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8:落とした物と転がった物
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一番鳥が鳴きだす少し前、馬車が石畳を走る車輪の音が聞こえた。
カミーユは夫人の間から飛び出すと、廊下に出て右と左を交互に見る。
慌てていると住み慣れている筈の屋敷でも入り口がどちらか判らなくなってしまった。
階段も数段を飛ばして駆け下りた事など何時ぶりだろう。
転がるように玄関ホールまで来ると、扉を閉じる家令と執事の姿が目に入った。
「おはようございます。鍛錬でございますか?」
どう考えても鍛錬に向いているような服装ではないのに、家令は涼しい顔で問いかけて来た。
「い、今、誰が出て行ったんだ?」
「奥様で御座いますが」
「こんな朝早くに何処に行ったというんだ!」
「何処にと申されましても…」
家令と執事はいったい何を言ってるんだと言わんばかりに顔を見合わせ、息も揃えてカミーユの顔を見た。
「奥様は週に3回。領地に出向いておられます」
「そんな事は聞いていない」
「聞ける筈が御座いません。旦那様は御帰宅をされた日は早々に湯を浴び、離れに出向いておられたではありませんか。話す時間もないのに聞く事が出来るはずが御座いませんでしょう」
「こちらをご覧くださいませ」
サッと執事が差し出してきたのは今月、先月、先々月の3カ月が一目でわかるようになっている暦だった。そこに赤い丸と黒い丸が書かれている。先々月の16日には黒で二重丸があった。×のマークも2つ飛ばし、3つと飛ばしでついていた。
殆どは赤い丸で囲まれていて、黒い丸は先々月はなし、先月は1つだけだった。今月は4日前と昨日に黒い丸。明日からの日付にはなにもない。
「なんだこれは」
「×は旦那様が夜勤の日で御座います。黒い丸は本宅で休まれた日。赤い丸は離れで休まれた日でございます」
「では、この…先々月の二重丸はなんだ?」
「奥様のお誕生日で御座います」
「誕生日って‥‥えっ‥待て、待てよ…」
思いだしてみれば結婚をして3年になるが、ブランディーヌの誕生日を祝った事はなかった。だがちゃんと覚えている事もある。カミーユの誕生日と専属護衛騎士に選ばれた日はブランディーヌから贈り物があった事だ。
夜勤の日は騎士団の詰め所に届いていたし、そうでない時は部屋のテーブルの上にカードと手紙と一緒に置かれてあった。
「大丈夫ですよ。奥様のお誕生日は使用人一同でお祝いをしましたので」
「何故言ってくれなかったんだ」
「お誘いはしました。ですが湯を浴びて直ぐに離れに向かわれましたので」
「そんな…俺は今まで…」
「見事なまでにすっぽかされておりましたね。いっそ気持ちいいと思いました」
がっくりと項垂れるカミーユだが、家令は気にせず言葉を発した。
「ついでですので、ご案内いたしましょう」
連れて行かれた先は使用人達が食事をする部屋である。
驚いた事に、並べられているものはカミーユが食べる物と遜色ないものばかり。
驚いてはくはくとするカミーユに家令が告げた。
「奥様の指示で我々も同じ物を頂いております。伯爵家には毒を盛る者はおりませんが、食材の痛み、味付け、量、付け足す物、除く物、色合いなどをここで最終確認するのです」
「我々も最初はそれは贅沢だからと言ったのですが、旦那様によい仕事をして頂くには同じように良い物を食べて鋭気を養ってもらわねばならないと奥様が仰ったのです」
「そうだったのか…全然知らなかったよ」
「最近になって、砂糖や塩などの使用量は減りました。野菜や果物で代用しております」
「このパンは…味が変わっているな」
「奥様が小麦アレルギーですので、米というイネ科の植物を使用しております。甘味は砂糖は少しですが大豆などを臼でひいた物を利用しております。通常の小麦で作ったパンも御座いますよ」
「小麦アレルギーって…本当なのか?」
「えぇ。ですから調理人はよく試作品を作っております。他にも領地でとれるものを使ったものも合わせて幾つかは既に商品化して売り出しております」
ではこちらに。と一旦屋敷の外に出ると以前は使用人の休憩所に使っていた小屋が改装されていた。中に入ってカミーユは驚いた。
「なんでだ?!母屋にも調理室はあるだろう!なぜこんな無駄に調理室だけっ?!」
「こちらはですね。国教とは異なる宗教の国も御座います。そんな国からのお客様も王宮にはいらっしゃいますので、ハラールという戒律で許されている食材を調理する建物なんです。竈も井戸も別にする必要があるのですよ」
「そんな金が何処にあったんだ。少々領の収益が上がっても追いつかないだろう?!」
カミーユの言葉に執事は振り返って母屋の従者に何やら身振り手振り。走ってきた従者からファイルを手渡された執事は、パッと広げてカミーユに見せた。
「こちらは今年の作付からの経歴で御座います。少し雨量が多かったので心配をしましたが昨年よりも8%増しで収穫となっております。で、今年の初めにですね‥‥えぇっと。これだ」
一枚のチラシのようになった紙を取り出してカミーユに手渡す。
「トウモロコシの芯!これをですね、奥様の一声で廃棄せずに粉砕しひと手間加える事で緩衝材を作ったんです。これが結構大当たりでして、商会が家具や調度品、ワレモノなどを輸送する時に試験的に使ってもらってたんですが、もう製品化が決定しておりまして、隣国からも発注が来ております」
「旦那様がお連れ様と楽しく踊っている間に奥様は事業の融資をしてくださる方、共同経営をしてくださる方とのご縁を持たれたのですよ。奥様に感謝なさってください」
家令も執事も、これでブランディーヌの事を第一に考えてくれるだろう。
そう思った。
「そうか。そんなに手を広げているのならもう護衛として働く必要はないな。そうだ!屋敷を大きくしよう。エミリアの部屋も同じ屋根の下に作れば…。屋敷さえ広ければディーだって静かに過ごせる。金もあるならエミリアに婿を取って一緒に暮らせばいいんだ。いやぁ…なんだか自分の才能を感じるなぁ…。あの時ディーを一目見て絶対に結婚するんだと心に誓った自分を褒めてやりたいよ。いやもうこれ!全部一気に解決じゃないか!子供だって作り放題じゃないか。もう昨夜はどうしようかと生きた心地がしなかったが…そうかぁ~そうかぁ~」
バササー。
執事は手にしていたファイルを落としてしまった。
コッコッココン…。
家令は入れ歯が外れて転がって行ってしまった。
カミーユは夫人の間から飛び出すと、廊下に出て右と左を交互に見る。
慌てていると住み慣れている筈の屋敷でも入り口がどちらか判らなくなってしまった。
階段も数段を飛ばして駆け下りた事など何時ぶりだろう。
転がるように玄関ホールまで来ると、扉を閉じる家令と執事の姿が目に入った。
「おはようございます。鍛錬でございますか?」
どう考えても鍛錬に向いているような服装ではないのに、家令は涼しい顔で問いかけて来た。
「い、今、誰が出て行ったんだ?」
「奥様で御座いますが」
「こんな朝早くに何処に行ったというんだ!」
「何処にと申されましても…」
家令と執事はいったい何を言ってるんだと言わんばかりに顔を見合わせ、息も揃えてカミーユの顔を見た。
「奥様は週に3回。領地に出向いておられます」
「そんな事は聞いていない」
「聞ける筈が御座いません。旦那様は御帰宅をされた日は早々に湯を浴び、離れに出向いておられたではありませんか。話す時間もないのに聞く事が出来るはずが御座いませんでしょう」
「こちらをご覧くださいませ」
サッと執事が差し出してきたのは今月、先月、先々月の3カ月が一目でわかるようになっている暦だった。そこに赤い丸と黒い丸が書かれている。先々月の16日には黒で二重丸があった。×のマークも2つ飛ばし、3つと飛ばしでついていた。
殆どは赤い丸で囲まれていて、黒い丸は先々月はなし、先月は1つだけだった。今月は4日前と昨日に黒い丸。明日からの日付にはなにもない。
「なんだこれは」
「×は旦那様が夜勤の日で御座います。黒い丸は本宅で休まれた日。赤い丸は離れで休まれた日でございます」
「では、この…先々月の二重丸はなんだ?」
「奥様のお誕生日で御座います」
「誕生日って‥‥えっ‥待て、待てよ…」
思いだしてみれば結婚をして3年になるが、ブランディーヌの誕生日を祝った事はなかった。だがちゃんと覚えている事もある。カミーユの誕生日と専属護衛騎士に選ばれた日はブランディーヌから贈り物があった事だ。
夜勤の日は騎士団の詰め所に届いていたし、そうでない時は部屋のテーブルの上にカードと手紙と一緒に置かれてあった。
「大丈夫ですよ。奥様のお誕生日は使用人一同でお祝いをしましたので」
「何故言ってくれなかったんだ」
「お誘いはしました。ですが湯を浴びて直ぐに離れに向かわれましたので」
「そんな…俺は今まで…」
「見事なまでにすっぽかされておりましたね。いっそ気持ちいいと思いました」
がっくりと項垂れるカミーユだが、家令は気にせず言葉を発した。
「ついでですので、ご案内いたしましょう」
連れて行かれた先は使用人達が食事をする部屋である。
驚いた事に、並べられているものはカミーユが食べる物と遜色ないものばかり。
驚いてはくはくとするカミーユに家令が告げた。
「奥様の指示で我々も同じ物を頂いております。伯爵家には毒を盛る者はおりませんが、食材の痛み、味付け、量、付け足す物、除く物、色合いなどをここで最終確認するのです」
「我々も最初はそれは贅沢だからと言ったのですが、旦那様によい仕事をして頂くには同じように良い物を食べて鋭気を養ってもらわねばならないと奥様が仰ったのです」
「そうだったのか…全然知らなかったよ」
「最近になって、砂糖や塩などの使用量は減りました。野菜や果物で代用しております」
「このパンは…味が変わっているな」
「奥様が小麦アレルギーですので、米というイネ科の植物を使用しております。甘味は砂糖は少しですが大豆などを臼でひいた物を利用しております。通常の小麦で作ったパンも御座いますよ」
「小麦アレルギーって…本当なのか?」
「えぇ。ですから調理人はよく試作品を作っております。他にも領地でとれるものを使ったものも合わせて幾つかは既に商品化して売り出しております」
ではこちらに。と一旦屋敷の外に出ると以前は使用人の休憩所に使っていた小屋が改装されていた。中に入ってカミーユは驚いた。
「なんでだ?!母屋にも調理室はあるだろう!なぜこんな無駄に調理室だけっ?!」
「こちらはですね。国教とは異なる宗教の国も御座います。そんな国からのお客様も王宮にはいらっしゃいますので、ハラールという戒律で許されている食材を調理する建物なんです。竈も井戸も別にする必要があるのですよ」
「そんな金が何処にあったんだ。少々領の収益が上がっても追いつかないだろう?!」
カミーユの言葉に執事は振り返って母屋の従者に何やら身振り手振り。走ってきた従者からファイルを手渡された執事は、パッと広げてカミーユに見せた。
「こちらは今年の作付からの経歴で御座います。少し雨量が多かったので心配をしましたが昨年よりも8%増しで収穫となっております。で、今年の初めにですね‥‥えぇっと。これだ」
一枚のチラシのようになった紙を取り出してカミーユに手渡す。
「トウモロコシの芯!これをですね、奥様の一声で廃棄せずに粉砕しひと手間加える事で緩衝材を作ったんです。これが結構大当たりでして、商会が家具や調度品、ワレモノなどを輸送する時に試験的に使ってもらってたんですが、もう製品化が決定しておりまして、隣国からも発注が来ております」
「旦那様がお連れ様と楽しく踊っている間に奥様は事業の融資をしてくださる方、共同経営をしてくださる方とのご縁を持たれたのですよ。奥様に感謝なさってください」
家令も執事も、これでブランディーヌの事を第一に考えてくれるだろう。
そう思った。
「そうか。そんなに手を広げているのならもう護衛として働く必要はないな。そうだ!屋敷を大きくしよう。エミリアの部屋も同じ屋根の下に作れば…。屋敷さえ広ければディーだって静かに過ごせる。金もあるならエミリアに婿を取って一緒に暮らせばいいんだ。いやぁ…なんだか自分の才能を感じるなぁ…。あの時ディーを一目見て絶対に結婚するんだと心に誓った自分を褒めてやりたいよ。いやもうこれ!全部一気に解決じゃないか!子供だって作り放題じゃないか。もう昨夜はどうしようかと生きた心地がしなかったが…そうかぁ~そうかぁ~」
バササー。
執事は手にしていたファイルを落としてしまった。
コッコッココン…。
家令は入れ歯が外れて転がって行ってしまった。
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