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第32話   夜も怖いがもっと怖いもの

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さぁ、寝ようかとすると廊下から扉をノックする音が聞こえる。

小さな声で「ジェイ。私。夜が怖くて眠れないの。一緒に寝て」メアリーの囁く声が聞こえる。ラジェットは聞こえなかった事にして掛布に包まったがコンコンとノックの音はしばらく続く。


帰宅して2週間。帰宅した初日からずっとだ。ラジェットの心変わりなど知る由もない使用人が「いつもの事だ」と扉を開けてメアリーを部屋に入れてしまう。

使用人に注意をしてもそれまでの行いが行い。
以前はメアリーを部屋に入れなかった使用人の事を殴った事もあった。

使用人にしてみれば殴られるより「長く続いた指示」に従う方が良い。

そして以前も「メアリーが寝付くまでだから」と部屋から使用人を追い出していた。廊下の扉は開けていたのでコトに及んでいない事は知っていただろうが、夜に使用人の姿が消え、扉も閉じたのはイリスとの初夜から。

使用人達も「お好きにどうぞ」とラジェットを見限った。
その時はそんな事を思いもしなかったラジェットだったが、今になって見れば悔やむばかり。


以前と同じように部屋に入って来たメアリー。
寝たふりをするラジェットの隣に潜り込んできたメアリーはラジェットの体をまさぐり続ける。

据え膳食わぬは男の恥と言うが、生理的に受け付けない生き物となったメアリーにラジェットの男性機能は全く働かない。遂には変化のないラジェットに実力行使をして既成事実を作ろうとするメアリーを突き飛ばし、怒鳴って寝台から追い払った。


しかしメアリーは執拗に潜り込んでくる。仕方なくラジェットが寝台から出てソファで寝る日々。

冷たくすればそのうち諦める。ラジェットは思ったが甘かった。


後がない人間ほど恐ろしいものはない。

ライモンドに捨てられた。置いて行った離縁届にサインをすれば侯爵家は追い出されるし、実家に戻ろうにも夜逃げをしているので実家はない。

メアリーに帰る家はないし、今のような衣食住&娯楽に不自由しない生活が送れなくなる。
死活問題でもありメアリーは必死だった。

――おかしいわね。どうしてノってこないの?――

こんな事ならライモンドに操立てなどせずにラジェットと体の関係を持っていれば良かったと後悔するが後の祭り。

しかしメアリーには1つ勝算めいた思いがあった。
ここ3、4カ月の間、月のものがないのである。そしてパンの香りが非常に不快に感じる。

――妊娠したのかしら――

心の中では「かしら」と疑問形ではない。確信もあった。

時期としてもだが、間違いなくライモンドの子供。
それでもずっと背を向けるラジェットの背中を見て思うのだ。

――両親が同じなのよ?違いが誰に解ると言うの?――


真夜中、まだ背中に肌を寄せてくるメアリーの体温を不快に思うラジェットに恐ろしい呪詛のような言葉をメアリーが投げかけた。


「こっち向いてくれなくていいわ。聞こえてなくてもいいの。ジェイに聞こえてなくても明日、お義父様の耳にはしっかりと届けるから」

ラジェットも聞こえていない訳ではない。寝てしまって体を好き勝手されれば朝、洗顔係が来た時に取り返しがつかなくなる。眠くても舌を噛んだり爪を手のひらに食い込ませ、痛みを感じる事で眠気を飛ばしている。

メアリーの言葉に「離縁書にサインする気になったのかな」と思ったがやはりメアリー。そんな殊勝な身の引き方をする筈がなかった。

「妊娠したみたいなの」

ラジェットは全身から冷や汗が噴き出した。種が自分でない事はラジェット自身がよく知っているが声の主はメアリーなのだ。心臓が嫌な拍動を打ち始めた。

「ライの子だけど…きっとライは責任なんか取ってくれないわ。でもいいの。ジェイ…貴方がいるもの。使用人だってライの子かジェイの子かとなれば判断はつかないだろうし、生まれたってあなた達は兄弟だもの」

堪らずラジェットは飛び上がる様に起き上った。

「ふふっ。やっぱり起きてた」
「僕の子じゃない!違う!断言できる!」
「貴方の断言なんかどうでもいいの。誰が信じると?ライも言ったわ。男と女が寝室に居て何もありませんでした…信じる方が愚か者なの。でも良いのよ?私はレント侯爵家の血を引く子を間違いなく産むんだもの。父親なんてどっちでもいいの。うふふっ」
「おまっ!お前っ!!」
「仲良くしましょう?大丈夫。子供が生まれるのが先だけどジェイが離縁するのを待ってあげる♡こうなってみると貴方に媚びを売って良かったわ。今度は鼻の下を伸ばすだけ伸ばして我慢しなくていいのよ?」


その夜、メアリーは初めてラジェットが運ばなくても自分の足で寝室に戻って行った。

「うわぁぁぁーっ」

こんな恐ろしい夜があっただろうか。
寝室に1人になったラジェットは枕に顔を埋め、何度も吠えた。
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