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カルロの疑問

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日頃、物音がしない事から執務室に人がいるのか?と確認のために扉の前に陣取る兵士に問いかける者もいたアベラルドの執務室の中は荒れに荒れていた。

扉の前の兵士も今日は部屋の中にいて、部屋の前を通りかかった者は「何事だ」と部屋を覗き込んだ。そこには兵士3人がかりで押さえつけられたアベラルドがいた。


今日もいつもと変わらず、国王となった兄を補佐するためにアベラルドは執務をしていた。
定期的に聞こえてくる小さな音は、書類を捲る音。

その音が突然止まった。
執事のカルロは違和感を感じ、視線を書類からアベラルドに移すとバキっと音がした。アベラルドが握っていたペンをへし折ったのだ。

インクを充填するタイプのペンから黒いインクの液体が飛び散り、点々と痕を残した。

「どうかされましたか?」

カルロの声にアベラルドは答えず荒い息遣いの中で喉仏が大きく動いただけだった。
書類の上で握られた拳と、飛び散ったインクを避けた位置にある文字からカルロはその書面に「ステファニアの下賜に際しての費用請求」の文字に息を飲んだ。

カルロも知らなかった。
ステファニアがハルメル王国の王太子レアンドロの元に嫁ぎ、2年になるが子が未だに産まれていない事も、ステファニアに懐妊の兆しが見えない事も知っていたが「下賜」事は知らなかった。

――何故事後なのだ?――

カルロ自身はこの婚姻、そしてステファニアが置かれている状況には度々国王レオポルド付の執事に質疑を行っていた。と、言うのもカリメルラについてはステファニアも思うところがあるだろうが、その他の令嬢達に頼りの1つも届いていない事が不思議でならなかったのだ。

ただ私信はあくまでも個人的なものであり、もしかすれば届いているが他に届いていないとなれば【自分だけ】という優越感があったかも知れないし、逆に【言い出しにくい】と感じたのかも知れない。
だが、妻となったマリエルにも手紙は実家の子爵家にも届いていない。

唯一ステファニアの実家であるブレント侯爵家には時折侯爵夫妻が季節の果物などを送っていたようでその荷が届いたと知らせる手紙と言うよりは礼状は届いていた。
少し前にステファニアの兄エドガルドに見せてもらったが、下賜されるなど一言もそんな文字はなかった。

――知られていない事情があるのではないか――

ハルメル王国のレアンドロに長く付き合っている恋人がいる事は知られていた。
しかし貴族とは言え身分は子爵家で戦の敗戦により目も当てられないほど困窮していたため、属国扱いの国の王太子で現在国王に代わって国政を担っているとはいえ、伺いも経てず未だに付き合いが続いているとは思えない。

それを除外してもステファニアについて知らされる情報があまりにも事務的かつ綺麗なのだ。
そこに人間と言う生き物を感じさせない機械的な冷たさを感じる。


お手付きになった妻や令嬢を家臣に下賜する例は多い。
ここ数代はないが、このファミル王国でも100年以上前は数年間子供が出来なかった側妃は家臣に下げ渡されたという記録があるし、もっと前になれば正妃ですら廃妃として下賜した記録がある。

その中にはごく一部のものしか見る事の出来ない王家の恥部の記載がある文書もある。
国王とて人間なのだ。男色でどうしても女性を受け入れる事が出来なかった国王もいれば、政略的な相手を一切受け付けずに愛人だけを寵愛した国王。女と見れば見境がなかった国王もいた。

――まさか、ステファニア嬢は捨て置かれた?――

カルロの背に嫌な汗が流れる。
扉の向こう。中庭を挟んだ向かいには国王となったレオポルドの執務室がある。

――国王が…レオポルド殿下が情報を操作した?――

だとしても、下賜となれば確実にレアンドロの種は実っていない事が前提となる。

――たった2年でそれが判定できるのか?――

ちらりともう一度書類に目を落とすと、下賜を指示したのは…。

――レオポルド殿下?!何故?――

カルロは困惑した。
下賜がレアンドロの独断なのであれば、長年の恋人と切れておらずステファニアが邪魔になったとも考えられるし、だとすれば絶対に妊娠をしていない、つまり手を付けていないからこそ下賜という手段が取れる。

だが、その仮説は成り立たない。
下賜はハルメル王国のレアンドロの判断ではなく、ファミル王国の国王レオポルドの指示だからだ。


ガン!

アベラルドが腰掛けたまま執務机の板を蹴り飛ばした音がした。

「‥‥くるっ」
「どうした?なんと言った?」

カルロは咄嗟に【友人】としての言葉使いになってしまった。
白目まで真っ赤になったアベラルドは勢いよく立ち上がり、椅子が後ろにひっくり返り大きな音を立てた。

「どういう事なのか兄上に問いただしてくるッ」
「兄上‥‥ダメだ。落ち着くんだ」
「カルロ…何を落ち着けと言うんだ?ファニーが蛮族に下賜されるんだぞ」
「だとしても!だとしてもだ!レオポルドでん…陛下の指示となればそれは命令だ」
「何故っ!何故だ‥‥どうして…ハルメルの王太子はたった2年でファニーを見限ったんだぞ?命令とは言え、2年で妻を!王太子妃を下賜する王族がどの世界にいるんだっ」
「待つんだ。陛下は――」
「五月蠅いっ!カルロ、手を離せッ」

レオポルドの執務室に乗り込もうとするアベラルドは正気ではない。
こんな状態で乗り込んでいく事には危険しかない。
カルロはアベラルドの体を後ろから締め上げたが、アベラルドも騎士だった経験がある。
揉み合いになった2人の体は花瓶を倒し、テーブルの位置を変えた。

大きな物音に扉の前にいた兵士が扉を開けた。

「殿下をっ!殿下を止めてくれ!」

カルロの叫びに兵士がアベラルドの腕を掴み、動きを止めようとするがアベラルドは激しく暴れた。

「殿下、失礼をばっ!」

兵士の1人がうつ伏せに倒れたアベラルドの背に跨り、もう1人の兵士が腕を後ろ手に押さえつける。それでも暴れるアベラルドの肩をまた別の兵士が押さえつけた。

「何故なんだ!離せっ!離せェェェッ!」
「落ち着け!ラルド!俺が問いただしてくる。だから今は頭を冷やせ」
「グワァァッ!!」

――まだ、事を起こされては困るんだ――

体を捩じりまだ抵抗をするアベラルドに兵士はカルロに目くばせをした後、手刀を入れた。
ぐったりと意識を飛ばしたアベラルドにカルロは「今は謝らない。後で殴っていいから」と言い残し立ち上がった。




中庭を挟んだ向こう側で何やら騒がしい声がする事に気が付いたレオポルドはこみ上げる笑いを堪えきれなかった。
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