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ディオンの怯え

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湯あみから部屋に戻ったディオンは1人寝台に突っ伏した。

飛び込むように寝台に埋もれたディオンは柔らかいリネンの感触とは別の感触を指先に感じた。何だとリネンをめくってみれば紙切れが挟まっていた。
広げてみれば筆跡を隠すかのような定規をあてて書いた文字が並んでいた。


【次代の王に告ぐ 明日の夕食 デサートは口にするな】

思わず言い知れない恐怖にその紙を放り投げた。ヒラヒラと揺れて床に落ちる紙。ディオンは寝台から部屋の中を見回しゆっくりと足を下ろすと壁に掛けてあった剣を手に取った。

カーテンをめくる。誰もいない。
クローゼットの扉を開ける。誰もいない。
不浄場への扉を開ける。そこにも誰もいない。
執務机の椅子を引き、足元の空間に剣を突きつけたが刺さるのは空気のみ。バルコニーも窓を開けずに覗き込むが人が隠れる場所はなく、落ち葉が数枚あるだけだった。

部屋の中に聞えるのはディオンの息遣いと握った剣を持ち返る音のみ。
床に落ちた紙を拾い上げて、もう一度目を落とした。

――どうして知っているんだ。一体だれが――

明日の夕食会は非公式でほとんどの人間が行われる事すら知らされていない。
参加するのは国王、王妃、廃妃となったディオンの母ベラ、ディオン。そしてマクスウェルとマクスウェルの生母である側妃。その6人だけの夕食会でアデライドもシルヴェーヌも参加はしない。

ディオンの母が参加をするのはあくまでも王子の生母というだけで、マクスウェルが正式に王太子に立太子していないため同列扱いだという程度のもの。

セレスタンは廃嫡されているので、所在がどうであろうが参加は出来ない。

ディオンは考えなしの馬鹿ではあるが、襲撃の件で大きく後悔をしていた。
ディオンの中で、あわよくば王位にという気持ちが完全に消えた訳ではなく王位につくにあたってはシルヴェーヌは必要な存在だと理解はしている。
だが、大きな失態で本当に首の皮一枚繋がった状況に、この際アデライドで手を打って臣籍降下をした方が良いのではないかとも思い始めていた。

手紙に再度目を落とし、ディオンは暖炉に近づきランプの灯りに紙をくべ、ジジっと火が点くと紙を暖炉に放り込んだ。灰になってしまった紙を火かき棒で混ぜ、深いため息を落とした。




〇●〇●〇

「デザートで御座います」

給仕がそれぞれの目の前にデザートを置いていく。
ディオンはゴクリと生唾を飲んだ。はす向かいで幼いマクスウェルが1人だけ違うデザートでも彩豊いろどりゆたかに盛られたケーキに歓声を上げる。

ディオンは迷った。手にデザートスプーンを持ったが震えてしまう。

「おかたま、こっちぃ」
「はいはい…せっかちね」

国王も王妃も、ディオンの母も側妃に食べさせてもらっているマクスウェルを見て目を細めている。
マクスウェルの小さな口に一口運ばれると「おいち!」っと可愛い声に国王、王妃、ディオンの母はデザートをそれぞれ口に運んだ。

――なんだ、何も起こらないじゃないか。驚かせやがって――

そう思ってディオンもデザートスプーンをまさに口に入れようとした瞬間ときだった。

ガシャーン!!

隣にいたディオンの母、廃妃になった元側妃がテーブルクロスを自分の方に思い切り掴んで引き寄せた事でグラスはひっくり返りワインや果実水がテーブルに広がった。
落ちた食器が音を立てて割れる。従者たちの悲鳴にも似た声と足音が一斉に部屋に響いた。

母を見れば血走った目でナフキンを掴むと、自分の手を喉に突っ込んだ。
国王と王妃も同様で【吐かせるんだ】【まだ一口のみです!】と飛び交う声の中で嘔吐していた。

ディオンの手からデザートスプーンが床に落ちた。
手紙にあった通り、デザートには毒が混入されていた。

6つの皿の内、毒が入っていないのはマクスウェルの皿だけで後は全て毒入りデザートだった。真っ先に疑われたが、数人の従者がディオンも食べる直前だったと証言があった事で疑いが無くなった訳ではないが、薄くはなった。

もう1人デザートが並べられたが食べなかった人物がいた。側妃である。
しかし、マクスウェルが食べさせろとせがんだ事で側妃は1人デザートスプーンすら手に取っていなかったのは当然だと側妃もまた疑いがないわけではないが、疑われた。

ディオンはあの紙を灰にした自分を褒めた。あんなものが予告として知らされていた事を誰にも言わなかったとなれば犯人でなくとも首謀者、共犯と疑われてしまう。
部屋に戻ったディオンは寝台のシーツを引き剥がし、机の引き出しを全てひっくり返し【新たな予告】がないかを探した。何もない事が解ると、安心感なのかディオンは気が抜けていつしか寝入ってしまった。


国王、王妃、そしてディオンの母ベラは予断を許さない状況だとして面会も出来なくなった。




〇●〇●〇

「ねぇ殿下ぁ。どっかに行きましょうよぉ」

謹慎が解け、国王も王妃も母親のベラもまだ話が出来る状況ではない。
こんな所にいては息が詰まると連日犯人扱いされていたディランはアデライドと共にシルヴェーヌがいるという王妃の離宮がある地に向かった。


高位貴族の避暑地でもある地。当然バイエ侯爵家の別荘もそこにあった。
ディオンを逃せば隣国の貴族に嫁がされてしまうアデライドは必死だった。
国王たちがとこに伏せった今を狙って、ディオンに「王になる」と父を説得してもらわないと連れていく侍女しか見知った者がいない隣国など行きたくもない。

この際、シルヴェーヌとの仲を取り持ってもいい。シルヴェーヌとディオンが仲直りすれば万事うまくいく。王妃じゃなく側妃なら簡単に召し上げてもらえるはずだと、2人が夫婦であって夫婦でないのは単に酷い喧嘩をしている程度にしかアデライドは考えていなかった。


「えぇっ?殿下が疑われてるのぉ?そんなの酷ぉい」
「そうだろう。毒殺なんて恐ろしくてやってられるかっての」
「それよりぃ。王妃様の離宮にお・く・さ・ま…いるんでしょ?」
「らしいな」
「行ってみたいなぁ。王妃様の離宮ってどんな感じなのかなぁ。ねぇ~見たいぃぃ」
「だが、今日は街に来てる劇団の演目が楽しみだと言ってたじゃないか」
「観劇の時間には間に合えばいいしぃ~。ねぇ行きたいぃぃ」


アデライドにせがまれたディオンは王妃の離宮に訪れたのだった。
クディエ公爵と違って、ディオンは腐っても第二王子でシルヴェーヌの夫である。
但し、負傷をしてからは一度も会っていない。ディオンはあの日、1人先に会場に入った。アデライドがあの企みに気が付いていないのは僥倖だがシルヴェーヌがどうなのかはわからない。
記憶を失ったとは聞いたが、失ったままなのか、それとも何か思いだした事があるのか。
それもわからないままだったため、純粋に【知りたい】とも思った。

夫で第二王子だと名乗れば無碍に追い返す事は出来ない。
シルヴェーヌの周りには数人の侍女、そしてクロヴィスがいたが、部屋に通された2人はズカズカと寝台に近づいた。

ディオンの顔を見ても、驚いた風も何もないシルヴェーヌにディオンは安堵した。
アデライドもまた、ようよう起き上がったシルヴェーヌを見てこれならばディオンは自分に留め置けると鼻で笑った。すっかり元気になってディオンがこっちの宮にいると言い出せば元も子もなかったからだ。


「具合はどうだ。夫が見舞いに来たのだ。嬉しそうな顔は出来ないのか」
「そぉよぉ。仲良くしましょうよぉ」

近づく2人にクロヴィスは「ここまででお願いします」と前に立ちはだかった。

「お前は何様だ?私を誰だと思っているんだ」
「第二王子ディオン殿下です」
「判っているじゃないか。そしてそこの寝てばかりの女の夫だ。私がいるからこんな、のんべんだらりな優雅な生活が出来るのだぞ?もっと敬う気持ちを持てないのか」
「持てません。私がお仕えするのはシルヴェーヌ様であり、貴方様ではありません」

クロヴィスとディオンがやり合っている間にアデライドは寝台へ横向きに腰を下ろした。

「仲良しは良い事なんですよぉ?睨めっこしてたら面白くないでしょぉ?わたしぃ。皆に仲良くしてもらいたいんですよぉ?ねっ?だからぁ」

シルヴェーヌの手を握ろうとアデライドは手を伸ばしてきた。
咄嗟にシルヴェーヌはその手を振り払い、少し触れた部分を隠すように手で押さえた。

「そんな事してるとぉ、嫌われちゃいますよぉ?――きゃぁっ!」
「離れてください。貴女が触れてよいお方ではありません。場をわきまえて頂きますよう」
「なんなのっ!酷ぉい!もういいわよぅだ!殿下っ時間に遅れちゃう。もう行きましょ」



その後、ディオンは大きく後悔を新たにすることになるとは思わなかった。
王妃の離宮を後に、観劇に向かった。
最高に盛り上がる場で、突如会場内に金物を激しく打ち鳴らす音が響いた。

ディオンとアデライドはバルコニーになった特別席で、丁度最高に盛り上がる場はヒロインが民衆を鼓舞し、悪政を働く絶対的権力者である悪役令嬢とその父親に立ち向かう場面。
激しくドラの音が近くで打ち鳴らされたのも災いした。

悲鳴にも似た声には気が付いていたが、役者の声だと思っていた。
特別席に向かう通路で発生した火事は瞬く間に劇場を炎に包んだ。
逃げようにも逃げる通路が一番燃え盛っていて逃げられない。ディオンは観客席に向かって2階ほどの高さから飛び降りてアデライドを呼んだが、アデライドは足が竦んで飛び降りる事が出来なかった。

崩れ落ちるバルコニーと一緒に落下したアデライド。ディオンと共に命は助かったがドレスに燃え移った炎で痕は残らない程度だったが火傷を負ってしまったのだ。

全く火の気のない通路から起きた火災は放火だと断定されたが犯人は解らなかった。
事が事だけにディオンは逃げるように1人王都に戻っていった。

流石に2度もディオン絡みで起きた命に関わる危険な出来事にアデライドはディオンからきっぱりと手を引いた。ディオンから会いたいと何通も手紙が来たが、アデライドは自分の意思でその手紙を最初の数通は開封したが、大半は開封すらせずに暖炉にくべた。
翌年、父親の用意した隣国の貴族にアデライドは嫁いでいったのだった。
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