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第18話    ビオレッタの楽しみ

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ファッセル侯爵家の生活は快適だった。

福祉に力を入れているからか、使用人の4人に1人は何らかのハンディを持っているのだが仕事は仕事としてきちんと役割を果たしている。
ここでは片足が無かろうか、半身が不随であろうが生き生きと与えられた仕事をしていた。

「お義姉様!明日にでもお父様が、お義姉様のお父様と一緒に陛下に王命の取り下げを願い出るそうですわ」

一旦公表してしまった物を取り下げるとなればライネルへの処罰も当然与えられる。
ビオレッタはそれでいいのだろうかと考えた。

ライネルとは瞬間で燃え上がるような恋に落ちた。お互いを生涯連れ添う相手だと信じて疑う事も無かったが、果たしてそれが人生で一度きりなんだろうかと考えてしまうのだ。

人を好きになる気持ちを他人が押さえつけることはできない。
なら王命は婚姻を指示したものであり、離縁ではないのだから離縁すれば陛下の顔も潰さずに済むのではないか。そんなことも考えてしまう。

ただ、国王の顔を潰さずに離縁するにしては期間があまりにも短い。
かと言って過去、愛し合った気持ちを後悔していると手渡されたクロッカスの花。お互いの気持ちがもうお互いを向いていないのに国王の顔を立てると言うだけで婚姻を続けるのも苦痛。

不思議なもので、あんなにも好きで、好きで仕方がなかったのに冷めてしまうと残ったのは「情」だけだった。その情も、どちらかと言えばお互いの為に使いたい。

ビオレッタは「ソフィアさんと末永く仲良く暮らして貰えれば」と決してプラスの感情ではなく、どちらかと言えば情があるからこそ「もう私の事は放っておいてほしい」と思うのだ。


ナタリアと筆談を交えて会話をしているとアキレスがやって来た。
頼んでいた何冊かの本を持って来てくれたのだ。

ビオレッタは片手の手の甲を、もう片方の手で手刀を切るようにトンと軽く叩く。
「ありがとう」という手話。

にっこりと笑ったアキレスは右手の小指を立て顎にトントン。2回当てた。ここまでは「いいですよ」という手話だがその後手をパタパタと口の前で軽く「いいえ」と言う感じで振る。

「どういたしまして」という手話である。


ナタリアがビオレッタに向かって、親指を立て、今度は両手の人差し指を向かい合わせにお辞儀させ、両手の手の平を胸に向けて上下に振る。

「彼に会えてうれしそう♡」と手話でビオレッタに伝えるとビオレッタは両手の親指と人差し指を立てて捩じるように手を動かす。「違う!!」と手話で伝えたが、ナタリアはほんのり頬が赤くなるビオレッタを見逃さなかった。

ナタリアはすかさず右手の人差し指を立て、口を閉じると左から右に向かって立てた指を動かす。

「秘密ね?」とビオレッタに向かって「ウフフ♡」と笑う。


「ナタリアさん、揶揄ってはダメだ」
「判ってますよ~わたくしは用事を思い出しましたの。お義姉さまをよろしく~」

お邪魔虫は退散とばかりにナタリアは跳ねるように部屋から出て行った。

ビオレッタはアキレスに手話を教えてもらっている。
持って来てもらった本は、初心者でもわかりやすく書かれた手話の本で挿絵がある。
書店でニーナが何冊か買ってきてくれたのだが文字ばかりでイメージが出来なかったのだ。

「こんにちは」の前に少し違う手ぶりをするだけで時間を示した挨拶になると知り、ニーナを始めとしてビオレッタの世話をするようにとオルバンシェ伯爵家からやって来た使用人は「私も覚えたい」と今やブームになってしまった。

手話の良いところは言語をあまり気にしなくていいところで、その国にしかないものや言い回しが独特なものは上級者となるが、挨拶や日常会話はほぼ共通していた。

補聴器はどうやらビオレッタには合わなかったようで医師から止められてしまった。耳の形は人それぞれで音は聞こえやすいのだが、耳栓のように装着をする事で外耳炎を起こしてしまった。

補聴器は使えなくなったが、ビオレッタはそれよりも手話をする事で会話できることの方が楽しく、嬉しかった。


しかし、アキレスもずっと指導は出来ない。
アキレスの住まいは王都ではなく、地方都市にある。たまたまファッセル侯爵が義足を負傷兵などに装着してもらうために医療院に出向き、3カ月のあいだ元兵士たちのサイズを計測するために出向いていただけなのだ。


アキレスに手話を教えてもらっているビオレッタの表情はまるで百面相だった。
上手く伝わらなければ、ムッとするし、思っていた通りに伝われば笑顔になる。

少し離れた場所で娘の様子を伺っていたオルバンシェ伯爵もついつい笑顔になってしまう。

侍医の話では今はビオレッタが話す言葉も聞き取れるが、段々と聞き取りにくくなると言う。自分の声が聞こえないので頭で思っている発音と実際の発音にズレが生じ、ビオレッタはちゃんと話しているつもりでも相手は下が縺れているような声にしか聴きとれなくなるのだと言う。

だとしても、娘が笑顔でいられるのなら。
オルバンシェ伯爵は国王の機嫌を損ね、何らかの処罰を受けることになったとしてもライネルとの婚姻を終わらせよう。そう心に決めたのだった。
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