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第29話  チャンスは今!

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「出してくれよ!なぁ!聞こえてるんだろう!ここから出してくれよ!」

シリルは声を限りに叫ぶが地下の牢に出入りする扉が開くのは1日に1回だけ。
おおよそ午前中だが、両親か長兄が食事と水を持ってくる時だけだった。

3日、5日、1週間となるとシリルはもう叫ぶのをやめた。
食事を持ってきてくれた時に、母親ならと思って泣き落としをしてみたが効果がなかった。

食事を持ってくるのが長兄の時は最悪だ。
パンは踏みつけるし、水は目の前で床に撒いてしまう。

「飲みたいだろう?舐めればいいんじゃないか?」

「潰れたパンの味はどうだ?土の味がして旨いだろう?」

糞尿の香りが充満する中で、運ばれてきた物を食べるしか生きる術がない。
夜中に体を這う虫の感触に飛び起きたのも最初の数日。

1か月を過ぎると鉄格子など関係なく行き来する虫を見て「お前は良いなぁ」と呟いた。

髭も剃っていないので無精髭が伸び放題。
そんなに濃い方ではないと思っていたがそうでもないらしい。

蚤やシラミ、色んな虫に体を噛まれたり刺されたりであちこちが痒い。

「なんでだよ…マジで最悪。俺が何したって言うんだよ」

問いかけても答えてくれる人はいない。

「ロッティに会いてぇな。連続でかせる技も身につけたのになぁ」

妄想でロッティーナを思い浮かべ、自分の手で自分を抱きしめる。
温もりを感じるのは手が触れている部分だけだが、シリルの頭の中に妄想のロッティーナは微笑みかけて話しかける。

今が昼なのか夜なのかも判らない。数えようにも食事を運んでくるときの扉が開けば1日のカウントも面倒になったある日。

ただ横になっていただけだが、食事を運んできた母親がシリルを呼んだ。

「シリル?どうしたの?シリル?!」

――五月蝿いな。黙っとけ。ババア――

返事をせず、身動きもしなかったのだがシリルにしてみれば母親は意外な行動に出た。

呼びかけに応えず、ピクリとも動かないシリルを心配したのか牢の鍵を開け、中に入って来たのである。そして「シリル!大丈夫?」声を掛けながらシリルを抱きしめた。

――今しかない!――

シリルはクワっと目を開け、母親のダストール伯爵夫人を突き飛ばすと牢の外に出た。

「シリルっ!」

背中に母親の声を聞きながら廊下への扉まで無我夢中で走り、何日ぶりだろう。あまりにも眩しい陽の光を体に浴びた。

「出た!やったぞ!出られた!」

キョロキョロと見回すが使用人の気配は全くない。
そんな事を気にしている時間もなく、シリルは勝手知ったる我が家だ。そっと階段を上がり周囲を伺いながら自分の部屋に入った。

早くしなければ母親が騒ぎ出す。
手早くクローゼットの中から服を掴み、袋に捻じ込んだ。

金になりそうなものは過去にロッティーナから贈られた小物だけだが背に腹は代えられない。それも掴むと袋に入れて部屋を飛び出し、庭を駆け抜けて外に出た。

屋敷があるのは貴族の住まう一画。人通りは多くなくても他家の使用人が何人もいる。明らかに怪しい風貌のシリルは注目を浴びてしまった。

「不味い。逃げなきゃ」

シリルは持てる力で駆け出し、暫く走ると河原まで出た。

「はぁはぁ…ここまでくれば…大丈夫だろう」

肩で息をしながらも膝に手を置くと身なりが随分と汚い事に気が付いた。
このままでは直ぐに見つかって連れ戻されてしまうと土手を降りて川に入り、川の中で服を脱ぐと体を洗った。

脱いだ服の中にアンナとの旅行で手に入れた銅貨を抜き取り、手を離すと服は流れて行った。

季節は冬。凍えるように寒いがそんな事はどうでもいい。
髭は後でなんとかせねばならないが、取り敢えず体を洗うと持ってきた袋から服を取り出して上下がチグハグになったが服を着た。

「これからどうしようか…そうだ。ロッティの所に行こう。ロッティの部屋ならルチケット子爵も来ないしな。今日は何日だ?…くっそ。何日経ったか解らないじゃないか。ロッティの給料日なら金を貸してもらって剃刀買わないとな」

ぶつぶつと呟きながらルチケット子爵家の裏口にやって来た。
ロッティーナは出入するのを裏口と決められていたことはシリルも知っていた。

だが、裏口を開けてルチケット子爵家の屋敷の中に入るも、ここも様子がおかしい。

ルチケット子爵家に使用人がいないのは解っていたが、どうも家の中全体が埃っぽいのだ。暫く掃除をしてないのがわかる。

掃除をするのもロッティーナだけだったので、「商会の仕事が忙しかったのか?」とシリルは思った。

誰にも会う事もなくロッティーナの部屋の前に来ると、気配がないのでそのまま扉を開けた。

ロッティーナの部屋に何もないのは当たり前なのだが、違和感があった。
本当に何もないのだが1つだけ品物があった。

婚約をしたばかりの頃にシリルが騎士としてもらった給料で買ったブローチが板だけになった寝台に置かれていた。

「仕事かな…待ってようかな」

板だけの寝台に横になるが、シリルはふと思った。

「みんな留守なら親父さんの剃刀、貸してもらおう」

屋敷の中はやはりどこも埃だらけ。厨房も萎びたジャガイモなどが転がっていてどこか不気味さを感じた。
仕事やどこかに出かけていれば留守なのは当然だが、それにしても人が住んでいる感じがない。

置きっぱなしにされて刃に錆のついた剃刀を見つけたシリルは伸び放題になった髭を剃った。これまで使ってきた剃刀と違い、錆もついた剃刀は剃り味が悪く何度も刃を当てたからか剃り終わった後は肌がひりひりする。

「ロッティが戻るまで寝ようかな」

シリルはリネン室と思われる部屋に行き、使用済みで洗濯待ちなのか山に盛られたシーツの中から比較的綺麗なシーツを引っ張り出してロッティーナがかつて使っていた部屋に行くと眠りに付いた。
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