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オレリアンは走った

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翌朝、仮眠室で目覚めたオレリアンは明け方近くまで悩んで結論を出した。

始業と同時に初級文官を纏める次官の元に出向いた。

「レスピナ君、どうしたんだ?珍しく遅刻をしなかったようだな」
「あの、すみませんが私は今日付けで退職させて頂きます」
「退職?まぁ、構わないが…勤続は何年だったかな」
「5年です」
「5年か。5年なら規定日数の出仕があれば退職金が支給されるだろう。忘れないように手続きをするように。それから私物以外は持ち帰らないように。今、着ている服も支給のものだ。帰宅時には私服に着替えるようにね」

すんなりと退職が認められたオレリアンは気分よくデスクに戻った。
後では他の初級文官がオレリアンと同じように退職する旨を告げている声が聞こえる。

『考え直さないか?何か他に方法があるはずだ』
『ですが、迷惑はかけられません』
『君が抜けると色々と面倒事もある。金が要りようなら前借も頼んでみればいいし、休暇だって初級文官には有給はないが傷病休暇は申請次第で認められる。私も助言をするから』

引き留められている同僚をオレリアンは憐れに思った。

――金がない?可哀想に。稼がない嫁を貰ったからだ――

背中に声を聞きながら鼻で笑うオレリアンに隣の同僚が話し掛けた。

「お前、辞めるなら貸した金、返してくれよ」
「すまん、今、持ち合わせがないんだ」
「だろうな。じゃ、一筆書いてくれ。財務課に言ってもらってくる」

この数か月オレリアンはブリジットも滅多に来なかった事から比較的出仕はしていた。
と、言っても毎月27日出仕に対して最高でも15日なので5割を超えた程度。
それ以前を考えてみればオレリアンの出仕率は4割を少し切るくらいだ。

だが、今月支払われる給料と来月分が日割りで入る事を考えれば同僚は貸した3万ソルはあるだろうと踏んだのだ。
退職金の話をされたオレリアンは気が大きくもなっていた。

「利息も1割付けてやるよ。3万3千ソルでいいか?」
「1割も?!太っ腹だな。よし、早速行ってくる」


終業となり、オレリアンは給料を受け取りに財務課に向かった。

「え?これだけ?」
「そうですよ。受け取ったらここにサインを」

事務的に話をしてくるのだが、オレリアンは納得が出来なかった。
今月分は日割りになるとはいえ、1カ月半の給料の筈なのに1300ソルしかなかったのだ。

「午前中に同僚の方に一部お支払いしましたけどね」

――一部じゃないだろう!こっちのほうが一部だ!――

「あの、退職金は…」
「退職金は計算がありますので通常、1週間から10日後になりますよ。規定日数に足りていればお支払いしますが、足りていなければ退職金はありません」

「規定日数ってなんです?」
「色々あるんです。問題行動が無かったか、勤続が5年以上で出仕率――」
「あ、いいです。多分大丈夫なので」
「ではサイン…あ、OKですよ」

貰えない訳ではないのだとオレリアンは溜飲を下げた。





――これを着るのも最後、オランド伯爵家で地味に経理でもするか――

支給された制服を脱ぎ、着替えていると棚を隔てた反対側から声が聞こえた。

『彼女と喧嘩しちゃってさ。親も出て来て婚約破棄するって大変なんだよ』
『花でも贈ればどうだ?別れる気ないんだろ』
『今からフリーになったら大変だぜ?男爵家当主の座がパーだ』
『ならやっぱり花だよ。女は大抵花を贈れば許してくれる』
『花か…1万くらいかな』
『物にはよるが1,2万だろうな』
『ケェーッ!今月、滅茶苦茶厳しいんだよな~貸してくれよ』

オレリアンは蒼白になった。持ち合わせは先ほど財務課でもらった1300ソルしかない。1、2万ソルの花など買えるはずがないのだ。

周りを見渡したオレリアンは午前中に給料の【一部】を先に持っていった同僚の衣装棚が目に入った。間違いなく3万以上は持っているはずだ。

迷うことなくオレリアンは同僚の棚の扉を開け、ハンガーの上着のポケットに手を突っ込んだ。

――あった!――

そのまま紙幣を丸めてポケットにいれる癖のある同僚である。
制服のポケットではなく私服の上着のポケットに捩じ込んで業務に戻ったのだろう。

――ものを戻してもらっただけだ――

信用という性善説から各自の衣装棚の扉には鍵はあっても施錠する者はいない。
施錠するのは入りたての新人くらいである。2、3年の経験者で施錠する者は一人もいない。

――用心を忘れる方が悪い――

オレリアンは同僚の衣装棚に向かって呟き、上着の前見ごろをピンと下に引いて皺を伸ばすと部屋を出て王宮を後にした。

早く帰りたい気持ちが先にあり、個別辻馬車に乗り込んだ。侯爵家までは1万ソルだが仕方がないとオレリアンは財布から1万ソルを抜き取ると御者に支払った。






馬車の小窓から外を眺めるが今日は一段と賑やかにも感じる。

――花屋は何処だろう?――

オレリアンは少し先に一軒の花屋を見つけ、御者に少し買い物をすると告げた。
降り立ったオレリアンに、そろそろ店じまいをしようとしていた店員は本日最後の客かと声をかけた。


「贈り物ですか?」
「あぁ、今日は花の種類が多いようだね。迷ってしまうよ」
「今日は他でもお祝い事があったので、かなり仕入れたんです。どんなお花でも花束をおつくり出来ますよ」

売り子の言葉にオレリアンは顎に手を当てて考えた。

イメージに合う花が良いだろうか。
それともこの胸の想いを伝えるものがいいだろうか。

ふと、昔ブリジットの言った言葉を思い出した。
【愛を伝えるには12本の薔薇って女の子の夢なの】



オレリアンは売り子にリクエストを伝えた。

「バラを12本…で作ってくれないか」
「プロポーズをされるんですか?でも指輪されてますよね?」


売り子がオレリアンの指をちらりと見た。オレリアンもその視線を自分の指に向けた。
結婚式でお互いに嵌めた指輪だが、リングに埋め込んでいたルシェルの瞳の色であるイエロートパーズの石が何かの衝撃で落ちてしまったのだろう。石が外れて小さな穴だけが空いていた。

――これは酷い。買い直すしかないな――


指輪を見たオレリアンは指輪を買い替える事を決意し、ついでなら退職金も入るのだ。新しい屋敷となれば金額が大きくてどうにもならないだろうが、ルシェルを連れて出かけよう!宝飾品店、仕立て屋、小物屋、帰りに食事をして、そうだ豪華な宿屋に2、3泊するのもいいかもしれない。そう考えた。


「結婚…には間違いないんだが…変かな」

「そんな事はないですよ。きっと驚かれますね。では…いい薔薇が入ってるんです。こんな薔薇は滅多に仕入れないんですけどね。丁度12本ありますから直ぐにおつくりしますね」

「今日は何か盛大な祝い事があったんだね」

「えぇ。この先の催事場を借り切って。王女殿下のお披露目も兼ねてるんですって。後は…そうそう!超イケメン公爵と言っても33歳のおじさんなんですけどね。その方も初めてパートナーを連れて参加するそうなんですよ」

「イケメン公爵で未婚と言うと…アバスカル公爵か」

「そうそう!私もあと10歳早く生まれてたらな~。あ、お客さんもイケメンです。イケメンは直ぐに売れちゃうんですよねぇ」


売り子は慣れた手つきで花束にしていく様子を眺める。
ラッピングされた花束を受け取り売り子の声を背に馬車に乗り込んだ。




だが、これは何の冗談なのだ?オレリアンは思考がぐちゃぐちゃだった。

誰もいない、いや母親と薄汚れた女の使用人しかおらず、明かりも点いていない侯爵家。
そしてやってきたシモンという男がオレリアンに手渡したのは【離縁通告書】の控えだった。王宮の印が押されているのは既に受理されている証だ。

オレリアンが握りしめていた花束はリボンと包装が解け、床に散らばった。
シモンの靴のつま先に花びらが落ちた。

「こんなもの、俺は認めない!ルシェルは?!ルシェルは何処にいる?」
「ルシェル様はもう貴方とは昨日縁の切れた方です。教えることは出来ません」
「クソっ!取り敢えずは…オランド伯爵家だな」
「教える事は出来ません。私がここに来たのは離縁が成立し慰謝料の支払いも終わったので確認の署名を頂くために来ただけですから。ま、あっても無くても問題ないんですがね」

オレリアンはシモンを睨みつけた。
そして屋敷の厩舎に向かう。だが馬など1頭もいる筈がない。厩舎にいたのは野菜くずの残りを物色に来たドブネズミだけで、勢いよくオレリアンの足の間を走り抜けていった。

「何でこんな時に馬がいないんだ!」

オレリアンは走り出した。夜道をひたすら走り、向かう先はオランド伯爵家だった。
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