上 下
4 / 10

鉄面皮

しおりを挟む
モントケ伯爵家がアンネマリーを切って3日目。
コンスタンツェは【前哨戦】とばかりに父親のゼルガー公爵と国王の執務室を訪れていた。


向かい合わせに腰を下ろしたソファでコンスタンツェと父親のゼルガー公爵は国王と王妃に書類を手渡した。内容は詳細まで読まずともその表紙を見れば顔色も変わると言うものだろう。


独立国ではあるもののブレンデル国が王国として立っていられるのは3公爵、5侯爵の知恵と努力の賜物だろう。過去幾多の戦を【話術】と【取引】で切り抜けてきた。

国王が何のために存在するのかと言えば【民への象徴】であり、血の継承と言う実態がありそうでないものへの偶像崇拝に等しいだろう。


己の足元が薄氷である事を国王たちは即位する度に聞かされてきた。

【国王があって国が成るのではなく、民があって国が成る】

その事は諄くくどく説かれ、胡坐をかき民を蔑ろにした王は3公爵、5侯爵により粛清されてきた歴史を持っていた。
無知蒙昧むちもうまいな愚王もいれば万里一空ばんりいっくうな賢王も存在した。
王と言えど人。余程に民の生活を脅かすものでなければ失政であっても3公爵、5侯爵を旗頭に貴族は一致団結して知恵を出し合い、国王を支えてきた。


好色王とも呼ばれた父でも引きずり降ろされなかったのは、政治的には【聡明だが豪胆】でそれまで脅威であった帝国との友好条約を一晩で取り付けてきた功績があった。
農夫が田畑を耕す鍬や鋤を剣や棍棒に持ち替えてきた歴史を一変させたのだ。

唯一の男児であった現国王の出自が怪しい部分はあっても、天秤にかければ取るに足らぬと判断されたのだが、チャンスを与えられた現国王は婚姻で薄氷に亀裂を入れた。

騙し騙しでもその亀裂の入った薄氷を踏み抜かなかったのは、【民の生活が第一】と質素倹約に努めた事だろう。だが、息子と言う身近な存在がいとも簡単にその薄氷に石を放り込んでしまった。

手にした書類の項目を読み進める国王と王妃の不安の色と心拍数が一層高まった。


「デ…ディートリヒはもう切る。だから――」
「何の事でしょう。今日は両陛下の要望をお聞きしようと思いましてね」
「要望?」


ゼルガー公爵に国王は読んでいた書類を持つ手が震えた。
ゆっくりを顔を向けると、温度を持たない仮面をつけたような顔が目に入った。
生唾を飲んだ国王の喉仏が一旦下がりゆっくりと元の位置に戻る。

「見晴らしの良い場所で美酒を嗜むか、四季を問わず涼しい場所で余生を過ごすか」

ゼルガー公爵の抑揚のない言葉に王妃は目を見開き、国王の横顔を見た。
絞り出すようにようよう国王が声を出す。

「それは総意か」

国王は愚問だと判っていながらも敢えて問うた。
調査票の表表紙おもてびょうしに連なる家名、それを持ってこの場にゼルガー公爵がいる事で【詰み】を悟っても尚、どこかにあるやも知れぬ僅かな希望に縋った。

ゼルガー公爵の目は微笑むだけで何も答えない。
代りに1枚の書面を静かに差し出した。

同時にゼルガー公爵とコンスタンツェの後方にいた騎士が国王と王妃の背後に回る。
こんな狭い執務室の中にすら自分の味方は誰一人いない事を国王は悟った。


「ペンを‥‥取ってはくれまいか」
「畏まりました」


返事をしたのは王妃を娶った時から仕えてくれた執事ジェームズだった。
ペン立てから一番手に馴染んで書き心地の良いペンとインク壺がテーブルにコトリと小さな音を立てて置かれた。


「ジェームズ…そう言う事か」
「今更で御座いますよ。陛下。わたくしは26年前にゼルガー公爵家から遣わされたとご説明申し上げております」
「そ‥‥そうだったな。あぁ…そうだった」


自分では気にした事も無かったが、ペン1本ですら動向は見られていた。
痒いところに手が届くと思っていた執事は最も身近にいただったとは。

――これは走馬灯なのだろうか――

ほんの僅かな時間、遠くなり色褪せた過去を国王は脳裏に思い出した。

隣に座る王妃を娶った時に、ディートリヒと同じ事をしていた事を。
ディートリヒは『父上とて、好いた母上を選んだではないか!』と言ったが、国王も先代国王には同じ事を言った事を思い出して、力なく笑った。

当時の婚約者は目の前のゼルガー公爵の妻となった女性だった。血反吐を吐くような辛い王子妃教育、王太子妃教育を終え王妃教育が始まった頃に王妃と出会った。

【私が守るからはしなくていい】

王妃を抱きしめてそう伝えた言葉を婚約者だった令嬢は聞いていた。
どんな思いでを受け止めたのか。

答えを聞くまでもない。
ゼルガー公爵の表情がその答えであり、元婚約者の思いなのだから。
その元婚約者に似た娘のコンスタンツェ。

リリエンタル侯爵家のアリーエから入れ替わった時に次の治世への「安堵」を感じたのは元婚約者に似た寛大な包容力と容貌を感じ取ったからだろうか。

先ずは国王がサインをして、続いて王妃がサインをするのにペンを受け取った。
王妃は手にしたペンを持ったまま動けなくなった。
ペン先に沁み込ませたインクが用紙にぽたりと落ちた。

「どうした?」

国王の問い掛けに王妃は薄く笑う。
震える手で落ちたインクの滴痕を避けるように署名を済ませた。

「良いペンですわね。送り主は使い手を一番に考えたのでしょう」

国王は忘れていた。そのペンは目の前のゼルガー公爵の妻であり、国王の元婚約者が30年前に立太子した際に贈ってくれたものだと言う事を。
刻み込まれたお互いの名前のうち、国王の名前はもう指が当たって擦れて読めないが元婚約者の名前は今も尚、刻み込まれたままだった。

「貴方は何一つ守れないだけでなく鉄面皮てつめんぴだとよく判りました」


若き日に平民であった自分を選んでくれた夫に尽くそうと、読み書き出来ぬ文字を必死に習得し民の心に寄り添おうとしてきたが、王妃としてではなく女として夫が「昔の女」とも言うべき婚約者から贈られた品を後生大事に愛用してきた未練、その品を何事もなく人生の幕引きをする署名に差し出してきた無神経さ。
潮が引くように王妃の国王への愛も引いた。


「待ってくれ」

縋る国王を振り向きもせず王妃は騎士と共に退室をした。
扉が閉じた後は、父とは違い妃の心すらあっという間に離れた事に国王の慟哭が響いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない

かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。 女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。 設定ゆるいです。 出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。 ちょいR18には※を付けます。 本番R18には☆つけます。 ※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。 苦手な方はお戻りください。 基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

「元」面倒くさがりの異世界無双

空里
ファンタジー
死んでもっと努力すればと後悔していた俺は妖精みたいなやつに転生させられた。話しているうちに名前を忘れてしまったことに気付き、その妖精みたいなやつに名付けられた。 「カイ=マールス」と。 よく分からないまま取りあえず強くなれとのことで訓練を始めるのだった。

二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。 それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。 本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。 しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。 『シャロンと申します、お姉様』 彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。 家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。 自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。 『……今更見つかるなんて……』 ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。  これ以上、傷つくのは嫌だから……。 けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。 ――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。 ◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです(_ _) ※感想欄のネタバレ配慮はありません。 ※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっておりますm(_ _;)m

異世界転生帰りの勇者、自分が虐められていた事を思い出す~なんか次々トラブルが起こるんだが?取り敢えず二度と手出しできない様に制圧するけどさ~

榊与一
ファンタジー
安田孝仁(やすだたかひと)16歳。 彼は異世界帰りだった。 異世界では25年間過ごしていた為(日本では一ヵ月しかたっていない)かなり記憶があいまいだが、彼は日本へと返って来た。 自分を心配する母の元へ。 「ああ、そういや俺って虐められてたっけ」 帰還してからの初登校で自分の状況を孝仁は思い出す。 だが異世界で生き死にをかけた戦いを繰り広げていた彼にとって、それは児戯に等しい内容だでしかない。 「一々相手するのも面倒だから、二度と手出ししてこない様制圧しとくか」 それは異世界帰りの彼にとって、赤子の手を捻るよりも簡単な事だった。 だがいじめっ子共を制圧すると、何故か芋づる式にずるずるとロクデナシ共に絡まれる事に。 これは異世界帰りの安田孝仁が、法を無視した理不尽な連中をそれ以上の理不尽で制圧して行く物語。

元妻からの手紙

きんのたまご
恋愛
家族との幸せな日常を過ごす私にある日別れた元妻から一通の手紙が届く。

処理中です...