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事実を知って欲しかった

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ファデリカが出て行った後、扉がそっと開かれた。
ヴェリアだ。
部屋にいるのがナイアッドだけだとわかると、跳ねるように部屋に入ってきた。


「ナイアッド様っ」

首を少し傾げて、顔を覗き込むように声をかけてきたヴェリアに気取られぬよう作り笑いでその場を凌いだ。ヴェリアは気が付いたのかいないのか、いつもよりも体を密着させてナイアッドの腕に絡みついた。

「ナイアッド様ぁ。元気ないですね。どうしたんですぅ?」

「何でもない。そう言えばもう来年度のメンバーに引継ぎも終わった。そうなればここに来ることも無くなる。君も来年は3学年目なんだからそろそろ自分の事に身を入れて振舞ったほうが良い」

「えへへ♡大丈夫ですよぉ。もう決まってるのでぇ。うふふ」

胸の膨らみを更に二の腕に押し付けてくるが、ナイアッドはそれに何かを感じるような余裕はもう心の中になかった。振り払うように空いた手でヴェリアの肩を押し距離を取る。
しかし、ヴェリアはその手を握り、ナイアッドの指に自分の指を絡めた。

瞬間ナイアッドは全身の毛穴が開き、産毛までも逆立つような気持ち悪さに襲われてしまった。

「すまない。離れてくれないか」

言葉の柔らかさとは裏腹に叩き落とすかのようにヴェリアの手を外した。
するとヴェリアは覆いかぶさるようにナイアッドを押し倒した。

「何をするんだ。離れるんだ!」

「ナイアッド様ぁ、既成事実ってぇ知ってますぅ?」


淫靡に歪むヴェリアの唇にサァッとナイアッドの顔色が失われていく。
思わず扉に目をやった。
誰かに見られてしまえば、あれだけ学院生たちの前だけでなく、市井でもヴェリアと一緒だったところは見られてしまっている。厳密には護衛などもいたが疑われても仕方がない。
その上、この状態を人に見られてしまえばもう言い訳は通用しない。

今更ながらにヴェリアが自分に対し、取り入るような言動をしていた事を思い出し、まんまと引っ掛かってしまった事に悔しさと恥ずかしさで泣きたくなった。
ナイアッドは思い切りヴェリアを突き飛ばし、ソファから転げ落ちた。

「きゃぁっ!ったぁい」

「マスィス嬢、俺の…いや私の意思で君を妃に選ぶ事はない。だが、廃嫡されて平民となった時に王命で結婚は出来るかも知れないね。ハハ…ハハハ…」


座り込み、片膝を立てて自嘲気味に笑い始めたナイアッドに体を起こしたヴェリアはナイアッドの発した言葉の意味が判らないと手を伸ばした。

「嘘でしょ‥‥平民って…冗談ですよ…ね?」

「さぁな。決めるのは父上‥‥陛下だが婚約も無くなったからな」

「やだ…なによそれ…王子じゃないなら意味ないじゃない!何のために今まで頑張ってきたと思ってんのよ」

「話し方まで変わるんだな‥‥つくづく嫌になる…ハッハハ…ハァッウッ‥」

「男の癖に泣いちゃって…気持ち悪いんだけどっ!ア”ー!時間無駄にしたぁ!」


豹変したヴェリアを見る事もなく、ナイアッドは手で目を覆って嗚咽を溢す。
そんなナイアッドに「平民王子?笑っちゃう」その言葉を残しヴェリアは立ち上がるとスカートを軽くはたき、部屋から出て行った。






パンサラッサ侯爵家から婚約解消の話は既に出ていた事も聞かされたナイアッドはファデリカに面会を求めたが当然のように断られた。
成績が落ちてしまっていたためファデリカとはもうクラスも違っていてなかなか会う事が出来なかった。生徒会も来年度のメンバーになっていて引継ぎも終わっており接点がなくなった。

食堂に行く時にはアルティを始めとして数人がガードをしていて近寄る事も出来ない。悶々とした日々を過ごす中、男爵家の子息だという学院生がリボンのついた箱をナイアッドに差し出した。

「殿下、おめでとうございます」

「なんだ、突然‥祝われる事など何もないが」

「何を言ってるんですか。正式な発表までは待とうと思ったんですが、後期は自由登校になりますから今のうちに渡しておこうと思いまして」


差し出されたのはベビー用品を取り扱っている商会のマークが入った箱である。
兄2人には既に妃がいるが、ナイアッドが預かる理由などない。
声も出ないナイアッドに、驚く事実を男爵家子息は告げた。

「マスィス嬢、もう退学しているでしょう?卒業式の頃にはもう生まれますよね」

「えっ…」


すっかりヴェリアの事など忘れていたナイアッドはヴェリアが妊娠し退学した事を初めて知った。そしてその腹の子の相手はナイアッドだと誰もが思っているという間違った事実がまことしやかに囁かれているという事も。

ヴェリアが本当に妊娠をしていたとしても、腹の子の父親は自分ではない事をナイアッドは断言できる。手を握ったり、肩や腰に手を回した事はあっても関係を持った事は一度もないし、キスすらしていない。子供が出来る筈がないのだ。


「待ってくれ。相手は俺ではない」

「何を言ってるんです?だって皆、殿下だって言ってますよ」


ナイアッドは改めて自分の愚かな行為を悔いた。それほどまでに第三者の目からナイアッドとヴェリアの距離は近かったのだ。
必死に否定をするが【正式な発表】までは認められないのだろうと誰もナイアッドの言葉に頷く者はいない。


そして――


「‥‥ですわね」
「‥‥なのですわよ。ですが領地に…」

不意に何処からかファデリカの声が聞こえた。ナイアッドは周囲を見渡すと2階の踊り場からナイアッドのいる3階に階段を友人の令嬢と上ってくるファデリカが目に入った。

――まさか、ファデリカもこんな噂を信じているのでは――

そう思ったナイアッドは渡された箱を男爵家子息の胸に押し当てると、階段に向かって走り出した。
上ってくるファデリカと目が合うが、ファデリカは目を逸らしまた隣に並ぶ令嬢と話を続けた。

「ファデリカっ!!」

階段を途中まで駆け下り、ファデリカの前に立つ。足を止めたファデリカとその友人は一般の生徒がするのと同じようにわきに避け、ナイアッドを優先させる仕草をした。

「ファデリカ!聞いてくれ。違うんだ。噂は事実じゃない!」

話を聞いてもらおうと思っただけだった。ファデリカの腕を掴もうとしたナイアッドの手は空を切った。ファデリカが体を捩じり、反らしたからだ。

が―――

「きゃぁぁぁ!!!」

体を捩じった時に、階段の鼻先から足を滑らせたファデリカは踊り場まで一気に転げ落ちてしまった。時間にすれば一瞬の事だが、ナイアッドの目には驚いたファデリカが目を見開いたまま、ゆっくりと背中を数回、段鼻に打ち付けながら滑り跳ねるように落ちて行くように見えた。
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