貴方の記憶が戻るまで

cyaru

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記憶を失った男

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眠っている間、昼も夜もオフィーリアは付きっ切りでジクジクとした裂傷の部分を眺め、動きがあればピンセットで抓み、生理食塩水で流していく。
膿で赤黄色くなったシーツも数時間おきに取り換え、患部には湿り気のあるガーゼを当てる。
消毒は最小限に抑えねば、止血や皮膚の再生を阻んでしまう事があるからである。


運び込まれて4日経ち、サミュエルが目を覚ました。
穏かな目覚めではない。目が覚め、数回瞬きをしたと思うと痛みに咆哮した。
暴れる事を考慮して、火傷が少ないか程度が軽い部分を拘束していく。

カっと目を見開き、噛みつくかのように口を大きく開けるサミュエルはまさに獣だった。

「落ち着かれませっ!」
「うわぁぁっぁ!!」
「大丈夫です。大丈夫ですわ。直ぐに痛みは引きますっ」
「ぎゃぁぁぁ!!痛いっ痛いぃぃ!!」

暴れるサミュエルを押さえ、時に拘束された手が外れて髪を引き千切られたり殴られる事もあったがオフィーリアは数人の従者と共にサミュエルを押さえた。

「鎮静剤を!早くっ!」

バタバタと慌ただしい部屋の向こうでは、キャサリンが声を聞きたくないと耳を塞ぐ。屋敷にいれば声が聞こえると泣きながら外に行きたいと懇願するが使用人達はキャサリンを外には出さなかった。

従者もオフィーリアも痣だらけである。
顔も腕も殴られ時に暴れて拘束が外れた足で蹴り飛ばされる事もあった。

「奥様、少しはお休みください」

気を使う従者に数時間だけ主の間にあるソファで仮眠をとるだけの日々。
しかし、一番の薬は時間だというように、1週間経ち、10日経ち2週間が経つと暴れる事も少なくなった。ただ痛みは消えていないので鎮静剤で眠らせるのは夜間だけとして昼間は痛み止めに止めるようになった。

オフィーリアもやっとこれでキャサリンに引き継ぐ事が出来ると思った時だった。


【ここは…どこなのですか?】

いつもの声なのに口調が全く違うサミュエルに一同が驚愕した。
かかりつけ医が目や口、全身を見ていくがその度に【すみません】【手間をかけます】と低姿勢なサミュエル。もしやとかかりつけ医はサミュエルに問うた。

「自分の名前は判りますか?」
「名前‥‥名前?…えっと…あれ…名前…」
「いいですよ。では、ここにいる人で知っている人はいますか?」

寝台の周りでオフィーリア、執事、医師、3人の使用人と3人の侍女の顔を寝台で頭だけを動かしゆっくりと見ているが、小さく首を横に振り「誰も‥知らない方ばかりです」と答えた。

「いいんですよ?それでいいんです、1つだけ覚えましょう」
「覚える‥‥1つだけ?」
「はい。貴方の名前はサミュエル・ニモ・ルッセント。伯爵です」
「サミュエル…伯爵…」

医師は優しくサミュエルに言い聞かせるように声を掛ける。
その後も、両親の名前や軍の関係者の名前、キャサリンの名前を告げて見るも誰も聞いた事がないという。どこか一部分の記憶がなくなったのではなく、ごっそりと抜け落ちていた。

食事などカトラリーの使い方や試しに剣を持たせてみれば持ち方は正しいので、体で覚えた事については自然と反応するのだろうと思われたが自分が誰で、何歳で、周りにはどんな人物がいたのか、それまで自分がしていた事などは一切覚えていない。

「記憶喪失のようですね。私も診るのは初めてです」
「治るのですか?」
「判りません。治るか治らないかも判りませんし、治った時に全てを思い出すのか部分的に思い出すのか。医学の報告書などに寄れば、記憶のない期間を覚えている者、忘れる者もいるようでハッキリしないのです」

オフィーリアも流石に記憶を失ってしまうとまでは思っていなかった。
そこそこに怪我が癒えれば、離縁となるだろう。

後はキャサリンに引き継いでもらって離縁をしようと思っていたのだ。
その為に色々とその後の策を高じたのも事実だ。


人生の汚点とまで言われ復讐を考えたオフィーリアは自分が去った後、サミュエルは見栄を張るため王都では水路や鉄橋については自信満々に語るだろう。
だが蓋を開けてみれば今日食べるものにも困る貧乏伯爵。

農民たちの作物の収穫からは地代しか入らないために、キャサリンを抱えれば困窮する事は目に見えていた。子供についても【ざまぁみろ】としか考えていなかった。
射精は出来なくはないのだ。5歳児よりも短い男根でせいぜい頑張ればいい。
その為にキャサリンも軟禁状態で夫人の間に閉じ込めて置いたのだ。

だが、本物の悪にはなり切れず、本腰を入れれば領地の収穫量は垂直に近いほどの右肩上がりであり、領民たちにも改善が見られれば助けてやって欲しいと頼んである。
今まで放りっぱなしだった事に目を向ければ、子作り以外は約束通り道筋を作ったのだ。

このままの状態では、白い結婚を申請してはいるものの認められない可能性が出てきた。
オフィーリアを認識できない以上、結婚をしていたのか?と記憶がない事で離縁もやむなしと同意はするだろうがそれでは判断力がない者の判断とされてしまう。


ふとサミュエルと目が合った。
今までその様な目で見られた事がないほどに優しい眼差しだった。
コッチに来て欲しいと手招きをしている。オフィーリアは寝台に近づいた。

「どうされましたか?」
「あぁ‥‥その声だ。もっとこちらへ…来て下さいますか」

さらに近寄るとふいにオフィーリアの手をサミュエルは取った。
まじまじと見ているが、それまで暴れるサミュエルを押さえ込んだ時に作った痣が青や赤、黄色になって幾つも肌に色を付けている。

「申し訳ありません。この痣は私が付けたのですよね?」
「き、気にされる事は御座いませんのよ」
「女性なのに‥‥貴女は…私の妹?」

サミュエルの言葉に執事が「失礼いたします」と割り込みオフィーリアを正面に見るように立たせた。

「この方は、貴方様の奥様、つまり妻で御座います」

妻という言葉にピクリと肩が揺れた。ゆっくりと目線をあげてオフィーリアを見つめる。

「妻‥‥私は結婚もしていたのか…しかし…」
「伯爵様、手を放して頂けますか?」
「何故?」
「何故と申されましても…」
「貴女の手は何故こんなに荒れているのですか?伯爵というのが私の事ならあなたは伯爵夫人でしょう?こんな手にしてしまうほどに私は不甲斐ない夫だったのだろうか」

執事が思わず「そうですよ!」とケンカ腰に言い出すのではとオフィーリアはそっとサミュエルから手を抜くと行き場を失ったサミュエルの手が揺れた。
外した手を執事の背中に添えて怒りを鎮める。

「伯爵様にお召し物の替えとお食事の準備を」
「あ…はい。畏まりました」

執事が去ったあと、サミュエルはオフィーリアに問うた。

「どうして私の事を名で呼ばずに伯爵様と?」
「わたくしにとっては伯爵様だからですわ」

オフィーリアは微笑んで答えた。
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