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恵まれすぎた生活

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「夫としては不出来だと思うが、出来る限りの事はしようと思う」
「はい、末永くよろしくお願いいたします」

わたくしは、3年前まで大きな商会が援助をしてくださっている孤児院にいました。18歳までその孤児院でお世話になっておりました。乳飲み子だったわたくしは雪の降る寒い夜に孤児院の前で冷たくなった母に抱かれていたのだそうです。

本来ならば15歳になればどこかに働きに出るのですがわたくし以外にも捨てられた子供たちは多くいて、お世話をしてくださるシスターが高齢である事からお給金などは出ませんが子供たちのお世話をする事で残る事が出来たのです。


わたくしが孤児院の前で母に抱かれ泣いていた日と同じく雪の降る日に数人の男性と年配の女性がやってきました。女性はわたくしを一目見るなり「ロザンナ!」と叫びわたくしは息が出来ない程に抱きしめられました。
その時、初めて母の名前が「ロザンナ」である事を知りました。

母は王宮で王妃様に仕える侍女だったそうですが、わたくしを身籠り退職して実家に身を寄せたそうですが未婚女性の出産は恥ずかしいと祖父に追い出されてしまったそうです。
祖母がこっそりと持たせてくれたお金で部屋を借り、裕福な家庭のメイドをしていたそうですがお腹が大きくなると働く事もままならず、わたくしを産んだ後はもう仕事もお金もなく雪の降る中を歩き回って、孤児院であればわたくしが助かるかも知れないと思ったのでしょう。そこで力尽きたのでした。

わたくしの存在は、前の皇帝陛下が戦勝の凱旋で王都にお帰りになった際、偶然人ごみの中に見知った顔を見つけたそうなのです。大きなお腹をしていたその女性は妻である王妃様の侍女でその後、生前の母に一度だけ前の皇帝様はお会いになり「違います」という母の言葉に我が子だと確信をしたそうです。
保護しようとした時はもう住んでいた貸し家に母の姿はなく、数年後従者に【先日、以前宮仕えをしていたロザンナの幼い頃によく似た少女を見てロザンナを思い出した】と話の中の一言で孤児院を含め調査をされてわたくしを見つけたのだそうです。

それでも【隠し子】であるわたくしの事は言い出せず、とうとう死の間際にバッファベルトお義兄様に打ち明けたのだそうです。



馬車に乗せられて連れて行かれた先は王宮でした。
遠くから見える王宮よりもとても大きく立派な建物で、「兄」と名乗る男性に会いました。そこで兄と名乗る男性は皇帝陛下だと教えられ、父は先の皇帝陛下だったのだと教えられたのです。バッファベルトと名乗られたお義兄様は「血塗られた皇帝」と呼ばれている事が信じられないほど優しい方でした。

生活は一変しセリーヌ伯爵家で新しいお義父様、お義母様、そしてお義兄様、お義姉様が出来ました。全く血の繋がりがないわたくしを「レディ」として教育してくださり、育った孤児院への手厚い支援もしてくださいました。

本当のお義兄様である皇帝陛下も遠くの地のお土産を持って伯爵家によく来て下さいました。突然の家族に驚く事も多かったのですが、わたくしはとても恵まれていたと思います。

孤児院でシスターに文字やダンス、ある程度のマナーは教えてもらっていましたが、伯爵家に来る先生方の講習はとても面白く課題をこなしていくのが楽しくて仕方ありませんでした。


ある日、バッファベルトお義兄様がわたくしに結婚を勧めてきたのです。
年齢も21歳でしたし何時までもセリーヌ伯爵家に厄介になる事は出来ません。嫁き遅れの娘がいるとなればセリーヌ伯爵家のルーベルお義兄様の奥様にもご迷惑だろうと嫁ぐ事にしたのです。

「絶対にシスティアナを幸せにしてくれる男だから安心していい」
「はい。でも今でもわたくしは幸せですよ?」
「もっともっと幸せになればいいんだ。お前は欲がない」

欲がないわけではないのです。孤児院に居た小さい頃は、親子で手をつないで歩く姿を羨ましいと思いましたし、本を読むという楽しみも灯りを気にせずに行えます。
「お前は妹なんだからもっと甘えろ」「娘を着飾るのは母の特権なの」「妹とお揃いなんて素敵!次はあの髪飾りにしましょう」と望む事が出来なかった家族も出来たのですから、これを幸せと呼ばず何と呼ぶのでしょうか。


初めてお会いしたエンデバーグ公爵家のアポロン様はとても大きな男性でした。
ルーベルお義兄様も、バッファベルトお義兄様もセリーヌのお義父様も大柄ではありましたが、頭一つ大きく手にした茶器が人形の付属品かと思うほどに小さく感じるくらいの方でした。

「何でも言って欲しい。欲しいものがあれば何でも揃えよう」

ですが、ドレスも小物も裁縫箱も持っていますし何かを強請る事は出来ませんでした。淑女教育でも殿方に強請れば良いというものではないと教えられてもいました。

結婚式までの間にアポロン様には家紋とお名前を刺繍したハンカチーフや手袋、馬に乗ると聞きましたので尻当てなどを送り、とても喜んで頂きました。
口数は少ないアポロン様ですが、決してと約束もしてくださったのです。


わたくしにはバッファベルトお義兄様との関係は秘密にしなくてはならないという制約がありました。結婚をすればそれは特に守らねばならぬと、皇帝と公爵家の近すぎる関係になるからと固く口留めをされたのです。
なので、公爵家でもアポロン様以外の方に口外する事は許されていませんでした。


真っ青な空が広がった日。王都の大聖堂でわたくしはアポロン様と結婚式を挙げました。参列は出来ませんでしたが孤児院のシスターや子供たち、支援をしてくださった商会の方々も祝福してくださったのです。
わたくしは世界一幸せ者だと思い、その夜アポロン様に全てを捧げました。

「私達は婚約期間も短く恋愛結婚ではないが、生涯お互いを思い合っていく仲になりたい。家族の事も我儘を言うようだが君の家族でもある。仲良くしてほしい」

「はい」

そっとキスを頬に下さるアポロン様の手はわたくしの顔がすっぽりと覆われるほど大きく温かい手でした。わたくしは時折そうやって頬を覆ってくれるアポロン様の大きな手が大好きでした。

アポロン様は軍隊に所属をしていますので、数日屋敷を空ける事もありました。
結婚したばかりだからと最初の1年はエンデバーグ公爵家の敷地内にある別邸で生活をしていました。大勢の使用人さんがいてとても賑やか。

広いお庭もあったので、庭師さんと一緒に野菜を育てたり実のなる木を植えたりしました。
全てをされる生活は少し恥ずかしくて別邸では着替えは余程のドレスなどでない限りは自分で行ない、時折厨房で調理人さんとお菓子作りをする事もありました。

「今日の野菜は歯ごたえがあるな」
「お庭で採れた野菜ですの。旬のものはとても美味しいですから」
「君が育てたのか?」
「はい、庭師さんがほとんどですのでお手伝いですけど」
「そうか…君が…」
「デザートもあるんですよ?桃が時期ですのでゼリーを作ってみました」
「それも君が?」
「調理人さんにほとんどやって頂いたんですが、上手に出来たと思います」


元々別邸は遠くから来られたお客様用のお屋敷なのだとかで、結婚2年目からは本宅に移り同時にアポロン様は公爵家の家督を継がれます。公爵夫人としての立ち振る舞いもせねばならず引っ越しの3カ月ほど前からは執事の方やメイド長さんに色々と教えて頂きました。

その頃からでしょうか。アポロン様のキスが頬から唇になりました。
耳まで赤くなっているアポロン様の手はより温かくなって、夜も明け方まで寝させてもらえない程に回数も増えてしまいましたが、赤ちゃんだけはまだ先のようで別邸の使用人さんも【慌てなくていい】と励ましてくださいました。


今思えば、恵まれすぎていたのです。
出自がどうであれ孤児院で育ったわたくしが公爵夫人を名乗るなど烏滸がましい。
それを結婚2年目で痛感したのです。
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