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VOL.41 ハンスの涙
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「ダメだ。先触れも全て断りの返事が来たよ」
クーヘンの頼みの綱はスピア伯爵だけ。事情を話しポルトー侯爵家に先触れを出したのだが「忙しいので会えない」と突っぱねられた。
★~★
そうこうしている間に、市井には噂が広がり始めた。
その話は瓦礫の片付けも終わり、新しい集合住宅の建設が始まった場所でも話題になる。
「殿下の嫁さんになる筈だった人、ポティト王国の王子の所に嫁ぐんだってな」
「え?その王子ってもう40過ぎてるんじゃない?前のお妃さん、死んだんだろ?」
「王族にも後妻ってあるんだな。確か第6王子だから側妃さんじゃないだけマシなのかな」
「ここを火事から救った人だろ?お忍びの市井視察みたいなもんだったのかな」
オリビアの本当の事情を知らされる筈もない人々は想像も交えて話をするが、ポティト王国の第6王子との縁談は本当の様だった。
「おーい。生きてるか?」
クーヘンの店を訪れたハンスは店の奥に声を掛けるが返事がない。
オリビアがいなくなってシェイラとロゼッタは飲み屋ミナミの家に引き取られた。
シーンと静まり返ってはいるが、人の気配はする。何か調理をしているのか室温はあるし竈の中に放り込んだであろう薪が弾ける「ぱちっ!」という音もする。
ハンスが売り場と居住スペースの間にある調理場に進んでいくと、クーヘンは鍋の前に立っていた。
「クーヘ‥‥おいっ!何やってんだよ!!」
「え?」
「え、じゃねぇよ!鍋に水が入ってないじゃないか!」
鍋の中には具材は入っておらず、空焚きでクーヘンは鍋をその状態で掻き混ぜていたのかオタマを握っていた。
「ちょ!お前っ!熱っ!こっちこい!」
クーヘンの持つオタマを取り上げようとすると、オタマは触れられるような温度ではなかった。クーヘンの手を水瓶の中に突っ込むとオタマがジャッジャー!!熱い鉄を水の中に入れた時と同じ。僅かな煙と音を立てた。
「何やってんだよ!手のひら火傷になってじゃねぇか!」
「あぁ…ハンス。どうしたんだ」
「クーヘン…お前…」
クーヘンは虚ろな目に小さな声で棒読みの言葉をハンスに返した。
独りぼっちは慣れていたが、シェイラとロゼッタをミナミの女将が運んでいくと本当に独りぼっちになった。
家の中の全てにオリビアとの思い出がある。
1人暮らしをしていた時と同じなのは調理場の一部で家の中にはどこもかしこもオリビアと一緒だった時の記憶しかない。
クーヘンは泣いた。取り返しのつかない事をしてしまったと泣き続けた。
涙は枯れるのか。涙が出なくなると力も出なくなった。
なのに朝になると早くに起きてしまってオリビアの洗顔用に湯を沸かす自分がいる。
「いなかった…んだ。そうだよな…」
肩を落とし、売り場でボーっとしているとオリビアが「お腹空いちゃった」と言ってる声が聞こえた気がして料理を作った。出来上がって「出来たよ」と声を出すが返事は帰ってこない。
売り場とオリビアの部屋を見てオリビアがいない事を再確認し、項垂れる。
それを何日も繰り返していると、本当に何もする気力が起きなくなった。
今日は朝、心配で様子を見に来た女将が「スピア伯爵の返事が来るんだろ?」というので、やっとオリビアに会えるかもしれない、帰ってくるかも。そんな思いが沸き上がり、オリビアが大好きだったスープを作ろうと鍋に水を入れて竈に掛けたところにスピア伯爵が「今回の先触れもダメだった」と返事を持ってきてくれた。
その先は覚えていない。
気が付けばハンスが自分の手を水瓶に突っ込んでいた。
「お前なぁ…ちゃんと食ってるのか?」
「まぁ…」
「最近店にも来ないし…。気持ちはわかるけど仕方ないさ。住む世界が違う人もいるってことさ」
「あぁ…」
「あのなぁ!お前がッ‥‥くそっ!あぁ!もうイライラするっ!来いよ!」
「どこへ」
「ポルトー家だよ!行けば会えるかも知れないだろう?!それで気持ちに区切りをつけて来いよ!」
「無理だよ。会えるわけない。そもそも高位貴族なんだ…無理だよ」
「いい加減にしろよ?だったらウジウジすんな!無理だなんだと言いながら手がこんなになるまで解らないなんて未練があり過ぎなんだよ!今日、伯爵の返事で会えるかも?帰ってくるかもって思ったんだろう?だったら!突撃でもなんでもして会って来いよ!会って砕けて来いよ!」
涙ながらに説得するハンス。
クーヘンはハンスが泣いているところを初めてみた。
そして、こんなにも自分を気遣ってくれる事に心から感謝した。
クーヘンは「あははっ」小さく笑った。
「何だよハンス‥俺が砕ける前提じゃねぇかよ」
「え?じゃぁ裂けるのか?きっと痛いぞ?皸も痛いからな?」
「ははっ。痛いよな。よし!行ってくる」
「行くってどこへ?」
「ハンス。お前がポルトー家に行こうって言ったんじゃないか」
「お、おぅ…そうだけどよ」
「あ~。悪いんだけど…頼まれごとしてくれないか?」
「なんだ?」
「ポルトー家に行ってる間に、ミルクと卵、スピア伯爵のとこから甜菜糖、用意しといてくんねぇか。卵は出来るだけ新鮮な奴な」
「いいけど。なんで?」
「オリビアを連れ帰る。アイスクリーム食わせてやりたいんだ。帰った時に食材がなかったら作ってやれねぇから」
「任せとけ!とびっきり良いやつ。買っとく。失敗したら高額請求するけど連れ帰ったら…結婚祝いだ」
ハンスに背を押され、クーヘンは店を出てポルトー侯爵家に向かった。
クーヘンの頼みの綱はスピア伯爵だけ。事情を話しポルトー侯爵家に先触れを出したのだが「忙しいので会えない」と突っぱねられた。
★~★
そうこうしている間に、市井には噂が広がり始めた。
その話は瓦礫の片付けも終わり、新しい集合住宅の建設が始まった場所でも話題になる。
「殿下の嫁さんになる筈だった人、ポティト王国の王子の所に嫁ぐんだってな」
「え?その王子ってもう40過ぎてるんじゃない?前のお妃さん、死んだんだろ?」
「王族にも後妻ってあるんだな。確か第6王子だから側妃さんじゃないだけマシなのかな」
「ここを火事から救った人だろ?お忍びの市井視察みたいなもんだったのかな」
オリビアの本当の事情を知らされる筈もない人々は想像も交えて話をするが、ポティト王国の第6王子との縁談は本当の様だった。
「おーい。生きてるか?」
クーヘンの店を訪れたハンスは店の奥に声を掛けるが返事がない。
オリビアがいなくなってシェイラとロゼッタは飲み屋ミナミの家に引き取られた。
シーンと静まり返ってはいるが、人の気配はする。何か調理をしているのか室温はあるし竈の中に放り込んだであろう薪が弾ける「ぱちっ!」という音もする。
ハンスが売り場と居住スペースの間にある調理場に進んでいくと、クーヘンは鍋の前に立っていた。
「クーヘ‥‥おいっ!何やってんだよ!!」
「え?」
「え、じゃねぇよ!鍋に水が入ってないじゃないか!」
鍋の中には具材は入っておらず、空焚きでクーヘンは鍋をその状態で掻き混ぜていたのかオタマを握っていた。
「ちょ!お前っ!熱っ!こっちこい!」
クーヘンの持つオタマを取り上げようとすると、オタマは触れられるような温度ではなかった。クーヘンの手を水瓶の中に突っ込むとオタマがジャッジャー!!熱い鉄を水の中に入れた時と同じ。僅かな煙と音を立てた。
「何やってんだよ!手のひら火傷になってじゃねぇか!」
「あぁ…ハンス。どうしたんだ」
「クーヘン…お前…」
クーヘンは虚ろな目に小さな声で棒読みの言葉をハンスに返した。
独りぼっちは慣れていたが、シェイラとロゼッタをミナミの女将が運んでいくと本当に独りぼっちになった。
家の中の全てにオリビアとの思い出がある。
1人暮らしをしていた時と同じなのは調理場の一部で家の中にはどこもかしこもオリビアと一緒だった時の記憶しかない。
クーヘンは泣いた。取り返しのつかない事をしてしまったと泣き続けた。
涙は枯れるのか。涙が出なくなると力も出なくなった。
なのに朝になると早くに起きてしまってオリビアの洗顔用に湯を沸かす自分がいる。
「いなかった…んだ。そうだよな…」
肩を落とし、売り場でボーっとしているとオリビアが「お腹空いちゃった」と言ってる声が聞こえた気がして料理を作った。出来上がって「出来たよ」と声を出すが返事は帰ってこない。
売り場とオリビアの部屋を見てオリビアがいない事を再確認し、項垂れる。
それを何日も繰り返していると、本当に何もする気力が起きなくなった。
今日は朝、心配で様子を見に来た女将が「スピア伯爵の返事が来るんだろ?」というので、やっとオリビアに会えるかもしれない、帰ってくるかも。そんな思いが沸き上がり、オリビアが大好きだったスープを作ろうと鍋に水を入れて竈に掛けたところにスピア伯爵が「今回の先触れもダメだった」と返事を持ってきてくれた。
その先は覚えていない。
気が付けばハンスが自分の手を水瓶に突っ込んでいた。
「お前なぁ…ちゃんと食ってるのか?」
「まぁ…」
「最近店にも来ないし…。気持ちはわかるけど仕方ないさ。住む世界が違う人もいるってことさ」
「あぁ…」
「あのなぁ!お前がッ‥‥くそっ!あぁ!もうイライラするっ!来いよ!」
「どこへ」
「ポルトー家だよ!行けば会えるかも知れないだろう?!それで気持ちに区切りをつけて来いよ!」
「無理だよ。会えるわけない。そもそも高位貴族なんだ…無理だよ」
「いい加減にしろよ?だったらウジウジすんな!無理だなんだと言いながら手がこんなになるまで解らないなんて未練があり過ぎなんだよ!今日、伯爵の返事で会えるかも?帰ってくるかもって思ったんだろう?だったら!突撃でもなんでもして会って来いよ!会って砕けて来いよ!」
涙ながらに説得するハンス。
クーヘンはハンスが泣いているところを初めてみた。
そして、こんなにも自分を気遣ってくれる事に心から感謝した。
クーヘンは「あははっ」小さく笑った。
「何だよハンス‥俺が砕ける前提じゃねぇかよ」
「え?じゃぁ裂けるのか?きっと痛いぞ?皸も痛いからな?」
「ははっ。痛いよな。よし!行ってくる」
「行くってどこへ?」
「ハンス。お前がポルトー家に行こうって言ったんじゃないか」
「お、おぅ…そうだけどよ」
「あ~。悪いんだけど…頼まれごとしてくれないか?」
「なんだ?」
「ポルトー家に行ってる間に、ミルクと卵、スピア伯爵のとこから甜菜糖、用意しといてくんねぇか。卵は出来るだけ新鮮な奴な」
「いいけど。なんで?」
「オリビアを連れ帰る。アイスクリーム食わせてやりたいんだ。帰った時に食材がなかったら作ってやれねぇから」
「任せとけ!とびっきり良いやつ。買っとく。失敗したら高額請求するけど連れ帰ったら…結婚祝いだ」
ハンスに背を押され、クーヘンは店を出てポルトー侯爵家に向かった。
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