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初めてのキス

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屋敷に戻ったロレンツィオに家令は上着を受け取りながら王宮に戻ったあとを報告する。

「本館だが、西に門を作り新築したあと、今の本館を取り壊す」
「取り壊しでございますか?不便でも?」
「今日、ゴキブリが1匹入ったからな。あれは1匹いれば100匹いると思わねばならん」
「承知いたしました。それからチャイムから報告です」
「チャイム‥‥どうした。ケガでもしたか」
「いえ、本人は物足りなかったようで有休をとって傭兵として3日ほど体を動かすと」
「そうか。まあ対象が1人だったからな。3日でいいのか」
「はい、紛争地だそうなので1日でスッキリするかもと言っておりました」

自室で着替えをして軽く湯あみをすると夫婦の寝所に向かう。
いつ目が覚めてもいいように侍女は交代で寝台のそばに椅子を置いてセレティアを見守る。
セレティアの化粧品で基礎化粧品担当のマローネがそっと額の汗をタオルに吸わせている。

「マローネ。変わるぞ」
「閣下。お帰りなさいませ。出迎えが出来ず申し訳ありません」
「いや、出迎えよりも大事な事をしてくれてありがとう。どうだ?」
「はい。まだお目覚めにはなっておりませんが、時折大きく息を吐きだされております」
「そうか。あとは看ておくから休むんだ。休息も大事だからな」
「はい、では下がらせていただきます」

パタンと静かに扉が閉まる音がすると、静かな部屋に2人きりになる。
明らかに呼吸する時の胸付近の掛布の動きは大きくなっている。
判定をする魔導士も無理を言って女性魔導士にしてもらったロレンツィオは魔導士団に借りが出来てしまった。
もっとも、流行のスィーツで良いと言っていたので近いうちに差し入れをするつもりである。

「セティ。昼間は変な虫を見せてしまった。すまない。もう駆除しているから」

掛布の中からそっと手を取ると、指輪のついた薬指を見る。
数日こうやって意識が戻らないままなのでまた痩せてしまった。細くて白い指。しかし今ははっきりと温かいと体温を感じることが出来る。
そっと手を両手で覆って、握りしめ寝顔を眺める。

「‥‥ん…‥‥」

何かを言ったような気がすると同時に指先がピクリと動く。思わず身を乗り出してしまう。
指先を自分の指で撫でるようにしながらまた名を呼ぶ。

「セティ?」
「……オ様…」
「ん?どうした?ここにいるよ?」

ゆっくりと瞼が動き、眩しいものを見るかのように細く薄っすらとセレティアが目覚める。

「セティ?‥」
「ふぅ‥‥はぁ‥‥んんん…」
「セティ?判る?僕だ?見えるか?」

ゆっくりと頭を少しだけ横にすると、はっきりと目覚めていると判るほど目は開いていた。
ぱちぱちと瞬きをすると

「ツィオ様‥‥ご出仕は?」
「大丈夫だ。帰った所だ。気分はどうだ?腹は減ってるか?いや喉が渇いてないか?」
「お水…欲しいです」
「そうか、そうだよな。うん。飲ませてやる。ここにあるからな」

吸い飲みに水が入っている事を確認すると口元に持っていき、先端を少し咥えさせて少しだけ傾ける。
量としてはスプーンに1杯もあるかどうかの量だが、慌てて傾きを止めてゴクンと飲み干すのを見る。

「もっと飲むか?」
「はぁぁ…美味しいです。もう少し飲みたいです」
「うん。じゃぁもう一口な」

また吸い飲みを唇に当てて少しだけ傾けて水を飲ませる。

「あぁ、そうだ。もっと飲みたいって時は僕の指を握って。いらないって時は離せばいいから」

片手をセレティアの手に握らせると、強くはない力で指をきゅっと握る。
握られている間、ロレンツィオは吸い飲みを傾ける。はいっていた水が半分ほどで力が緩む。

「どう?苦しくないか?」
「はい。ツィオ様、ありがとうございます。ご出仕はされたのですよね」
「あぁ、帰ってきて汗を流してここに来たところだった」
「お見送りもお出迎えも出来ず申し訳ございません」
「えっ‥‥覚えていないのか?」
「何をでございますか?」
「セティはもう1週間近く目覚めなかったんだ…その・・・」
「1週間?どういたしましょう?お茶会のお返事はしてくださったのですか?」

思わず起き上がりそうになるセレティアの肩を優しく抑えて、「まだ寝てるんだ」とベッドに押し返す。

「返事はしたよ。セティ、君は本来使ってはいけないとされている魔法で眠らされていたんだ」
「えっ?魔法で?」
「だがセティが寝ている間にちゃんと片付けてきたから安心していい」

水差しからコップに1杯の水を入れると一気に飲み干し、1週間も寝ていたなんてと天井を見つめるセレティアの手を取り、ロレンツィオは話しかけた。

「今度の事でよく判った。僕は嘘を吐いていた。いや、嘘ではないが誤魔化していた事があるんだ」
「誤魔化しでございますか?」
「うん、僕は言ったよね。クラウド君の事は忘れなくていいと」
「はい」
「忘れなくていいと言うのは本当なんだ。でも…その…本当なんだけど僕のことを愛して欲しいし…笑ってほしいし…僕だけの事を考えて…欲しいとか…そんな気持ちもあるんだ。いや、すまない26にもなって恥ずかしいな。忘れてくれていい。待つと決めた。そう…待つと決めたんだ。悪かった。忘れてくれ」

「ツィオ様っ」

セレティアは真っ直ぐにロレンツィオを見つめる。握られている手にそっと力を籠める。

「ここにきて、ずっと大切にしてくださっているのを知っております。お心にお応えできないわたくしなのに、それでも寄り添ってくださっているツィオ様のお気持ちなのです。教えてくださいませ」

「そ、そうだよな。えーっとセティが好きだ。大好きで愛している。出来れば景色も何も見ないでセティの瞳には僕だけを映して欲しいと思っているし、本や空や菓子の事よりも僕のことを考えて毎日を過ごして欲しい…って我儘すぎるな」

「ふふっ‥‥それではツィオ様のお弁当の中身を考える時間もお庭で花を育てるのも中止しなくてはいけませんね。困りました」

セレティアは、起こして欲しいとロレンツィオに頼むとゆっくりと背を起こしてもらう。
ロレンツィオは倒れないように背中に枕やクッションを詰める。

「ツィオ様。お願いがあるのです」
「なんだ?」
「わたくしの立場ではまだ難しい事は重々承知しているのですがハンザに行きたいのです」
「それは‥‥もうここが…嫌になったとか?」
「いいえ。区切りをつけたいのです。父も亡くなりまだお墓にも行っておりません。それに‥‥」

薬指の指輪を片方の手で触り、軽く握ってそれを右手で覆う。

「クラウドのお墓に行って区切りをつけたいのです。クラウドは出征する際にわたくしの幸せを祈っていると髪飾りに折り込みました。ツィオ様には申し訳ないと思うのです。でも生きて帰ればクラウドの妻になっていたと思います。ですがそうはならなかった。クラウドの最後を見届けてくださったツィオ様と今こうしているのはクラウドの望みなのかも知れません。もう亡くなっていますので声は聞けませんが‥‥立ち止まっていてはいけないと思うのです」

「そのために…ハンザへ?」
「はい。ただ立場的には難しいのは判っているんです。ハンザに行っても何も変わらないかも知れませんが、区切りにはなると思うのです」

「わかった。陛下に相談をしてみよう」
「ありがとうございます」
「ゆっくり眠るんだ。朝食を一緒に食べよう。おやすみ」

ロレンツィオはそっと髪を撫でると立ち上がり、自室に戻ろうとした。
だが、それを不思議そうにセレティアが呼び止める。

「ツィオ様?お休みになるのでしたら、こちらでは御座いませんの?」

そう言って自分の隣をポンポンと叩く。セレティアにとっては自室で眠るのは病気の時だけという思い込みがある。病気でないのなら婚姻をして夫であり妻なのなら一緒に眠るのだと思い込んでいる。

「えっと…いいのか?」
「いいも何も‥ツィオ様は具合がよろしくないのですか?」
「いや、絶好調に近いと思う。あぁ、今日はちょっと疲れたが‥」
「ご病気ではないのなら、お疲れでもありますしこちらでお休みくださいまし」

くぅぅ~っと額に手を当てて頬や耳が熱くなってくるのが判る。何をしようと言う訳ではない。
きっとこれはセレティアにとっては当たり前の事なのだと思ってもこみ上げる嬉しさは今にも爆発をしそうなほどで、ここで飛び跳ねてもいいだろうかと思ってしまう。
下心がなかったと言えば噓になるが、ロレンツィオはベッドに入ると提案をした。

「セティ。寝る時だけでいいからキスをしてもいいだろうか?」
「キっ‥‥キっ…キス?!あぁでも婚姻はしているのですよね…でも教会ではないのに良いのかしら」
「うーんと…多分だけどギスティールでは夫婦は大抵ベッドでしてるはずだ」

(もっと踏み込んだ事までしてるけど‥‥いやそれはまだだ。押さえろ。僕!)

「そうですね…では…はい」
「いや、はいって言われちゃうと…緊張するなぁ…汗出てきた‥」
「汗でございますか?」
「ん?いい。セティ」
「はい」

ちゅっ♡

思っていたより軽めのキスにぱちくりするセレティアと、そのまま昇天してしまったロレンツィオ。
翌朝、奥様大丈夫かしら?と洗面当番のラズベリーは寝台で一緒に眠るロレンツィオを見て雄叫びをあげた。その声にロレンツィオもセレティアも目が覚める。目覚めたセレティアをみてラズベリーは号泣したのだった。
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