語の他に2か国語が半年もすれば読み書き、会話が出来るようになると言う。

荷物と言う荷物もなく「もう使わないからあげる」と数冊の読みこんだ本を手渡してきた彼女は村に帰れば許嫁と結婚するのだと言って、たいしてない荷物の半分を占める許嫁からの手紙をベリルダに見せた。

「村に帰ったら、結婚して牧場で牛を追うのよ。おかしいでしょ」

ベリルダは顔では笑いながら、心の中ではそんな事のためにわざわざ修道院で行儀見習いをしていたという彼女をせせら笑った。


そんな彼女が満面の笑顔でずっと手を振り続けるのを見送って10年。
31歳になったベリルダは、修道院の中でも古参となった。

陽が昇る前に起きて祈りを捧げ、豆と小麦を水で溶いて伸ばし焼いた向こう側が透けて見えそうなパン。豆を煮た後の煮汁に少しの塩を入れただけのスープを胃の中に入れると奉仕、そして祈りを捧げまた同じ夕食を食べて祈りをささげた後は就寝。それをずっと繰り返してきた。


最初の1年は去っていく者を鼻で笑った。
5年経つ頃にはそれが自分なら良いのにと嫉妬した。
10年経った今では何も感じなくなった。



〇●〇●〇


山に囲まれたこの地は冬となれば雪に覆われて耕す田畑以前に降り積もった雪で潰れる家もあるほどの豪雪地帯。1年の内、半年は雪と共存しなくてはならない地。

ベリルダは10年目ともなれば慣れた手つきで雪囲いを建物の四方に取り付けていく。
木の板を等間隔に切ったものをのきに引っ掛けていくだけなのだが高さがあるためコツが必要なのだ。

修道院には男性がいないため修道女たちが行うのだが、今年はベリルダ1人が行っていた。行儀見習いの少女達が昨年の飢饉で全て田舎に帰ってしまったのだ。家族を食べさせるために貴族の家や商会に奉公に出て金を稼がねばならず行儀見習いところではなかったのだ。



「あら、前の人は辞めちゃったの?」

修道院は基本的には自給自足だが、冬はどうしても収穫が出来ない。
雪囲いを取りつけながら僅かばかりの野菜を届けてくれた男性に声をかけた。
野菜と言っても購入するのではなく、売れ残り萎びたり芽が出てしまった廃棄するものを分けてもらっている。

寒さで鼻の頭も頬も真っ赤になった男性がベリルダの方を見た。

「みんな出稼ぎに行ったんだ。今週はこれだけしかなくて申し訳ない」

小分けにした箱を幾つも荷台から降ろそうとしているのだが、慣れていないのか手つきがおぼつかない。ベリルダは思わず声をかけた。

「手伝いますから、少しお待ちくださいな」
「すまないな。でも大丈夫だ。慣れてるから」

動きとは合わない言葉に途中で囲いをつける手を止めて荷馬車に向かうと、その理由がわかった。
男性の手は手のひらしかなかったのだ。

「あぁ、面倒なものを見せてすまない。直ぐに降ろすから」

動きはぎこちなかったが、男性は効率よく荷を下ろした。
それがベリルダとクルトの出会いだった。


クルトが出稼ぎに行かないのは、ベリルダが修道院に来た頃に終戦を迎えた帝国と隣国の戦が原因だった。稼ぎの少ない田舎の若者は現金収入になるからと外人部隊として参戦したのだ。

クルトは帝国側の部隊に配属になったがそこで奇襲にあった。
廃屋となった貴族の屋敷で寝入った頃を狙っての奇襲だったため放たれた火矢は朽ちた廃屋をあっという間に炎で包んだ。逃げようにも入り口には敵兵が待ち構えていて逃げられない。
火の粉で髪も焼け始め、仲間と共に裏口から逃げようとした時、仲間の上に燃えた屋根の一部が落ちてきた。足が挟まれ動けない仲間を助けようと焼けた木材を持ち上げ、なんとか逃げ延びたが治療をするような場所はない。
指を失ったクルトは除隊となり村に帰ったが、穀潰しとなってしまった。

働こうにも働けない。手のひらだけでは自分一人で食事をする事も出来なかった。
両親に追い出され、祖母の家でなんとか自分の事は自分で出来るようになった頃、祖母が亡くなった。クルトは肩に鍬を置いて顎で挟んで田畑を耕し、手首と肘を器用に使って水を汲み、農夫たちから僅かな賃を貰って生きてきた。

飢饉となって出稼ぎに行ってみたが、クルトを雇ってくれるところはなかった。
仕方なく、村に戻り賃は貰えないが夕食を分けてもらったりというお裾分けで雑用をしていると言う。


ベリルダは恥ずかしくなった。
家族を食べさせるために兵士となり、人を助け、不自由な体になっても自分の力で生きていこうとしているクルトと比べて自分はなんと卑しい人間なのだろうと。

王太子の寵愛が自分にあると錯覚して傲慢にも格上の公爵令嬢を公の場で挑発した。
それだけではない。与えられるがままに受け取った宝飾品は全て国庫からの支払いの品だった。着飾って男爵家や騎士爵家の令嬢達を散々に扱ってきた。

誰もが自分のためにあり、王太子ディートリヒという最上級の宝飾品を手に入れたと思って舞い上がっていたのだ。純潔を捧げ、言われるがままにどこでも求められれば体を差し出した。

その結果がこれだ。ここに来てからも親を恨み、公爵令嬢を妬み、迎えに来ないディートリヒを待ちわびてきた。誰も自分の事など忘れてしまった。捨てられたのだと全てを諦めた風でまだ誰かに縋ろうとしていた自分が恥ずかしくなったのだ。



雪が降り始めても修道院に週に1回。村人から集められた野菜を持ってクルトはやって来た。
時に薪割も手伝ってくれる。薪割用の台の上ではなく斧を薪に食い込ませて足で梃子のようにして割っていく。

「上手なのね…私も出来るかしら」
「無理無理。俺も出来るようになるまで一冬かかった」
「でもほら、手が豆だらけになっ――ごめんなさい」
「謝る事はないよ。俺は指は失ったけど仲間の命は失わなかった。そっちのほうが儲けもんだろう?」

手のひらの豆を見せようとして広げた手。
ベリルダにはあってクルトにはないものがあった。
それでも屈託なく笑うクルトにベリルダは何時しか魅かれるようになった。
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