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温かい食事

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ポォっと光と共に擬態をしたグラディアスは窓から飛び立って空を飛んでいく。
アナスタシアはそれを黙って見送るが、心の中に【羨ましい】という気持ちが芽生えた。

グラディアスが好意を持って接してくれているのは判るがその先の気持ちが判らない。
文字は読めても習っていないスペルの単語の意味が解らないという感じだろうか。

生れた時からアナスタシアに与えられたものは教育。
両親からも引き離され、婚約式、結婚式以外は会った記憶もあまりない。

どうしても親や兄弟姉妹と接触があると甘えが出てしまう。
王妃もそうやって教育をされてきたため、当たり前のようにアナスタシアも見知らぬ他人が仕事として接するだけだったため、人として当たり前の感情がない。
王妃の情操教育ならぬ【情葬教育】の負の賜物とも言えよう。

シリウスに【辛い】とこぼしたのも、辛いという気持ちは判らないが、課題が出来なかった時に講師たちの【王妃になろうと言うものが間違うなんて。辛いとでもいうつもり?それが甘えというのよ】と叱責をされ、間違う事は辛い事なのだと感じたのだ。

王太子妃となり、職員や使用人達の達成した時の喜びや、失敗した時の悔しさ、色々な感情は良い刺激となってアナスタシアの中に【嬉しい=笑顔】【悲しい=泣き顔】のように積み重なっていく。
ただ、アナスタシアがそれを表現する事は許されなかった。

塔の中はそれを表現しても許される場。
飛んでいくグラディアスというカラスが素直に羨ましいと感じた。
翼があればどこまでも飛んでいけそうな気がした。

だが、空想の世界は突然に現実に引き戻される。シリウスだった。

扉が開き、今日は胸を張っているような、上から物を言うような顔つきだった。
小さなテーブルに乗りきらない程の書類を無造作に置き、零れ落ちた用紙を踏みつけながらアナスタシアの名を呼ぶ。


「明日の朝、取りに来る。今夜中にこれを文面にしておくんだ」


用紙の一枚を手に取り、ペンで印をつけた部分を指で弾きながら言い放つ。
落ちた書類に目をやり、書かれている中間の文章だけで帝国との交渉で次回報告になったメリル―プ王国が絡んでくる事項である。
王太子妃を辞するまでの報告は頭の中にある。だがそれから1年半という時間が経過している。
メリル―プからも帝国からもそして分岐にある領主からも定期的に数値の報告は上がっているはずだが、アナスタシアはそれに目を通す位置にはいない。


抱えて持ってきた書類の山は申し訳ないが、ほとんどが関係がないものだろう。
それだけに固執するのであれば目を通すだけ時間の無駄と言うものだ。


「いいか。明日の朝までだ。必ずまとめておくんだ」


そこにアナスタシアの意見など必要がない。
シリウスは言いたい事を言って部屋から出ていく。アナスタシアは落ちて踏まれた書類を拾い上げて山の天辺に置くことはしたが、それ以上は何もしない。

だが、これで今日の配給があってもテーブルでは食べられないと考えた。
アナスタシアは寝台近くのチェストに置いた籠の菓子を齧った。
グラディアスが持ってきてくれたビスケットという菓子である。
ただ、これは飲み物が欲しくなる菓子だそうで、塔には茶がなかった。
水は髪を洗ったり体を拭いたりする水と、1日にコップに1杯だけトレーに配給されるだけで温かい飲み物は到底無理な話である。
少し塩味で美味しかったが、2枚でやめておく。喉が渇いた時に潤す方法がない。

そしてシリウスの持ってきた書類には目もくれず、グラディアスが持ってきた山林の整備に関する書類である。知識の中でどうすれば一番効率的で効果が高いかを考える。


色々と考えているとすっかり夜が更けていた。気が付けば今日の配給がない。
この塔に来て初めての事だったが、衛兵にも事情があるのだろうと気にしなかった。




翌朝、空が白みかけた頃、微かな気配に目を開けるとパンと皿、指が震えながらもポットの取っ手を引っ掛けて、わきにペリエの瓶を持ったグラディアスが置き場所を探しているのが目に入った。
寝台で体を起こし、声を掛ける。

「このような時間に、どうされました?」
「あっと、起こしてしまったな…朝食を持ってきたんだが‥」
「まだ空は星が出ておりますわよ。わたくしでなかったら叫ばれていると思いますが」
「それはそうなんだが…テーブルに荷物があって、どうしたらいい?」

考えた挙句、寝台近くの棚に仮置きをしてテーブルの書類を入り口の扉まで運んだ。
運びながらグラディアスが内容を見て首を傾げる。

「そなたがこれを?期限は今日だったと思うが」
「昨日、朝までにまとめる様にと置いて行かれたのですが‥放っておきました」
「放ってって…フフフ…面白いな。今日、どうするつもりだろう」
「さぁ?なるようになるのではないでしょうか」
「冷たいな。その冷たさがまた可愛いのだがな」

テーブルが空いたので持ってきた朝食を並べるグラディアス。
その間にアナスタシアは着替えや洗面などを済ませ戻ってくると準備が出来ていた。

パンとスープ。湯気が出ている茶があった。

「ほら、一緒に食おう。もう腹が減って仕方がない」
「まぁ、まだ朝ですのに?」

グラディアスはパンをグイっとアナスタシアに差し出す。

「俺が焼いたんだ。バルドゥスという義弟がいてな。朝から2人で生地を捏ねた。ちょっと寝かせる時間が短かったから膨らみが足らんかも知れんが、まだ温かいだろう?多分だが旨いぞ」

手渡されたパンは確かに温かい。千切ると中もホコホコしており焼きたてなのは間違いない。
アナスタシアは生まれて初めて焼きたてのパンを食べた。
しっとりとした生地が温かくて甘みを感じる。

「美味しいですわ」
「そうだろう?戦地ではもっと薄いのを焼くんだが今日は丸くしてみた」

カラスでは運べない重い食器も、ファーフィーに無理を言って早くに叩き起こし転移をしてきたグラディアスはスープも自作だと言って感想を聞きたがる。

「カボチャの種のところを綺麗に取ってだな、裏ごしをして牛乳にバターを湯煎して生クリームみたいにしたのをベースにしてみたんだ」

グラディアス。実は料理が好きなのだろうか。
温かい料理を胃に入れると、全身がポカポカとしてくる。
指先も赤みを帯びてくる不思議をアナスタシアはじぃっと眺めた。

「火傷をしたか?そんなに熱くなかったと思ったんだが」
「いいえ、違いますわ。どれもとても美味しくて。お料理、お上手ですのね」
「まぁ、野営で楽しみってのは食事くらいだからな。試していたらこうなっただけだ」
「食べ過ぎに気が付かないくらい美味しかったですわ。ありがとうございます」
「どういたしまして。お茶も淹れてみた。飲んでみてくれ」
「至れり尽くせりですのね」
「そなただけだ」

グラディアスが二の句をつごうとするが、アナスタシアは山林の書類を取り出す。
苦笑いになってしまうが、食器を片付けて胸ポケットから大きな袋を出して放り込んでいく。
持ってきた時より、帰りはかなり雑だがと言い訳をしながら放り込む。

太陽が半分ほど山から顔を出すころまで説明を受けたグラディアスは転移で消えていく。
注がれた芳醇な香りに似合わないいつものカップに入ったミルクティーを一口飲む。

「はぁ~。甘くて美味しい♡癖になりそうな味ね」

アナスタシアはクスリと笑った。
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